第4話(8):無事、無難

 衝動的に閉じてしまった瞼を、マルカはゆっくりと開いた。痛くは、ない。致命傷は痛みを感じないと聞くが、どうやらそういう訳ではないらしかった。


「マルカーッ!!」


 誰かがマルカを読んだ。聞き覚えのある、甲高い少年のような声だった。


「間に合ってよかった、マルカー!!」


 ――その時、マルカは感じる。マルカだけではなかった、モーランもムスティフもサイクロプス達も、その異変に気が付いた。

むしろどうして今まで気が付かなかったのだろう、という程の異変だ。


 マルカたちを包囲するようにして青白い光が木々の隙間から差していた。太陽のものではない、どこか神聖なおごそかさを感じさせる光だ。

 そしてその光が、段々とこちらに近づいてくる。その光の正体は鹿だった。青白く発光する角を持った雷鹿だった。それが群れを成してマルカたちを取り囲んでいるのだった。


「マルカーッ!」


 雷鹿たちの中から黒い影が飛び出してきて、マルカの名前を再三叫んだ。マルカはその声の持ち主の姿を認めると、自身もその名前を呼び返した。


「ジダ!」

「マルカ!」


 ジダはマルカに飛びついた。まだ乾いていない血が自分の毛を濡らすけれど、それでもジダはマルカの頬に自分の顔を摺り寄せた。


「どうしたんですか、この雷鹿たちは……」

「協力をお願いしたんだ! 事情を話して力を貸してくれないかって言ったら、最近サイクロプスの様子がおかしいのはそれだったのかって。快く引き受けてくれた!」


 そう言えば途中から姿が見えなかったような……。


「だけど、もうほとんど終わってたみたいだね……」

「いえ、これでもう彼はどこにも逃げられないでしょう」


 この数の雷鹿に囲まれてしまっては、もう彼はどうにもならないはずだ。彼らが見方で良かったとマルカは胸をなでおろした。純粋な戦闘力で言えばサイクロプスよりもずっと恐ろしい雷鹿がこの数――マルカ達なんて一瞬で消し炭だ。


 マルカはカルトの男を見た。男は先程の場所で倒れていた。その手にはハンドカノンが握られたままだったけれど、引き金は引かれていなかった。


「彼はジダがやったんですか?」

「うん、これ!」


 自慢するようにしてジダがポーチから取り出したのはパチンコだった。樹を削り出して作った、質素だが丁寧な作りのパチンコ。滑り止めとして柄に巻かれたゴムが大分擦り切れていることから年季を感じさせる。


「これで狙撃したんですか?」

「そうだよ! ボク、一族で狙撃の腕はピカイチなんだ! それで弾が特性でね――」

「音爆弾ね」会話に割って入ったのはモーランだった。「確かマルエルが作ってたわ。パチンコを扱うケット・シーたちにプレゼントするんだって張り切って」

「そう! ぶつかると爆発するんだけど、その時凄い音が鳴ってね。顔の近くなら間違いなく気絶しちゃうんだよ!」

「……そうですか。じゃあ、彼は死んでないんですね」


 ローブの男の壊れた顔からは何の表情も読み取れなかったけれど、見れば彼の胸が小さくだが上下していることが分かった。ただ、失神しているだけだった・


「『石畳を走る影族』は武器を持つし鍛錬もするけど、殺しはしないよ。当たり前だ。あくまで僕たちのみを守るために、もしくは人間を守るために鍛えてるんだ」


 マルカがジダを腕で抱いて、その喉を指先で撫でた。「ありがとうございます」とほほ笑むとくすぐったそうに目を細めた。


「……終わったのか?」

「はい、これで終わりです」

「そうか…………」


 ムスティフはサイクロプス達の方を振り返った。マルカとモーランもそれに合わせて振り返る。一匹のサイクロプスが優しくククルを持ち上げて、落ち葉で作ったベッドらしきものに乗せてあげようとしているところだった。


「マルカ、済まない。俺、俺は――――」

「ククルを傷つけてしまったのはしょうがないです。あれは誰も悪くありません、しいて言えば飛び出したククルです。それともさっきぼおっとしてて反応が遅れたことですか? それは、まあ。お互い様ということで」

「…………本当に申し訳ない」


 ムスティフは槍を置いて、その場に膝と両手を付いた。


「……そんなことしないでください、そんなことをされたら散々迷惑をかけたわたしの立つ瀬が無くなってしまいます」

「…………だけど」

「じゃあ、一つお願いがあります。このあとククルを連れて馬車まで戻っていてください。それでチャラです」

「それは構わねえが……お前たちはなにを?」

「お墓を掘ります」


 マルカは先程ムスティフの殺したサイクロプスの死体を指さした。いつしか彼の瞼は降ろされて、とりあえずといった風に落ち葉が体に被せられていた。


「それなら俺が――」

「駄目です。自分がやらなければいけないことだというその気持ちは分かりますが、彼らはまだ復讐心を忘れていません。本能的に人を殺すことは無いでしょうが、理性的に恨みのあるムスティフさんを襲うことはあり得ます。ですから、……心苦しいかもしれませんが、ククルを連れてここから離れてください」

「……ああ、分かった。その通りだな」

「ボクはどうすればいい?」

「あー……そうですね、じゃあ一緒にククルの様子を見てあげてください。確かに、ジダじゃサイクロプスに潰されちゃうかもしれませんからね」


 マルカはいつの間にか気にならなくなっていたた額の傷のことを思い出した。もうずっと痛みは無いけれど、しかし処置を施すに越したことは無い。


「モーランさん、わたしの頭も縫ってくれませんか?」

「……ああ、そういえば。もうその血まみれに見慣れちゃって、何も違和感を感じなくなってたよ」


 ――とまあ、こんな感じで。

 マルカたちはキヅの森の調査を終えたのだ。

 無事に、とはいかなかったし、無難でもなかったけれど。

 それでもマルカ達は、少なくとも何も失うことはなかったのだ。


 強いて言えば血液くらいかな、なんて。

 そんな下らない冗談を思いついたけれど、マルカがそれを人に言うことは無かった。

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