トンネル遊び
トンネル遊び
工事業者が巨大な機械や爆薬を用いて一日に少しずつ少しずつ掘り進め、長い月日をかけて成し遂げるトンネル工事。
しかし、子供たちの手にかかれば、それもただの砂遊びに過ぎない。砂山をこしらえる少女を見ながら、公園の片隅で一人そんなことを思った。
少女も私も一人だった。彼女は砂場に座り込み、私は砂場の脇のベンチに腰かけていた。
小学校低学年と思われる少女の小さな手が砂を掻き寄せる。すくっては小さな山の上に落として、それをほんの少しずつ高くしていく。
夕方の淡くオレンジがかったこの公園には、私も幼い頃よく遊びにきた。祖母に手を引かれ、もう一方の手にはプラスチック製のスコップを収めた小さなバケツを提げて。たまに誰かが忘れていったビー玉を見つけては、宝物として大事に持って帰った。それくらい幼い頃のことだった。
何を思って今更ここに来たのかは自分でもわからないが、気がついたら、この古びた木製のベンチに座っていた。足元にはベンチから剥げたペンキのなれの果て、パステルカラーのピンク色をした粉が乾燥した黄土色の地面の上に散っていた。
粗目のコンクリートが縁取る砂場の中で、少女は一心に山を作る。子供というのは砂場で山を作れば大抵トンネルにしてしまうから、きっと彼女もそうするのだろう。
辺りに満ちているオレンジ色は少しずつ濃さを増している。少女の作る山も少しずつ高くなり、そろそろ横穴を掘っても山自体が崩れることのない大きさに達していた。しかし、少女はまだ砂を掻き集め続けている。俯いて作業に没頭する彼女の顔は見えない。ただ何となく、この少女の姿に記憶の片隅を引っ掻かれたような気がした。
私は顔をしかめて立ち上がる。ベンチを地に留める金具が緩んでいるのか小さく鳴いた。砂場に足を踏み入れ、少女の正面にしゃがむ。彼女は顔を上げず作業を続ける。
「それ、トンネルにするの?」
私が尋ねると、彼女は手を止めることなく顔も上げずに小さく頷いた。
「まだ大きくするの?」
砂山はしゃがんだ私の膝小僧の高さにまでなり、トンネルを作るのには十分な大きさだった。それでも少女は手を止めない。私は更に言う。
「もういいんじゃないの」
返事は無いが、むきになったように砂を掻く手が速くなった。
頑固者め、と呆れて私は小さく溜息をつく。
「だって、トンネルにするんでしょう。そんなに大きくしても、横穴掘るのが大変になるだけじゃない」
少女は答えない。半ば自棄になっているのか、山に砂を落とすのも投げつけるような動作になっている。
もう一度溜息をついて、私は公園の中央に鎮座している遊具に目をやる。
ポップな色合いでプラスチック製品のように見える滑り台。明るく軽い色は薄く夕日のフィルターを通してもなお、周囲のくたびれた景観の中でひどく浮いていた。
かつてこの公園には木製のアスレチックがあった。
あまり高さも大きさもなかったが、丸太の階段を登り切った先は櫓のようになっていて、そこから滑り台で地上に降りるのが基本のコースだった。他にも太いロープでできたネットをよじ登って櫓に出ることだってできたし、滑り台の降り口の横にあるポールから登ってくることも、逆に伝い降りることもできた。
幼い頃に何度も遊んだその遊具は、傷みやすいからといつの間にか撤去されていた。それだけでなく、あんなに子供たちに人気のあった球形の回転遊具も度重なる事故によって、危険だからと撤去された。過去の公園にあったもので今も残っているのは、少女と私が座り込んでいる砂場と、鉄棒、ブランコ、滑り台といったありきたりな遊具ばかりだ。
思えば幼い頃に比べて多くのものが変わって、失われた。
時を経るごとに子供のために良くないと言われるものが増えていき、増えた分だけ消されていった。
つまらない、と思う。良いものであるように、と気にし過ぎたばかりに面白味が失われていった。
目の前で一心不乱に砂山を築く少女だって、そんな作業はつまらないと思っているはずなのだ。何せここにはスコップもバケツもない。楽しい遊具はどこかへ行ってしまった。そのせいで彼女は小さな手を必死に動かして砂山を築かなければならない。
少女が手を止めた。気がつくと砂山は立て膝になった彼女の胸の高さにまでなっていた。トンネルを掘るには小さな手にあまりある大きさ。途方に暮れてその砂山を見下ろす少女。立て膝から、へたり、と座り込む。彼女の目にみるみる涙が溢れてくるのを、私は他人事として見ていた。
「だから言ったのに」
私がそう言うと、少女は声もあげずにぼろぼろと涙だけこぼして泣き始めた。それでも砂山の側面を手で掻いて横穴を開けようとする。泣いて歪んではいるけれど、その顔には見覚えがあった。幼い頃の私だ。人と関わっていくことが好きだった頃の。
本当にずいぶんと変わってしまった。私自身も。
いつの間にか素直さも活発さも、私の中からどこかへ行ってしまった。そのせいで今の私は、人間関係を築くのになけなしの勇気を振り絞ることしかできない。一番大切なのは勇気を振り絞って自分から相手に示す何かなのに、それをいつの間にか失くしてしまっていた。
私の目の前には、行く先々で出会った人と交わした、砂つぶ程度の当たり障りのない会話の山。どこに本心があるのか、自分でさえもよくわかっていない言葉の山。それらが積み重なるにつれて本心はその中に埋もれていって、もう掘り返すのも億劫になってしまった。
それなのに、幼い私は片手でこぼれる涙をぬぐいながら、もう片方で山に横穴を掘り続ける。
「諦めなよ」
小さな私の手ではあちらとこちらをつなぐことはできない。人との関わりを求める自分と、その複雑さに疲れて人と関わっていくことを諦めようとする自分。この二つの気持ちをつなぐ本心が見つかっていないのだ。トンネルはつながらない。
小さな手が砂山を掻くのを止めた。
やっと諦めたのかと思ったら、彼女は顔を上げて泣きはらした目で私をじっと見上げる。
何、と訊いても小さな私は何も言わない。
「どうしたの」
目元をもう一度ぬぐった後はそれ以上の涙をこぼすこともなく、眉間にしわを寄せた強い目で私を見てくる。何かを訴える目。しかし私には彼女が何を言いたいのかわからない。昔の自分が何を考えていたのかなんて、もう思い出したくなかった。
小さな私が、小さな握りこぶしを私の方に差し出す。砂の中から掘り出したのか、何か持っているらしい。彼女は私の手を引き寄せると掌の上にそっと何かを落とした。なめらかな表面の小さな球体。握りこまれているうちに手の温度が移ったのか、ほんのりと温かい。
見ると透明なビー玉だった。誰かの忘れもの。
「ちょっと、これ」
顔を上げた時には、小さな私は再び砂山に向き合っていた。
人と交わす会話の中に何かを期待していた。幼い頃は、些細な言葉の山の中にそれがあると信じて疑わなかった。言葉を積み重ねすぎて見失ったその心は、それでもずっとここにあったのだろうか。
ビー玉越しに公園を見る。歪んで見える景色の中には、木製アスレチックや回転遊具が映り込んでいる。今は無いけれど、かつては確かにあったもの。
砂の山に埋もれていた宝物は掘り出されて戻ってきた。そして、いつかの温もりをこの手に伝えてくる。
相変わらず黙々と横穴を掘り続ける小さな手。
私は彼女が掘るのとは反対側に回った。恐る恐る斜面を手で掻いてみる。
「何これ」
砂山は予想を超えてとても固かった。砂を掻く度に細かな砂粒が爪の間に挟まって指先が痛い。幼い子供たちが楽しげに簡単に遊ぶトンネル作りが、今の私には大変な作業だった。
それでも向こうとこちらの両方から掘ればいつかはつながる、向こう側の私はそう信じているらしい。私もそれを信じてみたいと思った。ほの温かいビー玉を、もう失くさないようにと片手にしっかり握りしめる。
いつか向こう側の私と手をつなぐ時を思いながら、私は固い砂山にトンネルを掘った。
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