トモダチの約束
チャイムが鳴って授業が終わった。
先生の退室も待たずに教室を駈け出していく男子の足音で休み時間がやってくる。表面だけ固まっていた空気が緩んで、あちらこちらで声や物音のボリュームが上がった。
わからない部分を先生に質問する生徒。
昼にはまだ早いのに弁当を広げる男子。
何人かで集まってお喋りを始める女子。
お菓子の袋を片手に集まっているのはクラスの中でも華やかな女子の一団。
「あー、これCMでやっとるやつやんね」
「そうそう。昨日の帰りにコンビニで見つけたんやって」
「え、何味?」
「ええと、ミックスベリー?」
「ああ、これもこれも」
「ありがとー」
手から手へと小さな飴が渡っていく間にも、お喋りは淀みなく続き笑顔は絶えない。
あの飴玉は、きっと甘い。
そんなことを思いつつ、私は引き出しに収まらない教科書を通学鞄に押し込む。
分厚い資料集や図説は荷物になるからと、引き出しの中に置いたままにしていても何故か鞄に余裕はあまりない。そんなに荷物を詰め込んでいるつもりはないのに。
女の子というやつは、どうにも荷物が多くなって困る。
ペンケースでさえ何色ものボールペンで膨れ上がるのだから、通学鞄がきれいに収まるはずもない。大した物は入っていない化粧ポーチも、他の荷物に引っかかるばかりの携帯ストラップも、場所をとるだけとわかっていながら、それが無いと落ち着かない。
「田村ちゃん、これあげる」
横からの声に振り向くと、目の前に差し出されたのは飴玉が一つ。透明なフィルムに包まれた、小さな飴。
「あ、じゃあ私も」
鞄から手持ちの飴を取り出すと、ふふ、と笑ってクラスメートはそれを受け取る。二言三言、特に意味のない言葉を交わして彼女は去っていった。
女子高生の休み時間には小さな約束が教室内を行き交う。
大事なそれにひびが入らないように、草やカビが生えないように毎日繰り返し確認する。
(あなたは私の友達だから、その約束にこれをあげましょう)
(はい。あなたは友達だから、私もあなたにこれをあげましょう)
あの子とその子が交換して成立するトモダチの約束。
それぞれが持ってくるものはチョコレートの時もあればキャラメルの時もある。でも、トモダチの約束には飴玉が一番よく似合う。
たった今もらった飴玉をフィルム越しに見つめてみる。
光を受けてきらきらと輝く様は、きっと宝石にだって負けない。包みを開けば憧れと親しみの混ざった甘い匂いがして、口に含めば頬が痛くなるような柔らかい友情の味がするのだ。
さっきのクラスメートの行き先に目を向けると、彼女はまた別の女子に飴玉を差し出していた。
「木下ちゃんも、これ」
受け取っているのは私の一番の友達、きのちゃん。
まじまじと飴玉を見つめてから彼女は顔を上げてお礼を言う。
「ありがとう」
そして、貰った飴玉をさっそく口に放り込んで感想を返す。
「甘いね」
そう、トモダチの約束はすごく甘い。
次の授業は眠くなりそう、とか、宿題終わってない、とかいったことを話して飴玉を配り歩いていたクラスメートはきのちゃんの席から離れていく。
一人に戻ったきのちゃんを私はそのまま観察する。
しばらくもごもごと口を動かしていたかと思うと、徐に彼女は静かに口の中の飴玉を噛み砕いてしまった。聞こえないはずの音まで聞こえた気がする。仕上げとばかりにペットボトルの緑茶を流し込んで、後味も残さない。
飴玉を渡したクラスメートは友達とのお喋りに夢中で、教室内にいる他の生徒も誰も気付いていない。
私だけが見ていた、きのちゃんの凶行。約束を噛み砕くという乱暴。
砕かれた飴玉の仇を取るべく、私は自分の約束を手に席を立った。
○●
女子高生というのは不思議な生き物だと思う。
休み時間になる度にお菓子を取り出すくせに、弁当は黒板消しみたいに小さい。教科書や資料集は学校に置きっぱなしにしているくせに、やたらと荷物が多い。
彼女達の通学鞄にはお菓子だとか夢だとか、そういったふわふわしたものが詰まっているんじゃないだろうか。そして休み時間になると、お菓子と共にそのふわふわしたものが鞄からこぼれ出て、周囲に散らばっていくのだ。
その一部は私のところにもやってくる。
「木下ちゃんも、これ」
ふわふわした何かは傷みやすくて無視できないし、とてもきれいだから手を伸ばさずにはいられない。お返しになるようなものは私の鞄に入っていないのに。
「ありがとう」
貰うだけで何も返さないのは心苦しいから、せめて感想くらいは、と貰ったばかりの飴玉を口に放り込む。フルーツの優しい甘味が口にそっと広がった。
「甘いね」
特に意味のない会話を交わして、クラスメートは自分の席に戻っていく。
貰った飴玉を口の中で転がす。
正直なところ、飴は苦手だ。砂糖の塊をずっと口の中に入れているというのが耐えられない。砂糖は細菌に分解されて奥歯を溶かす。虫食いで脆くなった奥歯では、何かあった時にくいしばることができない。
飴玉を奥歯の間に挟み込んで少しずつ力を込めていく。小粒のそれは簡単に砕けてしまう。
ぼり、と音がして障害物が無くなり上下の歯が噛み合わさった。小さなかけらになった飴も更に噛み砕いていくと粉になる前に溶けて消える。最後に残った甘い後味はペットボトルの緑茶で押し流し、そこで一息ついた。
ペットボトルを鞄にしまっていたら、私の一番の友達がふわふわした足取りでやってくる。
「おはよう、たむさん」
「おはよう、きのちゃん」
席の正面に立って、たむさんはにこにこ笑って言った。
「はい、あげる」
差し出されたのは黒いフィルムに包まれた大粒の飴玉、黒飴。
これまた随分と甘いものを、と思いながらも受け取る。
「ありがとう」
いやいや、と答えながら彼女は、どこからともなく自分の分も取り出して食べ始めた。残ったフィルムを玩びながら、こちらの様子を窺ってくる目。
何かを企んでいるようにも見えるその目が言う。
食べないの?
仕方なくこの休み時間で二つ目の飴玉を口に入れた。
私が飴玉を苦手としていることを知っているはずの友人は満足そうに目を細める。ちょっとした嫌がらせというやつだろうか。こってりとした黒糖の甘味。噛み砕くには大きすぎる飴玉。
しばらく口の中で転がしてみて、砕くのを諦めた。もう少し小さくならないと難しい。
「きのちゃんは、飴玉すぐに砕いちゃうよね」
甘いの嫌いだっけ、と片側の頬を飴で膨らませて、たむさんは首を傾げる。
私も片頬を膨らませて答える。
「嫌いじゃないよ」
私だって甘いものは好きだ。一口食べれば、ほろりと気が緩んで落ち着く。幸せな気分になる。
ただ、いつまでも残る甘味にうつつを抜かしている間に、何かが少しずつ脆くなっていくのが嫌だ。
脆く弱ったものだけ残して、いつの間にか飴はあとかたも無く消えてしまう。だから弱る前にいつも噛み砕くのだ。
それなのに、この黒飴はまだまだ大きくて噛み砕けない。
「ふうん。じゃあ、また飴玉持ってくるね」
しつこい甘味が広がり続ける。
楽しそうに、たむさんは笑う。
「きのちゃんと私の約束にしよう」
その約束は、きっととても甘い。
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