第4話「魔法士ファー」
「おめーも、ちったー戦えよな---っ」
ドーラが叫んだ。
───ドシュッ!
彼は銀色に輝く大剣をぶんぶん振るっていた。振られるたびに、一匹、また一匹と魔族が切り倒されていく。
「わ…わたしは戦いなど初めてで……」
ファーはドーラの後ろで頭を抱えていた。そんな彼の足もとに、切られた魔族の頭が転がってくる。
「ひっ……」
思わず目をつぶるファー。
ドーラたちはジャングルの奥へと進んできていた。
とたんに魔族たちが、うようよと現れてきたのだ。とかく魔族とはうっそうとした森を好むらしい。
「こおのっ牛頭やろう!」
またもう一匹───いや、一頭といった方がいいのか───魔族の首をはねた。というのもこの魔族、一応身体は人間のような体つきなのだが、首から上が牛そのものなのである。
「ミ、ミ……」
「どもってんじゃねーよ!」
縦に横にと剣をふるいながら、ドーラがイライラとした声を上げた。
「ミノシスなど、は、初めて見ました」
震えながら足もとに転がる牛頭を見つめ、ファーはようやく言いおえた。
「ふん!」
そんな彼をドーラは鼻であしらった。
「ミノシスごとき魔族なんざあ、おめーまだいーほーだぜえ」
「そ、そうですか?」
「こいつらはまだ恐怖ってえもんを知ってるからよ」
牛頭のミノシスたちは、ドーラの物凄い剣さばきに押され気味になっていた。
確かにこの魔族どもは恐怖を感じてひるんでいたのだ。そのおかげでようやくドーラは一息つくことができた。
「コープスってえ魔族知ってっか?」
「はあ……確か死体が腐ったような魔族ですよね」
ファーは青ざめた顔をドーラに向けた。ようやく頭を抱えるのをやめて腕を下ろす。
「そーそー…」
ドーラは一見くつろいでいるかのように見えた。だがその実、彼らを遠巻きにしてうろうろするミノシスたちに油断なく視線を向けていたのだ。
そして、ファーに背中を見せたままで話を続ける。
「あのコープスってやつぁ、さいってーの魔族だぜ」
「そーなんですか?」
ファーはまのぬけた声を出した。それを聞いたドーラが顔をしかめる。
「おめー魔族って見たことあんのか?」
「まだ一度も見たことがありません」
「なんだってえ?」
なぜかドーラはびっくりしてファーを振り返る。そんな彼に、ファーは嫌悪感丸出しの目で見つめ返し、言い切った。
「今日が初めてです」
それから徐々にミノシスたちは、散り散りにどこかへ逃げ隠れてしまった。そして、牛頭魔族の死体の山だけが累々と打ち捨てられた。
ドーラたちはこの魔族の死体をそのままにしてその場を離れた。後は仲間の魔族たちが片づけてくれることだろう。あまり想像したくもないが、魔族同士の共食いなど日常茶飯事なのだ。
ドーラたちは戦いのあった場所から少し離れた場所までやって来た。そばに川が流れている。さきほどまで繰り広げられていた戦いが嘘のように静かな情景だ。
しかし、ドーラの身体はミノシスの返り血で真っ赤になっている。実際に戦いがあったということを、その血まみれの身体が物語っていた。
───ガシャン
ドーラは剣を岸辺に投げ出した。そして衣服を着たままで川に飛び込んだ。
彼の身体から一本の赤い糸のように細く血が流れていく。しばらくするとそれは二本になり三本になり、だんだん川は赤く血塗られていった。
「赤いのですね」
「は?」
相変わらず、ファーの言葉は唐突だ。主語もなにもあったものではなく、まるで吟遊詩人のような感性でものを言う。
そんな彼の言葉にドーラは、また何をわけのわからぬことをといわんばかりの目つきを向けた。
「ミノシスの血のことです」
ファーは、ひとなつっこくドーラに笑ってみせた。最初の印象からずいぶん変わってきている。
「コープスは緑色の血だと聞きました」
「そーさあ」
ドーラは川の水で衣服をじゃぶじゃぶさせた。
「コープスの体液なんぞかかったひにゃあえらいことだぜえ」
「そんなにすごいんですか?」
「すごいもすごくないも……」
彼はザバァと川から上がってきた。ぶるぶるっと身体を振る。まるで犬だ。
「とーぶん、ひっでー匂いが取れねーの」
彼は鼻をつまんでみせた。その仕種は少々大げさな感じがしないでもない。
ファーは近くの木の根元に腰掛けていた。
傍らにはドーラの剣も立てかけてあった。彼が投げ出した時にファーが拾い上げておいたのである。そこへ、濡れた身体のままのドーラがやってきて、ファーの隣に座り込んだ。
「それより、さっきのはどーゆーことだ」
「さっきのことって?」
「ほんとに今まで一度も魔族をおがんだことがねーんか」
「はい」
「なんてえこったい」
今度はドーラが頭を抱えた。するとファーは心配そうな表情を見せた。
「何か不都合ですか?」
「不都合も何も……」
ドーラは両腕を広げてみせた。
「まさか、里のもんはみーんな魔族を見たことないなんて言わねーだろーな」
「いえ、そんなことは」
「じゃ、なんでおめーだけは見たことねーんだよ」
納得いかないと言いたげにドーラはファーを見つめた。
「わたしは……」
「わたしは?」
「一度も里を出たことがないのです」
「へ?」
ドーラは馬鹿みたいに口を開けた。
「わたしは里で一番若いのです」
ファーは恥ずかしそうに顔を赤くすると、心持ち下を向いた。それに合わせて声のトーンも落ちている。
「里のほとんどの者は百年近く生きているのですが、わたしはまだ生まれてから二十年ほどしか経っていません」
「なんだってえ!」
ドーラは思わず立ち上がる。彼のぬれた衣服からしずくがポタリと落ちた。
「俺と同い年かよおぉぉ~」
ドーラは再び頭を抱えた。
「勘弁してくれよおぉ~」
情けない声を出す。
「こんな実戦経験のないやつ…まるっきりの足手まといじゃんかあ……」
「そっそんなことありません!」
ファーは憤慨して思わず大声を上げた。
「わっ、わたしにだって───」
「戦いの間中、頭抱えてたの誰だよ」
「う……」
言葉に詰まって首を赤くするファー。
「それに前から変だと思ってたけどよ」
そんな彼を見つめるドーラの視線は、あくまでも厳しい。
「……」
ファーは、不安げにドーラを見つめた。その様子は飼われている子犬が、主人から何を言われるのだろうかとビクビクしている恰好にそっくりであった。
「いくら魔法士だからってさ、剣のひとつも携帯せずにいるなんて変じゃねーか」
「……」
「なんだよ」
恨めしそうに見つめるファーに、ドーラはにらんでみせた。
「なんかもんくあっか?」
「……剣は苦手です……」
「はあ?」
ドーラは、ぼそぼそと言うファーに呆れた顔を見せた。
「剣なんか使えません!」
彼にしては珍しく声を荒らげている。反射的にドーラは怒鳴っていた。
「じゃあなんで俺についてきたっ!」
「!」
とたんにファーは黙ってしまった。
「里にはお前よりもっと歳くってて、実戦経験も豊富な魔法士がいたんだろ」
ドーラは腹を立てている。今にも頭から湯気が上がってきそうだ。
「おめーが俺について来ることになったっていや、誰だっておめーが手練の魔法士だって思うだろーが、えっ?」
今やドーラはファーの前に仁王立ちしていた。それはまるで、違うとは言わせないぞとでも言いたげだ。
「なんてったって俺は、その御子さまの予言で訪れた大魔法剣士なんだからよ。とーぜん一級の魔法士がつくはずじゃんか」
ファーは力なく座り込んだまま、顔も上げようとしない。
「……すみません」
彼の口から弱々しい声が聞こえてきた。
「わたしはお救いしたかったのです」
「……」
ドーラは腰に当てていた両手をおろした。
「月の御子のことか?」
ドーラの口調は先程とは打って変わって優しかった。それほどファーの姿は、憎まれ口を叩く彼でさえも、思わずいたわってやりたくなるほどに痛々しかったからだ。
「いくら大切な御子だからってお前…」
「……」
ファーはじっとうつむいたままである。そんな彼を見てドーラは気がそがれたらしく、無理やり明るい声を出した。
「しっかしさあ、なんだよな。よっく長老も許したよな」
「はい?」
ドーラの言葉にようやくファーが顔を上げた。
「だってさ、大切な御子さまなんだろーが。だいたいよーおめーみたいなどしろーとなんざ、ふつーだったら心配で送りださねーぜ」
「決められていたのです───」
「え?」
切れ長の目をふせてファーは答える。
「あなたの魔法士はわたしにと、月の御子さまよりすでに決められていたのです」
月夜である。
川近くに火をおこしたドーラとファーは、焚き火の炎に照らされてふたりとも顔を赤くさせていた。
「説明してもらおーか?」
「はあ……」
さわさわと心地よい葉擦れの音が聞こえ、川面にはさざ波が立っている。さざ波は月の光に照らされて、まるで銀の魚たちが飛び跳ねているような幻想的な情景を見せていた。
ファーはドーラの視線を逃れるように川面に目を向けた。ドーラの目には暗闇の中、月光を受けてきらきらと輝く川面を見つめる困ったような表情の青年の顔が映った。
「ファー」
彼は静かに、だが有無を言わさぬぞとでもいいたげな口調で言った。
「説明といっても……」
おずおずとファーはドーラの方へ視線を向ける。
「わたしにもよくわからないのです」
「よくわからない、だとお」
ドーラの眉間に派手なしわが寄った。
「はっ、はいっ……」
びくびくと肩をちぢこませるファーは、半分泣きべそだった。
(これでも俺と同い年かよ……)
ドーラは何とも情けなさそうにファーの顔を見つめた。
「わからないわけないだろーが」
彼は気を取り直して問い詰める。
「俺の魔法士におめーを選んだのって、その月の御子───ティナっつったっけ───なんだろー?」
「そ、そうです」
「だったらなんで選ばれたんか理由を聞かんかったんかい、おめーはよ」
「めっ…めっそうもない!」
慌ててファーは叫んだ。切れ長の細い目を精一杯押し広げる。それでも、充分開ききっているとはいえない。
「理由などと……神の決められたことに理由など必要ありません」
ファーは両手を組んで神に祈る仕種をしてみせた。それを見てドーラは、面白くなさそうに口をへの字に曲げた。
「……ったく……」
ぶるぶると震えるだけでそれ以上ファーは何も喋ろうとしなかった。
それでもしばらくは、辛抱強くそんな彼をドーラは見つめていた。しかしもう我慢の限界がきたらしく、彼は言った。
「お前はどうなんだよ」
一語一句はっきりと喋る。
「え……?」
ファーの身体の震えがぴたりととまる。彼はゆっくりと顔を上げた。
ドーラは怖い顔をしてファーを見つめていた。慌てて自分の周りを見渡すファー。それはまるで、ドーラから身を守ろうとして、自分のはいれる穴を探している小心者のように見えた。
「お前、ほんっとーに選ばれたわけを知りたくねーのかよ」
ドーラの声は妙に静かである。だが、その静かさが心と裏腹であることはファーにも容易に感じ取れるものだった。
(ドーラさん……)
ドーラと行動をともにするようになって、まだたったの数日しか経っていない。それなのになぜか、昔から知っている友のように彼には感じられて仕方がなかった。そして彼にはドーラの人柄が理屈抜きで好ましく思えたのである。
乱暴かと思えば人情深い。他人をなぜか惹きつけて放さないドーラのその人柄はファーとはまったく正反対の性格だった。それぞれがそれぞれの性格を反映させた霊力を持つふたり。
ドーラは人を傷つけてしまう霊力であるところの魔法剣士───
そしてファーは人を癒すための霊力であるところの魔法士───
相反する霊力を持つふたりは、あたかも男が女を求めるように女が男を求めるように、お互いをそれとは気づかぬまでも、どこか心の底で求めているのかもしれぬ。そんな想いを振り払うかのように、ファーはかすかに頭を振った。
「選ばれたわけ……」
ファーは思い出してみた。
自分も本当は疑問に思っていたのではないのか。なぜ味噌っ滓の若輩者が選ばれることとなったのか?
あの時、長老から名誉の魔法士に自分が選ばれたと聞かされた時───
「なぜなのですか?」
分厚いカーテンが張りめぐらされた謁見の間でファーは長老の前にひざまずき、顔を上げて驚きの表情を見せた。
そこは薄暗く、カーテンのせいで外の明るい陽射しも届いてこない。
部屋の四隅には、すりガラスで出来た箱のようなものが置かれていた。それは、まわりに複雑な意匠が施されており、置物としても絶品の物のように見える。中にろうそくでも入れてあるのか、すりガラスにちらちらと灯が映っている。そして、それがこの部屋の唯一の明かりだった。
「わたしはこの里で一番の未熟者でございます。予言された大魔法剣士さまの魔法士にどうしてわたしなどが選ばれたのですか」
長老はその若々しい顔に難しそうな表情を浮かべていた。
長老の目がじっと見つめているのを感じるファー。その瞳の奥に、なぜか憐れみのような悔しさのような、複雑な色がさっと浮かんでは消えていく。その長老の口がゆっくりと開かれた。重々しく答える。
「月の御子がお決めになったことだ」
「えっ!」
思わず大声を上げるファー。
だが慌ててひれ伏す。彼の行動は本来ならば出すぎたことなのだ。
「も、申し訳ありません───」
長老は力なく頭を振った。
「お前の気持ちはよくわかる」
とたんに長老の声は、いつもの威厳さが感じられなくなった。ファーは再び顔を上げ、訝しそうな視線を長老に向ける。
「だが、御子のおっしゃることは絶対だ」
長老は何かを振り切ろうとして、力強く拳を握った。ファーを厳しい目で見据える。
「ファーよ。よもや不服ではあるまいな」
「それはっ……」
ファーは顔に精気を漲らせ、のっぺりとしていた顔をまるで別人のように輝かせた。
「光栄でございます!」
長老は重々しく頷いた。
そして、彼は厳しく光らせていた目を和ませると優しくファーを見やる。
「私はお前が幼い時から目にかけてきた。実の息子とも思っておる」
「長老さま……」
ファーはひざまずき、顔を上げたまま、長老の威厳に満ちた顔を見つめた。
「無事に戻ってまいれ。私は…私たち里の者は皆、お前が帰ってくるのを待っているぞ」
「はい!」
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