第6話「美麗の傀儡師ベルタムナス」
「なぜだ…なぜ従わぬ……」
ひとりの男が今まさに息絶えようとしていた。
そのまわりには、死体が累々とうずたかく積まれている。
どうやら邪教徒たちのようだ。皆一様に邪教の紋章の入ったフード付きの黒いマントを身につけていたからだ。
ここは森の奥深く、野外に特設された仮の祭壇らしかった。おそらく邪教徒たちが生贄を捧げて、魔族の召喚を執り行っていたのであろう。
「はからずも召喚されてしまったが……」
涼やかないらえが上がった。すらりとした肢体の人物だ。
「このベルタムナスを使役しようなどと、人間の分際で不届き千万この上ない」
冷たく無表情な目で死にかけた男を見下ろしている。
静かに喋るその様子は尊大に見えるが、物腰とか口ぶりとかが芝居がかっていて妙に世俗的だ。
ひどく美しい青年だった。
美しいが、思わず背筋がぞっとするような禍々しさが感じられる。見つめていると、どこか異形の者たちのひしめき合う別の世界にでも、引き込まれてしまいそうだ。
「下級魔族ならばいざ知らず、かつて魂神の右腕とまで言われたこの僕が、人間ごときに言いようにされるなど我慢ならぬ」
「召喚呪文で…呼び出されたのに……」
「片腹痛いわ!」
ベルタムナスはせせら笑った。
「僕ら上級魔族は、人間ならば自分たちより霊力の強い者、魔族同士ならば魔力の強い者にしか従わぬ」
「そ、そんな……召喚された者には…絶対服従が世のことわり……なはず…」
「ふん」
ベルタムナスは、横たわる男にはまったく興味がなさそうな顔をした。
つと視線をまわりに巡らせ、打ち捨てられた死骸の山を見る。その顔には満足そうな微笑みが浮かんだ。
「それにしても、遊ばせてもらった」
「!」
「存外、退屈しのぎにはなったぞ」
「なんということを……」
「闇の司祭よ」
ベルタムナスは男に視線を向けた。
打って変わって、さきほどとは態度が違う。本心からかどうかわからぬところだが、彼の声には男に対してのいたわりさえうかがえた。
それに気づいた男の顔に安堵の表情が浮かんだ。
しかし彼は気づいていない。自分に向けられたベルタムナスの冷たい瞳に───
「暗黒神に命を捧げたと思えばよい」
「えっ…では……」
瞳孔の開きかけた男の目が輝いた。
「お前たちも待ち望んでいる、古の神々が復活するのもそう遠いことではない」
ベルタムナスは男の傍らにひざまずいた。
「お前たち人間の血が流れれば流れるほど、あのお方の復活は近くなるのだ」
青白く輝く顔を近づけ、ベルタムナスは死の影が見えはじめた男の不吉な顔を見つめた。
「名誉の死だと思うがよい」
おもむろに立ち上がり、彼は両手を持ち上げた。
長く細い指を艶めかしく動かしはじめる。
それは、大道芸人のマリオネット使いが、おのれの人形を操るがごとく指を動かしているのによく似ていた。
「せめてお前だけは至福の死を与えてやろうぞ。魂神のもとで人間の魂を自由に扱い、その精神を自在に操ったこの僕の力でな」
みるみるうちに男の苦悶に歪んだ表情が変わっていく。
柔らかい表情───微笑みさえ浮かんだその顔───もうすでに意識はないであろう。ベルタムナスの声も彼には届いてはいまい。
そして次の瞬間、男はこと切れた。
「久しぶりの血の饗宴は心地よかったぞ」
誰に言うともなしに呟き、ベルタムナスは微笑んだ。
「はっ!」
彼は勢いよく掛け声を上げ、くるりとターンを決めた。そのままくるくると回転する。まるで陽気なダンスを踊っているようだ。
その様子はさも楽しげで、そのうえ無邪気にさえも見えた。
今まさにこと切れた男の身体や、その他の累々たる死骸の山を抜けて躍り狂う美貌の上級魔族───と、いきなりその回転がとまった。
「………」
彼の表情がみるみる豹変する。
黒い目が訝しそうに細められた。
目と同じ、黒くてさらさらとした髪を細い手でかきあげる。すると髪で隠れていた額が見えた。
そこには、炎の痣が鮮やかに浮かんでいた。
それは上級魔族の身体のどこかに必ずあると言われる痣だった。まるで何かの刻印のようなその痣は、彼の額をよりいっそう美しくするための飾りのようにも見える。
彼は顔を上げた。まるで何かを見つけようとするかのように遠くへ視線を泳がせる。それから静かに目を閉じた。
「匂いがする……」
何かを嗅ぐように鼻をぴくぴくと動かす。
その様子は彼の美しい顔に似合わず、獣じみたいかがわしさが感じられた。
そして、女のように長いまつげをふるふると震えさせた。
「むっ?」
彼はパッと目を開けた。そして歩きはじめる。迷いもなく。
「こちらの方角に……」
彼の歩き方はまるで夢遊病者のようだ。
「神の匂いが……」
少女は顔を上げた。
その白くかわいらしい顔は相変わらず無表情ではあった。だが今、黒水晶のように高貴な輝きを放つその瞳に、わずかな感情が浮かんでいる。
何かの気配を感じているのだろうか。ここは地下牢───地上の様子は彼女にはわからぬ。
しかし、彼女のその不思議な瞳は、何もかも察知しているかのような趣を呈していた。
一方───
「よい月夜だ」
神殿の外、うっそうと生い茂る樹木をぬって月の光が地上に届いていた。
倒れて横倒しになった樹木に気だるく腰掛け、ドドスは月の光を見つめていた。
彼はいつものフード付きマントをまとっていたが、今はそのフードをはね除けていた。
仄かに輝く月の光を浴びる彼の顔。心持ち顔を上へあげている。
まったく絵にならぬ光景である。これが薄幸の美少女とか、どこか影のある美少年というのならいざ知らず、どこをどう見てもカエルのひしゃげたような顔の、しかも体つきまでせむし男のようなみにくい彼ではどうしようもない。
「満月か……」
彼のいる場所は、ちょうど木々が途切れていて空を臨むことができた。そのためちょっとした広場が自然にできていた。
柔らかな月光が届いている。
今宵はその月の光に隠れてしまい、星々はしばしの休息といった感じで、その姿を確認することができなかった。
ドドスは目を細め言った。
「明日の夜にでも決行するか…」
彼の瞳の奥がわずかに揺れた。それはまるで、何かを迷っているような様子である。
果して彼は心が決まりかねていた。それが少女に見せられた、あの黒い瞳のせいだとわかっていても、ドドスにはどうすることもできなかった。
「しかし、俺は闇の大神官になるのだ」
ドドスは樹木から飛び下りた。両拳を握りしめる。目を閉じ、ぐっと首を伸ばし顔を上げた。
「俺はもう魔法剣士にはなれない」
かっと目を開ける。
「憎しみを忘れられないのだ。人間を、世界を、神を呪ってやる。この俺という存在を認めようとしないすべての者どもに、未来永劫の苦しみを味わわせてやる!」
どんよりとしていたドドスの目に精気がみなぎってきた。
その彼に、柔らかく不思議な光を投げかける白銀の月───輝く夜の女王であるその月は、いつまでもこのみにくい男を照らしつづけていた。
そしてその夜中のこと───
生ぬるい微風が吹きはじめた。ざわざわと葉擦れの音が聞こえてくる。
それは何だかひどく不吉な音だった。そんなただならぬ外の雰囲気は神殿の中にも充満しつつあった。
神殿の奥深く、じめじめとした地下牢の石畳の寝床の上。
銀髪の少女はずっと前から背筋を伸ばし、静かに座っていた。
眠った様子はない。牢屋の外側をじっと見つめている。
その様子はまるで何かを待っているかのようだ。そして、彼女の瞳にはほんの少し戸惑いがあらわれていた。
その時だ。少女の座っている場所から鉄格子をはさんで少し離れた空間に、わずかな揺らめきが生じた───そして、ふいにそれは現れいでた。
「なんとも不愉快な場所だ、ここは」
美しい上級魔族ベルタムナスの登場だ。彼は鉄格子に静かに寄ってきた。顔を上品にしかめる。
「たいがい魔族は暗くてじめじめしたところを好むものだが、僕は好きになれぬ」
彼は切れ長でつり上がった目をいっそう細めた。鉄格子の向こうの少女を見つめる。
「ほう……これは……」
感嘆の声を上げ、ベルタムナスは神経質そうにせわしなく髪をかきあげた。
そしてもっとよく見ようとして、さらに前へ進み出ようとした。
───ガシャン───
すると鉄格子に阻まれた。
「まったく、なんと無粋な……」
ベルタムナスの瞳が冷たく光った。
───グシャ!
たちまち鉄格子が曲がってしまった。まるで、凶暴な獣が横へ思い切り押し開けたように、それは簡単にひしゃげている。
ゆっくりと進むベルタムナス。それを静かに見守る少女。
彼は彼女に手を伸ばした。ほっそりとした彼の手が、今まさに触れようとしていたその矢先───
「何者だ!」
ドドスの声が上がった。ぴたりと止まるベルタムナスの動作。
「何をしている…あっ!」
ドドスはひしゃげてしまった鉄格子を見て驚愕した。
「なんということだ……」
彼は押し広げられ、ひしゃげた鉄格子の前で立ちすくんだ。金縛りになったように動けずにいる。
暗い地下である。だが、少女の姿が見えるようにと、ろうそくに火は灯してあった。今その明かりの中、彼女以外にもう一人、誰かがドドスに背を向けていた。
そして、その人物がゆっくりと彼を振り返った。
「!」
ろうそくの炎の中、ドドスははっきりと見た。妖しく微笑む、絶世ともいうべき美しい青年の顔を。
「………」
ベルタムナスもまたドドスの姿をその黒い瞳でとらえた。
彼の瞳がなぜか、少し驚いたように見開かれる。それは驚きというよりは感嘆ともいうべきものだった。
「お、お前は誰だ!」
ドドスは大声で誰何する。
「そのような大声を出さずとも聞こえておるわ」
あからさまな軽蔑をこめてベルタムナスは言った。
それを聞いたドドスは怒りで、どす黒い顔をよりいっそうどす黒くさせた。その様子をベルタムナスは興味深く眺めた。
そして顔をしかめた。まるで嫌なものでも見てしまったかのように。
「おのれっ!」
ベルタムナスの嘲りを感じたドドスは叫び、そのまま声を張り上げて喋りつづけた。
「誰だと聞いている。答えないかっ」
強気に出ているくせに、なぜかじりじりと後ずさりをはじめるドドス。
それを面白そうに眺め、ベルタムナスは形のよい眉を片方だけ上げて見せた。そしてドドスとは反対に、一歩一歩彼の方へ歩みを進めていった。
曲げられた鉄格子をまたいで独房を出る。
彼は相変わらずドドスへと興味ありそうな視線を向けていた。
しかし、よく注意して見ると、ドドス本人というより彼の頭の上周辺に視線があるようだ。いったい彼は何を見ているのだろうか。
だが、すっかり頭に血がのぼってしまい、興奮しているドドスにはそのようなベルタムナスの様子などわかろうはずもなかった。
「これはこれは、なんと美しい───」
するとベルタムナスが呟いた。
「なんだと!」
後ずさりをやめてドドスは立ち止まった。握った拳がぶるぶると震える。
「言うに事欠いて…美しいだと?」
どす黒い顔がだんだんと赤黒く変色していく。誰が見ても美しいとは思えない顔だ。
「お前はこのドドスをバカにするのか!」
「───」
ベルタムナスは我に返って、今度は正面からドドスを見据えた。
「ふ…ん」
とたんにベルタムナスは興味を無くしたようだ。再び振り返ると、ドドスに背を向け、彼をまったく無視し、またしても少女の方へと歩を進める。
「あっ待て……」
ドドスは慌てた。ベルタムナスを引き止めようと足を進めかけた。
───ドンッ!
「うっ!」
とたんにドドスの身体が吹っ飛んだ。石でできた壁にぶちあたり、彼の身体はズルズルと石畳に落ちていく。
「ぐ…ぐ、ぐ……」
したたか身体を打ちつけたらしく、ドドスは動けない。
「警告しておく。むやみに僕に近づくな」
ひん曲がった鉄格子に手をかけて、ベルタムナスは冷たく言った。
「お…お前は誰だ……」
ドドスはわずかに顔を持ち上げた。苦しそうに顔を歪める。
「僕はベルタムナス」
彼は後ろを振り向かなかった。すっきりとした後ろ姿を、傷ついたドドスに見せたまま立ち止まっている。
「その昔、魂神の傍近くに仕えていた」
ベルタムナスはうっすらと酷薄な微笑みを浮かべた。ぞっとするほど美しい。残念ながらその笑みはドドスには見えなかったが。
「美麗の傀儡師ベルタムナスとはこの僕の事だ」
「美麗の…傀儡師……聞いた…ことがある…ぞ………」
ドドスは気を失うまいと必死になった。
美麗の傀儡師───吟遊詩人の詠にも歌われている、魂神マインドと美貌の上級魔族ベルタムナスとの頽廃に満ちた恋愛譚。
邪神のうちの一人であるマインドが寵愛したベルタムナスは『美麗の傀儡師』という異名を持ち、主人である魂神に負けずと劣らぬほど人間の魂をうまく操ったらしい。
人間の精神を我が物のように扱い、まるで人形のように人間を操る彼の美しい十本の指は極上の芸術作品のようであったという。
「そ…の傀儡師が…な…ぜ…?」
「懐かしい匂いがしたのでな」
ベルタムナスは再び鉄格子をくぐった。視線は少女に向けられている。
「神の匂いが僕をここまでいざなった」
「神の匂い…だと?」
石畳から起き上がれないでいるドドスは、それでも心持ち顔を持ち上げ、驚きの表情を見せた。
「そいつが神……?」
今やベルタムナスは少女のそばまでやって来ていた。
少女を見おろす。彼女もベルタムナスを見上げている。
「ふむ……」
彼は訝しげに首を傾げた。
「それにしては覚えのない顔だが…」
「………」
少女は、やはりその黒い瞳に何を考えているのかわからない表情を浮かべている。
「まあ、よい」
ベルタムナスは頷くと微笑んだ。
「気に入った。これならマインド様を復活させることができるであろう」
「まっ…待てっ!」
ドドスが慌てて叫んだ。
「そいつは俺がつかまえた獲物だ。俺が生贄に捧げるんだ!」
ドドスはよろよろと立ち上がった。全身に激しい痛みが走る。だが、彼は足を引きずりながらふたりに近づこうとした。
その間ベルタムナスはひざまずくと少女を立ち上がらせた。彼女は、じっとベルタムナスを見つめたままである。相変わらず、おしのように何も喋ろうとしない。
だが、ここにきて初めて彼女は不安めいた瞳をドドスに向けた。まるでそれは彼に助けを求めているようにも見える。
「やめろ……」
それを感じたドドス。押し殺した声をもらす。
しかし、ベルタムナスは細く小さな少女の身体を両腕でやさしく抱いた。明らかに背の高さに違いがあるので、それは恋人同士というよりも親子の抱擁といったような感じである。
だが、どちらにしてもドドスにとっては同じことだった。その光景はドドスにとって過去の忌まわしい光景と重なって見えたからだ。
「やめろ!」
ドドスの目がギラギラと光る。すると、不気味な空気の流れが生じはじめた。風など起きようがないこの地下にだ。
「やめておいたほうがよいぞ」
ベルタムナスは少女を抱いたまま、ドドスを振り返った。
「お前の命は助けてやる。僕は純粋で美しい魂に弱いのでな。だからこれ以上僕の邪魔をせぬことだ。僕もそんなに忍耐強いというわけではないぞ」
「何を…わけのわからんことを……」
ドドスは悔しそうに歯ぎしりした。
「彼女を返せ!」
両手を伸ばしながらドドスは一歩、また一歩と近づいていく。
「テティは俺の物だ!」
完璧に混同している。
ドドスの目にはふたりが、かつての幼なじみたちに見えているようだった。
彼の目の前で仲睦まじく抱き合うふたり。
許されぬ裏切り。
彼のどうしようもない怒り。
「裏切りを俺は絶対に許さない」
ドドスの目は狂人のそれのように輝き始めていた。
我に力を与えたまえ
我に力を与えたまえ
憎き者どもに制裁を
地獄の苦しみを下し
その魂を切り裂きたまえ
ドドスは呪文を唱えた。両手をかざす。
「愚かな……」
ベルタムナスの瞳はあくまでも冷たい。
「この僕を怒らせるな」
彼のその口調はドドスに向かって話している感じではなかった。
「清らかなる魂よ。いくら命乞いをしても手遅れになるぞ。己で何とかするのだな」
風が集まりだしていた。が───次の瞬間、ぴたりと不吉な空気の流れはとまってしまった。
「?」
ドドスは呆気にとられて口を馬鹿みたいに開けた。慌てて自分の両手を見つめる。その呆然とした表情は、いったい何が起きたのかさっぱりわからない彼の心を、如実に語っていた。
それと反対に、何もかもわかっているぞという目をしているのが、ベルタムナスであった。
「ふふん…」
彼は腕の中の少女に視線を向けた。彼女はうつむいているため表情は見えない。
「神の子よ。手助けしたな」
彼はニタリと笑った。それはあまり上品とは言えぬものであった。
「…………」
だが、少女はいっこうに顔を上げたり、何か喋ろうとすることはなかった。
すると、ベルタムナスの顔にわずかないらつきが認められはじめた。それを静めるためか、彼は放心状態のドドスに顔を向ける。
「では神の子は頂いていく。魂神が復活するのを楽しみに待っているがよい」
ベルタムナスの声は尊大だった。とても厭味なくらいに。
一呼吸おいてから、彼と少女はドドスの目の前から跡形もなく消え去ってしまった。それはもちろん瞬間移動であった。
しかしベルタムナスのそれは、普通のとは少し異なっているようだった。
神や魔族の瞬間移動とは、それこそいきなりパッと消えたり現れたりするものだ。それが彼の場合、じわーっと辺りの暗闇に吸い込まれるように消えていったのである。
「『隠しの絹』…のようだ……」
ドドスはどうでもいいようなことを呟いていた。
彼の言う『隠しの絹』とは、吟遊詩人が好んで歌う『竜の娘』に出てくる美しい七色の絹の衣のことである。
麗しき竜神スレンダが殊の外愛用していたと言われるその衣は、それを覆ってしまうとまるで空気に溶けだすように物や人が消えてしまうという。
丁度ベルタムナスの消え方は、詠に歌われる『隠しの絹』で覆ったような感じにそっくりだったのだ。
それは竜の羽衣なり
その七色にめくるめく輝き
夢の中の輝きなり
覆い被せよ
曇らせよ
滲むがごとき消えゆくなり
空気ふるえ魂ふるえ
今宵もまたひとり
竜神に見初められし少年の
声なき声がこだまする
そして───ドドスの身体は崩れ落ちるように倒れていく。自分の意識が遠のいていくのを感じながら───
それよりしばらくののち───
「う……」
冷たい石畳の上で、ドドスは誰かに呼ばれたような気がして目を覚ました。
「テティ……?」
彼の声が辺りに反響して響きわたった。次の瞬間、ドドスは我に返って起き上がった。
「?」
さきほどまで感じていたはずの身体の痛みが、すっかり消え去っているのにドドスは気づいた。身体のあちこちをなでまわす。
「いったいどういうことだ?」
彼は戸惑い、半ば放心したままの表情で、神の少女が座っていた場所をとらえた。さらに、あの美麗の傀儡師ベルタムナスがひん曲げた鉄格子も目に入った。そのとたん、彼の心に激しい悔しさがこみ上げてきた。
「くそっ!」
彼は拳をその鉄格子にぶつけると悪態をついた。
「上級とはいえ、たかが魔族のくせに!」
ドドスは吐き捨てるように叫んだ。
「この俺さまを甘く見るなよ」
そのたかが魔族に、ズタボロのようにされたのはどこの誰だったか。
まったく彼は気づいていない。いや、あるいは無理やり気づこうとしていなかったのか。
いずれにしても、それがドドスのドドスたる所以であった。
「俺は闇の大神官になるのだ。あんなはぐれ魔族など恐るるにたらん」
彼は鉄格子に背を向けた。そして、ズンズンと歩きはじめた。
キラキラ───
ドドスが歩き始めると、彼の後ろに何か輝く金粉のようなものが漂った。それは、漂ったかと思うとすぐに消えて無くなってしまった。ドドスはもちろん気づかない。
そして───
彼が行ってしまったあとの地下牢は誰もいなくなり、本来の静けさを取り戻した。
何ももう動くものはない。
ただ、ろうそくの炎だけがぼんやりと辺りを照らし、ひん曲がった鉄格子がその灯の中で、妙に目立って見えるだけだった。
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