第4話(3):のっぺらぼう、ではない
「良かったの? 置いて行っちゃって……」
相変わらずポーチのかぶせを弄りながら、モーランがムスティフの顔をのぞき見た。彼の顔は、ククルとは違って感情の読み取れない顔だった。
ククルが常に無表情だとすれば、ムスティフは常に不機嫌そうだ。
「そうするしかなかっただろ」
「まあ……そうだけどさあ。どうしちゃったの、彼女?」
「…………色々あるんだよ、あいつにも」
「ふうん……?」
その色々を聞いているのだけれど。しかしモーランは食い下がることなく、そのまま話を打ち切った。はぐらかすということは言いたくないと言っているようなものだ。
「なあ、モーラン」
顔は正面に向けたまま、警戒を怠ることなくムスティフはモーランの名前を呼んだ。ムスティフから話題を切り出すことなんて、決して長くは無い間だったけれどめったにない事だった。
「なあに?」
「お前、マルカと関わってどう感じた?」
「どう感じた……って」
随分とふわふわとした質問だ。その続きがあるのかもと待ってみたが、ムスティフは口を結んだままだったので、諦めて答えを考える。
「まあ……良い子じゃない? 誰にでも優しく振舞える、若いのに優秀な女の子」
「……そうか、そうだよな」
するとムスティフは黙り込んでしまった。
なに、その答えじゃダメだったの? せめて何か言いなさいよ?
ムスティフはモーランのことを苦手に感じているらしかったけれど、モーランもこの蜥蜴人のことが苦手だった。何を考えているか分からない、感情の読めないこのリザードマンを。
ククルは感情が表にあまり出ないだけで、楽しいとか悲しいとかの喜怒哀楽は何となく伝わってくる。しかし彼は、それすらない。
ムスティフはまた、思い出したように口を開く。
モーランは根気よくそれに付き合うことにした。
「その通りだ。あいつは誰にでも優しく丁寧に接する、若くて優秀なやつだ」
「……随分と含みのあるいい方ね?」
「そうか…………? いや、確かにそうだな…………」
「なにが言いたいの? マルカには裏があるってこと? すっごい真っ黒の、性悪な裏が」
「いや、そうじゃない……。裏が無い……いや、表しかないんだ、あいつには」
「表が体裁、裏が性根ってことだとすると、あの子は体裁しかないってことね。でもその言い方だと、心が無いって言ってるように聞こえるけど?」
ムスティフは肯定も否定もしなかった。その代りに「なあ、モーラン」と再び名前を呼んだ。
「どうしてだろう、俺も心に余裕がねえ」
「見てれば判るわよ」
「……あいつのあんな姿を見たからかね」
「付き合い長いの?」
「一緒に過ごした時間は短いが、期間は長い」
「どれくらい?」
「ずっとだ」
「ずっと?」
「なあ、モーラン」
「なに」
「話をしていいか?」
「さっきからしてるじゃない」
「ああ、そうだな。……じゃあ俺の話をしていいか?」
「今してたじゃない」
「揚げ足取るなよ。じゃあ、そうだな……俺の過去の話だ」
「いいわよ。ただ、さっきのマルカみたいにならないでね。油断しないで」
「分かってる。……そうだな」
ムスティフは足を動かすスピードを落とす。モーランもそれに合わせる。とぼ、……とぼ、…………とぼ、やがてそれは動きを止めた。まだ第一層を半分も過ぎていなかった。
「特殊調査人って分かるか?」
「ああ、うん。あんたみたいな、魔女の先兵や人を襲う人ならざるものを対処する名ばかり調査人でしょ?」
「ああ、そうだ、それで間違いはねえよ。だが特殊調査人ってのは例外なくギルドに――国に所属してる公務員だ。フリーでそれをやったらそれは冒険者だな」
「つまり公務員の冒険者ってことね。続けて?」
「公務員で一定水準以上の戦力を持ってる……。まあだから、有事の際には何かと呼ばれるんだよ。例えば――そうだな、盗賊ギルドに殴り込んだり、カルト教団を殲滅したり」
ムスティフは忌々しそうに眼の上を歪ませて、「俺の技術は人殺しの為に磨いたんじゃねえのにな」と毒づいた。
モーランにもその気持ちは分かる。彼女たちキャラバンも国軍に勧誘されたり、ムスティフと同じように有事の際の戦力提供を依頼されることもある。しかしキャラバンの掟で禁止されていないにもかかわらず、金払いの良いそれらの依頼を引き受ける者は誰一人としていなかった。
自己防衛のための戦力。商人として生きるために身に付けた力。戦争の真似事の為じゃない。
モーランも含め、キャラバンの団員たちはみな揃ってそう言うのだ。
「へえ、随分人使い荒いのね。そのギルドとかカルトにあたしの知ってる名前はある?」
「……ある」
「教えてよ」
「教えられない」
「あっそ。まあいいけど」
「そういうことじゃない……。言いたくないという訳じゃなくて、言えないんだ。だってそのカルトの名前は、もう抹消されてるんだからな」
「…………それって」
「ああ、そうだ」
史上最悪と言われたカルト教団。非人道的な実験を続け、その名前が全く世に出なかった悪の権化。世界中を旅していたモーランもその名前は聞いたことが無くて、彼らの秘匿性も国の報道規制も相当なものだったことが窺える。
「あいつらが何をやろうとしてたか知ってるか?」
「……魔女を生み出そうとしていたって聞いてるけど」
「そうだ、その通り。だがそれは目的で、どうやってそれを成し遂げようとしてたかは知らねえだろ」
「…………あんたは知ってるの?」
「ああ、知ってる。……聞きたいか?」
「好奇心はある、けど…………」
「じゃあ辞めた方がいい。ただ、俺がどうして今この話をしたか、お前が分からねえ訳じゃないだろ」
「……マルカがそれに関係あるってこと?」
モーランには、ムスティフが言おうとしていることが分かっていた。
ムスティフがカルトの施設の一つを壊滅させたという話。
マルカに心がないという話。
そこから導き出されるのは――いくつか選択肢があるけれど――それでも一つしかないだろう。
「あいつは、十年前に俺が救い出した子供だよ」
*
マルカは自分が崩れてゆくのが分かっていた。
マルカには感情が無かった。
壊れてしまっていた。
意図的に、徹底的に、希望を失うように、心を壊されてしまったのだ。
その時の記憶は無い。たまに、何かとても嫌な夢を見て目を覚ますことはあるけれど、具体的に何をされたのかは忘れてしまった。
きっと自己防衛だろう。施設で救出され、ムスティフに抱きかかえられた時点―その時点以前の記憶が、マルカにはなかった。
だからマルカがされた事は勿論、それ以前のマルカが生活をしていたかという記憶も失われていた。家族は見つからなかった。「マルカ」という名前はマルカ自身がそう名乗ったらしいのだけれど、それが本当の名前なのかも分からないのだった。
感情を失ったマルカは――だから喜怒哀楽というのも分からなくて、それからの生活でそれらしきものは「感じた」けれど、本当にそれが喜びなのか、それが本当に怒りなのか、分からなかった。
だからマルカには『優しく』『丁寧に』接することしか出来ない。『親しく』とか『無遠慮』とかが分からないのだ。
優しく接するというのは分かった。敬語というものは理解できた。だからマルカは誰に対してもそれを使うようになった。
それでもマルカは、自分が十年前よりも人間らしくなったとは感じていた。優しさというのも、憤りというのも、ある程度分かるようになっていた。
壊れた心は元に戻らない。割れた陶器の破片をつなぎ合わせても、それは元に戻った訳ではなくカタチを取り繕っただけで、落とせば容易に破片が離れ離れになってしまうのだ。
だけれど割れたままよりずっとマシ。マルカは心は、そうなろうとしていた。
だけれど、それが崩れつつあった。
「…………マルカさん、大丈夫?」
ククルが心配そうに、マルカの顔を覗き込んだ。
『種』を使う方法では、マルカや他の被験者のように心が壊れる訳ではないらしい。あくまで奪われるだけ。それも全てではない――まあ、決して少なくはないが。
「はい、大丈夫ですよ……」
マルカは小さく顔を上げて、ククルの目を見て微笑んだ。
嘘だった。それはククルもジダも分かったことだろう。だけれど彼女にはそう言うことしかできなかった。
心が崩れている理由は分かっていた。
ククルの身を案じ、しかしそれでも非情に彼女の能力を利用しようとし、結果として危険な目に会わせてしまう。
中途半端だ。あまりにも中途半端。
優しくは無い。非常に成りきれてもいない。曖昧で中途半端、どちらでもない矛盾した行動だ。
そしてマルカは、ククルに危険が迫っていると感じた時は焦ったし、彼女が死んでしまうという考えが横切った時は恐怖を感じた。
そう、恐怖を感じたのだ。結果としてククルが助かった時には嬉しいと感じていたし、それと同時に自分に怒りを感じていた。
感情だ。ククルという少女に対して、マルカは様々な感情を感じていた。
だからマルカは、心が壊れてから今まで積み上げて必死に積み上げてきた『感情ようなもの』と実際の感情の差異に付いていけなかったのだ。
罪悪感――申し訳ないと『考える』のではなく心で感じる罪悪感。ククルを危険な目に会わせてしまったという憤り。久しくマルカが感じていなかった感情というやつは、余りにも鋭く、深く、マルカに突き刺さったのだった。
それがマルカを崩す。
今まで演じてきた――訳ではないが、しかし結果的にそうなって来た『マルカ』という人間が壊れていた。
「マルカさん、泣いてる?」
「……えっ?」
マルカは手元を指で拭った。濡れていた。舐めてみた。しょっぱかった。涙だった。
「…………みたいですね」
「ごめんね、マルカさん……」
「……どうしてククルが謝るんですか?」
「それは……えっと、分からないけど…………」
「じゃあ、良いんですよ。悪いのはわたしですから」
「…………それはないよ」
ククルはどうしていいか分からずそわそわしていたジダを抱き寄せ、マルカの隣に腰を下ろした。しかし、そこには少し距離がある。
マルカはいつもと変わらない言葉遣い、いつもと同じ表情で語りかけていたつもりだった。しかしククルが怯えているのは伝わった。
「それはない」と、ククルは自分の言葉を確かめるようにもう一度言った。
「悪くはないよ。だって、わざとぼおっとしてた訳じゃないでしょ?」
「それは、そうですけど」
「ミスは悪さじゃないってククルは思うよ。……守ってもらう立場のククルがこんなことを言っていいのか分からないけどさ」
「でも、わたしはククルをここに連れてきたんですよ? 危険な目に会うかもしれないと分かっていながら」
「それは今更じゃないの? だってマルカさん、ククルを旅に連れ出してくれたんだし。旅をすることって危険がいっぱいだよね?」
「…………でも、なるべく危険は避けるべきです」
ジダがもぞもぞと身をよじってククルの腕の中から抜け出すと、マルカの膝に座り込んだ。そのまま真上にあるマルカの顔を見上げる。
「だったら、やっぱり旅に連れ出さないべきだ」おどおどとした表情を一点、きっと引き絞ってジダが言った。「内緒って言われてたけど、ボクはククルから事情を聞いちゃったんだよ」
「魔女病……ですか?」
「うん。ボクたちは魔女病なんて知らなかったけど、何が起こるのかは聞いた。それでマルカがククルを旅に誘ったって聞いたけど、そもそも何でマルカは旅だと思ったの?」
「…………?」
ジダの言い分がいまいち分からなくて、マルカは首を傾けた。
ジダはこういう話が不慣れな様で、「えっと……」としばらく視線を泳がせた。
「感情を取り戻すために色々なものを見て回る……そのために旅するってのは、うん、分かるんだけど、でも危険な目には会わせたくないって思ってるなら何もその方法じゃなくてもいいよねってこと。イェネアの街でいろんな人に会って、それでも効果は無い訳じゃないと、僕はそう思ったんだ」
「…………それは」
「それはマルカも分かってるんだよね? なのにそれをしない、危険なことをさせてるんだ。ククルに危険なことはさせたくないと、そう思ってるのに」
「……………………」
マルカは答えられなかった。何も言葉を発せなかった。
ジダのその言葉が図星だった――というより、マルカ自身もその言動と行動の決定的な矛盾に今気付いたからだった。
それは……その通りだ。
危険な目に会わせたくなければ旅なんかご法度だ。マルカの旅は様々な人ならざるものを見て回って、それに伴う問題に困ってる人を助けて、というもの。ドッペルゲンゲルやケット・シーのような「ちょっと不思議」なトラブルばかりではない――サイクロプスの様な生き死にに直結する案件も勿論ある。
「でも、ジダ。マルカさんはいろんなところを旅してるんだよ。ククルを旅に連れ出すしかないんじゃないの?」
「あ、そっか…………いや、でも人間の世界には孤児院はあるんだろ?」
その通り、ジダの言う通りだった。
そもそも、マルカが面倒を見る必要なんてないのだ。
魔女病が言われているような『魔女に変質する病気』ではなく、『魔女を生み出す ための被害者』ということは、もう公表されていないだけで分かっていることだ。
ククルの様な境遇の子どもたちを引き取り育てる施設が存在する。そこはマルカもよく知った場所だし、安心して信頼して預けられる場所だ。そこにククルを託せばいいのだ。
だのに、マルカは、それをしなかった――。
矛盾だ。やはり矛盾。
ちぐはぐで、おかしい。
感情がないはずのマルカは、合理的な行動しかしないはずなのに――。
「……マルカ。ボクには多分、多分だけど――その理由が分かるよ」
「…………理由、ですか? 理由なんて無い、と思いますけど」
ただ、どうしてだか非合理な行動をとってしまっただけだ。
「いや、そうだよ、うん、きっとそうだ。ボク達と同じだよ。マルカは寂しかったんだよ」
「…………さみしい?」
さみしい。その音が、頭の中で言葉に変換できなかった。
さみしい。さみしい。寂しい……か?
「そう、マルカは寂しかったんだ。言って分かった、君の反応を見て分かった、そうに違いない。だから、ククルを旅に連れ出したんだ。一人が嫌だったから」
「寂しかった――一人が嫌だった――――」
どちらもマルカが感じたことの無い感情だった――いや。
そうと分かっていなかっただけ、なのか?
旅の途中、度々言い様のない孤独感にさいなまれることはあった。
マルカは隣人が好きだったが、中でも特に妖精が好きだった。帽子の兎族。ケット・シー。彼らと一緒に居て、会話をするのが好きだった。
それは――寂しかったからではないのか?
マルカは感情らしきものを手に入れ始め、孤独を強く感じ、寂しいと、それが辛いと、その感情が色濃く輪郭を増してきて、だからククルを旅に誘ったと――そういう訳ではないのだろうか?
「ねえ、マルカさん」
ククルが、マルカとの距離を詰めた。足と足がぶつかるくらいに密着する。
「ククルね、今日の朝、ムスティフさんと一緒にお話をしてる時に一人で部屋で待ってたんだけど、凄い寂しかった。今までほとんどずっと一緒だったからか、凄い寂しく感じたの。……少し前はほぼ一人で済んでたのに、寂しいなんて思うことはなかったのに」
「……ククル」
「マルカさんも、多分そうなんだよ。一人だけでいるとそれに慣れちゃって平気だと思うけど、でもそれって多分違うんだと思う。今思えばククルも慣れてただけで――その寂しさに気付いていないだけで、でも寂しさは絶対にあったもん。マルカさんもそうなってたけど、旅の途中でいろんな人とかいろんな隣人に関わって、やっと一人の寂しさを思い出しただけなんだよ」
ククルはそう言って、マルカの手を握った。
マルカの身体は小さい方だけれど、ククルの手はそれよりもずっと小さかった。
体温はマルカよりも高い。爪は少し長い。
それがマルカの腿の上にある手に触れ、覆うようにして、握った。
ククルは笑っていた。
相変わらずの不器用な、ほおを痙攣させるような笑みだったけれど。
でもそれは、本心から笑っているからそうなるのだ。
マルカのように笑顔を浮かべようと表情筋を無理矢理動かしているのではなく、楽しかったり嬉しかったりするから表情が連動して動く――しかし彼女はその感情が希薄になってしまっているし、またしばらく笑顔を浮かべていなかったことから表情筋が衰えてしまっている。だから不器用な笑い方になるのだ。
でもそれは、マルカの鏡で練習した綺麗なほほえみよりも、ずっと綺麗なもので。
「…………ククル、わたしは」
そして、気付く。
今度は、気付く。
積み上げてきた体裁と、突然湧き上がってきた感情の靄の中で迷っていた先程とは違うから。
それは靄なんかじゃなくて、逆だったのだ。
靄が晴れたのだ。
ただ、眩しかっただけ。靄が消えて差し込んできた光が眩しくて、そして急に変わった景色に狼狽えてしまっただけ。
今はもう、見なければいけないものが分かる。
見るべきものが、分かるのだ――だから、マルカは勿論それに気づいた。
「危ない――――!」
ククルが傍に寄って来ていて助かった――マルカはククルの肩とジダを掴んで座っていたベンチを蹴った――どぉん――宙を飛びながら後ろに視線をやる――巨木がベンチを割り地面に刺さっていた。
地面に倒れ込みながら、マルカたちは肌で感じる。怒り、そして殺意。ククルとジダの身体が固まる、がマルカは彼女たちを無理矢理引っ張りながら立ち上がる――だけれど逃げ出さない。逃げ出せない。
囲まれていた。殺意が全身を射抜く。
数は――八か。このキャンプ地を囲むようにして展開している。
覚悟を決めろ。覚悟を決める。覚悟を決めた。
何とかしてククルとジダを守らなければ。
マルカはククルの手を強く握りながら首から下げたホイッスルを咥え、息を吹き入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます