第1話(2):聞き込みと接触
マルカは日が暮れるまで、村の人々に聞き込みをして回った。
大人たちはハーブ園で農作業をしていたので話を聞くことは出来なかったので、聞き込みができたのは子供たちに老齢の方々に施設で働いている人たち。きっと、村人たちの半分くらいだと思われた。
「ドッペルゲンゲルが出てくるのは夜中だから、その時まで起きてるのを母さんが許してくれないんだよなあー」
「おれ見たことあるよ!」
「えっ、まじ!?」
「うん、隠れて起きてこっそり家抜け出したの。だけど、別に面白くなかったよ。顔は見えなかったけど、なんか踊りみたいの踊ってた。場所はね――」
これが子供たちの証言。深夜に現れるドッペルゲンゲルに対し、案の定子供たちからは目撃証言をほとんど得られなかった。だけれどたった一人だけ、ドッペルゲンゲルの『踊り』を見たという子供がいた。
「……最初のころは見に行ったり、追い払おうとしたんだけどよお。別に見ても何があるわけじゃないし、追い払おうと棒で殴ってもすり抜けちまうしで、段々どうでもよくなってきちまって。たまーにぎゃあぎゃあ騒ぎ出すけれど、騒ぐときは決まって門側の通り、わしの住んでる農園側にはそこまで声は届きはしねえ。むしろこのドッペルゲンゲルを名物に村おこしでもできねえかなって考えてるんだけどよ、どうだ、なんかアイデアねえか?」
老齢の人たちも早くに寝てしまうようで、証言を得られたのは立派な髭を蓄えてギラギラと鋭い目をしたおじいさんだけだった。
結構な歳だろうに、シャツとステテコの格好で薪を割っていた、若々しくエネルギーに溢れた人だった。
他にも村に居た人たちから話を聞いたけれど、このおじいさんの話に似たものだった。それにまだ幼く見えるマルカが調査人だということに対して半信半疑で、あまり協力的な態度ではなかった。
隣人図鑑を肩に掛けながら聞き込みをしていたのだけれど、それでも懐疑の目を向けてくる人は少なくなかった。
まあ、いつものことだ。マルカにとってこんなのはいつものことで慣れっこだ。
前にしばらく滞在していた、山間の林檎の村が特別だったのだ。あそこの人たちは隣人図鑑の意味も知らない人たちばかりだったけれど、調査人だというマルカの言葉を疑いもせずに、宿でもない村長宅に泊めてくれた。
あまりにも不用心で驚いたけれど、その無警戒さが嬉しかった。
……本当に、あそこは良い村だったな。
マルカは首を振って、回想を振り払った。あそこは良い村だった。林檎も美味しかった。だけれど懐かしむのは良くない。あそこは、わたしの住む場所じゃないんだから――。
マルカは大きく息を吸って、吐いた。宿屋の前――門側の通りでは、あまりハーブのにおいはしなかった。良い匂いに感じる程度しか感じない。
時間はもう夜――深夜。村人たちから聞いた、ドッペルゲンゲルが現れるという時間の少し前だった。
農村が眠るのは非常に速い。都市と違って灯りの点在していない村では、周囲は闇に沈んでいた。
マルカは首から下げたネックレスを外して手に持った。ペンデュラムのようにも見える、円錐状の飾りををピンと指ではじいた。すると、ぽわっと、ネックレスが蛍程度の淡い光を発する。もう二度ばかしピンピンと弾くと、そのたびに光量は増していく。
「……うん、これくらいの灯りでいいかな」
マルカはもう一度息を吸って、ほおっと息を吐いた。肩の力を抜いて、ローブを羽織り直した。
純白の生地に鮮やかなブルーの刺繍の入った、どことなくおごそかな気持ちにさせるローブ。普段は身に付けていないこれを羽織って来たのは、おしゃれの為では勿論無い。
火鼠の毛皮で編まれたこのローブは、何も感じない程に軽く、どんな汚れでも火に入れると純白へと戻る。
そしてなにより、頑丈だ。どれくらい頑丈かというと、下手な鎧よりよっぽど身を守ってくれる。詰まる所、これは防具だった。ドッペルゲンゲルに備えての防具。
ドッペルゲンゲルが今まで村人を襲ったことが無いというのは何度も聞かされていたし、隣人図鑑にもそのような記述は見当たらなかった。――『彼らが人を襲うことは、決してないだろう。もし何らかの形で意思を持ったとしても、彼らにはその力が無いのだから』。はっきりとそう記述されていた。
だけど、念のためだ。その記述が誤りかも知れないし、そもそもドッペルゲンゲルではないかもしれない。備えあれば憂いなし、という言葉がマルカは好きだった。そのせいで旅の荷物はどんどん膨らんでいくけれど……。
「……よし。準備オッケー。これからドッペルゲンゲル調査をしてきます」
マルカは当然一人だけだ。独り言を呟く癖なんてなかったけれど、あえて口に出してから歩き出した。村の人たちには聞き込みの際に夜中にドッペルゲンゲルの調査をすると伝えてあるけれど、それでもなるべく家の少ない通りを選んで歩く。
なかなかドッペルゲンゲルは現れなかった。右手首にぶら下げたネックレスは時間と共に光量が減っていき、そのたびに指ではじくと再び光を取り戻す。マルカは、以前使用した時に比べて減光する感覚が早くなっていると感じていた。
飾りの中に入っているのは提灯虫と呼ばれる衝撃に呼応して発光する虫で、死後も数年はその特徴を維持したままだ。あまり個体数は多くないので捕獲は禁止されているが、死体をこのように加工するのはその限りではない。
「そろそろ、新しい灯籠虫さんにしないとダメかな……」
灯籠虫は、非常に高価だ。需要があまりにも高すぎるのだ。
国が主導になって養殖を試みているらしいけれど、まだ目覚ましい成果はでていない。
なにより、もう死んでしまったとはいえ『生きていたものを使い捨てにする』という感覚が、どうにもマルカには気分の悪いものだったのだ。それでも、灯籠虫を利用しなければ旅も調査も滞ってしまうので、背に腹は代えられないのだけれど……。
「――んで、――いん――――」
その時だった。マルカの耳に声が聞こえてきた。
いや、声というよりは――音。掠れた、声を模した音だった。
場所はそう遠くない。マルカが宿泊している宿の方からだった。
「ドッペルゲンゲル……!」
マルカの全身を緊張が支配する。ぴりっと冷たい電流が走って、筋肉を固める。
マルカは、胸に手を当てて数秒目を瞑る。目を開いた時には、彼女の表情は別のものになっていた。彼女の髪の毛と同じ、鮮やかな緑の瞳の色が深くなる。
次の瞬間には、彼女は駆けだしていた。
……しかし、すぐにその足は動きを止める。
「あんまりバタバタしたら、村の皆さんを起こしちゃいますね」
なるべく音をたてないように、しかし急ぎ目で。
結果としてマルカは、すたすたと早歩きで音のする方へと向かって言った。
*
「――はきっと――――んだ。――にち――――」
ドッペルゲンゲルは……十五歳前後だろうか、まだ顔つきに幼さの残る男の姿を模していた。どこか見たことがある気がするのは、彼の姿がこの村の住民のものであるという証拠だろう。
彼の瞳は何を移しているのか、右隣に首を向けながら、時折ちらちらと自分の進行方向を確信している。
警戒を怠ることなく後ろから慎重に近づいて、間近でその様子を観察する。
ドッペルゲンゲルは眉毛の一本、枝毛の一つに至るまで精巧に再現されていた――マルカはその男性を知らないけれど、目の前のドッペルゲンゲルにあるということはそういうことなのだろう。
そこまで細かく形作られているにもかかわらず、ドッペルゲンゲルの表面上には黒い渦がいくつか浮き上がっていて、ゆっくりと不規則にそれは移動していた。
マルカは手を伸ばしてドッペルゲンゲルに触れようとしたけれど、その手は彼の後頭部をすり抜けていった。しかし空を切った訳ではなかった。
ドッペルゲンゲルの輪郭には、ほんの少しだけど手触りの様な、普通の大気とドッペルゲンゲルを区切る境界のようなものがあって、そしてドッペルゲンゲルの中はほんの少しだけひんやりとしていた。
これは、隣人図鑑に記述されていない発見だった。
「どうし――――のか。そ―――いつが―――じょだ――」
ドッペルゲンゲルがまた音を発した。マルカは動きを止めてその音に耳を澄ませるけれど、彼はそれ以上音を発することはなかったので、観測に戻った。今度はマルカを認識しているかのチェックだ。
マルカは小走りでドッペルゲンゲルの進行方向へと先回りすると、道を塞ぐように両腕を広げて通せんぼをしてみた。だけれどドッペルゲンゲルはマルカに視線を向けることなく、最初から一貫してほとんど右隣に向けていた。
そちらに何があるのだろうと灯籠虫の光を強くして目を凝らしてみるけれど、マルカには何の姿も見えなかった。
もう二回ほど聞き取れない輪郭のハッキリしない言葉を発してから、ほどなくしてドッペルゲンゲルは足を止めた。
そこは小屋の前だった。こあまり裕福とは言えないこの村でも、一際年季の入った――いや、ぼろい建物だった。割れた窓ガラスは内側から黒い布を張って誤魔化しているが、その窓は昨今割れたものではないらしいことは見て取れた。
誰も住む人のいない廃墟ならば、それはおかしい事ではない。しかしこの廃墟同然の小屋からは人の気配がするのだった。
聞き込みをする際に見つけて、気にはなっていた。他の家々からもやや離れたところにある立地もそうだし、色々と不自然な建物だ。だけれど村の事情に深くは首を突っ込むまいと、見て見ぬ振りをしていたのだけれど……。
ドッペルゲンゲルはその小屋を見つめながら、ぶつぶつと雑音の様な独り言を発した。
そして少し後ろに下がって距離を置くと、地面にしゃがみ込んで手を付いて、すぐに立ち上がって大きく振りかぶって腕を前に突きだした。奇妙な踊りの様だと思って、少年の証言を思い出した。なんか踊りみたいのを踊ってた。そして場所も、門前の通りの外れの方と言っていなかったか。
ドッペルゲンゲルはその奇妙な行動を繰り返す。そして何度も何度もそれを繰り返して、何回目になっただろうか、ドッペルゲンゲルの習性と関係あるのかとその回数を数えていたけれど、それに無意味さを感じて放棄した時だった。
「おい、お前――!」
あまりにもはっきりと聞こえたものだから、誰かがマルカのことを不審者だと思って怒鳴りつけたのだと思ったけれど、違かった。それは確かに、ドッペルゲンゲルの発する音だった。
「魔女病め、出て行けよ! そもそもお前は、この村の人間じゃないだろ――!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます