第5話
ハドソン川のほど近く、対岸との交通を繋ぐ船着場。かの有名な水の畔は、いつもであれば悠然とそこにあり穏やかな水面で人々をもてなしていたが、こと今日に限っては違った。水面に火の光を映し、まるで地獄の入り口の様に恐ろしく人々を飲み込もうとしていた。ホイットニー美術館で上がった大規模な炎はそれ程までに苛烈を極めたのである。船着場で美術館を遠めに見ながら、男は恍惚として大声で叫び続けていた。
「ふ、ふふっふ!いいぞ!ジョン!もっとだ」
「もっと恐怖を。悲しみを。絶望を」
絶叫しながら大きく手を広げて笑う大柄の男。美術館から噴き出す火の手を誇らしげに見つめながら、まるで指揮者のように大仰に尊大に、嬉しそうにその場でくるくると回っていた。
「愛しいひと。いまから会いに行くよ」
******
ホテルの一室で美女と共にゆったりと紅茶を飲みながら、志麻は何か話そうと目線を彷徨わせては彼女へと目を止め、口を開いては閉じるのを繰り返していた。
「えっと」
意を決して口に出した音はあまりに小さく、取るに足らない雑音として響く。まるで自分の存在そのものだと恥ずかしくなった。
「質問があるのなら、今だけ受け付けるわ」
紅茶を飲む手を止めて、美女、アビゲイル・アドラーはうっふりと笑う。
「エイブが来るまでに終わらせましょうか」
意味深に見つめられ、志麻はたじろぐ事しか出来ない。返事を待つ事もなく話し続けるアドラーに言い知れぬ恐怖を覚えながら、ただ彼女の言葉を聞くことに集中した。
「まず、なぜ護衛かというと。貴女は自覚がないのでしょうけれど」
「テロ教唆の疑いが、貴女にかけられているからよ」
美女が発した言葉があまりに強烈で、志麻は息を呑んだ。こんなにも空気は吸い辛いものだったろうか。
「あるインターネットサイトにおいて、貴女が発言した内容を覚えているかしら」
必死に普段は働くこともない脳みそを回転させる。こわい。こわい。こわい。
「黙秘かしら?……いいわ」
「貴女は、とあるサイトである人物とチャットをした」
「その人物と親しくなったのよね?愛を囁き合うほどに」
ごくん、と自分の喉から音がする。先程汗を流したばかりだというのに額から噴き出る雫は何だろうか。
「彼は、さっきからニュースで流れている一連の事件の容疑者」
「勿論自覚はないのでしょうけれど……、貴女は彼に言ったのでしょう」
望まない世界なら壊してしまえばいいと。アドラーが全て言い終わる前に、志麻は座っていた椅子から立ち上がった。
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