第8話 天使のような勧誘

 入学式の会場である講堂に入ると、前列には既に学部ごとの新入生代表者たちが座っていた。その前を、他の入学者たちが歩いていく。すると、前列に座っている井上さんを発見した。井上さんは、座っている姿勢も背筋がピンとまっすぐに伸びており、スーツ姿も様になっていた。


「あ、綾香っちいた。ヤッホー綾香っち」


 高本が小声で声を掛けると、井上さんはこちらに気が付いて、膝の上に置いていた右手を軽く腰の辺りに置き、口角を上げてニコッと笑顔で手を振ってきた。


 俺たち三人は、手を軽く振り返して、井上さんの前を通り過ぎていく。


 後ろの連中が


「え?今の井上綾香じゃね?」

「マジじゃん」

「俺たちに手振ってたぞ今」

「え?ヤバイどうしよう」

 

と勘違いしているのを苦笑しがなら、俺たちは井上さんのちょうど真後ろあたり、数えて10列目くらいの場所に着席した。

 

 新入生が全員講堂に入ってくる間。ステージの横では、吹奏楽部の人たちと思われる大学生たちが、音楽を奏でており、心地よい演奏が講堂内に響きわたっていた。


 しばらくすると、新入生の最後尾が会場内に入ってきて列が途切れた。最後尾の人たちが後ろの席に着席すると、吹奏楽部と思われる人たちも演奏を止め、ステージ以外の照明が暗くなる。


 入学式が始まり、開会の言葉から、国歌斉唱、来賓の方の紹介などを終えて、今は学長のお話になっていた。


「ねぇ……話長くね」


 左隣に座っていた厚木が、話しかけてきた。


「確かに、もう10分以上喋ってるよな?」


 俺が小声で返すと、今度は右隣にいた高本が話しかけてきた。


「足しびれてきたんだけど、早く終わってほしい本当に」


 高本は足首を回しながら、足を延ばしたり、座る体制を変えてみたりと、落ち着かない様子だ。

 俺はそんな高本の姿を見て苦笑しつつ、ステージの方に再び視線を向ける。


 ステージ前の最前列には、ピンっと背筋を伸ばした井上さんが、真面目な様子で学長のお話を聞いるのが、後姿でも分かった。右隣の誰かと違って集中力が全然違うなと苦笑いを浮かべていると、ようやく学長の話が終わった。


「はぁ、やっと終わったわ……」


 そう呟いたのと同時に、高本がため息をつきながら、女の子とは思えないほど座る体制を崩して、だらしなく一息ついていたのだった。



 ◇



 入学式が終了し、新入生が講堂から退場していく。

 講堂の出入り口を出たすぐのところがエントランスになっており、俺たちはそのエントランス内の近くにあった椅子に座ることにした。


「講堂の出口に溜まらずに、新入生の皆さんは正門の方へお進みください」


 とスタッフが声を張り上げて案内をしていたが、井上さんが出てきてから一緒に部活動・サークス勧誘の場所へ行こう、という話になっていたので、俺たちはその指示には従わず、椅子でぐったりとしながら休憩していた。



 椅子に座ってしばらく待っていると、トークアプリの通知が届く。

 開いてみると、井上さんからのメッセージが届いていた。


『ごめん、この後急に仕事入っちゃって……一緒に部活案内見に行けそうにないや。ごめんね』


 井上さんから書かれたメッセージを見た俺たちは、「どうする?」と顔を合わせる。


「一応挨拶だけでもしていかない? 多分ここから出てくると思うし」

「そうだな」

「おっけ!」


 俺の提案に二人も賛同し、井上さんに一言挨拶をするために、もうしばし待つことにした。


 新入生の波がいったん収まり、エントランスにいる人も少しずつ減ってきたところで、井上さんを含む学部の代表者と思われる人たちがようやく出口から出てきた。


「お、やっと出てきた」


 高本がいち早く気づいて、井上さんに声を掛けようとするが、井上さんはスーツ姿のボディーガードみたいな人たちに囲まれたまま、エントランスから外へと続く出口へと連れて行かれてしまった。


「あれ? どっか行っちゃうよ綾香っち」

「本当だ、追うぞ」

「おう」


 三人は井上さんの後を追いかけてエントランスを出て、部活勧誘が行われている方とは反対方面へと向かった。すると、そこに待っていたのは、多くのテレビカメラと報道陣であった。


 井上さんは報道陣の前に立つと、すぐに囲み取材に応じ始めてしまった。


「うわぁ、囲み取材だ。すげぇー」

「囲み取材なんて俺初めてみた」

「やっぱり、綾香っちってすごいんだね……」


 改めて、井上さんは住んでいる世界が違うなんだなということを実感させられる。


「これじゃあ、挨拶も無理そうだね」

「そうだね、仕方ないか」

「メッセ入れておけばいいっしょ」


 俺たちはトークアプリに『入学おめでとう、これからよろしくね!』

 というメッセージを入れて、その場を立ち去ることにした。



 ◇



 俺たちは講堂の出口の方へと戻り、行きに通って来た正門へと続く一本道の前まで到着した。そこには、縦横無尽に人が入り乱れており、部活・サークルの勧誘活動を行っている光景が広がっていた。


「うわ、すげぇ……」

「確かにこれはすごいな、前に進むのも大変そうだ」


 俺と厚木が、少し怖気づいていると、高本が俺と厚木の肩を叩いてきた。


「何してんの? 早く行くよ!」


 俺と厚木は、高本に押される形になりながら、人混みの中へと突入していく。


「テニスサークルですよろしくお願いします」

「どうですかダンスサークル」

「演劇とか興味ない??」


 キョロキョロ歩いていると、各先輩たちから、沢山のチラシを配られ、それを強引に俺たちに受け取らせる。


「あ、ありがとうございます……」


 俺はおどおどしつつ、目が回りそうになりながらも、人混みをかき分けて進んでいく。


 そんな人混みを掻き分けていきながら、俺はある一つの目標を決めていた。

 列に並んでいる時に見た、あの天使のような女性を探し出すこと。これはなんとしても今日俺が達成しなければならないミッションであった。


「ごめん、俺ちょっとあっちの方見てくる」

「おっけ、わかった。じゃあ俺と詩織はここの漫才研究会のところ見てからそっち向かうわ」

「おっけ、じゃあ後で!」


 俺は厚木と高本と別れて、それぞれお互いの目的場所ごとに分散した。


「よしっ!」


 俺は気合いを入れ直して、チラシを配る先輩たちを掻き分けながら、天使のような女性に出会ったブースへと進んでいく。

 

 すると、そのブースの前には大量の人だかりが出来ていた。俺はなんとかその人だかりの前まで到着する。

 背伸びして間から様子をうかがうと、その人だかりの中心にいた人物こそ、先ほどの天使のような女性であった。

 その女性は、新入生ににこやかな笑顔を振りまいて、チラシを配りながら一人一人丁寧に対応していた。どうやらこの人だかりも、その女性目当てで群がっている集団のようだ。


 俺はその集団を見て愕然とする。そりゃそうだよな……あれだけ美人で可愛ければ、人だかりが出来てもおかしくないわな。俺は半分諦めかけてきた。


「よっす、目的のサークルには行けた?」


 すると、突然後ろから声を掛けられた。声の方へ振り返ると、厚木と高本が立っていた。どうやら目的を済ませ、こちらに向かって来てくれたようだ。


「何、南っちサッカーサークル入るの?」

「えっ、なんで?」

「いや、だってここサッカーサークルのブースっしょ?」


 俺がテントの方を見ると、そこには、『サッカーサークル、FC RED STAR』と書かれた張り紙が貼られていた。


「あ、ほんとだ」

「あ、ほんとだって、じゃあなんでここにいるの?ウケる」

「いやぁ、それは……」


 俺がどう説明しようかおどおどしていると、再び後ろから声を掛けられる。


「こんにちは」


 声の方へ振り返ると、そこには先ほどまで大勢の人に囲まれて身動きが取れなくなっていたはずの、天使のような女性が目の前に立っていた。しかも、信じられないことに、向こうから俺に声を掛けてきてくれたのだ。

 俺は何が起きたのか状況が理解できずに、ただその女性をぼっと眺めることしか出来なかった。


「あれ? もしも~し。聞いてる??」


 その女性は、何も反応がないことに疑問を抱いたのか、俺の目の前で手を振っていた。

 俺は「はっ!」と意識を取り戻して、その女性に向き直る。


「あ、どうも」

「やっと気づいてくれた」


 その女性は、あどけなさが残るにこやかな笑顔で、優しく微笑んでいた。


「あ、そうだ。はい、これ!」


 思い出したかのように、俺の前にチラシを配ってくれた。


「『サッカーサークルのFC RED STAR』っていいます。そこにいる二人もどうぞ!」


 厚木と高本にも一枚ずつチラシを配る。

 二人とも、「どうも」と、ぼそっと言ってチラシを貰う。


「うちのサークルは、フットサルじゃなくて本格的な方のサッカーをするサークルなんだけど、サッカーの経験とかはあるのかな?」

「あ、はい。中学ぐらいまではサッカー部でした」

「そうなんだ、そっちの二人は?」


 今後は、厚木と高本に質問を投げかけた。


「あ、えっと。やったことないっす」

「うちも……」

「そっかぁー。あっ、でもうちのサークル未経験でも全然オッケーだから、是非よかったから下のアドレスに連絡してみてね!」

「はい、わかりました」

「じゃあ、私向こうに戻らないといけないから! 前向きに検討してみてね、新入生君」


 その女性は、俺にくりっとした瞳でウインクをして、手をひらひらをさせながら、また人だかりの中へと戻っていった。

 俺はその姿をしばらく黙って目で追っていると、後ろからバシバシと背中をたたかれた。


「え、何あの人! めっちゃ美人で可愛いんだけど。えっ、何? 南の知り合い?」

「いや、話したのは今が初めてだけど……」

「あれはヤバいって! なんかこう一言では言い表せないけどヤバイ。井上さんも美人だけど、そういう感じのヤバさじゃなくて、なんというかエロい!」


 ボキャブラリーが少なくて何を言ってるのかよく分からないまま興奮している厚木。まあ、その気持ちは分からなくはない。だが、そんな厚木を容赦なく高本がパンフレットでぶっ叩く。


「いってぇ!」

「少し黙れ!」

「何すんだよ!? いいじゃねーか!」

「あんなの媚打ってるに決まってるっしょ。簡単に騙されて」

「いやいや、あれはそうじゃなくて」

「あ、もういい、わかったから。南っちもああいう女に騙されちゃダメだよ」

「え? どういうこと」


 高本は、その女性の方向を向きながら、探りを入れるような目でにらみつける。


「ああいうタイプは絶対に裏があるっしょ。他の男もたぶらかしてるよ」


 高本が真剣な表情で、俺と厚木を睨みつけながら忠告してくる。


「あ~怖い怖い、ほら二人ともとっとと行くよ」


 高本はふいっと顔を背けて、スタスタと歩いていってしまう。


「あ、詩織待てって! 南も早く!」

「おう……」


 俺は、もう一度渡されたビラを見つめる。


「サッカーサークル『FC RED STAR』か……」


 ここに書いてある連絡先に絶対に連絡しよう! 俺はそう心に決めた。

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