第3話 引っ越しそば
午後、無事に家電などの搬入を済ませ、一通りの家具を定位置において、レイアウトを整えた。
一段落着いたので、俺は部屋の中央に置いてある机の前に座り、テレビのリモコンの電源ボタンをポチっと押す。カチっという音が鳴った後、液晶画面に番組が映った。
映ったテレビでは、丁度ドラマの再放送をやっており、そこには女優の井上綾香《いのうえあやか》が映し出されていた。彼女は子役時代からテレビ業界で活躍し、今でもドラマやバラエティーに引っ張りだこ。その、透き通った透明感あふれる立ち姿と顔立ち。そして、人の心を掴んだら離さない真っ直ぐな黒い瞳としなやかさ溢れる演技力に人々は魅了され、今では日本で知らない人はいないであろう清純派女優である。北の大地出身かつ同い年であったため、勝手に親近感を持っていたが、都内でこのようにテレビに映っている姿を見ると、改めて自分とは住む世界が違う雲の上の存在であることを実感させられる。俺は、彼女の魅力に憑りつかれて、気が付けばドラマの再放送を最後まで見てしまっていた。
我に返りふと時計を見ると、そろそろ夕食の準備をしなくてはいけない時間になっていた。
初めての一人暮らしのため、自炊したい気分だったので、近くのスーパーへ向かい、食材を調達しに行くことにした。靴を履き、玄関のドアを開ける。
すると、丁度優衣さんも玄関から出てきたところだった。部屋着なのだろうか。紺色の上下のスウェットを着てだらっとした格好をしている。
俺の気配に気が付いた優衣さんと、ふと目が合った。
「お? どこかお出かけ?」
「あ、はい。食材全然買ってなかったんで、近くのスーパーに行こうかと」
俺が答えると、優衣さんは目を輝かせながら期待を込めた表情で見つめてくる。
「え、本当に? じゃあ、スーパーの場所とかわかる?」
「はい、わかりますよ」
「よかったぁ……」
優衣さんは安堵した表情で、軽いため息をついて、俺に再び向きなおる。
「私もちょうど食材買いに行こうとしてたんだけど、方向音痴で迷子になっちゃいそうで。その、嫌じゃなかったら一緒にスーパーまで案内してくれると嬉しいかなぁ、なんて……」
優衣さんは「えへへ」と照れ笑いを見せながら俺に頼んできた。
「別に構わないですよ」
「ホント!? ありがとー!」
俺は特に断る理由もなかったので、あっさりと承諾した。優衣さんは俺にペコペコお礼を言いながら頭を下げていた。
「本当にありがとね。あ、何かお礼におごってあげるよ!」
「いや、いいですよそんな」
「いいの、私がそうでもしないと気が済まないの! それじゃ、レッツゴー」
優衣さんは俺の元へ駆け寄って来て、手を掴んできた。一瞬何が起きたのか分からなかったが、そのまま優衣さんに手を引かれながら歩みを進める。
全くこの人は……と心の中で思いつつ。俺は恥ずかしさから顔を赤らめ俯きながら、優衣と一緒にアパートの階段を下りていった。
◇
スーパーに到着し、お互いに買い物かごを手に取り、各々買い物を始めた。キッチン用品は一通り揃えてあるので、あとは米や調味料など料理に必要な基本的なものをかごへ入れていく。
そして、今日は何を作ろうかと悩んでいると、隣から声を掛けられた。
「今日は何作る予定なの??」
急に声を掛けられビクっと体が反応した。声の元へ顔を向けると、優衣さんが俺の方を覗き込むように見ていた。優衣さんの顔がすごく近くにあり、ふわっと優衣さんからいい香りが漂ってきた。俺は瞬時に、身体を半歩のけ反らせる。
「あ、いや特には何も決めてなくて……」
「そうなんだ」
優衣さんは不思議そうな表情で、俺の買い物かごの中身を見ていた。
「料理とかしたことあるの?」
「まあ、両親が共働きで忙しいので、よく夕飯は作ってましたよ」
「へぇ-」
俺も優衣さんの買い物かごの中身を確認すると、かごの中にはまだ何も入っていなかった。
「あの……買い物しないんですか??」
「えっ!?」
優衣さんは少し体をびくっとさせて半歩後ずさりし、何かを思い出したかのように手をフリフリしながら答える。
「あ、いやぁ夕食何にしようか迷っててさ、大地君と同じものにしよっかなぁと思って」
「なるほど、でも特にこれが食べたいとかなくて……」
どうしようかと考えてると、優衣さんは「はっ!」っと何かを思い出したように俺に尋ねてきた。
「そうだ! 大地君は、引っ越しそばってもう食べた?」
「え? 引っ越しそばですか?」
そういえばどこかで聞いたことがある。引っ越した日にそばを食べるといいみたいなことを、でも確か……
「あれってご近所とかに配るのが正しいんじゃなかったでしたっけ?」
「まあまあ、細かいことは気にしない気にしない。お互い引っ越してきたばかりだし、渡し合いっこみたいな感じでどう? よかったら一緒に食べない? 引っ越しそば」
予想外な優衣さんからの提案と、彼女の無邪気な笑顔に、俺は気が付いた時には、首を縦に振っていた。そりゃ、こんな綺麗な人にそんな素敵な笑顔で言われたら頷いちゃいますよ。
「じゃあ、早速そばを買おう!」
優衣さんはそう言って、また俺の手を掴んで無邪気に引いていき、買い物を続けるのであった。
◇
二つの大きな買い物袋を両手に抱えて、俺と優衣さんはアパートへと向かっていた。
「ごめんね、重くなっちゃって」
優衣さんが申し訳なさそうに平謝りする。
「いやいや、二人分の調味料とかお米も入ってるんですし、仕方ないですって。こっちこそごめんなさい、全部持てなくて」
「いいよ、いいよ、お互いさまってことで!」
結局、何回もスーパーへ買い物に行くのが面倒だという結論に至り、二人とも一週間分ほどの食料を買い込んだため、かなりの大荷物になってしまった。俺は両手に二つずつ袋を提げていて、優衣さんも片腕ずつに大きな袋を二つ持っている。
なんとかアパートに到着して階段を上り、一番奥まった場所の角にある俺の部屋の前で、いったん荷物を地べたに下す。
ふぅっと、一息ついて、ポケットから鍵を取りだし、玄関のドアを開けた。
「どうぞ」
俺は優衣さんを部屋へとあげた。まさか引っ越し2日目にして、しかも、今日会った女性を部屋に招き入れるなんて思っても見なかった。
「お邪魔しまーす」
大きな二つの袋を抱えながら玄関へと入った優衣さんは、ドサっと食材が入った袋を玄関の床へ置いた。靴をパパっと脱いで、部屋の中へぐいぐい侵入していく。
「わぁ、引っ越してきたばかりなのに大地君の部屋もう片付いてる、すごい! あっ、やっぱり置いてある物が違うと、同じ間取りでもなんか雰囲気違うなー」
優衣さんの部屋はまだ片付いておらず、見せるのが恥ずかしいということで、俺の部屋で一緒に引っ越しそばを食べることになった。引っ越してまだ二日しか立っていないとはいえ、女の人に自分の部屋を見られるのはやはりどこか気恥ずかしさがある。
「あの……そんなに見ないでください」
「えーいいじゃん別に。あ、何? それとも、見られたら困るものでもあったり?」
からかうように尋ねてくる優衣さんに対して、俺はやんわり否定する。
「いや、それは大丈夫ですけど」
問題ない、ちゃんと分からない場所に隠してあるし。大丈夫だよな…??
少し心配になりながらも、俺は6つの袋から買ってきたものを取りだして、仕分ける作業に入った。
「とりあえず、これ麺とつゆです。あとは、俺のやつと、優衣さんのやつ、袋ごとに分けておきますね」
「はーい、ありがとう!」
部屋の散策を終えた優衣さんが、玄関そばにあるキッチンへ戻ってくる。
「キッチンにあるものは適当に使っていいので」
「おっけー、あとは任といてー」
そう言って優衣さんは気合を入れるようにして、スウェットの腕をまくる。
俺は袋の中身を仕分けする作業に専念して、調理は優衣さんに任せることにした。
「ん? あれ~おかしいな?? おーい、大地君ちょっと」
何か困ったことがあったのだろうか、優衣さんは俺を手招きしている。
俺は仕分け作業を中断して、キッチンコンロの前まで向かう。
「どうしました?」
「何回ひねっても火がつかないんだよ。どうしてかな??」
「え? 本当ですか?」
優衣さんがもう一度ひねってみると、確かにコンロからカチっという音は聞こえるものの、着火はしなかった。
「あれ? ……あっ!」
しかし、その疑問はすぐに解決した。
まだ引っ越してきてからコンロを使用していなかったため、ガス栓を閉めたままにしてあったのだ。
「あぁ、ガス栓が閉まったままでした」
「え? ガス栓何それ??」
優衣さんが、不思議そうにガス栓について尋ねてきた。
「え? あぁ、あのガスが通ってるパイプがあって、そこに元栓ってのがあるんですけど、それを開けないとガスが通ってこないんですよ」
俺が丁寧にガス栓について説明しつつ、元栓を開けた。すると、優衣さんは口をぽけーっと開けたまま「へぇー」と頷きながら関心していた。
「こんなの初めてみたよ」
えっ、初めて?? 俺は少し驚いた顔で優衣さんを見つめる。
優衣さんは俺のその顔を見て、しまった!っというような表情を見せて手を体の前でおどおどさせていた。
「あ、いやぁ……私の家IHだったから、そういうの見たことがなくて、あはは……」
両手を胸の辺りで挙げたまま、優衣さんは苦笑いを浮かべていた。
なんか嫌な予感がするな……俺はそう思い、少し勘繰りを入れてみる。
「でも、家庭科の調理実習とかで習いませんでした?」
「え? そうだっけ……昔のことで忘れちゃったな」
優衣さんは、表情をほどんど変えずに、頬を釣り上げていた。
「……」
俺は訝しむ視線で無言の圧力をかけてみたものの、今日初めて会った人をこんなに疑うのも失礼だと思い、ふっと力を抜いた。それと同時に、優衣さんもほっと胸を撫でおろした気がするが、見なかったことにしておこう。
「まあ、これで火使えるので、あとは大丈夫ですよね?」
「え!? あ、うん。大丈夫!」
「じゃあ、あとはよろしくお願いします」
「はーい」
そして、俺は再び仕分け作業に戻ったが、やはり優衣さんの行動が不自然なため、チラッと様子を確認しながら聞き耳を立てることにした。
「えっと、いつ入れればいいのかなこれは? ん? 火なんか弱いな……こっちに回せば……わぁっ!」
やっぱりそうだ、俺の嫌な予感は確信に変わっていた。
「なんかすごいブクブクしてるけどいいや入れちゃえ、えいっ! で、そばってどのくらいゆでるんだろう?? 10分くらい??」
何やらぶつぶつを言いながら、調理というより理科の実験をしている優衣さんの背後へ、俺はそっと近づいて声を掛けた。
「優衣さん……」
「ひゃい!!」
優衣さんは気配なく近づいた俺に驚いて、瞬時にくるっと身体ごと後ろを振り返る。
俺は、じとっとした目で優衣さんを睨みつける。
「もしかして料理……したことないんですか?」
「えっ? いや、そんなわけないじゃん……あはは」
俺が問い詰めると、優衣さんは口角を無理やり上げ、半笑いを作りながら、両手を前に出してフリフリしながら否定する。
「したこと……ないんですよね?」
今度はもっと強く、否定を許さないほどの圧力で押してみる。
優衣さんは目線を泳がせ、冷や汗をかき、右往左往していたが、観念したのか、前に出していた両手を下ろして、ぐったりと力を抜いて俯いた。そして……
「はい」
と小さな声で、捨てられた子犬のように答えて白状した。
◇
その後、料理と仕分け係を交代し、なんとかそば作りの手直しをして完成させた。
多少茹ですぎてしまって、麺が伸びてしまったが、仕方がない。
優衣さんは、部屋の真ん中に置かれた机の前に座り、ぐったりとうなだれていた。
「ごめんなさい」
申し訳なさそうに項垂れながら謝ってくる。大分落ち込んでいるようだった。
「いいですよ、別に。まあ、料理できないなら先に言って欲しかったですけど」
「いやぁ、年下の男の子にいいところ見せなきゃって思ってつい……」
「はぁ……」
俺は大きくため息をついてから完成したそばを机へ運ぶ。
「俺は優衣さんが料理できなくても、別に幻滅しませんし、そんなに見栄を張らなくてもいいですよ」
優衣さんの前に、完成したそばの片方を置いた。
「はい、まあ麺伸びちゃってますけど、味はおいしいと思うので、一緒に食べましょ」
俺は、優衣さんとは反対側の方へ座り、箸を手渡した。優衣さんはコクリと頷いて、その箸を受け取った。
「いただきます」
「いただきます」
ズルズルっとそばを
「おいしい」
とつぶやいて、ほっこりとした笑顔を浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。