第二章
第二章
「本当にいいんですか。僕と杉ちゃんで、、、。」
成田空港へ向かう車の中で、水穂はジョチに聞いた。今回は、タクシーではなくて、小園さんの運転する車で行くことになっていた。
「はい。マークさんたちに確認を取りましたが、日本が心配で仕方ないので、滞在してよいそうです。」
そうはいっても前回、食べ物のことで問題があったと口に出して言おうとしたが、
「食べ物に関しては心配いりません。マークさんの妹さん、つまりトラーさんが、大量にそば粉を買い占めてくれたそうで、しっかり備えができたそうです。クリスマスはもう終わってしまったから、粉屋さんも快く承諾してくれて、販売してくれたそうですよ。」
まあ確かに、クリスマスパーティーの時期は当の昔に過ぎているので、蕎麦ケーキを作る頻度も減ったということか。
「なんだ、また蕎麦掻作るのかい?」
杉三がにこやかに言った。
「そうですよ。大事な食糧ですから、作ってやってくださいね。」
「そうだっけね。よし、任しとけえ。」
杉三だけが一人にこにこしていた。
「また向こうへ行けるとは思わなかったなあ。あっちはのんびりしてるし、時間に追われることも少ないし、うるさくないし、いいよ。」
「本当にのんきだねえ、杉ちゃんは。」
水穂は二重廻しにくるまりながら、あきれた顔で言った。
「まあ多少不便なところもあるのかもしれませんが、気を付けて行ってきてください。きっと悪いようにはしませんから、あの人たち。何かありましたら、うちへ国際電話をかけてくれてもいいですからね。電話代は気にしなくてかまいません。」
「あ、ああ、ごめんなさい。」
「だから、謝ってないで、せっかくのんびりさせてもらえるんだからよ、楽しんで行って来よう。」
水穂がそういうと、杉三がそれを打ち消すように言った。
「そうですよ、海外へ行くときは意外にのんびりしていた方が、楽しめるというものです。」
いつも黙っている小園さんが、急にそんな発言したので、みな一瞬黙ってしまう。
「いいじゃないですか。今は気軽に海外に行けちゃう時代なんですから。そうやって、ヨーロッパに行けて、うらやましいなあ。」
どうやら、小園さん、やきもちを焼いているようであった。
「まあ、いずれにしても楽しんできてくださいね。芸術の都パリですから、何か、面白いものがたくさんあるんでしょうから、、、。」
そういって、小園さんは大きな建物の前に車を止める。
「えーと、一番古いところなので、第一ターミナルでよろしいんでしたよね。はいどうぞ、着きましたよ。」
と、いうことは、もう成田空港に着いたのか。
「いや、久しぶりに高速道路を走って、気分がすかっとしました。じゃあ、お気をつけて行ってきてくださいませね。」
「小園さんも年なんですから、あんまり飛ばしすぎないでくださいよ。それに、快感を持つようでは困ります。慎重に運転してください。」
水穂を介助して降ろしてやりながら、ジョチも笑ってそう返す。やっぱり道路を飛ばすのは、快感になってしまうらしい。どんな年の人でもそうなのだろうか。
杉三を降ろすのは、小園さんがした。
「じゃあですね。お二方は、第一ターミナルに入っていただきまして、北ウイングに向かってください。たぶん案内板に従っていけば、大体わかります。もしわからなくなったら、シャルルドゴール空港行きはどこかと聞いてください。」
「はい、ありがとうございます。ここまで来てくださって本当にすみません。それに、飛行機の手配までしてくださって。」
水穂は丁寧に礼をして、杉ちゃん行こうかと促した。
「いえ、お礼なんかいりませんよ。とりあえず、暫くあちらで過ごしてもらうことになりますけれども、くれぐれも、お体には気を付けて。」
「もう、もったいぶらないで早く行こうぜ。早くしないと、飛行機、乗り遅れるよ。」
杉三に促されて、二人はまた一礼し、ものすごい遅いペースで歩いていった。小園さんが大丈夫かなあと心配そうだったが、何とか二人とも、第一ターミナルに入っていったようである。
「うまくやってくれますかねえ、あの二人。」
小園さんは、二人を見送りながら、心配そうな様子でそういった。
「ある意味、杉ちゃんの底抜けに明るい性格で、可能になる滞在ではないかと思われます。」
「そうですねえ。そこはよくわかりますよ。ただ、水穂さんのほうが大丈夫かなと。」
「まあ、そこはある意味、運を天に任せるしかないかもしれませんね。」
そこはジョチも確信しているようだった。とりあえず、第一ターミナルに入ったのを確認して、小園さんとジョチは車に戻っていった。
第一ターミナル北ウイングに入った杉三と水穂は、案内板と係のおじさんの案内に従って、搭乗手続きを済ませ、シャルルドゴール空港行きの飛行機に乗った。すぐに客室乗務員が、ファーストクラスに行くようにと言った。どうせまた、エコノミークラスの座席を一回りでかくしただけの違いだぜ、なんて杉三は言っていたが、今回は単にそれだけの違いではなくて、シートベルトさえつけていれば、座席を倒して昼寝をしてもよいということになっていたし、かけ布団も借りられるようになっていた。杉三は客室乗務員に手伝ってもらって、すぐに座席を倒し、眠っていてもいいよ、と、水穂に言った。
杉三に、かけ布団をかけてもらって、水穂もその通りにしたが、飛行機のエンジン音が結構やかましくて、眠るということはできず、うとうとしているだけだった。隣の席の杉ちゃんが、時折、でかい音で鼻をかんだり、機内食をがつがつと食べて、客室乗務員さんに何回もお代わりを頼む、という、なんとも庶民的でうるさい音を立てるのも、理由の一つだったが。
「起きろ、ついたぞ!」
いきなり、そんなことを言われて、水穂はむっくり起きた。
「え、も、もう?」
「おう。もうパリだよ。早く出ないとマークさんたち、待たせちゃうぜ。出よう。」
そういえば今回、マークさんたちは搭乗口の近くにある、カフェで待っていると言っていたと、ジョチさんが言っていた。客室乗務員が手早く座席を元に戻し、杉三を元の車いすに乗せてくれて、出るのを手伝ってくれる。この航空会社はこういう細かいサービスを売りにしているようだが、自分でできることまで手を出されるのはちょっとなあ、と、杉三は嫌そうな顔をしていた。
とりあえず、飛行機を出て、搭乗口に行った。確かに、ここはもう日本ではなく、フランスのパリだった。周りの看板はアルファベットばっかりだし、歩いている人たちはみんな金髪だ。とうとう来ちゃったか、と水穂は少しため息をつく。
一方、そのころ。搭乗口付近では、飛行機を降りてくる人たちを迎えるため、沢山の人でごったがえしていたが、
「そろそろ来ていい時間なんだけど、どうしたのかなあ。」
マークが、カフェの壁にかかっている時計を眺めながら首をひねって言った。もう飛行機の到着時間は、過ぎてしまっている。
「手荷物検査にでも引っかかっちゃったのかしらね。」
「まさか、あの二人が危険なものは持ってこないと思うよ。」
トラーの返答にマークはそう答えたが、やっぱり心配だったので、ちょっと行ってみることにした。急いでカフェにお金を払って、搭乗口近くに行ってみると、
「おい、こんなところで座り込んだりしないでくれないかな!」
と、杉ちゃんのでっかい声が聞こえてきた。これのおかげで搭乗口は出たものの、そこで力尽きてしまったとわかる。
「ごめん、ごめん、今立つから。」
何とか立とうとしているようだが、どうもできなさそうだった。
「早くしてくれよ。はやく。空港のど真ん中で座り込んだら、ある意味では名物になってしまうぞ。」
確かにそのセリフの意味も分かるのだが、立とうとしても体が持ち上がらないのだった。ちょうどそこへ、
「あ、いたぞいたぞ、水穂さん大丈夫?」
マークたちが駆け寄ってきたので、見世物にはならずに済んだ。
「すいませんねえ。今回は変な形で迎えに来てもらっちゃって。相変わらず、可愛いぞ。とらちゃん。」
杉三が恒例の挨拶をしたが、今回は返答はなかった。それよりも、座り込んでいる水穂を何とかしなけれならないので、そんなこと考えている暇もなかったのである。マークたちは、この後レストランで食事でもと思っていたらしいが、これではすぐに寝かせてやったほうがいいということになって、マークが水穂を背負い、トラーは急いでタクシー会社に電話した。幸い、予約はすぐ取れた。全員、建物の外へ出て、数分後にやってきてくれたタクシーに乗り込み、マークの自宅へ帰った。
とりあえず、自宅へ戻ると、マークはまず、水穂を客用寝室に連れて行った。日本ではよくある、散らかっていてすみませんとか、そういう挨拶は一切交わされなかった。
台所には、「SOBA」と書かれたビニール袋に入ったそば粉がたくさん置かれている。
「急いで粉屋さんにいって、買ってきたの。これで当面は大丈夫かと。」
「おう、ありがとうな。しっかり備えてくれてあってよ。」
「でも、粉屋さんもぽかんとしてたけどね。なんでこんな一杯?って。」
「そんなことは関係ない。必要だから買うんだよと言ってやれ。」
「ねえ杉ちゃん。」
不意にトラーは、そんなことを言いだした。
「あたしにも、作り方教えてよ。あの、日本の非常食。」
「非常食?あ、蕎麦掻のことね。おう、任しておきな。作るにはコツがいるから、まずは、一個作ってみるからよ、見ててくれ。」
「本当!ぜひお願いね。あたしも作れるようになりたいから、ぜひ教えて頂戴ね。」
「おう、やってみるか。それにしても、とらちゃんも変わったね。なんだか前より積極的になったねえ。空港でもタクシー呼んだり、今もこうして、蕎麦掻の作り方を習うなんて言い出すんだからよ。」
杉三はカラカラとわらって、トラーからキッチンバサミを借り、そば粉の袋を開け、ちょっと貸してくれやと言い、ボールに粉をあけた。
「これに水を入れてこねるんだ。この作業が結構力作業でもあるが、これは重要なので手を抜かないでくれよ。」
と言って、そば粉に水を入れた。冬なので、水はやたら冷たかったが、杉三はそんなことは平気だった。でも、トラーはなんだか驚いているようだ。
「これをどうするの?泡立て器でも使うの?」
「手でやるんだよ。たぶん、西洋ではすりこ木なんてものはないだろ?」
と言って、ボールに平気で手を突っ込み、水を入れたそば粉を捏ね始める杉三だったが、トラーはよく平気だな、という顔をする。
丁度そこへ、インターフォンが鳴った。
「おーい、心配だったから来たよ。本当は空港まで一緒に迎えに行きたかったんだけど、どうしても切れない用事があって、それはできなかったから、終わったら急いでこっちに来させてもらった。もう水穂さんたちは、着いたと思うのだが。」
玄関ドアが開いて、入ってきたのはチボーである。
「お、せんぽ君だな。今な、水穂さんにくってもらうもんを作ってるのさ。このとらちゃんが、作り方教えてくれっていうからよ。」
杉三が、粉だらけの右手を挙げて、そうあいさつする。
「結構大変だったんですかね。で、大丈夫なんですか、水穂さんは。日本からこっちへ来るとなると、かなり負担もかかったと思うから。」
「いま、お兄ちゃんが寝かしつけているんだけど、結構辛そうだったわよ。空港の搭乗口で、座り込んだりして。」
杉三の代わりにトラーがそう答えると、やっぱりそうか、とチボーは心配そうな顔をした。
「よし、生地ができたぞ。次はこれを丸めるぞ。饅頭みたいな不格好な丸形がいいんだ。よく見とけ。」
と、杉三が、蕎麦掻の生地を小さく分割して、丸める作業に取り掛かった。
「よく平気ですね、こんな寒いときに、冷たいボールに手を突っ込むとは。」
そういえば、ヨーロッパでは、料理するとき、手を突っ込んで料理するという仕草はあまり見られない。
「前に来たときは、まださほど寒くない季節でしたから、いいのかと思ってましたけど、今は真冬なんですから、指にあかぎれができちゃいますよ。これを毎日作るとなると。」
「うるさいな、せんぽ君。もう、こうするしかつくれないんだから、余分な心配はしないの。」
「ですけどね、あかぎれができて、指が化膿したら困るでしょ。ひどいときには、指が取れちゃう可能性もある。」
チボーが余分な心配をするが、杉三は無視して蕎麦掻を丸めた。そういう細かいところにうるさいのも、やっぱり外国だなと思ってしまう。
「確かにこれでは心配よね。日本では、こんな冷たい料理が、流行っているのねえ、、、。」
終いにはトラーまでそう言い出すので、
「だからあ、しょうがないじゃないか。こっちには、すりこ木というものはないでしょう。だったら手でこねるしかないでしょうが。」
と、杉三は言った。
「すりこ木。それはどういうものなんでしょうか?」
「すりこ木とは、こういう材料を混ぜたり捏ねたりするときに使う木の棒のことだ。麺棒とよく似た形をしているが、日本のすりこ木は、もっと固い素材を混ぜたりできるように、木で作るのが当たり前になっている。蕎麦掻を作るときは、プラスティックの麺棒じゃ粉が固いので折れてしまう。なので、すりこ木を使うんだ。」
確かに、この地域では、そのような木の棒はどこにも売っていないとトラーが発言しようとすると、
「杉ちゃん、それ、作ることはできませんかね。」
チボーは何かひらめいたように言った。
「麺棒と同じくらいの長さの棒なら、うちに薪ストーブがあるので、そこにくべる薪がまだあったと思うんですよ。そこから一本もらってきて、ナイフかなんかで丸くして、それをやすりで削ればできるんじゃないかな。」
日本ではほとんどない薪ストーブであるが、こちらでは、自然ブームで、薪ストーブが普通に置かれていた。電気ストーブのほうが少ないくらいだ。
「ちょっと待っててくださいね。僕、一本もらってきます。」
チボーはまた電光石火のように玄関を出て行った。
その間に、杉三は、残りの生地をすべて丸めて、鍋で煮る、という作業に取り掛かった。トラーはそれを真剣そのもので眺めている。ただ、いくら平気だと言っても、こちらの寒さは半端なかったようで、杉三の右手は、しっかりあかぎれができていた。トラーは杉ちゃんに傷薬でもつけようと言ったが、この程度で薬のお世話になっちゃいかんと、杉三はにこやかに断る。
「はいもってきましたよ。すりこ木を作るんだと説明したら、変な顔されてしまいました。確かに、フランス語にすりこ木という言葉はないですからね。まあとりあえず、一本もらってきましたので、良かったかな。」
チボーが、比較的丸形に近い薪を一本持って戻ってきた。
「これを、削って丸くすればいいんですね。」
トラーが床の上に新聞紙を敷くと、チボーは持っていた小刀で、木の表面の皮をがりがりとけずった。
「そうそう。食材に触れる部分は、特に重要なので、しっかり皮をとってな。」
チボーは意外に手先が器用だった。初めしっかり作れるか心配していた杉三も、上手にやるな、と感心してしまうくらいだ。
続いて、やすりで磨き、とげが刺さらないようにつるつるにする。始めは荒い目のもので大まかに削っていき、次にだんだんに細かいものに変えて、きれいに磨いていくのだった。
「本当は、完成したら天日で乾燥させるんだが、冬だし、日差しも強くないので、電子レンジで乾燥させよう。ただし、焦がしちゃだめだよ。一番低い温度で、五分くらいやってみてくれ。」
「あ、わかりました。」
チボーは、すりこ木を、電子レンジの中に入れ、加熱開始のスイッチを押す。
「よし、それで完成。この干すのが大事だぜ。消毒も兼ねるんだからな。食べ物に触るわけだから、そこは手を抜いたらいかんぞ。」
「は、はい。わかりました。」
五分加熱して、すりこ木は出来上がった。低い温度で乾燥させたため、焦げることはなかった。
「ああよかった。これで、あかぎれしなくても、料理ができるわ。やっぱり、あかぎれが増えていったら、心配だもん。」
「それにしても、せんぽ君は意外に工作も得意なんだね。」
杉三がそういうと、
「まあ、変なものを作るのだけは好きだったんです。子供のころ、夏休みの宿題で、鹿威しのミニチュアを作ったことがあって、大笑いされたことがありました。」
と、チボーは照れくさそうに言った。これには、杉三もトラーもびっくりした。まあ確かに、ヨーロッパで僧都を作ったというのは、よく動画サイトにもあるが、投稿するのは子どもではなく、年寄りが好むものである。
「まあいい、とりあえず、これで蕎麦掻は作れるから。」
丁度そこへ、ドアが開いて、マークが戻ってきた。
「あら、お兄ちゃん。どう、水穂さんは、大丈夫?」
「うん、おかげさまでやっと眠ってくれたよ。結構飛行機の中で疲れていたみたいだね。もうずっとせき込み続けて大変だったよ。まさか放置してしまうわけにもいかないから、眠るまでそばについて待ってたよ。」
マークもかなり苦労したようだ。それがまさに顔に出ていた。
「いや、悪いなあ。今回は、しょっぱなからこんな迷惑かけちゃってよ。」
「それはいいんですが、水穂さんは大丈夫なんですかね。前に来た時より、もっと悪くなってしまったんでしょうか。」
杉三の発言にチボーは心配そうに言った。
「うん、持ち上げたときも、軽かったので、前より痩せちゃったんだなとは思ったね。」
「あー、すまんすまん。ちゃんと言っておくべきだったかなあ。」
「いや、いくら聞いても、わからない事はあるので、それはしょうがないことだと思うんですけどね。それよりも、本人の苦痛のほうが心配で、、、。」
トラーも、チボーも、心配そうな顔をした。杉三までも、この滞在は、うまくいくのか心配になってしまったのだった。
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