第39話 ある少女のお話

 ……眠れない。


 金松さんによって用意された布団を敷いていざ寝ようと思えば、何故か眼が覚めているのか、全く寝れる気配がしない。

 こう思っているからこそ寝れないと言われるのかもしれないが、そう思う前も寝れないのだからどうしようもない。


 別に自分のベットや枕じゃないと寝れない様な乙女チックな心は持ち合わせては無いのだが、疲れすぎたら逆に寝れないというのは正しいのかもしれない。


 「……寝れん」


 もう絶対に寝れないと分かってしまえば、寝ころぶのも馬鹿らしくなってきた。かといって日帰りで帰ると思っていたので、本は持ち合わせていない。

 どうせ寝れないのだから、少し歩くか。


 別室で寝ている皆を起こさないように静かに玄関で持参しておいたサンダルに履き替えて、砂浜を歩く。


 昼間は騒がしく人で溢れかえっており、賑わいしか見当たらなかったのだが、今では夜を照らす小さな明かりがあり、月で周りは見えるぐらいの視界、静かな波の音しか耳に入らない。夜の海と言うのも悪くは無いのかもしれない。


 「……ん?」


 砂浜をただ何も考えずひたすらに歩いていると、見覚えがある少女――――向江美優が砂浜で体育座りして海を眺めていた。


 話しかけるかどうか迷ったが、ここで何も話しかけないで、注意しないことがバレれば金松さんに怒られるかと思い、相手に気付かれるように足音を少し大きくしながら驚かせないように声を掛ける。


 「こんな所で寝て海に流されても知らねえぞ」


 「……流されない」


 端的にこちらを見ずに向江は呟く。


 「ハア。もう十一時になるぞ?皆も寝てる。寝ないで良いのか?」


 「……子ども扱いしないで」


 俺が隣に座ると、顔を背けて声だけを発する。漢城とは反対に、感情が良く分からない人である。


 「十一時ってのは子供じゃなくても寝てんだよ。良い子は寝る時間だ」


 「私は良い子じゃないもん」


 「ほう。これは珍しいもんだ」


 小学三年生で自分が良い子ではないと言う人物は中々いないだろう。


 「どっかいかないの?」


 「お前絶対友達いないだろ。そんなことを言ったら俺じゃなかったら泣いてるぞ?」


 「美優は友達いないもん」


 おっと。冗談で言ったつもりが、重い言葉が返ってきた。

 

 「……それは悪い事を言った」


 「だから子ども扱いしないで。とっとと戻って」


 何とも辛辣なお方。まるで、清水の子供バージョンで本ではなくぬいぐるみを持っている形である。


 もう殆どそれ違う人間じゃねえか。

 思わず自分に馬鹿らしく思っていると、向江は俺が無視をしていると思ったのか、


 「私は一人で大丈夫だから戻って」


 「大体一人で大丈夫という奴は大丈夫じゃない。それに俺も戻りたいが、ここにお前がいて俺が知っておきながら何も言わなかったとなれば後々面倒になる。邪魔ならそこらへん歩いてるよ。だが、こんな暗い所で一人でいれば幽霊が出ても知らないからな?海の中から変な生き物が出ても俺は知らないからな?」


 「……やっぱり居ていい」


 流石に大人げないと思ってしまった自分がいた。

 向江は少し怯えた様子を浮かべながらこちらを向かずに俺を引き留める。


 「居て、誰か来たら身代わりになって」


 「素直な奴だなおい。言っておくが俺は何かあればお前を置いて一目散に逃げだすから覚悟しとけ」


 「酷い」


 「素直な人間だと言ってくれ」


 まあ、お許しが出たのでこいつが戻るまでは居ないと後々怒られる気もするのでもう一度隣に座る。


 「妹と話して楽しかったか?」


 ただ無言なのも悲しいのでありきたりな質問を出す。


 「妹?」


 「ほら、あれだ。おばさんともう一人いたろ?」


 今ここに萩先生がいたら、俺は海の藻屑になってしまっていたかもしれないが、居ないからセーフだ。


 「ああ。あの人は私を子ども扱いしないし、優しい人だった」


 まあ、妹が褒められれば悪い気はしない。うん、気持ちが良い。


 「そうだろうな。あいつは素直で優しい人間だ。――――だからこそそれが悪い時もある」


 思わず過去の事を振り返ってしまう辺り、俺は馬鹿なのかもしれない。


 「どうしたの?」


 俺が表情を崩していたのかもしれない。初めて向江はこちらを覗き込んで話しかけてくる。


 「いや、何でもない。それよりどうしてこんな所にいるんだ?まあ、最初に聞くべきだったのかもしれないが」


 「ここで海を眺めてると落ち着く。何にも考えないでいられるから」


 「苦労している様な口ぶりだな。さっきも自分は悪い子だとか言ってたが何かあったのか?」


 ただ純粋に気になった。少し話していただけだが、向江は悪い人間には見えない。なのにも関わらず本人は自分を悪い子だと自称している。それに少し気になった。 


 「……私は皆から無視されるし、友達だと思ってた子もどっか行っちゃった。私が悪い子だから」


 ギュッと熊の人形を握りしめながら呟く向江。先程から人とあまり話さないのも、顔を見ないのも、自分に自信が無い表れか、自分が駄目だと思っているかのどちらかなのかもしれない。


 「何か悪い事でもしたのか?」


 少し気になり質問してみると、向江は首を横にフルフルと振り否定する。


 「何もしてないと思う。だけど、皆は私と話さないから多分何かしたんだと思う」


 成る程。この子に身に覚えがないということはわざと誰かを傷付けた。その可能性は多分零に等しい。と言うより、向江がわざわざ誰かを傷付ける為に行動するようには思えない。ここまで人と話すのが苦手に思えるし。

 ならば、可能性として一番高いのは虐めだとしか思えない。

 そして、俺の憶測では向江は無自覚の内に誰かの反感を食らい、いじめに遭っている。それが正しいのだと思う。

 

 「親はこの事を知らないのか?」


 「話してない。ママやパパは忙しいから迷惑掛けたくない」


 まあ、そうだろうな。多分俺が苛めにあっていても親には話さないだろう。


 「なら、自分で解決するしかないな」


 「解決なんて出来るの?」


 「お前次第だろ。お前がどうにかしたいのであれば、何とか出来るかもしれない。だけど、お前がこのままでいいなら何も変わらん」


 「……私あんまり上手にお話出来る方じゃないから、多分どうしようもないと思う」


 「一人じゃなければ二人でやればいい。二人で無理なら三人でやればいい。どうして一人でやろうとするんだ?」


 「一人でやらないと子供扱いされる」

 

 今も子供だろうがと思わず言いたくなるが、流石に子供相手に言う言葉ではないだろう。


 「誰かに助けを求めることは子供なのか?」


 「子供じゃないの?」


 向江は自分で出来ないから助けを求めることを恥と思っているのかもしれない。子供だと思っているのかもしれない。だが、それは大きな間違いである。


 「誰かに助けを求めることは決して子供なんかじゃない。世の中の事は自分一人じゃ出来ないようになってるんだ。金松さんがやっている店だって誰かに助けを求めながら仕事が出来る。まあ、簡単に言うと助けを求めることは子供なんかじゃない。大人でもあるんだからな」


 子供に分かりやすいように言葉を紡ぐのは中々に難しいが、何とか通じたと思いたい。


 「おじさんなら何とか出来るの?」


 「お、おじさんって俺はそんな歳じゃねえ。せめてお兄さんだ」


 この子は本当に無自覚に人を傷つけるらしい。おじさん呼びは俺のガラスのハートに九十のダメージを与えた。もう、ヒビが入っている。


 「出来るの?」


 「出来るかもしれないが、手助けなんかしない」


 向江がこちらを見ながら期待の目を向けてきたが、俺が向江に対しそこまでしてやる義理は無い。ただ、純粋に気になって聞いただけで助けるなど一言も言っていない。

 俺は、小説に出てくるような善人なんかじゃない。何だかんだ言って手助けしてやるほど甘い人間でもない。何か理由が無い限り手助け何て絶対にするつもりはない。


 俺の言葉に向江は初めてこちらを向いていたのだが、直ぐに下を向いてしまう。


 「――――だが、俺は今部活に入っている」


 「部活?」


 聞き慣れない単語だったのか向江が再び聞き返す。


 「ああ。その部活はお前の悩みを聞いてくれる所だ。そこに話をするのであれば、助けてやることも出来る。今日来ていた人達にお前の事を話してみろ。そしたら必ず力になってくれるはずだ」


 あの部活にいる連中は馬鹿だ。馬鹿がつくほどのお人好しとも言える程にな。だからこそ、向江の事も絶対に助けてくれると断言できる。


 「あのお姉さんたち?」


 「ああ。あのお姉さんたちなら助けてくれるさ」


 「おじさんは?」


 「い、いやだからおじさんじゃねえ。俺はお兄さんだ」


 「お兄さんは助けてくれるの?」


 「まあ、お前が部活に頼み込むなら助けるかもな」


 確かに部活に頼みに来るのであれば、助けない訳にもいかないだろう。だが、それよりも前にこいつには聞いておかなければならないことがある。


 「……お前はどうしたいんだ?友達が欲しいのか?それとも一人でも良いから平穏な生活が欲しいのか?」


 助けると言っても今回のケースでは二つの存在がある。一つとしては友達が居て沢山の人とお話がしたい。もしくは一人でも良いから友達が欲しいという形。二つ目として、伊瀬のように平穏を求める形。

 彼女の形によってやり方は変わってくる。


 「私は友達が欲しい。皆と仲良く話したい」


 彼女の願いは前者だった。


 「友達ねえ。俺は必要ないと思うがな」


 正直に言って本さえあれば俺は友達などいらないと感じている。誰と話す訳でもない、仲良くしないでも本と言うストーリーがあれば他に何もいらないと中学の頃に感じた。――――今思えばあれは友達なのかも定かではないが、それは今は良いだろう。


 「友達要らないの?」

 

 「ああ。俺はいらない。一日中ずっといるのも面倒だし、俺は一人の時間が欲しい。だから要らない。はっきり言えばお前は友達を作らなくてもどうにでもなると俺は思う。小学校を我慢すれば、中学校で少し遠くの場所に行けばそこで友達が出来るかもしれない。それが無理なら高校で新しい友達が出来るかもしれない。それでも、お前は今友達が欲しいか?」


 少し意地悪な質問をしたのかもしれないと言った後に思ってしまった。流石に小学三年生に尋ねるような内容ではなかっただろう。何でもないと言おうとしたが、


 「――――私は友達が欲しい。やっぱり皆と話すのは楽しいから」


 向江は迷うことなく即答した。それほどまでに自分と話してくれる友達が欲しいのだろう。


 「……そうか。なら明日あいつらに話してみろ。話す時間ぐらいなら俺が作ってやれる。だから今日は戻るぞ」


 「……うん」


 こくりと頷いた向江は俺が立ち上がるのと同時に立ち上がり、二人で海の家まで戻る。


 体育祭前にこんな案件が舞い込んでくるとは思わなかったが、まあいいだろう。


 ――――理由があるのであれば…まあ、助けるしかないからな。

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