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「え、なに? さっきの紙に電話番号が書いてあったの?」

「はい。どういうわけか謎解きになってましたけど……きっとそうです」


 虫食い状態の「必読書リスト」から浮かび上がった、電話番号と思しき数字。理子りこがスマートフォンで「市外局番表」を調べると、函館はこだての番号であることがわかった。


「理子さん、これ、川端かわばた俊哉としやさんの電話番号なんですかね」

「本のリストは、もともと手帳の『連絡先一覧』だった紙に書かれていた……そこから名前と電話番号が出てきたわけだから、一致してるよね。この連絡先を伝えるために、本の謎解きがつくられたってことなのかな」


 理子と友香ともかが、紙に薄く印刷されている「NAME」「PHONE」の細い文字をあらためて目でなぞる。


「財布の持ち主につながるヒントなんでしょうか? どうします、これ?」


 通路に立つ小山内おさないの顔色をチラチラとうかがっているようでいて、目を輝かせている友香の表情には、濃い極太ごくぶとの文字で「試してみたい」と書いてあるようだ。


「いいよ、店の電話使っても。乗りかかった船だ。かけてみたら?」

「本当ですか? ありがとうございます! 理子さん、早速かけてみてください」

「え、また私?」

「……実は、電話で話すの得意じゃないんです……すみません、甘えちゃって……」


 友香が申し訳なさそうにペコリと頭を下げる。対照的に理子は、やれやれといった風に肩を少し持ち上げた。


(……知らないひとにいきなり電話するなんて私も緊張するけど……まあ、相手の名前は知ってるわけだし……)


「わかった、やってみる。マスターすみません、電話お借りします」

「うん、こっちおいで」


 理子が席を立って、小山内の背中を追いながらレジのほうに向かう。白いレースのクロスがかけられた台の上に、ファックスと一体型のグレーの電話機が置かれていた。小山内から受話器を受け取ると、無意識に深呼吸する。


「……じゃあ、川端さんに電話してみます。もしつながったら……なにを話したらいいんでしょう。とりあえず、お店の忘れ物の財布からこの電話番号が出てきました、って言えばいいのかな」


 気になってそばまで来ていた友香と大道寺だいどうじに、受話器を握った理子が尋ねる。二人も黙ってうなずく。


「では、かけてみますね……丸井さん……よーろしく、と」


「必読書リスト」から出てきた言葉を反芻はんすうしながら、間違えないようにボタンをひとつずつ押していく。少しの沈黙のあと、左耳に押し当てた受話器から、トゥルルルル、と小気味よい呼び出し音が聞こえてきた。


「つながりましたよ……出るかなあ、川端さん。あー、緊張してきた」


 四度目の呼び出し音がトゥルルで止まって、『もしもし』という若い男性の声が飛びこんできた。理子の心臓がばくっと大きく鼓動する。


丸井まるい青果店せいかてんです』

「……え……ま、まるい……?」


「川端です」と言われるものと決めつけていた理子は、予想外の流れに言葉を継げなくなってしまった。


『はい? 丸井青果店ですが』

「あれ? えっと、あの……」

『……イタズラなら切りますよ。ったく、最近なかったのに……もしもし?』


 受話器越しの声がはっきりといら立ちを帯び始める。慌てて理子が付け足した。


「あ、あの、すみません。川端かわばた俊哉としやさんのお宅かと思いまして……」

『……いま、なんて? 川端?』


 男の声色がふたたび変化した。今度は疑念、あるいは不審だろうか。理子が手短に経緯を説明する。聞き終えた男は深いため息をついて、絞り出すように言った。


『……川端……俊哉は亡くなりましたよ。四年、いやもう五年前です』

「え……」

『そんなイタズラをする人間は一人しかいません。そちらの連絡先を教えてもらえますか? かならず取りに行かせますので』


 言葉の中身とは裏腹に、男の声から怒りは感じられない。呆れているように聞こえるものの、穏やかな口調には不思議なぬくもりがこもっていた。理子は受話器を耳にあてたまま振り向いて、レジに置いてある「クレール」の名詞型のカードを取ると、住所と電話番号を伝えた。


 受話器を置いた理子が、様子を見守っていた大道寺たちを見回す。全員が狐につままれたような顔をしている。


「……財布、取りに来るみたいです」


   *


 翌日のお昼休み。理子が哲学専攻の共同研究室でお昼を食べていると、研究室の電話が鳴った。電話に出た助教の丸山まるやまさとしが、受話器を手で押さえながら理子を呼ぶ。


東雲しののめさん、電話。『クレール』のマスターだって」

「え? マスターが私に電話ですか?」


 食べかけの「サタド」のドーナツを紙ナプキンの上に置いて、理子が丸山のデスクに向かった。軽く呼吸を整えて、受話器を受け取る。


『もしもし? 小山内だけど。ごめんね、突然。電話番号知らないから。大学のほうなら連絡つくかと思って、調べてかけちゃったよ』

「いえ、大丈夫です。どうしたんですか、急に」

『忘れ物の財布の件。さっき電話があってさ、取りに来るって』

「ほんとですか! よかったです」

『……それがさ、なんかおかしなこと言っててね』

「おかしなこと?」

『うん。、とか、、とか……いまひとつ要領を得ないんだけど、とりあえず取りには来るらしいんだ』

「?」

『でね、もし可能なら、見つけてくれたひとにお礼を言いたいんだって。変だよな、別にお金が入ってたわけでもないのに。そりゃあ、落とし物は落とし物だけど』

「そうなんですか……わかりました。じゃあ、ともちゃんと……そうだ、大道寺先生にも聞いてみますね」

『ごめんね、わざわざ。コーヒー、サービスするから。二人にもよろしく言っといて』


 同じ週の木曜日。四限の授業後に友香と待ち合わせた理子は、六時に「クレール」に向かった。大道寺とは店で直接合流することになっている。


 ドアを開けて、いつものようにカランカランと鈴の音を響かせる。前の週と比べると店内はいていて、ちらほらと客がいるだけだ。そのなかに、見覚えのある長い黒髪の女性が背筋を伸ばして座っている。視線を感じたのか、顔を上げて理子たちの姿を見ると、優しく微笑んで軽く会釈をした。


(続く)

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