第38話 アルバイトって大変だな

 灼熱の様にテラつく光。水着であろうと耐え切れないほどの暑さ。海の家に集まる大量の人口と熱気。

 ここは地獄だ。

 

 「……本気で死ぬ」


 灼熱の暑さの中、海の家の外にあるベンチの数々に料理提供を行っている俺。現在はまだ朝の十一時にも関わらず人は波のように大量に押し寄せてくる。

 ちょっと今の例えは自分でも上手いと思ってしまった。


 「ちょっと吉条!テキパキ動きなさいよ!料理溜まってるわよ!」


 「分かってるよ」


 南澤、寺垣もまた水着の上に一枚Tシャツを羽織った形で接客をしている。

 泉は金松さんと一緒に料理を作り、懸命に勤しんでいる。

 はっきり言えば、海の家近辺であろうとこの蒸し暑さ、料理場は火を扱う為更にきついだろう。


 「おい!料理まだか!?」


 「ただいまおもちします」


 客のギャアギャアうるさい声を左から右に流しながら、料理をせっせと運んでいく。


 これならばまだ妹と萩先生の方に行った方が良かっただろう。

 あの二人は現在金松さんの甥っ子である向江と遊んでいる。妹は中学生なのでバイトが出来ないので仕方ないとは思うが、萩先生はこちらで働いてもらいたいと強く思う。


 「おい吉条。お前料理出来ないか?」


 料理を取り、お客に渡してから戻ってくると昨日までの酔っ払いとは違い真剣な表情で訪ねてくる金松さん。


 「そんなに出来ないですね。家でも妹が料理するんで」


 「だよな。あの二人もあんまり料理経験はないみたいですし、これは困ったな。注文が溢れてる」


 金松さんの背後を見れば、泉が真剣な表情で次々と料理を作っている光景が見受けられる。泉は多分凄い出来ている方だとは思う。だが、それでも人数はまだ足りていないのだろう。それほどまでに人が大勢来ている。ここまでくればもうお断りすればいいのではないかと思えるが、店側からすればそうはいかないのだろう。それぐらいはバイトをしたことが無い俺でも分かり切ったことである。


 しかしながら、このままでは今まであまりバイト経験がなさそうな泉ではパンクしそうな勢いでもある。


 「おやおや。さっき萩先生が言った通り本当に働いています!」


 ……在り得ないと心が訴えかけているが、聞き覚えのある声に背後を振り返れば、そこには――――新聞部部長である漢城伊里がピンク色のビキニを身に纏いこちらを指差していた。


 「……お前何で」


 信じられず自分でも驚いている表情をしていると思う。


 「こちらのセリフですよ!私は毎年この時期にはここに遊びに来てるんです!」


 「おい吉条!話すぐらいならさっさと料理持っていけ!」


 「へい!」


 下っ端間丸出しにしながら、料理を持って取り敢えず渡しに行く時、何故か隣に漢城が付いて来る。黙って付いて来る辺り邪魔をするような真似はしないようだ。


 客に料理を提供した後、戻る際に漢城と話しながら戻る。


 「それで、吉条君はどうしてここに?」


 「部活総出で萩先生の友人のこの店を手伝ってるんだよ」


 「吉条君がですか?」


 まるで、俺がする筈がないと言っているように聞こえる。


 「俺もだよ。仕方なくだがな」


 「ほほう。よく見れば澤ちゃんに寺ちゃんも働いてますね。吉条君も働くなんてなんか面白いです」


 アハハハと笑いながらおちょくってくる漢城をどうしてくれようかと考える。

 

 ……ん?


 「なあ、お前って何処か家庭的だよな。料理とか出来るのか?」


 「ほほう。既に結婚前提の話し合い。吉条君気が早いー!」


 やだやだと俺の背中を叩きながら話しかけてくる漢城。これが黒柿なら一発殴っている。


 「それで料理は?」


 「女子ですから勿論出来ます!私に出来ない料理は無いでしょう!」


 「ふむ。そして今ここにいるって事は誰かと来てるのか?」


 「はい。毎年ここには親と来てますので、今日はいますよ。何なら挨拶しときます?」


 「暑さで頭壊れたか?」


 「いつも正常ですよ」


 漢城とくだらないやり取りを交わしながら、取り敢えず店の方に戻り、更に聞きたいことを尋ねる。


 「親と来ているということは今結構暇なのか?」


 「まあ暇と言えば暇ですね。あ!もしかしてこれからデートに誘うつもりですか?吉条君中々やりますね」


 「暇なんだな。よし」


 「……あのスルーされるのが悲しいのは悲しいんですけど、なんか嫌な予感がするんで帰って良いですか?」


 「いや、付いて来い」


 「凄い嫌な予感がする!」


 漢城がコソコソと隠れて行こうとするのを止めながら漢城を引き連れ店に戻り、金松さんの元に向かう。


 「おい遅いぞ吉条!」


 「いや、これには深い訳があるんですが、取り敢えず料理が出来る人物が一人」


 俺が隣にいる感情を金松さんに見せる。


 「ほう彼女か?」


 「全然違います。ただの知り合いですから」


 「いやいや、彼女云々は正直どうでも良いですけど、料理が出来る人ってどういうことです?」


 「今からお前にはここで料理をして貰いたい」


 「アハハハ。吉条君の頭が暑さで壊れました」 


 何を馬鹿なと言わんばかりに笑い出す漢城。それはさっき俺が言ったからな?


 「今親は?」


 「ビーチで二人で寛いでます。大体年甲斐もなくイチャイチャとしてるので、私は毎回この時間は適当に遊んでるんですよ」


 「もっと助かる。それじゃあ、ピークの時間だけ手伝ってくれ」


 「いやいや!私はここに遊びに来てるんですけど!?」


 未だ十一時であり、更にこれから佳境になるとバイトをしたことが無い俺でも分かる。そうなれば、流石に二人では回すことが出来ないと判断し金松さんも弱音を吐いていたのだろう。


 「まあ、そうやって言うのは分かっていた。だからこそ漢城に一つ提案がある。お前に一つ俺が計画していることを教える。そして、それは新聞に書いていい」


 ネタを教え、更には新聞も書いていいと提案した所で漢城の目つきが変わる。


 「ほほう。それは特大のネタですかね?」


 「少しは周囲の目が新聞にいくのは間違いないネタだと断言できる」

 

 「……分かりました。ちょっと親の所に行ってくるので少々お待ちを」


 漢城は先程までの笑みを消し、真剣な表情で戻っていく。


 「これで料理が出来る人員が一人増えました」


 「流石妙の教え子だ。頼りになるね」


 「頼りになるのは今後のあいつだと思いますよ」


 去って行った漢城の方を向きながら、せっせと最早無心でどんどん料理を提供していくのだが、客の数が減ることは無い。

 料理を提供する係である俺と寺垣、南澤は確かにきついがまだ何とかやっていける。

 少し余裕もあれば、考えながら仕事をする余裕もある。だが、反対に料理場は喋ることさえしないで、真剣な表情で次々と料理を作っていく。


 「お待たせしましたー」


 そこに、満を持して漢城が登場。

 今だけは救世主としか思えない。


 「料理できる人が今来ましたよ」


 「本当に助かる!大体は普通の一般料理と同じだと思うが分からないことは私か泉に聞いてくれ」


 「了解です!」


 漢城が元気よく挨拶しながら料理場に入って行くのを見届け、俺も出来上がっている料理を運んでいく。


 ――――失敗した。


 漢城が来てからピーク時間である十二時になり人がこれでもかと言わんばかりに集まってくる。これは理解していた。だが、それ以上に漢城と言う存在が俺が知るよりも更に凄い事が今回の件で判明した。


 漢城は有言実行と言わんばかりに、素早く手慣れた手つきで次々と料理を片付けていく。

 それだけに関しては金松さんからすれば嬉しい誤算だろう。だが、こちらとしては失敗だった。


 出来上がる料理が速くなり、俺達の仕事スピードが速くなり、更に忙しくなった。これが失敗だ。余計忙しくなった。本当に嫌だ。


 「……やばい。熱中症で倒れる」


 最早思考回路が正常に動いているのかも理解出来ない中、ただ淡々と料理を運んでいく流れ作業。マジでやばい。


 「ほれ水」


 俺が生気に満ちた顔をしていなかったのだろう。料理を運びに戻った際に金松さんが冷たい水を提供してくれる。


 ああ、神はここにいた。


 金松さんからもらった冷たい水をゆっくりと味わって飲む。今までは水なんて味の無いただの水分補給をする為だけにある飲み物かと思っていた。だが、きつい仕事の時に飲む水がここまで美味だとは思わなかった。

 少し元気が出てきた。


「ありがとうございます」


「良いって事よ。もう少しでピークも過ぎるから頑張ってくれ」


「分かりました」


 今ならば頑張れるかもしれない。ピークもあと少しと言われれば少しはやる気が出てくる。

 そこからの店は死に物狂いで回し始める。

 寺垣や南澤もまた真剣に取り組み、俺に注意する暇もないほどに渡し続け、料理場に行けば、漢城、泉もまた一切喋ることなく真剣に料理を作り、チラリと目線を向けたときフライパンを上下に振り回す仕草は何処かカッコよかった。

 

 俺もまた自分に出来る程度に真剣に頑張る。


 「――――――本気で疲れた」


 ピーク時間をようやく過ぎて休憩時間を与えられた俺達は客が使っていた一角のベンチでへ垂れ込んでいた。


 「――――バイトってこんなにきついのね」


 南澤もまた疲弊しきっているようで、俺と同じくへ垂れ込みながら呟く。


 「私はそこまでじゃなかったですけどね。多少暑かったですけど楽しかったです」


 泉はこの程度はへっちゃらだったようでケロっとした表情で普通に座っており、漢城もまた普通に座っている。

 この子達は超人なのではなかろうか。明らかに俺達よりもきつい仕事をしていた筈なのだが、提供するホール側が根を上げているはどういう状況だろうか。


 更には、これまでずっと働き詰めで、俺達にも気を配りながらもまだ仕事をしている化け物である金松さん。慣れているのかもしれないが本当に凄いと思う。


 「お前達どうやら頑張ったみたいだな」


 俺達が疲弊しきっている中、向江を連れた萩先生と妹が姿を現す。


 「お兄ちゃんが働いたお母さんと同じ疲れた人の顔をしてる」


 「働いて疲れたんだよ!」


 素っ頓狂な事を言う妹に思わず背筋を伸ばしてツッコむが、直ぐに背筋を伸ばすのも面倒になり、またベンチにへ垂れ込む。


 「これで良かったんだよ。お前のお兄ちゃんは一歩大人になったんだ」


 「それならここに連れてきて良かったです」


 どうやら、今までの間に妹と萩先生は大分仲良くなったようで、普通に話している。

 ああ。どうして妹に悪影響を与えるような人間が増えていくのだろうか。


 「ハハ。漢城も働いたのか?」


 俺達へと目線を向けていた萩先生が笑いながら一緒に座っている漢城へと視線を向ける。


 「そうです。吉条君に唆されて」


 「言い方考えろ。普通に取り引きしたと言え」


 俺の真正面でチラチラと見ながら嘘泣きをする漢城に対し思わずまたしてもツッコんでしまう。


 「その通りですけど、本当に私がここまで頑張って働く程の情報なんですか?」


 「教える前にお前はここに何時までいるつもりだ?」


 「ええ!?もしかして明日の予定を聞くって事は……吉条君は大胆です!」


 「もうツッコム気すら失せてるんで、答えてもらっていい?」


 いつもならここでくだらない返しをするのかもしれないが、今日の俺は本気で疲れている。言い返す気力もあまり残ってない。


 「つまんないですねー。明日までいるつもりですよ」


 「なら、明日もここで働いてくれ」


 「絶対に言うと思いましたし、別に暇なので良いんですけど、その分の見返りに遭うのかが凄く気になるんですが」


 確かに俺はまだ漢城に対し、何一つ教えてはいない。それに、明日も付き合ってくれるというのならば、教えない訳にはいかないだろう。


 「ちょっと、付いて来い」


 「はーい」


 重い腰を上げながら、漢城と一緒にビーチの方へ向かう。


 「なんか、夕方のビーチに二人で歩くってロマンチックじゃないです?」


 「全然。今から話すのに全くロマンチックなことなんていらない」


 俺の言葉が気に食わなかったのか、わざとらしく頬を膨らませ、


 「ぶー。つまんないですね吉条君は。まあ、そこで分かってやってるような人間ではないからこそ面白みがありそうなんですけど」


 「俺に面白みは無い。それよりも俺は疲れてるから手っ取り早く話を進める」


 「ほほう!本題に突入。それではお聞かせ願いましょう」


 隣を歩いていた漢城が少し早く歩き、俺と対面しながらまた手に拳を作り、マイクのように俺の口元に手を持ってくる。


 「ハア。それじゃあ話すが他言無用だからな?」


 「分かってますから!焦らすのが本当に好きな人ですね!」


 「――――――を新聞に書いていい。と言うよりは書いてくれ」


 俺が漢城に取引材料を教えると、漢城は歩いていた足を止め、目をパチクリとさせながらこちらを見つめていた。


 「……それを書くのはまだ吉条君的にも多分大丈夫なのだと思います。だけど今の状況でそれを書いてもあまり気にも留められないのでは?」


 「ああ。だからこそこれから色々と準備をするつもりだ」


 「やはり、何か計算があるんですか?」


 「ああ。今が丁度いい機会だ」


 夏休みに入ってから頭は使うことはあまりなかったが、色々と思うがままに策を見つけることは出来た。


 「それは何ですか?」


 「――――それは秘密だ」


 「ええ!ここまで言っておいてそれはないですよ!」


 「……なら一つだけ言っておく。――――体育祭楽しみにしとけ」


 体育祭でやるべきことは既に決まっている。そして、体育祭後の為にも一応予防線を張っておかなければならない。その為にもこの夏休みは準備期間とも言える。

 そして、今後の為に体育祭とは大きな鍵となる筈だ。


 しかし、これは全てが俺の思い通りにいく前提の話になっている。一つで間違えればその後も全てが破綻する。

 そして、この夏休み期間に小野美佐子が何かをしないとは言い切れない。俺が準備をする前に何かが起きるかもしれない。だが、その時はその時で対処をするしかない。


 赤い夕暮れが海の底に沈んでいき、少し肌寒さを感じながら海の家へと戻る。


 小野は凄い。完璧な人間だ。誰からも人気で女子の憧れの存在だろう。だが、小野がどれだけ凄かろうと、完璧な人間で誰からも人気な女の子だからと言って勝利を譲るほど俺は甘い人間ではない。


 ――――俺に宣戦布告した事を後悔させてやる。

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