私のイヴは戦いだけよ!

まっすぐに続く回廊の先に、あやしい霧をすかして、三つの巨大な影が見えてくる。天をつくようにそそり立つその建造物は、〈毒槍の穂先〉と呼ばれて恐れられる暗黒の塔だった。

どす黒い石積みの外壁は、狂った建築家がつくりだしたかのような、悪意にみちた造形によるものだった。三体の塔から放たれるまがまがしい思念は、あらゆる生き物の意思を打ち砕いてしまう。荒々しく、この世のものとは思えない魔力によって、大地に無数の裂け目が走っていた。

塔が立つ枯れた荒野に、異様に背が低く背中に翼のはえた兵士が群れをなしている。その集団のなかに、鎧兜(よろいかぶと)に身をつつんだ大男が、あたりを威嚇するように仁王立ちしていた。男の目には狂気をたたえた光が宿っている。

つぎの瞬間、男が号令のうなり声をあげた。それを合図に、小鬼を思わせる兵士の軍団がいっせいに押しよせてきた。すさまじい形相で剣やオノをふりかざして迫りくる光景は、まさに地獄絵図そのものだった。

兵士たちを盾にして司令を出していた大男が、悪鬼のような顔をゆがませた。と、いきなり口がクワッとひらいて、燃えさかる炎のかたまりが噴き出してきた。

熱風と轟音に打たれてうしろに吹き飛んだ身体が、あっという間に紅蓮(ぐれん)の炎に焼かれてしまう。想像を絶する苦痛のなかで、なすすべもなくのたうちまわって絶叫をあげた。肉を焼かれ、骨が溶けて、自分の精神が崩壊していく。そして世界が闇に包まれた…



「うわあ〜っ!」

さけび声をあげて、田中ことみはガバッと起きあがった。恐ろしい光景にショックを受けた心臓がドクドクとあおっている。ただでさえ大きな目をさらに見ひらいたまま、まばたきを忘れて前方を食いいるように見つめた。

十秒ほどたってから、止めていた息をはき出した。パジャマが汗でびっしょりぬれている。全身に鳥肌が立ち、ことみはぶるっと身体をふるわせた。

「もう〜っ!なによ、これ。ひどい悪夢。最悪じゃん。意味わかんない」ことみはベッドの上で悪態をつくと、肌にべったりとはりついたパジャマの生地をつかんだ。「あちゃ〜ビショビショ。まいったな。ううっ寒い」

ことみはブルっと身体をふるわせた。真冬の朝の寝起きなので、部屋は当然のように冷えきっている。だが、いま感じている寒けは、あきらかに室温によるものではない。それは戦慄だ。背筋も凍る思いとは、まさにこのことだ。こんな体験は、二十六年の人生ではじめてだった。

ことみはうんざりして肩を落とした。幽霊のようにふらふらと身体をゆらせながら、ベッドから足をおろして立ちあがった。その場でぬれた服をぬぎ、下着姿のままで部屋を出る。廊下の浴室の前にある洗濯カゴにパジャマをほうりこむと、ことみは頭をぼうっとさせながら考えこんだ。

いったい、なぜあんな夢を見たんだろう。めっちゃ恐ろしかったな。リアルなんてもんじゃない。でも、あの夢どこかで見たことがあるような気がするんだけど。う〜ん…

ことみはそこでハッと気がついた。あれはゲームの世界だ!三つの暗黒の塔、小人の兵士軍団トゥルーパーズ、そして火炎の攻撃スキルをもつチャンピオン…って、あたし〈ロアー〉の夢を見てたの!?

〈ロアー〉とは、世界一のプレイヤー数を誇るオンラインバトルゲーム〈レジェンド・オブ・インペリアル〉の通称だ。

よりにもよって、自分がいま出場している大会のゲームが夢に出てきたことに、ことみは思わずため息をついた。きっとあたし疲れてるんだわ。自分が思ってるより大きなプレッシャーがかかってるのかも。あ〜あ、まいっちゃうなあ…

「お姉ちゃん!裸で部屋から出ないでって、なんど言ったらわかるのよ!」

うしろでかん高い声があがった。しまった、と身体を隠したが時すでにおそし。妹のくるみが、自分の部屋から顔を出してにらんでいる。ヤバいやつに見つかった。めんどくさっ。

「パジャマが汗でぬれたからカゴに入れてただけ。いちいち細かいこと言わないでよ」ことみは言いかえしたが、態度は完全に逃げ腰だ。性格のきつい妹は天敵なのである。

「ふん、下品なやつ。こんな姉がいるなんてあたしも不幸よね。あ〜やだやだ!」と言い、くるみは音を立ててドアを閉めた。

ことみはさらに大きなため息をつくと、部屋にもどってバスタオルと着がえをかかえて、シャワーを浴びるために風呂場へ入った。


十分後、シャワーで頭をスッキリさせると、部屋で外出用の服に着がえながらスマホを手にとった。

今日は大会二日目。決勝トーナメントがはじまる。ことみは気分を切りかえて、有明アリーナで開催されている〈ロアー・ワールド・ウィンターゲームズ〉への対策を、頭のなかでおさらいしていた。

ところでいま何時?と思ってスマホの画面を見たことみは飛びあがった。時計の数字を食い入るように見つめた。まちがいじゃない、よね…

「ぎゃあ〜っ!やばい、遅刻だ!」手をはなすとジーンズが足もとに落ちたが、それどころではない。「なんでよ。ちゃんとタイマーかけたじゃん!マジで最悪。うう〜こんなことしてる場合じゃない。間にあうかなあ。あっ、そうだ」

ことみは下半身を露出したまま、ラインの着信履歴をチェックした。案の定チームのメンバーであるタカから、なんども電話がかかっている。そのあとにコメントが残されていた。


" メダカさん、なにしてるんすか?もう関係者の入場はじまっちゃいますよ。いちおうギリギリまで待ちますけど、来なければ先に入ってますから。リーダーいないと話にならないし、そもそもメンバー不足で失格ですよ。なんとか間にあわせてください。それと早く連絡して "


こりゃ大変だ!ことみは急いで着がえをすませると、バックパックにラップトップパソコンと必要な持ち物をつめこんだ。部屋をとび出して階段をかけおり、スニーカーをはいて美容室の入り口から外へとび出した。猛ダッシュでJRの高円寺駅へ走っていく。

息をあらげて駅についた。運動ぎらいでなまけている身体がキツいなんてものじゃない。電子掲示板を見ると、運のいいことに、一分後に上りの電車がくる。ホームにおりたことみは、スマホをとり出し、ラインでタカへのメッセージを打ちこんだ。そしてネットの乗り換えナビで、ゆりかもめ線の新豊洲駅までの時間を調べた。

「うわ、ギリギリ試合開始前か。ミーティングの時間ないよ〜」ことみはあせって代わりの手段を考えた。「東京駅で待ち時間が七分あるから、そこでスカイプで打ちあわせするしかないなあ。トーナメント一回戦は強豪の韓国チームだから、戦術をみんなに徹底しないと。それにしても、まったくとんでもないドジ。なにやってんのよあたし」

電車が到着してホームに止まった。少しでも時間を縮められるとでもいうように、ことみは小走りで車内へかけこんだ。空いている席にすわって息をととのえると、パソコンをとり出して画面をひらく。さっそく〈ロアー〉のバトルシミュレーターと対戦チームの分析データを画面に呼び出した。

本日の初戦、決勝トーナメント一回戦の相手である、韓国チーム〈ダイナスティ〉との戦いかたを確認する。この対戦カードは、自分が開発したプログラムですでに予想ずみなので、チームのメンバーには、あらゆる局面での戦法をたたきこんであった。

「それでも、ダイナスティの戦略は洗練されてるからね。意表をついたフォーメーションへの準備はしておかなくっちゃ。むこうがシミュレーションどおりに動いてくるか、ゲーム開始直後は全員で様子をみるべきだわ。フォレストのタカにはその間にポイント稼いでもらおうっと。こりゃ、どうやらトゥルーパーズがゲーム序盤のキモになりそうね。あせって深入りは禁物、っと」

となりに座っているサラリーマンの男性が、ことみを不審な目で見ていた。意味不明な言葉でパソコンに話しかけている眼鏡オタク女子は、この通勤時間帯には違和感たっぷりなのだろう。

そうとも知らずに、ことみはパソコンにむかってブツブツひとりごとをつぶやいていた。それは中央線が東京駅につくまで続いた。


東京都江東区の有明アリーナでおこなわれている、eスポーツの国際大会〈ロアー・ワールド・ウィンターゲームズ〉。米国のパックワールド社が主催する、オンラインバトルゲーム〈レジェンド・オブ・インペリアル〉、通称〈ロアー〉の年間シリーズ最終戦である。

今大会は初の日本開催であるため、世界中のゲーム関係者のあいだで大きな注目の的となった。クリスマスにおこなわれるメジャーイベントであり、12月23日から25日までの三日間、有明アリーナはバトルファンタジーの世界に染まるのだ。

この世界最大のゲームイベントを目当てに、国内はもちろん、海外からも多くのゲーマーたちがアリーナを訪れていた。大会二日目の今日も、世界各国から集まった五千人のゲームファンが会場をギッシリと埋めつくしていた。

あと一時間半で、大会の山場となる決勝トーナメントがはじまる。今年のeスポーツ界における最後のメジャー大会とあって、大手のゲームチャンネルやネットメディアが、アリーナのいたるところにカメラを設置していた。

決勝トーナメント一回戦に登場するのは、前日の予選リーグを勝ち抜いた、AグループからDグループまでのそれぞれ一位と二位。その八チームの組み合わせによって、四試合がおこなわれる。そしてトーナメント一回戦を突破した四チームが、準決勝へと進出することになるのだ。

クリスマスの決勝を明日にひかえたイヴのアリーナに、大音量のタイトル曲が響きわたっている。巨大なビジョンモニターには、〈ロアー〉のキャラクターたちによる、迫力ある戦闘場面がつぎつぎと映し出されていく。MCがノリの良いフレーズを連発して、アリーナの満杯の観客をあおっていた。

また、世界中のゲーマーが視聴する専門チャンネルや、〈ロアー〉のチャットサイトでは、パックワールド社のクリエイターチームが制作したプロモーション動画が話題を集めていた。

大会のムードはますます加熱して、まさにクリスマスの一大イベントと化すことになった。


アリーナの二階観客席。関係者専用のロイヤルボックスで、杉本晴夫はスマホでラインの画面をひらいていた。

晴夫はきのうにつづき、ことみが手配してくれたエクストラチケットで大会を観戦していた。となりでは、恋人の水戸井ジェニファーとファッションモデルの橘ちなみが、シャンパンを飲みながら女子トークで盛りあがっている。

「ダニエルさん、どこにいるんだろう?チケットはなんとかするって言ってたけど、うまく手配できたのかな」晴夫はつぶやいて、高城ダニエル健二のラインにメッセージを打ちこんだ。

" ダニエルさん、もうアリーナにいるんですか。さがしてるんですけど見つからないんですよ "

晴夫は返事を待ちながら、ロイヤルボックスの下のほうに視線をむけていた。すると、ラインに高城からのメッセージが入ってきた。

" やあ杉本くん。連絡できなくてごめん。会場が混んでるし、アリーナに来るのは初めてなんであたふたしてたんだよ。きみはどこにいるの?"

" 二階席です。ことみが手配してくれた、ロイヤルボックスっていう関係者用の特別席です。ステージから見て右のほうですけど "

そのとき一階の最前列で、背の高い男性が立ってこちらに手をふっているのが見えた。晴夫は思わず笑みをうかべると、自分も立ちあがって手をふった。

ラインに電話がかかってきた。晴夫が出ると、高城が声をかけてくる。

「おいおい、これはまたすごい待遇だな。君たちはVIPというわけか」高城は半分冷やかしながら晴夫に言った。

「いやいや、そんなんじゃないですってば。クリオネのやつが一緒なもんで、いつもの調子というわけです」晴夫は最後まで理由を言わずに、高城の返事を待った。

「ああ、なるほど。彼女が裏から手を回したんだな。ジェニファーちゃんはレベルが違うからねえ。格差を感じちゃうよ、まったく」

「あいつ、金持ちなのを隠そうともしないんで腹立ちますよ。彼女ができたのはいいけれど、つき合いにくいったらありゃしません」と晴夫はグチをこぼした。

「えっ、杉本くんジェニファーちゃんとつき合ってるの!」高城はびっくりしてたずねた。

「あ、ダニエルさんにはまだ言ってなかったですよね。じつは最近そういうことになりまして。えへへ」と言って、晴夫は照れながら頭をかいた。

「たまげたな。財閥のご令嬢の彼氏というわけか。よくご両親がゆるしてくれたね」

「まあ、ホレてるのはあいつのほうなんで」晴夫はサラリと言った。「お母様との面談には勇気がいりましたけど、本音でぶつかりました。自分で言うのもなんですけれど、男らしく娘さんを守りますって宣言したんですよ。僕のこと気にいってもらえたみたいでよかったです」

「きみはいつでもまっすぐだからな。そういうところが僕も好きなんだ。おめでとう」

「ダニエルさんにそう言ってもらえるとめっちゃうれしいです」晴夫は声をはずませた。「ところで、今日はひとりで来たんですか」

「うん。僕の知り合いにはゲームに興味があるやつはいないからねえ」

「だったらダニエルさんもこっちに来てくださいよ。クリオネになんとかさせますから」

「いやいや。このままでいいよ」高城は明るい声で、晴夫の誘いをやんわりとことわった。「ことみさんの晴れ舞台をこの目に焼きつけようと思ってね。彼女もひとりで戦っているんだし、その姿をじっくりかみしめたいんだ」

「そうですね。僕たちの前だと外野がうるさいですもん。あっ、ちなみんが電話かわってくれって。ちょっと待ってくださいね」

高城は、電話のむこうで三人がワイワイ盛りあがっている声をきいていた。ことみに会えないでいる自分が、少しさびしく思えてきた。

「健二くん、おひさ〜!」

ちなみの元気な声がきこえてきたので、高城は気をとりなおした。

「やあ、ちなみん。新宿のとき以来だね。近ごろは杉本くんたちとすっかり仲良しグループじゃないか」

「そうなの。クリオネちゃんが妹みたいになついてくれるから、めっちゃ楽しいんだもん。あの子、杉本くんとカップルになったでしょ。そのネタで冷やかすとプンプン怒るんだけど、それがまた可愛いくて」ちなみの声は、いつものように明るくはずんでいる。

「こら、われのことでヒソヒソ悪口を言うでないぞよ」ジェニファーが会話に割りこんできた。「ちなみどの、電話をよこしてたもれ」

「あっ、やだクリオネちゃん。あたしが話してるんだから、もう〜」

「ダダをこねるでない。あ〜ダニエルどの、こちらに来ぬのか?ひとりぼっちではさびしかろう。近ごろはメダカどのにも会えぬのであるから…」

ジェニファーが最後まで言い終わらないうちに、晴夫がスマホをひったくった。

「バカ。おまえほんとデリカシーないぞ」とジェニファーを叱る。「すみませんダニエルさん。あいつまだ子供なんでゆるしてください」

「あはは、気にしてないよ。ところで試合のほうだけど、お昼ちょうどに開始だよね。大会の公式サイトでスケジュールはチェックしたんだけど、ことみさんのチーム名ってなんていうんだっけ?」

「〈アマテラス〉です。決勝トーナメント一回戦は第二ブロックで、韓国のチームとの対戦ですね」と晴夫は答えた。

「へえ、なかなかカッコいい名前だな。日本代表だからヤマト神話というわけだ。おっけー、ありがとう。それじゃ、ぼくはちょっとビールでも買ってくるよ。なにかあったら、またラインに連絡いれといて」

「はい、わかりました。ではまたあとで」

電話をおえた晴夫は、言葉にあらわしようのないさびしさを感じていた。本来ならダニエルさんも一緒に、みんなでメダカの応援をして仲よく盛りあがっているはずなのに。あいつだって、大好きな人の前なら実力以上の戦いができるはずだ。

なんとかあの二人をもとにもどす方法はないものだろうか。メダカのやつは、いちど殻に閉じこもるとやっかいだからなあ。ダニエルさんも優しすぎるし、こりゃあ至難のわざだ。俺の力不足だよ、まったく。じれったいったらありゃしない。

晴夫は、仲良くしている二人のことで頭を悩ませていたが、やがて女の子たちとの会話に戻っていった。


大会二日目の開始がせまった、正午の十五分前。東京新交通臨海線ゆりかもめが新豊洲駅に着いた。

車両の扉がひらくと、ことみは跳ねるようにしてホームを突っ切り、エスカレーターを二段おきに駆けおりていった。改札にパスモをかざしながらも、走る足は止めなかった。

今日は外気が冷えて、気温は二度だった。それでもパーカーの下は汗だくになっていた。有明アリーナにむかう道を、ことみは必死にかけていく。背中のバックパックが肩に食いこんで痛い。走りながら腕時計に目をこらすと、なんと試合開始まで十分しかない。ヤバい!

ことみはスマホのラインで、チームメンバーのタカに電話をかけた。ワンコールでつながった。

「いまアリーナの目の前!ほんと、ごめん。そっちどうなってる?」ことみは息をあえがせながらたずねた。

「あっ、メダカさん。もうしわけないけど、アウトっすよ」

「ええっ!」ことみは走りながら、思わず絶句した。

「あ、勘違いしないでください。時間のことですから」タカが、妙に含みのある口調で言った。「じつはね、こっちでちょっとしたハプニングが起きてるんですよ」

「えっ、どういうこと?」

「う〜ん。長い話になるんで、とにかく会場に来てください。メダカさんいないと困っちゃうんですよね」

タカの言うことが理解できないことみだったが、とにかく超特急でかけつけることが先決だ。

「わかった。もうアリーナの目の前だから、電話切るね」

「了解です」とタカが返事をした。

ふだんから運動をしないことみは、フラフラになりながら、関係者用ゲートへむかった。出場選手のパスをスタッフに見せると、アリーナの中に入って、コンコースを駆けていく。

選手の控え室にたどりついたことみは、入口のドアをいきおいよくひらいた。

〈アマテラス〉のメンバー四人と、韓国チームらしき若い男性たちが、部屋の中に立っていた。よく見ると、全員が戸惑った表情をうかべている。

両チームの間に、緑色のセーターを着た、外国人と日本人の二人の男性がいる。彼らは大会の運営委員だった。つまり、試合を監督するトップの人間である。その二人が、タカと韓国人の若者にむかってなにやら話しこんでいる。

ことみはなにが起きているのか理解できず、とにかくチームのみんなのほうへ近づいていった。

「ごめんなさい、大失態やらかした!」ことみはメンバーにむかって頭をさげた。「ところで、もう試合開始の時間だけどなにしてるの?」

「ああ、メダカさん。やっと来ましたね」最年長のヤシロが言った。ふだん落ちついている彼の表情が、めずらしく引きつっている。

「僕たちもよくわからないんですよ」というヤマトも、これまた困惑した顔つきである。

「タカどのが、いま運営委員の方と話されているでござるよ」とモウリが説明した。「メダカどのはリーダーゆえ、話し合いに加わるほうがよいのでは?」

そのとき、委員と話しこんでいたタカがことみを見つけて声をあげた。

「あっ、メダカさん!待ってましたよ。ちょっとこっちへ来てもらえますか」と言って彼は手をふった。

状況がわからないことみは、タカに言われるままにそちらへ近づいていった。彼の顔を見ると、とまどいと興奮が一緒になっているように感じた。どういうこと?

「ねえ、なにがあったの。ずいぶん深刻そうだけど」と彼にたずねた。

すると、タカが説明するより早く、日本人の委員が口をひらいた。

「あなたが〈アマテラス〉のリーダーさんですね。ちょうどよかった」男性が言った。その彼にむかって、もうひとりの外国人が英語で話している。日本人はうんうんとうなずいてから、ことみのほうに顔をむけた。「じつはですね、決勝トーナメント一回戦の〈アマテラス〉と〈ダイナスティ〉の試合に関して、ちょっとした問題が起きまして」

「問題ってなんですか?」試合を止めるほどだから、よほど重要なことにちがいない。ことみはそのまま、委員の話に耳をかたむけた。

「まあ、この時間に協議をしてるということで、あなたにもそれが何を意味するかはお分かりでしょうがね。つまり〈アバターセッション〉で、韓国チームに重大なルール違反の可能性があるんです」運営委員の男性はそう説明すると、ふたたび外国人の委員と意見をかわしはじめた。

やっぱり出たか。ことみは頭の中で思った。いるのよ、必ず。こういうデカい大会になると、こすっからい裏手口を使ってくるのがねえ。ことみは、このトラブルのことを聞いても驚かなかった。彼女は、世界中のゲーマーと数えきれないほど〈ロアー〉をプレイしている、トッププレイヤーなのだ。この世界については裏も表も知り尽くしている。なので、〈アバターセッション〉で違反の可能性ありと聞いた時点で、なにがあったのかはだいたい察しがついた。


〈アバターセッション〉とは、かんたんに言えば、対戦前におこなわれるキャラクター選びのことである。だがその内容は「試合の前のもうひとつの試合」と言われるほど、ゲームのゆくえを左右する重要なかけ引きの場なのである。

セッションをひと言で表すと、対戦する二チームによってキャラクター選択権を争う、高度な頭脳戦ということになる。

〈アバターセッション〉は、第一ステージから第五ステージまでのローテーション(順番)が、両チームに組まれている。セッションでは、先行チームも後攻チームも、自分たちが必要とするキャラクターの獲得をめざす。ここでいう「アバター」とは、プレイヤーがゲーム内で使用する、自分の分身を意味する。つまり、仮想世界である〈ロアー〉の舞台で戦うキャラクターのことだ。

セッションでは、ゲームを戦う五人のプレイヤーが、数百種類あるネームリストから、獲得したいステータス(能力値)をもつキャラクターを指名する。通常の場合、各チャンピオンが選ぶのは「ロール」、すなわちゲームでの役割にいちばん効果を発揮するキャラクターである。もちろん、ゲームは遊びの楽しさもあるので、毎回お気に入りのキャラを選ぶプレイヤーも多い。

たとえば、日本チーム〈アマテラス〉のタカのロールは「フォレスト」エリアを専門とするフォレスターだ。そのため彼は、交渉力にたけて視野の広い『ドレンガー』をアバターとして使っている。フォレストについては、ここではあえて説明をさけておくことにしよう。

そして、ここで希望するキャラクターの選択権をめぐって、二つのチームが相手に心理戦をしかけながら、敵の弱体化や戦力の低下をねらう。

強豪チームになればなるほど、この〈アバターセッション〉のかけ引きがうまく、強い。ゲームプランに必要なキャラクター構成を実現すれば、試合はもう半分勝ったようなものだ。プレイヤーがどれだけ望みのタイプに近いキャラクターを得ることができるかどうかが、〈アバターセッション〉の最大の目標となるのである。

セッションの第一ステージから第三ステージは、相手側が指名しそうなキャラクターを予測し、「ヴォイド」(使用できなくする)という権利を使うかどうかを考える。ここで重要なのが、相手もこちらのプランを予測して「ブラフ(はったり)」をしかけてくる可能性だ。うかつにヴォイドすれば、回数制限が決められた貴重な権利をへらしてしまうことになりかねない。

自分たちのキャラクター構成をうまく組み立てて、ゲームプランどおりに試合をすすめられるか。相手チームに戦力アップを阻止されて、予定していたゲーム戦略がくずれてしまうか。与えられたルールのなかでチーム対チームが火花をちらす〈アバターセッション〉は、じつに見ごたえのあるシステムなのである。

セッションでのかけ引きの結果は、試合の展開に大きくかかわってくる。とくにゲーム序盤の支配権を争う攻防では、チャンピオンの機動性にもろに影響するため、チームは〈アバターセッション〉に全力をそそぐのである。

もちろん、〈ロアー〉のファンもこのかけ引きに注目しているのは言うまでもない。本番の前から、ゲームはすでに始まっているというわけだ。

解説が長くなった。話をもとに戻すとしよう。


「違反って、具体的にどんなことですか」ことみは、いちおう委員にたずねた。「ブラックサイトから、公開データ以外の情報を盗んだとか。それとも意図的に誤選択くりかえして、持ち時間を延長しまくったとか」ことみは、自分の経験上で考えられる裏ワザをならべていった。

「まあまあ、そうあせらずに。いま管理本部に確認しているので、もう少々お待ちください」委員は落ちついた口調でことみをなだめた。

ことみはタカに目くばせをしてみせたが、彼は肩をすくめて首をふるだけだった。

そこで韓国チームに目をむけると、五人の若いコリアンたちは、まるでなにごともなかったかのように笑顔でふざけあっているではないか。不自然だ、とことみは思った。違反があったかもしれないと知らされているのに。これは変だな。

ははあ、さては確信犯だなこいつら。バレないと思って裏ワザ使いやがったにちがいない、とことみは判断した。リーダーのあたしがいないのをいいことに、イカサマかよ。なめやがって。そんな彼女の射抜くような視線を感じたのか、彼らはチラッとこちらを見て目を泳がせた。ことみはそれを見のがさなかった。

予選グループの〈アマテラス〉の圧倒的な試合ぶりをみて、まともに戦えば勝ち目はないとふんだのだろう。だから対戦中ではなく、ダミー戦術を使いやすい〈アバターセッション〉で、一か八かのギャンブルに出たに違いない。

それにしても大会常連の強豪が、なぜこんな恥知らずなことをするのか。正攻法でも、対等かそれ以上の戦いができるはず。ことみはそれが不思議でならなかったけれども、自分たちが〈ダイナスティ〉ほどの実力者にさえ脅威をあたえていることに、彼女は気づいていなかったのだ。


「ああ、そうですか。はい。了解です。現場のほうはこちらで処理しますので。お手数をおかけします。では」

運営委員の男性が、本部からの指示と思われる電話にこたえていた。話をおえた彼は、横の外国人の委員にボソボソとつぶやいている。二人は身ぶり手ぶりをくわえて、二、三分ほど真剣な表情で議論をかわした。

「それではチームのみなさん。全員こちらに集まってください!」運営委員はそう言って、両チームのメンバーを呼んだ。

〈アマテラス〉の男性たちは、心配そうに顔を見合わせてソファーから立ちあがった。いっぽう韓国チームの〈ダイナスティ〉は、なんの引けめもないかのように堂々としていたが、ことみにはそれが虚勢のポーズだとわかっていた。

「長い時間お待たせして、たいへん申しわけありませんでした。先に結果からお伝えします」委員はそこでひと呼吸おいた。両チームに緊張がはしる。「決勝トーナメント一回戦、第二ブロックは、韓国チーム〈ダイナスティ〉のルール違反により、日本チーム〈アマテラス〉の不戦勝となりました」

その発表を耳にしたメンバーのタカが、チーム全員にむかって親指を立てた。〈アマテラス〉の五人は大さわぎこそしなかったけれども、強敵とみなしていた相手と戦わずしてトーナメント初戦を突破したことに、うれしさをかくせなかった。

いっぽう韓国チームは、この判定に全員で抗議の声をあげた。ハングル語と英語がとびかう。「ノンダミジ!」冗談だろ。「カブルジマ!」ふざけんなよ。「ワッツアファック!」なんなんだよ。

この抗議に対して、外国人の運営委員がすぐさま応じた。その表情には、冷静ながらも断固とした意思があらわれている。

彼の説明は五分ほどつづいた。その間、韓国人の若者たちは、さかんに声をあげて突っかかっていた。だが外国人の委員はとりあわず、ついに話に決着がついた。

遅刻であやうく失格になりそうだった試合を不戦勝でクリアしたことに、ことみは内心ホッとしていた。そして、違反の内容を確認することにした。

「それで、けっきょくペナルティの原因はなんだったんですか?」

「あなたの予想したとおり、誤選択の意図的なくり返しですよ」日本人委員が言った。「キャラクターオプト、つまり選択にあたっては、プレイヤーの持ち時間は一分半と決められているのはご存知ですね。これはあくまで指名がスムーズにいった場合のタイムリミットですが、チームからリクエストがあってやり直しになると、さらに四十秒間の追加が認められます。ここまではルール上なんの問題もありません」

ことみをはじめ〈アマテラス〉のメンバーは、彼の説明にうんうんとうなずく。委員は続けた。

「問題は、彼らが同じ〈ヴォイド〉を三回もくりかえしたことです。そのターゲットは、田中ことみさん、あなたのチャンピオンだったのですよ」

〈アマテラス〉のメンバーたちは、委員が説明した内容に驚いていた。彼らは、相手の誤選択がなにを目的としていたのか、まったく気づいていなかったのだ。

ようするに韓国チームは、リーダーが不在の〈アマテラス〉に対して、巧妙なアバターつぶしを仕掛けたのだった。しかしそれは、ことみの強烈な速攻を阻止しようとするあまり、みずから墓穴をほる結果をまねいてしまったのだ。

ことみはそのことに、怒りも不満ももたなかった。〈ロアー〉の世界では、こうした掟やぶりのブラックハンド(犯罪的行為)は、追いつめられたチームに起こりやすいことなのである。ましてや国際大会ともなれば、高額の賞金がかかってくるのだからなおさらである。

委員はさらに続けた。

「アバターセッションでは、特定のチャンピオンに対する意図的なヴォイドのくり返しは、二度までと決められています」彼はルールを確認しながら説明した。「その理由は、対戦チームのチャンピオンどうしの能力をできるだけ近いものにして、あくまでテクニックに比重をおくという、〈ロアー〉のゲーム性にあります。マルチプレイヤーバトルならではの、戦略と連携プレイを重視しようというこのコンセプトによって、クォリティの高い迫力あるゲーム展開になるわけですね。

しかし韓国チームの行為は、ヴォイドの回数違反だけではなく、この〈ロアー〉のプレイヤー精神をいちじるしく逸脱するものでした。本来なら、キャラクター選択のプライオリティを剥奪するペナルティを与えるだけですんだでしょう。しかし運営本部は、大会の名誉を大きく傷つける重大な違反行為であると判定して、〈ダイナスティ〉に失格の処分をくだしました。以上が判定のいきさつです。なにか質問はありますか?」運営委員は、長い説明をおえて〈アマテラス〉のメンバーにたずねた。

ことみをはじめとする五人は、彼のていねいな説明をしっかりと理解した。疑問点はいっさいない。

韓国チームは、外国人委員の通訳を聞いて、やっとあきらめたようだった。さきほどまでの強がりが消えて、すっかりしょげてしまったようだ。

というわけで、決勝トーナメント一回戦、第二ブロックの戦いは、あっけなく決着がついた。〈ダイナスティ〉のメンバーたちは、パソコンをバッグにしまってそそくさと部屋を出ていった。〈アマテラス〉の五人は思わぬ展開にまだ戸惑っていたが、とにもかくにも無事に勝ち進んだことで、素直にホッとしていた。

「いやあ、メダカさんが遅刻やらかしたときは生きた心地しなかったっすよ、マジで」と言って、タカがソファーに倒れこむようにして腰をおろした。

「わたしも肝を冷やしました」とヤシロも口をそろえた。

「ラッキーなんてもんじゃないですよね。セ〜フ!」とヤマトがふざけた。

「まあ、終わりよければすべてよし、でありまするな」とモウリ。

「なによ、みんな。だからあやまったじゃん。もう許してよ〜」ことみは、リーダーとしてあるまじきドジをやらかしたことで、面目まるつぶれだ。いつもの強気な態度はどこへやら。「お願い、二度とやらないから。今回だけはかんべんして。マジでごめん!」

「冗談っすよ、メダカさん」と言ってタカは笑った。「うちらが勝ててるのはリーダーのおかげなんだから。でも、弱気なメダカさんも可愛いっすけどね」

「うんうん、女の子らしくていいですね!」とヤマトもはやしたてた。

「くっそ〜、くやしいけどなんも言えん!」と言って、ことみは眼鏡がずり落ちそうなしかめっ面をした。「な〜んて、みんな優しくてあたし幸せよ。これからもよろしくねん」

「あはは!」「わはは!」

チーム〈アマテラス〉に、いつものお気楽さと明るさが戻った。

さあ、つぎは準決勝だ。

五人は、現在おこなわれている各ブロックの経過をチェックするために、みんなでアリーナへとむかった。



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