第2話

 志麻は地味で根暗な女である。平均的な容姿ではあったが、そのあまりに卑屈な性格と、流行とは到底言えない時代遅れの服装や髪型が、彼女を一層哀れな外見へと押しやっていた。

 そんな志麻であったが、学生時代からの友人との関係は良好であり、仕事が長期休暇に入ると旅行や買い物などへ出掛けることもあった。気の置けない仲間と過ごすことが唯一の楽しみであったし、普段一人では行かないような場所も友人となら気負わず行ける為、休みの度に誘ってくれる友人を有難く思っていた。

 今回はその友人である裕子と共に人生初の海外旅行へと繰り出したのだったが、何の因果か観光地での爆発に巻き込まれ、ビルの正面玄関から吹き飛ばされてしまったのである。

「あああああああ」

 そんな、どうしてこんなことに。志麻は痛みに悲鳴を上げる。左腕からとうとうと血が流れている。動かすと酷く痛む左腕は、よく見れば僅かに湾曲している。

友人に誘われ人生初の海外旅行へ来たというのに、自分はどうしてこんなにも運が悪いのか、志麻は痛みに震えながら、傍に居た筈の友人を目で探す。

「裕子?」

 友人を見つけ、声をかけるも反応がない。彼女はぐったりと地面に伏したまま動かない。最悪の状況が頭を過る。まさか。彼女に限ってそんな不幸がある筈がないと自分に言い聞かせながら、左腕を庇いつつ何とか立ち上がり地面に伏した友人へと歩み寄る。

「ゆ、裕子?」

 再度呼びかけるがやはり反応がない。


「ここは危険だ、逃げなさい」

 うつぶせに倒れた裕子の下に、赤い液体が溜まっているのを絶望した目で見ながら呆然としていた志麻に、テノールの爽やかな声が降ってきた。

「お友達かい?……残念だが、ビルがこの状態だ。先に君は逃げなさい」

 炎を上げ、今にも再度爆発しそうなビルの状態を示唆しながら、男は苦々しげに眉を寄せた。酷く美しい男だな、と志麻は呆然と思う。短く切りそろえられた金髪に青色の瞳、状況がこうでなければ見惚れていただろう。

「君の友達のことは私に任せて」

言うが早いか、その男性は英語で周囲の人に何やら叫ぶと、その声に呼応するように男性が一人やってきた。消防士の様だ。

「せめて、遺体だけでも……」

 先程の美形の男が何か小さく呟いているのが聞こえたが、問い質す前に志麻は消防士によって抱えられ、安全地帯へと離脱したのである。


 近くの病院へと運ばれた志麻の耳に何やら必死で捲し立てる女性の声が聞こえた。ニュースの音だと理解したのは、包帯で自分の手をぐるぐる巻きにされ、呆然と病院の待合室に立ち尽くした時だった。英語で何を言っているのかは分からないが、先程まで自分達の居た場所が、悲惨な状態で画面に映っていた。

―――自分「達」。

は、と志麻は周囲を見渡す。そういえば裕子はどうなったのだろう。一緒に居た筈だ。倒れた友人の姿を思い出し、拙い英語で受付に問いかけようとした瞬間、背後から聞き覚えのあるテノールが聞こえた。

 「やあ、手当は済んだみたいだね。良かった」

 声の方へ視線を向けると、爆発時に自分に話しかけてきた美しい男が立っていた。にこやかに温和そうな表情で話しかけてくる男は、確か裕子を任せろと言ってはいなかったか。何故一人でいるのか。志麻は自分の頭に血が上るのを初めて感じた。

 「裕子はどこです!どうして貴方一人でいるの」

 カッとなって怒鳴るという経験は、志麻の知る限りこの時が初めてである。変に裏返り、哀れに響いたその声を男は痛ましそうな表情で聞き流す。

 「君の友人は、……すまない。あの時にはもう」

既に手遅れだった、と男が発すると同時に、志麻は無事な方の腕で掴みかかる。

 「なんで!どうして!任せろと言ってたでしょう」

生温い滴が頬を伝う。頭の中を疑問と恐怖、悲しみと否定が駆け巡る。ああ、これが絶望というものか。

 「落ち着きなさい、というのも無理な話か」

おいで、と男は志麻を抱き寄せ頭を優しく撫でる。逃れようと足掻く少女の耳元でひどく冷静に事実のみを告げた。

 「今後は、私が君の帰国までをサポートしよう。私の名前はエイブ」

 「とりあえず今日はこちらで手配したホテルで休みなさい」

 「友人のことは残念だったね……」

 「さあ、いこうか」

男―――エイブと名乗った魅力的なテノールの持ち主が志麻に何事かを話しかけてくる。しかし志麻にはそのどれもが意味の無い音でしかなかった。

友人を失ったのである。それも志麻を受け入れてくれる数少ない理解者であった裕子を。まだ人生の半分も味わっていなかっただろうに。血液が沸騰しそうに熱い。

 志麻の中で、感情が爆発した。

 「あああああああああああああああ」

大声で泣きながら言葉にならない音を発し、志麻はその場に崩れ落ちた。病院の受付に集まった人々が不審な目で彼女を見たが、エイブは気にする素振りを見せず泣き崩れた少女を抱きかかえ、病院を後にした。

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