4.背中合わせの充実と虚無

 人間が24時間356日ずっと生産活動をし続けることは不可能だ。

 

 いくら仕事が好きでも全く眠らないというのは有り得ないし、いくら寝るのが好きでも、3日間ずっと目を覚まさないということはない。

 

 同様に、全く虚無を味わわない人生もまた、有り得ないのではないかと思う。

 24時間365日を完全に充実して過ごすことは、難儀だ。充実した睡眠、食事、運動をしていても、その合間に虚しさや哀しさを覚える瞬間があるはずだ。

 

 もし虚無を感じないとしたら、虚無を認識していないか、敢えて目をそらしているに過ぎない。虚無のない人生は有り得ない。

 働いていても、虚しさが影のように付きまとうことがある。

 劇的なものに満たされた映画が楽しいのは、虚しさの影を知っているからだ。

 人間は劇を楽しむ傍らで、哀しみや虚しさを認知する。


 確かに、充実は幸福のひとつであり、虚無は不幸のひとつだ。

 人生を幸福で満たそうと思えば、虚しさは敵だ。

 しかし、肉ばかりの食事が健康を損なうように、虚しさの無い人生は、本当の充実を与えてはくれない。


 現代を生きる上で、虚しさを拒絶することは不可能だ。

 それでも、雲のように広がる虚しさの中から、ダイヤモンドの一粒のような幸せを掴もうとするのだ。

 虚しさを掴まされる覚悟なくして、きっと幸せにはなれないのだ。


 虚無と付き合うことは苦しいけれど、幸せになれない訳ではない。


 生きるとは、やっぱりしんどいのだ。

 だから、楽しいことがあると、本当にうれしいのだ。

 でも、ちょっぴり寂しくなるときもある。

 寂しさばっかりの中に、ちょっとした愛おしさがある。


 誰かが言っていた。

 一番の幸せとは、生きていることそのものが幸せだと感じ続けることだ、と。

  

 喜劇と悲劇は背中合わせで、虚無と充実も、背中合わせだ。

 ダイスの1と6なのだ。振り続けることが大事なのだ。


 生きるのだ。


 ……そういえば『MIGHTY MIND』の終盤でも、生きることだけが善だと書いたなァ。 

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