決戦の朝〜悩みは尽きず

「ねえお母さん。今日はお店、はやく閉めるんでしょ?」

田中家の次女、高校生のくるみが、かん高い声で母親のキヨに問いかけている。

十二月二十五日。クリスマスの朝。

田中家の一階にある美容室〈フローラ〉は、毎週末の早朝サービス「モーニングカット」の営業中である。店内には、いつもより多い地元の女性たちが目立っていた。

「あんた、仕事中なんだから大きな声出さないでよ」キヨがめんどくさそうに言った。田中家の二人の娘は、性格がまったくちがう。姉のことみが大人しくて引きこもりがちなのに対して、妹のくるみは行動的で気が強い。そして、わがままを言っては母親を悩ませる。「いつもどおりの営業だけど。なんで?」とキヨは言った。

「ちょっとお母さん。今日はなんの日。クリスマスでしょ!」くるみは店の中で大声をあげた。客の女性たちがクスクス笑っている。「ケーキを買って、ツリーに飾りつけをして、フライドチキンを食べて…あと、なんだっけ」聖なる夜のイベントを、くるみは指で数えた。

「 "きよしこの夜 " を歌うのよ、くるみちゃん」髪をセットされている常連客の女性が、くるみに声をかけた。

「ちょっと町山さん、動かないで。娘のことはほっといてくださいな」と言って、キヨは女性客の顔を前に戻す。

そこへ、キッチンからハンサムな男性が顔をのぞかせた。

「むかしはね、街なかで聖歌隊がよく歌っていたもんだよ」男性はなつかしげに言う。「最近はあまり見ないけれど、僕はあれが好きだったなあ」

「あっ、お父さん!」くるみはとたんに機嫌をよくして、彼にかけよった。「お母さんたらね、あたしのお願いをぜんぜんきいてくれないの。クリスマスなのにさ。なんとか言ってあげてよ!」

「う〜ん、こりゃあ悩むね」男性はもったいぶった口調で言うと、ニヤリと笑った。「僕は…やっぱりお母さんの味方かな。ふふ、悪いね」

「ええ〜っ。なによ、二人で見せつけなくてもいいでしょ。もうやってらんない。あたしひとりで意地でもクリスマスやるもんね!」口をとがらせて不平をこぼすと、くるみは階段をあがって二階へ消えていった。

「おやおや。くるみちゃんはいつもイキがいいね。君も手をやいてるんじゃないか」男性は、キヨにむかってやさしいまなざしをむけた。

「ええ、まあね。それより私が心配しているのは、上のことみのほうなのよ」キヨはハサミの手を止めずに彼に言う。「二十六才にもなるのに、仕事はずっとアルバイトでしょ。それ以外の時間はゲームばっかり。もういい年だから定職についてほしいのに。将来が不安でしかたないわ」

「いや、僕の考えはちがうね」と男性がキッパリと言った。「彼女はね、僕たちが思っている以上に秘めた力をもっている子だよ。いわゆる天才肌ってやつかな。ただ、今は遠まわりをしているだけじゃないのかな。いつか自分の道をみつけて、そこをつき進んでいくような気がする」

「そうかしら。だったら私もうれしいんだけれど。父親があんなことになってから、あの子はすっかり心を閉ざしてしまって。手をかしてあげたいのに、私には方法がわからないのよ」と、キヨは十数年前のできごとに思いをめぐらせた。

「兄さんのことは、僕だっていまだに受け入れられずにいるさ。あまりに突然だったからね。君とことみちゃんのことを思うと、なおさらだよ」彼はそう言ってキヨの肩に手をおいた。そしてポンと小さくたたいた。「でもね、これからは僕がいる。君と娘さんたちのことはまかせてくれ」

「そう言ってもらえると安心だわ」キヨはそう言って、ふだんはみせないかすかな色気をただよわせた。

男性の名は、田中圭一。十八年前に亡くなった、キヨの元夫の実弟である。

兄の田中宗太郎は、東京都内の八王子で起きた立てこもり事件で、犯人が放った銃撃の流れ弾をうけて、病院で無念の死をとげた。

当時、キヨと宗太郎には八歳の娘がいた。それが長女のことみだったのだ。

内気で繊細な性格のことみにとって、家族を大切にする娘思いの父、宗太郎は世界の中心だった。その大好きな父親が、とつぜんこの世からいなくなった。あまりにむごい悲劇に、十歳にもならないことみは心を引き裂かれてしまったのだ。

それ以来、小学校、中学校、高校と成長していくにつれて、ことみは他人に心を開かなくなった。

さらに宗太郎が残していった形見、キヨのお腹の中にいた次女のくるみが生まれ育つと、父を知らない妹の明るい性格がうとましくなった。ことみの引きこもり人生は、こうして形づくられていったのだ。

そんな生活が十数年間つづいていた今年の夏、ことみの前に、父親の弟だという圭一がとつぜんあらわれた。その彼が母親の再婚相手になると知って、ことみの世界は大きくゆさぶられた。そして、それから四ヶ月がすぎた。


「くるみのやつ、また騒いでる。あ〜ウザい。クリスマスで盛りあがるとかミーハーだっつうの。ほんと鼻につくリア充よね」〈フローラ〉の二階にある自分の部屋で、ことみは思わず悪態をついた。そして、かじりつくように操作していたDELLの高性能コンピューターから顔をひょいとあげる。「なにが " お父さん" よ。おべっか使って点稼ぎしやがって、バカ妹め」

とは言うものの、内心が言葉とはうらはらなことくらい自分でもわかっている。強がってはみたけれど、それは劣等感の裏返し。要領のいい妹にくらべて、世の中に適応できない不器用さは致命的な弱点よね。気にいらないことがあっても、相手を前にするとなにも言えない。あ〜この性格、なんとかならないのかしら…頭の中で、ことみはそんなグチをこぼした。

人間関係って、ほんとにめんどくさい。こんなふうにややこしい性格だから、新しい父親になったあの人も避けてしまう。でもやっぱり、自分のなかで父親は、死んでしまったお父さんだけ。お母さんが好きだというあの人が、べつに嫌いなわけじゃない。だけど、家族として認められるかというと、話はべつなのよね。ああ悩ましい。まったくもう…

あらぬ想いに没頭していたことみは、そこでハッとわれに返った。

「おっといけない。よけいなことを考えてる場合じゃないんだった。もう、なにやってるのよ」

さっきから聞こえていた一階の会話を、ことみは首をふって頭から追い出した。父親に対する想いは、この胸にしまっておこう。それより、大事なのは作戦準備。集中、集中、っと。

ことみにとって今日のクリスマスは、まさしく運命の一日になるはずだった。いまから八時間後には、二十六年間の人生をかけた、一世一代の大一番が待ちうけているのだ。

その大一番とは、江東区豊洲の有明アリーナで開催されているゲームの世界大会、〈ロアー・ワールドウィンターゲームズ〉のことである。

この大会への参加は、ことみにとってたった一つのとりえである、ゲーマーとしての誇りをかけた挑戦だった。さらに、それはまた、ここ数ヶ月のあいだに起きた出来事に対する自分なりのケジメでもあったのだ。

今日は、いよいよ大会最終日。ここでなにがなんでも栄光を勝ちとり、わが一生に光をもたらさなければならない。それだけに、ことみの気合いのいれようは半端ではなかった。


米国のゲームメーカー〈パックワールド〉社が運営する〈レジェンド・オブ・インペリアル〉=〈ロアー〉は、世界で一億人が参加するマルチプレイヤー・オンラインバトルゲームの最高峰だ。

その〈ロアー〉のトッププレイヤーの座を争う大会が、年間シリーズとして世界各地で開催されている。大会ではプロのゲーマーを中心に、世界中の強豪チームが高額な賞金をかけて熾烈(しれつ)なバトルをくり広げるのだ。いま注目されている「eスポーツ」のなかでも、もっともメジャーなイベントの一つである。

今回の〈ロアー・ワールドウィンターゲームズ〉は、日本初の開催ということで、世界中のゲームファンから大きな注目を集めていた。〈パックワールド〉社の公式チャンネルはもちろん、ゲーム実況のライブ配信サイトでも、海外のゲームおたくのあいだにちょっとした騒ぎを巻きおこしていたのだ。

話題の中心は、初出場ながら決勝へと勝ちあがった、女性ゲーマー田中ことみがひきいる日本チーム〈アマテラス〉だった。

〈ロアー〉の世界的なトッププレイヤーであり、『MEDAKA』のハンドルネームをもつことみは、ゲームマニアの間では知らぬものがない達人だ。その彼女が、自分のチームをひきいて大会にのりこんできた。『MEDAKA』参戦のうわさは世界中の〈ロアー〉ファンの間で一気に広まった。

すでにこの二日間、会場の有明アリーナには、海外から数千人のゲームファンが押しよせていた。予選リーグ、そして決勝トーナメント準決勝の死闘を勝ち進んだ〈アマテラス〉の大活躍に、彼らの熱狂は大きくふくれあがった。

そして今日は、大会三日目の最終日。残すはクライマックスのファイナルマッチ、決勝戦のみである。

〈ロアー〉ワールドシリーズの最終戦となったクリスマスのビッグイベントは、いよいよ盛大なフィナーレをむかえることになったのだ。


前日のクリスマスイヴの夜。準決勝の死闘のせいでふらふらになって帰宅したことみは、部屋に入るなりベッドに倒れこんでしまった。着がえもせずに寝転がって天井をみつめながら、ことみは試合のことを思い返していた。

ゲームは想定外の展開もあって、なんども戦術の転換をよぎなくされた。そのたびにきびしい対応にせまられてしまい、自慢のコンピューターのような処理能力が、じつはパンク寸前の状態だったのだ。

戦っているときはプレイに集中していて気づかなかったけれど、ふりかえってみると危ない場面がいくつもあった。いくら強豪チームとの対戦とはいえ、世界のトッププロゲーマー以上のスキルをもつことみにとって、これは恥ずべき結果だった。なさけないったらありゃしない、まったく、とことみは自分のふがいなさに腹をたてた。

原因はいくつか考えられた。最大の理由は、油断。おごりだ。

大会前の綿密なデータ解析によって、予選グループからすべての試合を、想定どおりの戦略で勝利した。快進撃がつづいたことで気をよくした自分は、そこでトップゲーマーとしてあるまじきことに、正確な予測と判断をおろそかにしてしまったのだ。まさに怠慢というほかない。プログラムの天才を自負することみにとって、これはゆるされないミスだった。

初の国際大会での実戦。自分では認めたくないが、予想もしなかったプレッシャーが手元を狂わせているのだろうか…

いずれにしろ、泣いても笑ってもあと一試合。残された時間で、対戦データを見なおし、修正点をあぶり出して、鉄壁の戦略を練りあげなくてはならない。

ことみは疲れた頭にカツを入れると、ベッドから起きあがった。ヨレヨレの服を脱いでシャワーを浴びてから、明日にむけた作業にとりくむつもりだった。


そんなこんなで一夜明けて、大会最終日をむかえたクリスマスの朝。深夜までパソコンとにらめっこしていたにもかかわらず、二時間の仮眠をとって、ことみは早朝の四時半に起きた。

いまは七時すぎ。ことみは眠い目をこすりながら、この二時間を、大会の対戦データの収集についやしていた。対象は、初日と二日目におこなわれたすべての試合である。

今回のような大きなイベントでは、ゲームプレイの全体的な傾向を知ることで、そのあとの解析作業への感覚がとぎすまされることがある。ことみほどの高度な技術をもつコンピューターの達人になると、そういうルーティンは自然と身につくものなのだ。

きのうは寝るまでの時間を使って、決勝戦のおおまかなシミュレーションプログラムを作りあげた。そして今朝、つづいて対戦相手のデータ解析にとりかかったことみは、そこでいきなり壁につきあたった。

決勝の敵となる、謎のチーム〈GIG〉についての決定的なデータ不足だ。これは問題だった。

ことみは海外のあらゆるゲーム関連サイトを検索して、このチームのことをくわしく調べてみた。ところが、どの大会にも参加した形跡がない。そもそも、いつどこでチームが結成されたのかさえ不明なのだ。メンバーの国籍は、レバノン、イエメンといったアラブの国だが、五人の間に接点はまったく見あたらない。

さらにことみは、〈ロアー〉の公式サイトに侵入してログインデータを調べていった。過去五年間に世界中でプレイされたゲームリザルト、たとえば試合の進行内容やキャラクター関連の情報などにもすべて目をとおしてみた。それでも痕跡ひとつさえ見つからなかった。自分は幽霊でも見てるのだろうか?

調査の結果、この〈GIG〉というチームは、ある時点でとつぜん現れたとしか思えなかった。しかも、そのタイミングはなんと、大会のエントリー受け付けがはじまった十月。これはもう、怪しいなんていうものではない。

さらに驚くのは、この連中が、はじめからチームとして完成されていることだ。今大会の予選グループ、決勝トーナメントのゲーム内容をみてもそれは明らかである。

基本に忠実で、究極まで無駄をそぎ落とした完璧なゲーム運びは、〈ロアー〉のシステムを知りつくしたトッププロをもおびやかすレベルである。また、アバター設定(キャラクターごとの人格や能力)や、チャンピオンの配置、操作の一手一手をみても、あらゆる点で高度に洗練されていることがわかる。

まったくの無名チームがこれほどのスキルをもち、世界のプロプレイヤーが集まる大会で、いとも簡単に決勝まで勝ち進むなどということが可能だろうか。いや、ありえない。

データ分析の達人であることみは、自分の能力に生まれてはじめて不安を感じた。いま目のまえにあるのは、それほどの難題なのだ。

とはいえ、残されたのはあと数時間だけ。じっくり検討したり悩んでいるひまはない。ここはまず、手もとにある材料、つまり今大会中の実戦データをもとに戦略を練ろう。あとは実際に戦ってみて、臨機応変にすばやく対応するのみだ。

「よっしゃ!」ことみはひと声あげると、ファンタグレープのボトルをつかんでゴクゴクとのどに流しこんだ。「こっちは人生かかってんのよ。負けてたまるかっつうの!」

試合開始までおよそ七時間、会場入りまであと五時間弱だ。ことみはふたたびキーボードに指を走らせた。持てる能力のすべてを駆使して、あの謎のチームに対する戦闘プランを作りはじめた。


二時間くらいたったころだった。仮のデータ解析チャートを完成させて、それをもとにメンバー用のバトルシミュレーターをプログラムしていると、ジーンズの尻ポケットが振動して、携帯の着信音が鳴った。

「ん、誰だろう?」と言いながら、眼鏡の下に指をつっこんで疲れた目をこする。う〜んとひと声うなって、ポケットからスマホを取り出した。と、ラインの画面を見たことみは、その場で身体を凍りつかせた。大会のことも、決勝戦の対策のことも、頭の中にあったすべてが真っ白になった。

画面に表示されていたのは、ここ二ヶ月間、自分が遠ざけていた人の名前。予想もしなかった相手からの電話に、スマホを持つことみの手がふるえた。

どうしよう。なぜいま連絡をしてきたの。よりによって、こんなときに…。

ことみの心は乱れ、ゆれた。いま電話に出れば、まちがいなく心を乱されて、大事な勝負に影響するだろう。それは、ことみにとって危険な行為だった。理性はそう告げていたけれど、本能が勝った。おそるおそる通話ボタンを押した。

「ことみさん?」電話のむこうから、男の声が聞こえてくる。あの、優しくていとおしい響き。あばれる心臓に息をあえがせて、ことみは声をしぼりだした。

「はい、ダニエルさん」

「やあ、久しぶり。その…元気にしていたかい」という高城の声は、たよりなげでおびえているように聞こえた。

「あ、はい。ダニエルさんは元気でしたか」か細い声でことみは言った。

「うん…いや、元気とはいえないかな」

二人とも、そのあとが続かなかった。無言の状態で、気まずい雰囲気が流れる。ようやく高城が口をひらいた。

「大会のこと、聞いてるよ。すごいね。さすがことみさんだ」有明アリーナでことみの試合を見ていることは、あえて口にしなかった。

「ありがとうございます…」

高城の言葉に、ひとこと返すのがせいいっぱいだった。そんなことみに、彼は言った。

「今日がとても大切な日だということはわかっていたんだけれど、どうしても伝えておきたくて」高城はそこで大きく息をついた。そして話をつづけた。「僕は君をすごく傷つけてしまった。それはとりかえしのつかないことだし、謝罪の言葉もみつからないよ。この二ヶ月間、どうしたら君の気持ちをとりもどせるのか、ずっと悩んできたんだ。でも、ことみさんの心はもう帰らないってわかった。だから、僕はもうあきらめるよ。いまさらやり直してくれなんて虫がよすぎるし、とても言えない。だから、最後に声だけ聞きたくて、迷惑を承知で電話したんだ。本当にごめん」

せつない声で言葉をつづる高城に、ことみの心は張り裂けそうになった。

「ダニエルさん、あたし…」そのあとがつづかない。そうじゃない、そんなんじゃないの、と言いたかった。

「いや、なにも言わなくていいよ、ことみさん。だけどこれだけはわかってほしい。僕の君に対する気持ちには、本当に嘘はなかった。だから、それを大切にしまっておくことにするよ。君と一緒にいれたのは短かったけれども、僕にとって生まれてはじめて心から幸せと思える時間だったんだ。本当にありがとう」

「あ、あの、ダニエルさん…」

「最後の試合、がんばって。大丈夫。きっとやれるさ。君がもっている力を僕は知っているからね。明るい未来にむかって、どうかせいいっぱい羽ばたいてくれ。君が幸せになることを祈ってるよ」

「待って、ダニエルさん。私は…」

「じゃあ、元気で」

ぷつんと音をたてて、電話が切れた。通話モードから切りかわったラインの画面を、ことみはぼうぜんと見つめていた。そして、心の中で悲痛な叫びをあげた。

ちがう、ちがう。そんなんじゃない!傷つけたのはあたしのほう。ダニエルさんはなにも悪くない。あなたを避けてたのは、自分が恥ずかしかったから。あたしがもっと強ければ、自信をもってあなたのそばにいられた。だから、変わりたかった。あなたにふさわしい女性として、もう一度あなたのまえに戻りたかったの。だからお願い。あと少しだけ待って…

この二ヶ月間、かたときも忘れることなく心に抱きつづけていた思いが、一気にあふれ出した。

ことみは耐えきれず、スマホを放りだして顔をつっぷした。両目から涙がぽろぽろとこぼれて、キーボードをぬらした。十月に高城のまえから姿を消して以来、毎日、毎時間、胸のなかに押しとどめていた愛しい人へのせつない想いに、心の糸がぷつんと切れてしまったのだ。ことみ声をあげて泣いた。

この二ヶ月、二十六年間ではじめて、勇気を出し、歯を食いしばって人生に立ちむかった。大会への出場はあきらかにキャパをこえる挑戦だったけれど、なんとかゴール直前までたどりついた。それを支えたのは、高城に会いたい一心だけだったのだ。

はりつめた意識の結び目がほどけたことで、肩にのしかかっていた重圧から、ことみは一気に解放された。だから、思いっきり泣いた。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになったけれど、かまいはしない。

それから何分たっただろう。ことみはとつぜんすっと背中をのばした。右手を握りしめると、そのこぶしをふりあげて胸にたたきつけた。強く、痛いほどに。顔をぬらしていた涙と、鼻水とよだれが混じったみっともないネバネバを、手でなんどもぬぐった。

そして、ことみはついに覚悟を決めた。いいわ。これでいい。もうあたしは、今までの軟弱で情けない引きこもりじゃない。やってやる。失うものなんてなにもない。待っていて、ダニエルさん。必ずあなたのもとに帰るから。メダカは羽根をはばたかせて、空にとび立つのよ!

ことみはそう自分に誓うと、猛烈ないきおいでキーボードをたたきはじめた。

あれ、でもメダカが空飛ぶとか変だよね。まっ、いいか…


JR新橋駅から、臨海新交通〈ゆりかもめ〉で三十分。新豊洲駅の改札口前は、日本人と外国人が入り乱れた、人また人の群衆であふれかえっていた。

若者の大部分、とくに男性は、〈ロアー〉のキャラクターイラストがプリントされた服装が目立っている。女の子の姿も多く、ゲームのキャラクターになりすましたコスプレが彩りをそえていた。外国人のほとんどは四、五人以上のグループで、ゲームのロゴ入りTシャツを着た男たちが、ビール片手に大声をはりあげていた。

十二月二十五日、クリスマスの午前十時。駅近くのスポーツ施設〈有明アリーナ〉へむかう道は、数千人のゲームファンであふれかえっていた。

今年最後をかざるビッグイベントをまえに、若者たちはすでにお祭りモードである。

今から四時間後に、世界一のオンラインバトルゲーム、〈レジェンドオブインペリアル〉=通称〈ロアー〉の日本大会最終日がはじまる。海外のトッププロと初出場の日本メンバー、合計十六チームで争われた大会も、ついに決勝戦を残すのみとなった。

予選グループから準決勝まで、計三十試合。二日間の激闘をしめくくる決戦を、世界中のプロゲーマーや〈ロアー〉マニアをはじめとするゲームファンが、いまやおそしと待ち望んでいる。

はたして、チャンピオンの栄冠を勝ちとるのはどちらのチームなのか。

会場の有明アリーナ前では、ゲーム開始までまだ四時間以上もあるというのに、集結したゲームファンが興奮気味にさわいでいた。「どのチャンピオンキャラを選択するんだ」「フォーメーションはベーシックか変則か」「速攻かあるいは受けにまわるのか」などなど、決勝戦をまえにゲーマーたちの議論はつきない。

その一画、出場選手とメディア関係者用に区切られたエリアで、運命の一戦をひかえた〈アマテラス〉の男性メンバー四人が顔をよせあっていた。

二十代のタカ、ヤマト、モウリ、三十代のヤシロは、これからはじまる最終決戦をまえにして、さすがに緊張をかくせない。〈ロアー〉の達人、リーダーのことみにひきいられて、ついに頂点の一歩手前までのぼりつめてしまった。一戦ごとに成長を実感してはいたものの、世界一をかけた試合とあって、彼らはすさまじい重圧にさらされていたのだ。

とくに若い二人は、タカとヤシロにくらべて〈ロアー〉の経験が少なく、平常心をたもつのに必死だった。

「おいおい、今さらビビってどうするんだよ」タカが、ヤマトとモウリに言った。「そんなところをメダカさんに見られたら、頭ひっぱたかれるぞ」

「しょうがないでしょ〜。まさかこんなとこまでくるとは思ってなかったしさ。ヤバいって、ほんと。わかってよ」ヤマトは半泣きの表情をみせている。

それを聞いたモウリが、うんうんとうなずいている。「ほんと、そのとおり。本番まであとどのくらいですか」

「おいおい、モウリ。おまえ、しゃべりかたがふつうになってるぞ。戦国武将マニアがどうした?こりゃ重症だな」

三人のやりとりをみていた年長者のヤシロは、いつもの落ちついた顔つきこそみせないが、できるだけおだかな口調で若者たちに声をかけた。

「決勝戦ですからね。プレッシャーはとうぜんですよ。でも、それでいいんじゃないですか。自信過剰でミスするよりずっといいと思います。自分たちを信じて全力あるのみ。がんばりましょう」

「そのとおり!さすがは所帯持ち。言うことがちがうねえ」と、タカはわざとらしく拍手をした。

「あ〜あ。タカさんて、ほんっとお気楽ですよねえ。ある意味、尊敬しますってば」とヤマト。あきらめた様子で髪の毛をかきむしる。

「それはともかく、メダカどのはまだ来られぬのか?」とモウリは言って、駅のほうまでつづく人の流れに目をむけた。「毎度われらを待たせてじらすとは。リーダーは男心をまどわす魔性のおなごでござるな、タカどの」

「は?メダカさんが男をまどわす?おいおい、あのゲームオタの女子が、なわけないじゃんか。ぷはは!」

「めっちゃ陰口たたいてるし。タカさんこそ、顔面ぶん殴られますよ」ヤマトはあきれ顔をみせた。

すると「あ、来ましたよ」と言って、ヤシロが指をさした。若い三人は、彼がしめす方向に目をむけた。

初日、二日目と同じく、ピンク色のパーカーとジーンズ姿、髪をツインテールにした小柄の女子が、こちらへむかってくる。リーダーをみつけたメンバーは、ことみに手をふった。だが、彼女は顔をうつむけて、まわりの人に追いこされながら、トボトボと歩いていた。

「あれ、メダカさん元気ないっすね」とタカが言った。

「そうですね。かなりお疲れのようです」ヤシロも口を合わせた。

やがて、ことみが男性陣に合流した。

「おはよ〜」

気のぬけたあいさつをしたことみは、髪はボサボサ、目にくまができて、顔がげっそりやせこけていた。両肩を落とした姿は、まるでゾンビのようだ。

「どうしたんですか、メダカさん?」ヤマトは、ぼろ雑巾みたいな彼女をみて驚いている。ほかの三人も同じだった。

「あ…?」とひと声もらして、ことみは顔をあげた。重いバックパックを、やっとの思いで地面におろす。「いや、きのう二時間しか寝てなくてさあ。解析データの量がハンパないのよ。マジしんどい。あたしの顔、そんなにひどい?」

「いやいや、可愛いっすよ。今や世界が注目するヒロインですもん」

「わざとらしいわね〜。あたしはみんなのために身をけずってるの。からかうんじゃないわよ」

「決勝戦の対策、やっぱりむずかしかったですか?」ヤシロがたずねる。

「はっきり言う。この試合、かなりきびしいわよ。シミュレーションはなんとか組んできたけど、敵のデータが足りなくて、予測不能な要素が多すぎる」そこまで言うと、ことみはみんなの顔を食いいるように見つめた。「あんたたち、今日は相当の覚悟が必要だからね。一瞬のミスもゆるされない。これはゲームじゃなくて、ほんとの戦争だと思って命がけで戦ってね」

「おお、リーダーのこんな姿ははじめて見るでござるな」とモウリが言う。

「よっしゃ、ファイナルバトルだぜ。ファイト一発!」ヤマトが気合を入れた。

「泣いても笑っても、これが最後ですからね。死ぬ気でやりますよ、メダカさん」とヤシロ。

「まかせてくれって、メダカさん。このタカがついてますから!」

「あんたがいちばん不安なのよ。このお調子ものが」

メンバーに檄(げき)をとばしたことみは、さっそくその場にすわりこんだ。ラップトップパソコンをとり出すと、残された時間をおしむように、いそいで電源を立ちあげる。決勝戦のゲーム展開を予測したバトルシミュレーターを呼びだして、仲間と画面を共有した。四人の男性メンバーは彼女にならって地面に輪をつくり、通信回線をつなげると、試合前の練習にとり組みはじめた。


首都高速道路・湾岸線を、シルエットの美しい外車が疾走していた。英国の名車、メタリックブルーのボディ色があざやかな〈アストンマーチン・バンキッシュ〉だ。車はやがて、東雲(しののめ)ジャンクションから首都高速十号線に入った。これから豊洲出口へとむかうところだ。

アストンマーチンのハンドルを握りながら、高城ダニエルは、今朝のことみとの電話を思い出していた。

あれは、二ヶ月間も悩みつづけたあとで、ようやく下した結論だった。もちろん彼女への気持ちは変わらないけれど、希望がついえた以上、あとを引きずってもしかたない。ひと夏のときめきは、蜃気楼(しんきろう)のようにゆらめいて、はかなく消えていったのだから。

七年前、カリフォルニア工科大学を卒業したあとで婚約者に裏切られて以来、高城は誰ひとり女性に心をひらくことがなかった。あんなにつらい経験をするくらいなら、もう恋などしたくない。だから仕事に没頭して、これまで生きてこれたのだ。

そんな高城の孤独な人生が、ことみとの出会いで大きく変わった。

ガラスのように壊れやすくて、少女のように純真な彼女は、傷を負った彼の心を優しくつつんでくれたのだ。高城は、三十年間の人生ではじめて、自分のすべてを捧げたいと思った。彼女と一緒に、安らぎとぬくもりのあふれる人生をすごせたら。そんな想像を思いうかべるたび、彼の心は浮きたった。

だが、そんな希望に満ちた時間が、ある日とつぜん時計の針をとめた。

十月のホームパーティーでのできごとだった。七年前に痛手を負わされた元恋人の綾波カレンが、とつぜん彼の家をたずねてきたのだ。彼女はこともあろうに、ことみの前で「自分は婚約者」だと言いはなった。カレンの高慢な自尊心による出まかせでしかなかったのだが、その悪意ある嘘に、はじめての恋におびえながらも芽生えつつあったことみの夢は、こなごなに砕かれてしまった。

そして誤解をとく間もなく、その日以来、ことみは高城のまえから姿を消した。

高城はなんども、ことみに真実をつたえて二人の時間をとり戻そうとした。だが、深い痛手を負った彼女は、以前にもまして他人に恐怖をいだくようになり、ひとり殻に閉じこもってしまった。

けっきょく、ことみが心をひらくことはなかった。二人のすれ違いからすでに二ヶ月。短かった恋はあっけなく終わりをむかえた。あとには、永遠につづくくであろうむなしさだけが残ったのだった。

アストンマーチンは、豊洲出口のランプをおりて、一般道の有明通りに出た。高城は道路に目をむけつつ、腕時計をちらりと確認した。

「まだ十時すぎか。開場までの時間をつかってスタッフとのオンラインミーティングをすることにしよう」彼は、くせになっているひとり言をつぶやいた。

有明通りを走っていると、ゲーム大会の会場であるアリーナの屋根が見えてきた。道路を左折したところにあるコインパーキングに車を駐車させると、高城はエンジンを停止させた。

「ことみさんの戦いもついに最終日か。僕は影から見まもることしかできないけれど、それでもかまわない」と言って、高城は自分を納得させた。「かならずトップに立ってくれ。それでこそ、僕は安心して去ることができるから」

彼はふうっと大きく息をついた。ようやく気分を切りかえて助手席のパソコンを手にとると、ウェブ会議用のアプリをひらいた。表参道で経営するアパレルショップ〈ゾーン〉は、まだオープン前の時間である。

画面に女性たちの顔があらわれた。店長の美波と、契約社員の雪乃という女性スタッフ。雪乃は先月までアルバイトだったのを、売上アップに貢献したことで美波が昇格させた。

店長の美波は、いまではショップの経営代理人と言ってもいい。高城は、いずれ〈ゾーン〉を彼女にゆずって、長年の貢献にむくいるつもりだった。

「やあ、おはよう。さっそく始めようか。まずは秋冬商品の成績評価、そして新作の最終デザインをみんなでチェックしよう」

高城はビジネスモードに入ると、部下との会議をつづけた。


「選手の方とメディア関係者のみなさん!入場の時間となりましたので、ゲートに集合してください!」

運営スタッフのアナウンスの声が、アリーナ前の待機エリアに流れた。大会最終日の開幕まであと二時間をきった。

独占中継をおこなう海外のゲームチャンネルのスタッフが、カメラや照明、音声、その他のデジタル機器を運搬して、先頭で入場ゲートに入っていった。その集団のあとを追って、ゲーム専門ストリーミングサービス〈DEFEAT(デフィート)〉の管理技術者チーム、総勢三十人の団体がゲートを通りぬける。クラウドサーバーによってプレイ環境を劇的に簡素化した〈デフィート〉は、今後のゲーム業界を変革させるシステムとして、大きな注目を集めている。

さらにつづいて、ケーブルTVのホームエンターテイメント番組スタッフ、ゲーム関連機器メーカーから派遣された広報担当者をはじめとして、ゲームに関するあらゆる分野の関係者が百人あまり、ぞろぞろと入場していく。そのものものしさは、まるでロックスターのコンサートのようだ。

そして最後に、本日の主役である二チームのメンバーが入場していく。日本チーム〈アマテラス〉の五人は、ことみを先頭に、スタッフに関係者カードを提示してゲートを通過した。

アリーナの館内に入ったことみは、顔をさりげなく後ろへやると、チラっと視線をむけた。決勝の相手となる〈GIG〉のメンバーだ。様子をうかがったが、そこからはなにも感じとることができなかった。彼らは全員が無表情で、こちらに目をむけようともしない。無視しているのか。いやちがう。興味がないのだ。五人が同じように視線を斜め下にむけて、床だけを見つめている。彼らの姿を観察したことみの頭に、あられもない考えがうかんだ。

" こいつら、ゲームのことよりほかに関心があるんじゃないの? "

ほんの一瞬思いついたそんな印象は、出てきたとたんに消えた。なに考えてるのよ、まったく。神経質になる必要なんてないじゃない。ことみは敵から目をはなして、自分をしかった。よけいなこと考えてる場合じゃない。目の前の試合に集中しなくっちゃ。

「リーダー、はやくはやく。どうせ控え室で特訓なんでしょ。ムダな時間はないっすよ」とタカは言い、コンコースの通路を先頭でかけていく。あらぬ思いにとらわれていたことみは、彼の言葉でわれにもどった。

「どうせ、とはなによ。どうせ、とは!」ことみはプンプンとほっぺたをふくらませた。「あんたって、ほんとへらず口よね〜」

「いやいや、言葉のあやですってば。いちいち怒らないでくださいよ、もう〜。怖いんだから」

「リーダーはいつもと様子が違うでござるな。いつにもましてピリピリしておられるぞ」モウリが心配そうに言った。

「メダカさん、なんか気になることでもあるんですか?」とヤマトがたずねる。

「まったくなし!うちらの優勝には一点の曇りもない!」ことみは大声をコンコースにひびかせた。そして早足ですたすたと歩き出した。「行くよ!さっさと試合前のトレーニングやんなきゃ。どうせ、ね」

「あちゃあ。あの人マジで根にもつタイプだわ。はいはい、わかりました」とタカが言った。

「メダカさんだって人間ですからね。さ、行きましょう」最年長のヤシロが落ちついた口調で言う。

「おっ、さすが子持ちのお父さんっす。女の子のこと、よくわかってますね〜」

「タカさん、あとでメダカさんにぶっとばされますよ」

「ヤマトどのが言うとおりでござる。拙者をまきこまないでくだされ」

「あ〜あ、モウリにも言われちまうなんてな。まっ、いいや。待ってよリーダー!」

通路にチーム〈アマテラス〉の笑い声がひびいた。決勝戦をまえにして、最後のリラックスしたひとときがすぎていく。


アリーナの場内では、開場前の準備が急ピッチですすめられていた。おおぜいの大会運営スタッフが、まるで巣をつくる兵隊アリのように、あちこちを走りまわっている。なかでも、映像と音響にかかわるシステムは、何重ものチェックをかける念の入れようだ。

五千席のメインアリーナ中央に天井からつるされた巨大なモニター。ステージの背後にある8Kスクリーン。会場の周囲に配置された数十台のスピーカー。ライブステージで重要な役割をはたす最新鋭のLED照明。そして、これらの機器を演出プログラムに合わせてコントロールするオペレーションシステムなどなど。

これほどの大規模なイベントともなれば、裏方をつとめる人数は百名を下らない。まして、これは世界中に中継、配信されるメジャーなeスポーツ大会なのだ。エンターテイメントとして、ケタちがいの費用が投入されていることは、誰でも容易に想像できるというものである。

ステージで進行をつとめるMCは、ディレクターとやりとりをしながら、司会のリハーサルをおこなっていた。実況席では、すでに準備をおえたアナウンサーと解説者が、来シーズンのゲーム業界について雑談している。

やがて、場内に〈レジェンド・オブ・インペリアル(ロアー)〉の主題曲が流れはじめた。巨大モニターに、人気キャラクターを主役にしたプロモーション動画と、〈ロアー〉のタイトルデザイン、そして〈パックワールド〉社のロゴが映し出される。システムの設営とオーディオ・ビジュアルチェックは、すべて完了したようだ。

いよいよ、オンラインバトルゲーム〈ロアー〉の年間シリーズ最終戦、日本大会決勝の舞台はととのった。あとは観客の入場を待つだけである。


正午の十二時、開場の時間がきた。アリーナの一階と二階へ、十数箇所ある入口から観客がなだれ込んでくる。二、三十代がほとんどのゲームファンは、やがて数千人の群衆になった。

若者たちはつぎつぎと席にすわり、会場にガヤガヤとさわぐ声が広がった。それはやがて大きな響きとなって、アリーナが興奮につつまれていく。

ステージ上では、試合前のエンターテイメントショーがはじまった。オーケストラによるタイトル曲『バトルズ・オブ・ライト』『ファイターズ・アクト』をバックに、ヘビーメタルロックバンドが〈ロアー〉の無限世界をテーマにした派手なパフォーマンスをくりひろげる。すると、その曲をライブで聴いた観客が、自分たちも一緒になって合唱しはじめた。映像と音楽と歌声が一体化したアリーナ全体は、ゲームの舞台である「インヴォケート・ナローズ」にとびこんだかのようだ。

つづいて、話題となった新バーチャル・ヒップホップグループ〈ライフアーマー(命の鎧)〉が、デビューシングル『FLIENDS OF FLAMING(炎の戦友)』を引っさげて、ステージ後方の大スクリーンに登場した。彼らは仮想現実とAIによってつくりだされたアーティストで、じっさいに〈ロアー〉のゲーム中にチャンピオンキャラクターとして登場もする。主催の〈パックワールド〉社は、このバーチャルユニットの第一回目のライブを、シーズン最終戦で披露させると決めていた。観客のゲームファンたちは、 SFファンタジー色の強い〈ライフアーマー〉のダンスパフォーマンスを、総立ちになってむかえた。

大会最終日の盛りあがりは、ヒートアップするいっぽうである。

会場入りから一時間半。試合前のショーが終了すると、舞台はいよいよ、今大会のメインイベントへと突入することになった。

クリスマスの三日間、世界の注目を集めつづけた〈ロアー・ワールドウィンターゲームズ〉も、いよいよ決勝戦の一試合を残すのみ。試合開始のブザーが鳴るまで、あと三十分をきった。

ステージに男性MCがあらわれた。会場から、拍手と、外国人たちのガラの悪いスラング言葉がとびかう。MCは口汚いヤジの声援をうけると、ゲーム専門用語をつかったジョークでそれを返した。観客から爆笑がわきおこる。

「Okay, You Guys!You ready for Game ?」おーけー、みんな。ゲームの用意はいいか?

「Yes!」観客が声をそろえて答える。

「You ready for Battle?」バトルの用意はいいか!

「Yes!」

「Okay. Now we jump into the world of " Legends of Imperial "」よし。俺たちはこれから〈ロアー〉の世界へとびこむぜ!「Which caracter you wanna be become?Anyway, you already champion. You have champion. And you saw Great Historical Moment」みんなはどのキャラクターになりたいんだ?ていうか、もうチャンピオンになっちまってるけどな。決まりだぜ。さあ、これからおまえらは歴史的瞬間を目にすることになるんだ。

「I'm ○○○○○!」観客の若者たちが、それぞれ自分の推しキャラクターを大声で叫んだ。MCが言ったチャンピオンとは、もちろん〈ロアー〉を戦う五人の戦士のことである。

「Year!Wated long enough, haha〜So we start the " Final Game "」よし!待たせたな、へへっ。じゃあ、そろそろファイナルゲームをはじめるとしよう!

MCがそう言いおわると、美しく華やかな音楽がアリーナに鳴りひびいた。〈ロアー〉のゲームでは、サイトにログインして画面が出てくると、このBGMが流れるのだ。

決勝戦まで、あと二十分。今のうちにトイレに行っておこうとする客が、あちこちで席を立って出入口にむかった。会場は興奮とも期待ともつかない、奇妙な雰囲気でざわついていた。〈ロアー〉マニアが待ちにまった、シリーズ最終戦の決勝だ。世紀の一戦をまえに、彼らの心臓はすでに破裂寸前である。まあ、それは大げさだとしても、胸を高鳴らせていることはまちがいないだろう。あと少しで、運命の戦いがはじまるのだから。


華やかなショーがくりひろげられているアリーナとは対照的に、ステージ裏の選手控え室は静まりかえっていた。決勝戦を戦う二チームが、相手から作戦を見ぬかれぬよう、ひそひそ声でゲームの戦略を確認しあっていた。いや、正しくは、日本チーム〈アマテラス〉がそうしていたのだ。

「本戦前のアバターセッションだけど、今回のキャラ指名は、ヤシロ、モウリ、ヤマトの三人でいく」ことみはそう言って彼らの顔を見た。

「えっ。俺は参加しなくていいんすか?」タカはリーダーの決定におどろいた。それも当然だ。彼は、大会前のバトルシミュレーターによる訓練、大会本番の予選グループ、そして準決勝まで、セッションのキャラ選択に力を発揮していたからだ。

首をひねるタカに、ことみはなぜこのような人選をしたのか、その理由を説明した。

「あんたのチャンピオンは『ドレンガー』だけどさ、得意分野はフォレスターでしょ」と、ことみはタカに念を押した。「で、あんたには、敵のフォレスターの視界をできるだけ封じてほしいの。スペル、すなわち距離感を狂わせるフェイクアイテムの配置はあたしが指示するから、正確にたのむ。タカの腕なら問題ないはずよ。それで『ドレンガー』は、かなり自由に動けるようになる。この戦いでは、フォレスターの「ガンク」攻撃が重要なのよ。でも、もしあんたの『ドレンガー』をセッションでリコール(逆指名)されたりしたら、うちのゲームプランが成り立たなくなっちゃうでしょ。だから、あんたは参加しない。もちろんあたしの『リルン』もね」

「ガンク」とは、タカの場合にたとえると、『ドレンガー』がフォレストからほかの通路へとび出して、相手のチャンピオンをたたきつぶすこと。ゲーム用語で「めった撃ちにする」という意味だ。

「な〜るほど。よく考えりゃ、あたりまえっすね。了解です」

試合本戦の前におこなわれる〈アバターセッション〉については、以前にも紹介した。

プレイヤーがゲームで使うためのチャンピオンキャラクターを、対戦するチームどうしで指名したり、獲得を妨害しあう頭脳戦である。セッションの最大の目的は、チームのゲームプランに必要なキャラクターを手にすることだ。マルチプレイヤーゲームの〈ロアー〉では、このセッションで計画通りにキャラクターを構成できるかどうかで、試合のゆくえが大きく左右されてしまうのである。

というわけで、リーダーのことみの決定により、〈アマテラス〉のセッションは、ヤシロ、ヤマト、モウリの三名が担当することになった。

「メダカさん。モウリはいままでセッションの経験ないっすけど、大丈夫ですかね?」ことみの作戦がよくわからないため、タカは少し不安になった。

「こらっ。あんた了解しましたって言ったじゃない。理由はあとでみんなに説明するから、いまは言うとおりにしてくれればいいの」ことみはそう言うと、冷ややかな態度でタカをにらみつけた。

「はいはい。すんませんリーダー」

「その言いかた、ったく、いちいちナメてるよね〜。ゲームはたよりになるけど、社会適応性ゼロだわ」

「え〜、それメダカさんに言われたくないなあ」

「おい!」と声をはりあげて、ことみはタカの頭をひっぱたいた。

「痛いなあ、もう〜。暴力はいかんっすよリーダー。だから彼氏ができない…」タカはそこまで言って、しまった、と両手で口をふさいだ。ヤバい。メダカさんのNGワードだよ。キレるぞ、ぜったい。うわうわ。

「ということなんで、セッションの基本プランと作戦は、たぶん十五分まえくらいに説明するから。じゃ、時間も少ないから、ゲーム戦略の確認しよ」

あれっ。リーダーなんも言わねえぞ。おかしいな。あやしいぞ。こりゃなにかあったんだよ…他人のアラを探すのが得意なタカは、いつもとちがうことみの反応に興味津々だった。

彼は知らないのだ。自分たちのリーダーに起きたできごとを。十月にチームを結成したとき、彼女は人生ではじめての重大な選択をしたのだった。だからいまのことみにとって、恋とか彼氏なんていう言葉は死語も同然なのである。

ことみの頭にあるのは、ただひとつ。この最終決戦で勝利をつかむ以外、自分に生きのこる道はない。

とまあ、こんな様子で〈アマテラス〉のメンバーは会話をかわしていた。

いっぽう、敵チーム〈GIG〉のアラブ人たちは、部屋の反対側でソファーにすわって、ひまをもてあましているかのようにくつろいでいた。彼らは試合前の打ちあわせをするでもなく、イスラム教の聖典コーランを読んでいる。メンバーのひとりなどは、携帯ゲーム機で遊んでいるありさまだ。この謎めいた中東人たちにとって、〈アマテラス〉はもはや、戦う価値もない相手だということなのだろうか。それは本人たちのみが知ることだ。しかし、その無表情な顔からは、彼らの考えをうかがうことはできない。

これからはじまる大会最終戦で、この中東人チームはどんな戦略をうってくるのだろうか。それは、数十分後にゲームが開始すれば明らかになることだった。


控え室の大きな扉がひらいて、緑色のセーターを着た男性が顔をのぞかせた。大会の運営委員だ。

「みなさん、まもなくステージでチーム紹介がはじまります。各自プレイ用のイクィップを準備して、五分後にバックヤードに集合してください。それでは」それだけ言って、男性は扉のむこうへ去った。

イクィップとは、イクィップメント(装置)の略である。この場合は、自分専用のゲーミングキーボードやカスタマイズド・マウスなどのコンピュータ機器を意味する。

「おっしゃあ、行くぜえ!」タカが気合いを入れて立ちあがった。

「あたしのセリフを取らないでよ。さあ、行くわよみんな」落ちついた口調で言うと、ことみはメンバーたちの顔を順番に見つめていく。「緊張してるのはわかる。でも、それでいいの。ここ一番というときは、ややテンション上げ気味くらいがちょうどいいからね」ことみはニヤっと笑みをうかべた。

二十代の若者三人は、おたがいに肩をたたいて検討を誓いあった。年上のヤシロは、ことみにうなずいて決意をあらわした。

日本チームの五人ははりつめた気持ちを笑顔にかえて、どやどやと出口へ歩いていった。

そんな彼らの後方で、中東人チーム〈GIG〉のメンバーが、コーランをポケットにしまったり、遊んでいた携帯PCゲーム機から顔をあげて、けだるそうに立ちあがった。その彼らが一瞬、こちらを見てうす笑いをうかべているのを、ことみは見のがさなかった。

なんなのよ、あの余裕は…今朝から気になっていた胸のザワザワする感覚に、ことみは思わず頭を支配されそうになった。くそっ、あんたたちなんかにビビるわけないでしょ!と心にカツを入れなおして、メンバーとともにステージへむかった。


アリーナのステージ頭上の壁には、2×4メートルもある大きいデジタル時計が設置されている。そのタイマーが午後一時十五分を告げた。

会場にファンファーレの調べが流れた。このメロディーは、マルチプレイヤー・オンライン・バトルゲーム〈レジェンド・オブ・インペリアル〉のゲーム開始時、キャラクターが戦場のマップに登場したときに流れる曲である。これから戦いの幕が切って落とされる、という儀式をイメージしているものだ。

会場の天井からつるされた巨大ビジョンに、これからはじまる決勝戦のイントロダクションが、英語で流れた。

「LEGENDS OF IMPERIAL〜WORLD WINTER GAMES:THE FINAL MATCH 」

レジェンド・オブ・インペリアル〜ワールドウィンターゲームズ:ザ・ファイナルマッチ。

ステージ背後のスクリーンにも、決勝に進んだ二チームのこれまでのプレイ場面が、ダイジェスト映像でうつし出されていく。チャンピオン対チャンピオンの一騎打ちによる技の応酬。タワー前の両チーム入り乱れての大混戦。また「フォレスト」エリアでのチャンピオンとドラゴンのにらみあい。そして本拠地「シタデル」破壊の瞬間など。映像はじつにエキサイティングなものだった。

ファンファーレが鳴りやむと、ステージにMCの男性が登場した。今日の彼は、〈ロアー〉のロゴとチャンピオンキャラクターがプリントされた、ラメ入りの白いスーツを着ている。目立ちたがり屋なのか、とにかく派手だ。

「ヘイ、ワッツアップ!みんな待たせたな」MCは、ヒップホップ歌手のように手をふりまわす。「おまえたちは、今からキックアスなバトルの目撃者になるんだぜ。なんせ今年のラストマッチだからな。優勝賞金はなんと三億円!ワオ〜、デュード!

いいか、ネット配信で見てる世界のギーク(ゲームおたく)ども、こいつを見逃すんじゃねえぞ!オーケー、ではファイナルの戦士たちの登場だ。盛大な拍手でむかえてくれ。プチョハンザ・エンド・クラップ!( こぶしを突きあげろ、手をたたけ)」MCは観客をあおってから、片手をふってステージの袖のほうを指さした。

観客の視線がいっせいにそちらへ集まるなか、見切り用のカーテンをくぐって選手たちがあらわれた。

チーム〈アマテラス〉の五人は、リーダーのことみを先頭に、大観衆の声援に手をふってこたえている。日本チームの快進撃ですっかりことみのファンになったゲーマー青年たちの間で、冗談とも思えないラブコールもとびかった。インターネット・オンライン・ゲームの世界に舞いおりた天使のような日本人女性プレイヤーは、いままで〈ロアー〉をそれほどプレイしていなかった海外のゲーマーにも大人気なのだ。それを一番知らないのは、たぶんことみ自身だろう。

つづいて姿をあらわした中東人チーム〈GIG〉のメンバーは、大騒ぎでうかれている観客には目もくれない。それどころか、まるで凡人を嫌悪するかのような、尊大で退屈そうな雰囲気がチームから発散されている。あからさまに無視されたことで、会場からブーイングがおこった。アリーナの若者たちのほとんどは、ゲーム界のスタープレイヤーであり今大会のヒロインとなりつつある「MEDAKA」、すなわちことみのファンだったのだ。その彼女の決勝の相手チームが自分たちを見くだしことで、会場の敵意が一瞬でヒートアップした。だが〈GIG〉のメンバーは、口汚いヤジにも警告寸前のわいせつな言葉にも、まったく反応を示さない。五人ともうつむきかげんで、顔は無表情。その異様なまでの冷たさは、プロプレイヤーや一部の〈ロアー〉マニアの不安をかりたてた。

" ゾンビプレイヤー " 。それが彼らの印象だった。死んでいるように見えるが、きわめて危険なやつら。〈ロアー〉を毎日のようにプレイしている彼らは、この謎めいたチームが〈アマテラス〉の大きな脅威になることを感じとっていた。初出場チームどうしの決勝戦は、まちがいなく波乱の展開となるだろう。

ステージでは、両チームあわせて十人の選手が、MCをはさんで整列していた。アリーナの照明が落ち、決勝戦のプレイヤーたちにスポットライトがあたる。シーズン最後の大会をたたえるナレーションが会場に流れ、ステージ正面の大スクリーンに、これからはじまるビッグイベントに期待する過去の優勝チームからのメッセージ動画が映し出された。

そして、MCがメンバーの名前を紹介していく。コメントはいらない。安っぽい意気込みの言葉より、実戦のプレイに注目あるのみだ。

アリーナを埋めつくしたゲームファンから大歓声があがると、ついにおなじみの音が鳴りひびいた。


ファ〜ン!!


これより、クリスマス三日間の〈ロアー・ワールド・ウィンターゲームズ〉のラストマッチ、決勝戦の開始である。

まずは、〈アマテラス〉と〈GIG〉の両チームが、本戦前にキャラクターを決める〈アバターセッション〉に入った。ステージのスクリーンには、たがいにチャンピオンを奪いあう、激しい神経戦の模様が中継された。

およそ十五分をかけたセッションで、それぞれのチームのチャンピオンキャラクターが決まると、プレイヤーたちは持ち場へ散っていった。ゲーミングチェアに腰をおろし、自分用にカスタマイズしたキーボードとマウスをセットして、パソコンを立ちあげる。

チーム〈アマテラス〉の五人は、全員が目をあわせてうなずき合った。スタンバイ完了。さあ、自分たちを信じろ。二ヶ月におよんだ特訓の成果を、すべてこの試合にかけるのみだ。

リーダーのことみ以下、五名のメンバーが、戦いの舞台「インヴォケートナローズ」で所定のポジションにつく。

さあ、いよいよこの瞬間をむかえた。田中ことみの人生をかけた、運命のゲームが始まったのだ。

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