第8話「マチアス少年」

 夜更けだというのに深い森の中を大勢の人間たちが歩いていく。

 すべての者たちが一様に黒いフード付きのマントをまとい、軍隊さながら行進している。

 そのさまは、月明かりの下、一種異様な雰囲気を辺りにふりまいていた。

 四、五十人はいるだろうか。けっこうな人数である。

 よく見ると大きな者に紛れて、小さな子供らしき体格の者が見受けられた。

 行列の真ん中あたりの数人は、白い袋を担いでいる。

 ときおりその袋がもぞもぞと動く。恐らく何かの生き物が入っているのだろう。何とも気味が悪い。

 彼らは黙々と歩き、まるで誰かの葬式の行列よろしく、夜の闇の中進んでいく。

 歩いていくにつれて木々が途切れ、視界が開けた。そのたびに、この黒い一行は夜空に輝く月光に照らされる。

 しかし彼らは、その儚く、それでいて永遠に変わろうことのない月の光にも、まったく興味を示すことはなかった。

 ただ黙々と行進していく。不吉な、あまりにも不吉な行進だ。

 彼らのまわりの空気だけが、妙にねっとりと淀んでいる。その淀みはまるで、そこだけ時が止まってしまったかのようで、見つめているととても息苦しい。

 そんな風に、彼らは永久に変わることなくそのまま死の行進を続けていくように思われた───が、先頭を歩いていた一人の人物が立ち止まった。くるりと後ろを振り返る。そのため、永遠に動くことはないと思われた時間が、この時から再び動き始めた。

 それほどその人物の行動は唐突だった。さっと片手を上げて、後ろに続く者たちに止まるよう指示する。

 その時、きらりと何かが光った。それは、右手を上げているその人物の手首にはめられた腕輪であった。ごく細い太さのそれは、まったくなんの意匠も施されていない、滑らかでつやのある銀の腕輪だった。それが月の光に照らされて、美しく煌いている。この黒い集団にあって、それはあまりに似つかわしくなく、清らかに輝いていた。

 とたんに、さきほどまで重苦しく淀んでいた空気が、さっと晴れわたった。

 その人物は一言も喋ってはいない。にもかかわらず、彼らはよく訓練された兵隊のようにぴたりと立ち止まった。不吉で不気味な黒いフードつきマントの群れが、三列縦隊で続いている。その黒いマントで、どうやら彼らは邪教を信奉する信者たちであると知れた。

「皆のもの」

 彼らを立ち止まらせたその人物が、ここにきてようやく口を開いた。フードの下からぼそぼそと喋っている。だが妙にはっきりと聞こえていた。

「我等が司祭であるドドスさまの神殿まで、もうあとわずかの場所までやってきた」

 男の声である。そしてこの先頭の男が、どうやらこの集団のリーダーであるらしい。

「このまま一気に森を突っ切り辿り着きたいところであるが、仲間のひとりがすでに極限の疲労に陥ってしまった」

 彼はそばに控える人物を一瞥した。その者もやはりフードを目深におろしているため、男なのか女なのか定かではない。

 大きく肩で息をしている。ひどく苦しそうだ。疲労というよりも、むしろそれは何かの病気にかかっているといった感じがしないでもない。

「そこで、明日の朝はやくに発つということにして、近くで野営をしようと思う」

「カイルさま」

 彼のそばに、いつの間にか小さなマントをまとった小柄な人物がやってきていた。

「この近くにボロだけど神殿があったよ」

「なんだって?」

「だから野営なんかせずにさ。屋根つきのねぐらにしようよ」

 どうやらその口調から、小さな人物は少年らしかった。彼はフードを取り払った。

 月明かりに顔が照らしだされる。邪教徒にしてはずいぶん血色のよい顔をした、快活そうな感じの少年である。

「マチアス。それは本当か」

「ああ。あっちの方だよ」

 マチアスと呼ばれた少年は右手の方向を指さした。

「だから母さんをそこへ連れていこうよ」

 彼は、具合の悪そうなその人物を心配そうに見つめた。

「わかった。そうしよう」

 カイルと呼ばれたその男は頷いた。そして仲間たちを振り返る。

「それでは、今晩はその神殿に泊り込むことにしよう」

 彼らは真っ直ぐ伸びている道を外れた。そうして、暗い森の奥へと足を踏み込んでいったのである。

 彼らの入っていった森は、心なしか始終見ていたいつもの森より真っ暗に見えた。まるで、大きく口を開けた野獣の体内を覗き見ているようだ。

 そして、隊列の最後の者たちが木々の奥へと消え去った時、近くで狼の遠吠えがした。それは、仲間たちに獲物が来たぞと教えてでもいるかのようにも聞こえ、そして不気味に辺りに響きわたっていた。



 マチアスたち一行の集団は、言わずと知れた闇の司祭ドドスの配下の邪教徒たちであった。ドドスは上級魔族か、あわよくば邪神を呼び出すことができればと、信者たちにいきのよい赤子をさらってくるようにと命じていたのだ。

 彼らは最初はさほどの人数ではなかった。布教をしながら、ドドスの待つ神殿へと旅をしていたのである。

 マチアスと彼の母親、そして彼の村の村人たち全員が邪教に入信するために、このカイル率いる邪教徒たちに同行していたのだ。

 邪教徒になるためには、闇の司祭の洗礼を受けねばならぬ。マチアスたちはその洗礼を受けるために、カイルたちと行動をともにしていたのだ。

「母さん。大丈夫?」

 ようやく十歳くらいになったばかりであろうか。本当に元気の良さそうな少年である。

「ああ、マチアス。心配かけるね。だいぶん良くなったようだよ」

 粗末な布きれのようなものに身体を横たえて、少年の母は弱々しく微笑んだ。マチアスは、母の羽織っていた黒いマントを身体にかけてやった。

「もうすぐだからね。司祭さまの洗礼を受ければ病気なんか逃げていくんだから。母さんの病気だってあっというまに治っちゃうんだよ。あとちょっとの辛抱だ」

 マチアスは、母親の手をぎゅっと握りしめた。

「さあ。もう目を閉じて母さん。眠ったほうがいいよ」

 息子の言葉に母はかすかに頷くと、目を閉じた。

 ほどなくして、かすかな寝息が聞こえてくる。それを見届けるとマチアスは、母の手から自分の手をそっとほどいた。

「マチアス」

 彼を呼ぶ声がした。マチアスはその声に振り返った。

 すると、そこには彼と同じくらいの年頃の少年が数人立っていた。

「かあちゃんは大丈夫か?」

「うん。今眠ったよ」

「元気だせよ。もうすぐでおいらたちも、病気に怯えずに生きれるんだからさ」

「うん。そうだね」

 彼らは口々に、仲間であるマチアスに激励の言葉を浴びせかけた。マチアスはそんな仲間たちに頷いてみせる。

 そうしながら彼は、ふっとあたりを見回した。この古くてさびれた感じの神殿の大広間に四、五十人の人間たちが今、思い思いに寛いでいた。この中で邪教徒の洗礼を受けた者はほんの数人しかいなかった。

(カイルさまが村に来てくれなかったら、ぼくらはみんな死んでた)

 マチアスは心でそう思い、ぶるぶるっと身を震わせた。

(コキアの村───)

 マチアスは目を閉じた。彼の閉じられたまぶたの裏には、小さな湖のそばにひっそりとたたずむ故郷の村が映っていた。

 湖面をわたる涼やかな風が、いつも過ごしやすくしてくれたそこでは魚が豊富にとれ、そんなに裕福ではないにしろ、飢えというものとは無縁の村だった。湖のそばでは農耕もさかえ、彼らコキアの村人たちはみな平和に暮らしていたのだ。

 それが数カ月前、突然村を襲った病魔のために彼らの暮らしが一変した。

(あれから悪夢がはじまった)

 彼は寒そうに両腕で自分の肩を抱き、地獄さながらの光景を思い出す。

 それはまるで、病魔の神が村全体に、その不吉な杖を振ったかのようだった。あっと言う間に病に倒れる人々が出始め、それは村全体に広がっていったのだ。

 まず体力のない老人が倒れ、次に幼い赤子たちが、そして運悪く病を抱えていたごく少数の人たちが、次々と亡くなっていった。村を襲った病はいったい何なのか、地元に一人しかいなかった医者にもまったくわからなかったのである。

(母さんはもともと病弱だった)

 マチアスは悔しそうにくちびるをかんだ。

(だから、この病気が必ず母さんの命を奪ってしまうとわかった時、ぼくは───)

 病魔の嵐が吹き荒れる中、時を同じくして村を訪れた者たちがいた。

 それが邪教徒であるカイルたちだったのだ。彼らはとても親切であった。

「世間の人々は我々を誤解している」

 邪教徒のリーダーであるカイルはそう言った。

「我々は病魔とは無縁である。命の続く限りすこやかに生きつづけるのだ」

 地獄を見た人間は、往々にしてどんなことにもすがりたくなるものである。いわゆる、わらにもすがりたいという気持ちだ。

 まさにその時のコキアの村人たちがそうであった。

「我々の司祭ドドスさまの洗礼を受けさえすれば、必ずあなた方は助かるのだ」

 その言葉を信じ、村人たちは残された者たち全員で旅立つ決心をしたのである。

(ぼくらの愛する村───)

 マチアスは思い浮かべる。

 コキアの村は世界中で一番美しい故郷だと、幼いながらも彼は思っていた。

 もちろん他の場所など、ごくたまに訪れる吟遊詩人から伝え聞いただけで彼は見たことはなかった。村から出たこともなかったからだ。

 故郷とは、どんなに落ちぶれていようとも、どんなに景観がよくなかろうとも、とかく思い入れが入ってしまいがちだ。また、そうでなければ故郷と呼べはしないだろう。

(これからどんなに美しい場所を訪れようとも、きっとぼくはコキアの村が一番きれいだと思うだろう)

 そう思った時、マチアスはぶるっと身を震わせた。それは恐怖とか寒さというたぐいではなく、生理的現象からくるものであった。

「ぼく、ちょっと用足しに行ってくる」

 マチアスは仲間の少年たちにひとこと声をかけた。

「外でしてこいよ」

「わかってるって」

 マチアスはニッと笑って見せてから親指を立てた。

「ちょっとの間、母さんを見ててよ」

「わかった、わかった」

 マチアスはひとり、神殿の外へと出ていったのである。



 マチアスたちのいるその神殿は、闇の司祭ドドスのいる神殿よりさほど離れていない場所にあった。

 うらぶれた神殿である。だいたいドドスが拠点としていた建物もあまり立派とはいえないものであった。それでもドドスの手により、まだ人がいられるほどの体裁にはなっていたのだ。

 だがその神殿は、明らかに永いあいだ人が住み着いた様子が見られなかった。月明かりの下、不気味な姿をさらしているばかりである。

 まだ明け方までは間のある夜中。マチアス少年がそそくさと神殿を離れ、森の奥へと踏み込んだ直後のこと。

 神殿の入口の空間がゆらゆらと揺れはじめた。

 モノクロの景色の中を滲むようにじわりと現れる者たち───そう、例の少女を抱きかかえたベルタムナスが現れたのだ。

 彼の妖しい美貌が、月光に照らされて燦然と輝きを放っていた。

 だが、それもかなりの陰惨さをかもしだしていることは付け加えておかねばなるまい。それこそが魔族の魔族たるゆえんであるからだ。

「ふん。僕がしばらく留守にしていたおかげで、まあ居心地のよい場所になったものだ」

 かなりの皮肉をこめて彼は呟いた。

 石造りの神殿だ。言うまでもなくたいがいの神殿はそうである。ずいぶん昔に建てられたものであるらしい。

 今は確かに見るかげもなく荒れ果てているが、その昔は恐らくたくさんの信者たちが参拝し、賑わっていたに違いない。

 ここら辺りも今のような森の奥深くではなく、広々と開けていて他の地方からの街道も整備されていたことだろう。

 今ではほとんどと言ってよいほどその面影もなく、片鱗がわずかに見られるだけになっているばかりではあるが。

 昼間であれば、うっそうと生い茂る密林の蒸したような暑さであろうこの場所も、柔らかな月の光に照らされて一種妙な涼やかさが立ち込めている。

 神殿の周りには石垣が張りめぐらされていたらしく、わずかに痕跡をとどめているにすぎない。

 その石垣跡を縫うようにして、雑草がぼうぼうと生い茂っていたが、ところどころ土がむきだしになっている。そのため、まるで草むしりでもしたかのように、いくつかの空き地がぽっかりとできていた。この神殿のまわりだけ、誰かが手入れをしたのだろうか。

 邪神が祭られていた神殿は正気の人間なら誰も近寄ることはない。

 邪神教の教徒というのならそれもわからぬが、それでも彼らにとって神聖な神殿に教徒だけで入り込むことはないはずである。

 神殿は司祭が管理するのであって、普段の教徒たちは粗末な自分たちのねぐらで、互いに身を寄せ合っているだけなのだ。

 月明かりの下、苔むしたその神殿は不気味な沈黙をもって、昔の主であった美貌の青年魔族と幼い神を迎えていた。

「もともとここは、僕がマインド様を奉るために人間どもに作らせた神殿なのだ」

 ベルタムナスは腕に抱えた少女に、なぜか説明口調で語りかけていた。

 少女は抱かれるままにおとなしくじっとしている。ベルタムナスと同じその黒い瞳を半ば閉じて、今にも震えだしそうなほど弱々しい感じであった。

 彼は彼女を軽々と抱えていた。そして、興味深くその銀髪の少女を見つめた。

「お前……」

 彼は少女をそっとおろした。

「名は何という」

 少女は立たされたが、一瞬ふらりとよろめいた。ベルタムナスはさっと片手を出し、少女の細い身体を支える。

 顔を上げる彼女。ひたと目と目が合う。少女は深い深い紫の色をたたえた黒い瞳であった。ベルタムナスの漆黒とはまた違い、むしろ暗黒神イーヴルの紫の闇色に近い感じである。

 一瞬心をうばわれるような、引き込まれるような、そんな妙な気持ちにベルタムナスはなりかけた。

(なんという目だ!)

 彼は内心ひやりとした。

(この僕としたことが……美麗の傀儡師と言われたこの僕が…他人に心を奪われかけるとはなんたることだ)

「な…名は何というのだ」

 彼は心持ち頭を振ると、繰り返し言った。

「……ティナ……」

 ささやくようにか細い声で、はじめて少女のかわいらしい口から声が上がった。

 その声はひどく大人びて感じられた。そこはかとない絶望が漂っているようにも聞こえる。

「ティナ……それは真実の名ではあるまい。ということはまだお前はこの世に生まれてからそんなに経ってはいないのだな」

 ベルタムナスは考え込むように呟く。

「そうか。それで得心がいった」

 彼はティナの顔を見据える。

「神は生まれて、およそ青年期くらいまでは人間と同じ時間の流れの中にいるのだということであったな。真実の名は時満つるまでは明かされぬ……そしてそれからのち、己の好む年齢へと姿を変えるという」

「…………」

「ふむ。その姿を僕が覚えていないのも無理からぬことか。お前はまだ成長過程の真っ只中なのだからな」

 彼女の細く小さな両手は胸の前で合わせられ、なんの飾りもついていないすらりとした白い衣装から触れば折れてしまいそうな二本の腕が伸びている。

 ティナはその黒く神秘な瞳をベルタムナスに向けていた。

 その瞳は、美しい彼の姿が映されているのが見えるのではないかと思えるほどに大きい。

 鼻も口も、もうしわけ程度のものが具わっているだけだ。だが、整っていて、小さいが品がよい。それに比べると、いかに彼女の目が大きいかがわかるだろう。

 月の下に佇むのがよく似合う、銀の髪を持つ少女神───

「素晴らしい!」

 ベルタムナスは、掛け値なしの純粋な賛辞を彼女に捧げた。

「このような美しい魂は見たことがない」

 彼は嘆息し、両手を広げた。

 ベルタムナスはかなりのお喋りであるようだった。ティナがほとんど喋らないので、どうしてもそうならざるを得ないのだろうが、それにしても魔族というものはこんなにも人間臭いものなのか。

 それと対照的に、相も変わらずティナは静かに立っていた。震えることなく静かに。大きな瞳で、じっとベルタムナスを見つめている。すでにもうあの不安めいた戸惑いは見られない。

「マインド様の魂も美しかったが…もしかすると、あの方よりも美しく輝いているかもしれないぞ。やはり生まれたての魂というものは格別なものなのだろうな…!」

「………」

 その時、ふたり同時に表情が変わった。

 ベルタムナスのつり上がった目がみるみるうちに鋭く変わっていく。

 ティナはというと、ベルタムナスへと向けていた視線を神殿の方へと泳がせている。その視線には気づかいが感じられた。

「酔狂なものがいたものだな」

 かすかに嘲笑を漂わせながら彼は言った。

 反対にティナは何も言わない。たしなめているかのように、ちらりとベルタムナスに視線を戻すのみだ。

「ちょうどよい。ティナ嬢をお迎えするべく饗宴としゃれこもうではないか」

「………」

 その意味がわかっているのかそうでないのか、彼女は何も言わなかった。それでも、その黒い瞳がだんだんと悲しみに満ちていくのがわかる。

 月明かりに照らされたその表情はあまりにも痛々しかった。

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