第1話「ドーラ登場」
「だあ──────っ!」
ひとりの青年が叫んでいた。
彼の目前に続く砂。どこまでも限りなく輝く黄金の熱砂だ。太陽はギラギラと照りつけて、彼の頭を、身体を容赦なく焼いていく。
砂漠─────生物が生きていくのに、これほど過酷な場所があるだろうか。
「水をくれぇ───!」
彼はまたもや叫んだ。
しかし、誰も答えるものはいない。ところが───アーモンド色した彼の瞳が何かを捉えた。
一重まぶたの大きな目だ。見つめられたらつい覗き込んでしまいそうになるほど、なんだか妙に魅力的な瞳である。今は何かを識別しようと、訝しげに細められていた。
そんな彼の視線の先───遠く地平線に、ゆらりと動く物がある。
砂漠に忽然と姿を現したオアシスだ。それは、見渡す限り木々などどこにも見当たらないこの世界に緑の炎を立ちのぼらせていた。生物たちを引きつけてやまない色だ。
とたんに彼の顔が喜びに輝いた。
「水だ! 水だ!」
走りだす。ともすれば、砂に足を取られそうになりながら、それでも急ぐ。ひたすら前だけを見つめて。彼の頭には、それが陽炎である危惧など微塵も浮かび上がってこないようだった。
そして彼の口から安堵の溜め息がもれた。
「助かったあぁぁぁ────」
それからずいぶんたって、彼はようやく砂漠のオアシスに辿り着いた。
神は彼を見捨てなかったらしい。このオアシスが幻でないのがその証拠だ。
今、彼の目の前には、なみなみと水をたたえる泉が広がっていた。
背中に背負っていた立派な大剣を彼は放り投げ、ぼろぼろになったマントを脱ぎ捨てる。
───バサッ
すると、その下からまたしてもマントが現れた。淡い紫色の素晴らしく上等そうな代物だ。彼は大切そうにそれを脱ぐと、そっと岸辺に置いた。
───ザブンッ!
そして水の中に飛び込んだ。
「ひゃあー!」
短く刈り込んだ髪に、すくった水をぶっかけ、手でこする。顔も洗う。
「生き返るぅ」
至福の声を上げる、さわやかなその顔。大人になったばかりの、まだ無邪気さを残したなかなかの好青年だ。名をドラディオン・ガロスという。
彼は魔法剣士だった。
魔法剣士とは自分の霊力で手にした剣を輝かせ、その輝く魔法剣で邪なる魔族たちを倒す者たちのことである。彼らはその身分の証に紫のマントをまとっている。
剣士と名のつく者は世界に数多く存在するが、剣士の中の剣士といわれる魔法剣士だけが紫のマントを身につけることを許されているのだ。
「はぁぁぁぁ……」
ドラディオン・ガロスは水につかり、安心しきって、しまりのない顔をしていた。そんな彼を陽射しは温かく照らしている。
───ガサガサッ
近くの茂みがかすかに揺れた。
「!」
彼は瞬間、行動を起こした。
一瞬のうちに水から上がり、大剣をかまえる。
鞘から抜かれた大剣は、すでに光り輝いていた。見事なまでの銀色で、吸い込まれそうなほどの美しさだ。
魔法剣は、霊力を宿すと様々な色の輝きを見せる。赤や黄色、緑や青と様々で、中でも金や銀は強力な霊力を持った者にしか出せない色合いであった。
彼は厳しい顔つきをして、音のした草むらにじっと視線を注いだ。ぽたりと、水のしずくが彼の顎から地面へ落ちていく。行き詰まるほどの緊張が、彼のまわりの空間を占めていた。と、彼が動いた。
───ダッ!
あっと言う間に、その草むらに辿り着く。そして、彼は大きく大剣を振りかざした。
───ザッ!
「お待ちください!」
突然、草むらから人が飛び出してきた。
「うわっ!」
驚いた彼は大声を上げ、大剣を振り上げたまま引っ繰り返ってしまった。そのままの恰好で、びっくり仰天の目をしている。そこには、顔を下に向けてひざまずいている人物がいた。
「だ、だれだ?」
「驚かせてしまって申し訳ありません」
その人物は顔を上げた。男だ。無表情で、のっぺりとした顔をしている。
「わたしどもの長老が、あなたにお会いしたいと申していますので……」
男は再び頭を下げた。
「ご同行願います」
「長老?」
彼は目をぱちくりさせた。
そんな彼の目の前に、その男はいつまでもひざまずいたままだった。まるで誰か高貴な人物を崇め、奉っているかのように───
オアシスの中央に村があった。とても砂漠の真ん中にいるとは思えないほどの緑あふれる場所である。見上げた空に輝く太陽も、心なしか柔らかな光を地上に投げかけているようだ。だからそう暑く感じられない。
「ようこそお越しくださいました」
四十代だろうか。中肉中背の、がっしりとした体格の男が口を開いた。
「私はこのオアシスの長老でダリュースと申します。もしよろしければ、貴方様のお名前をお聞かせください」
「俺は大魔法剣士ドラディオン・ガロスだ」
彼は胸を反らせた。初めて逢う人間に威張って見せて、みっともないとは思わないらしい。
「ドーラと呼んでくれていい」
「わかりました」
ダリュースは頷いた。
ドーラは長老をしげしげと眺めていた。彼のその視線に気がついたのか長老は言った。
「不思議ですかな。私があまりに若くて」
「あっいや。その……」
とたんにドーラはしどろもどろになった。ダリュースは笑った。
「───無理もありますまい。私どもはゆっくりと歳を取ってゆきます。貴方が見ているほど我々の年齢は若くはありません」
「えっ、てーと…もしかして…」
ダリュースは頷いた。
「左様、我々は回復魔法を扱う。そしてこのオアシスはこの世界でたった一か所しかない我々の故郷───」
長老は厳かな口調で続ける。
「ペンターシャンの里です」
「じゃ…ここが…」
ドーラの目が驚きのため大きく開かれた。
「あの伝説のオアシスなのか!」
ペンターシャンの里───魔法士と呼ばれる、回復魔法を扱う人間たちの里を人々はそう呼んでいた。
魔法剣士はアクアピークの「魔法の塔」で修業し、そして魔族と戦うために巣立っていく。世界には、そんな風にたくさんの魔法剣士が存在していた。彼らは普通の人々より霊力が強いのだ。
しかし、彼ら魔法剣士は魔法士のような回復系の魔法が扱えない。魔族と戦って傷ついても、軽傷ならいいが、悪くすると死んでしまうこともあるのだ。
だから、ここで魔法士の存在が必要になってくる。魔法剣士の傷を治し、かつ結界を張る能力のある魔法士の存在が。だが、問題なのはその魔法士が、世界にほんの僅かしか現存しないということだ。
「我等を、血眼になって得ようとしている魔法剣士の気持ちもわからないでもありません」
長老ダリュースは静かに言った。
「魔族を憎む気持ちは、私たちも彼らに負けずとも劣らないからです」
頷くドーラ。
「しかし、すべての魔法剣士とペアを組むだけの魔法士はいないのです」
長老の声は辛そうだった。
「だから、我等は身を隠すしかなかった」
「そりゃさ…俺にだってわかるけれど…」
ダリュースはドーラの精悍な顔をじっと見つめている。
「でも……」
ドーラの目が燃えた。正義の炎だ。
「身を隠すなんて、間違ってる!」
彼は拳を握りしめて力説した。
「どうしたら一番いいのか、あんた方と魔法の塔とで話し合うのも必要なことだって思わないか?」
長老はドーラの熱く燃える瞳を見つめた。
「逃げてばかりじゃだめなんだ。宝の持ち腐れだよ、こんなのって」
彼は悔しそうにくちびるをかむ。長老は、そんな彼にやさしく声をかけた。
「ドーラどの。あなたはたいへん正義に燃えたお方だ。私は大いに気に入りましたよ」
彼が満足そうに頷くのを、ドーラは訝しそうに見つめた。
「ペンターシャンの里は人を選びます。ここには特殊な結界が張られていて、この里に辿り着けた者だけが魔法士を得ることができるのです」
「え……?」
ポカンとした表情でドーラは口を開けた。
「ただ…今までここに辿り着けた方は一人もいません」
「え…でも、ペアを組んでいる剣士を何人か見たことあるぞ」
「確かに。普通は魔法士が剣士を選ぶのですよ。でも貴方は別です」
ドーラはますます訝しそうな顔をした。
「ペンターシャンの里は貴方を、特別な方をずっと待っていました」
長老は極上の微笑みを浮かべた。
「貴方の到着は予言されていました」
彼の声音が変わった。まるで神託を告げるかのように威厳に満ちている。
「我等の守り神によってです」
「守り神?」
「『月の御子』です」
「月の御子?」
ドーラは、何のことやらといった表情を見せた。彼のその顔を見て、長老はさらに何かを告げようと口を開きかけた。
「長老!」
突然、誰かが血相を変えて彼らのもとに飛び込んできたのだ。
「何事だ」
それを落ちついた声で迎えるダリュース。
「ティナさまがっ……」
「またか!」
たちまちのうちに顔色を変えて、彼は立ち上がった。厳しい顔をドーラに向ける。
「申し訳ありません。私は少し席をはずします」
「何か問題でも…?」
ドーラは彼のただならぬ表情にかすかな不安を感じた。長老はドーラの顔をじっと見つめると、溜め息をついた。
「いや。大したことではありません。いつものことですから……」
「?」
「とにかく、しばらくお待ちください。戻りましたら理由をお聞かせしますので」
彼はそう言うと、さっと身をひるがえして部屋を出ていった。あとには、きょとんとした顔をするドーラだけがひとり残されるのみだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます