ひとりきりのクリスマス
クリスマスイヴ前日の夜。
東京都杉並区、JR中央線の阿佐ヶ谷駅近くにあるデザイナーズマンションの一室で、高城ダニエル健二はインターネットテレビを見ていた。時刻は夜十時をすぎている。
今日は、彼が経営する表参道のアパレルショップ〈ゾーン〉の棚卸しの日だった。女性店長の美波やアルバイト店員といっしょに、高城は遅くまでいそがしく作業をしていた。
ここのところ、クリスマスと年末商戦で売り上げが好調だ。ニューブランド『TAKE36』の人気も上々で、オンライン商品の注文は、サイトを立ち上げてから一番の販売実績をあげている。
ビジネスはすこぶる順調だ。にもかかわらず、高城の気分は沈んでいた。
十月からこのかた、仕事をしていてもクラブでDJをやっていても、ひとりの女性のことが頭から離れないのだ。
かつて大学生だったとき、彼は信じていた相手に裏切られて大きな失恋の痛手を負ったことがあった。それ以来、異性への関心は失せてしまい、高城は仕事に没頭する毎日を送ってきた。
そして三十歳の夏の日、彼の心に空いた隙間をうめるように、とつぜんの出会いが訪れた。長く続いたひとり旅の先に、未来を照らす光を彼は見たのだ。
高城が忘れられないその女性とは、彼がひとめ惚れした田中ことみ。純粋ではかなく、心は壊れやすいガラス細工のよう。それでいてなぜか強い引力を放つ彼女に、高城の魂は燃えあがったのだ。ふたたび芽生えた人を恋する喜びは、なにものにも変えがたい癒しとなって彼を優しく包んでいったのだった。
ネットテレビでは、いま世界で視聴者数をのばしているアメリカのドラマを放映していた。高城は画面を見るともなしに、ぼんやりとソファーにもたれかかっていた。心ここにあらず、である。
夏の終わりに、とつぜんことみとの恋が終わった。といっても、高城のなかではまだことみとの関係は続いている…そう思いたかった。
アメリカから帰国した元恋人の綾波カレンの「婚約者」発言が、それまで順調に育んでいたことみとの恋愛を、ガラスが音を立てて割れるように砕いてしまったのだ。
そのカレンは、自分がトップをつとめるアメリカの会社で問題が発生したといって、高城のことなどおかまいなしに去っていった。とっくに彼女への気持ちなど失せていたものの、あまりの自己中心的な態度に高城は怒りをおぼえた。
とつぜん帰国した彼女が、過去に彼を捨てたことなどなかったかのように接してきたことに、高城は困惑していた。ところが彼に新しい恋人ができたことを知ったとたん、プライドが許さないとでもいうように、カレンは彼とことみの仲を引き裂くような行動に出たのだ。
まだ高城とのつきあいに自信が持てずにいたことみは、婚約者と名乗ったカレンの出現に打ちのめされた。そして、夢にやぶれたように高城の前から姿を消してしまったのだ。
それが約二ヶ月前のこと。その間、ことみに真相を伝えようとなんども連絡してみたが、彼女は電話にも出ず、ラインやメールにも返信してくることはなかった。
引っ込み思案なうえ、人に心を開くことが容易ではないことみのことだ。きっと自己嫌悪に落ちいって、さらに殻に閉じこもってしまったにちがいない。高城は、もはや打つ手はないのかと絶望するばかりだった。
田中ことみは、生まれてはじめて自分の心を満たしてくれた女性だったのだ。肩書きや外見という荷をおろして、少年の頃のように気持ちが浮き立った。心の扉が開いて、希望の光があふれた。彼女のような純粋な人柄をもつ異性には、二度と出会うことができないだろう。
だからこそ、高城はあきらめることができなかったのだ。とはいえ状況は完全な八方ふさがり。なにごとにも万能な彼をもってしても解決策はみつからず、途方に暮れる毎日だった。
「ああ、まったく。こんなんじゃだめだ」と高城はつぶやいて、ソファーの背にもたれかかった。「クリスマスは部屋にこもるかなあ。人に会う気がしないや」
高城は気分を変えるために、コーヒーを入れようと立ちあがった。そのとき携帯の着信音が鳴った。画面を見ると、ラインの電話だった。相手のネームを見ておやっと思い、通話ボタンをクリックした。
「やあ杉本くん、久しぶりじゃないか」高城は、先ほどまで沈んでいた気持ちが少しだけ晴れて、明るい声で呼びかけた。
「こちらこそごぶさたしてます、ダニエルさん!」杉本晴夫はあいかわらず好青年らしい口調だ。
「しばらく顔を見てないけど元気だったかい。まるで弟の声が聞こえたみたいでうれしいねえ」
「ダニエルさんにそんなこと言われると照れますよ、えへへ」電話のむこうで晴夫が頭をかく様子が見えてきそうだ。
「ところでなんの用だい。洋服のことで質問でもあるのか?」高城は以前に、パーティー用の服を晴夫に買ってやったときのことを思い出した。
「あ、いえ。ちょっとダニエルさんに知らせておきたいことがあって…」晴夫は口ごもった。言いにくそうにしている。
「ん、なんだい?」
「ええと、あの、そのう…」なかなか切り出せない。
「おいおい、遠慮しないでくれよ。そんなに言いにくそうだと不安になっちゃうじゃないか」と言いながら、高城は首をひねった。どうしたんだろう。ハキハキした彼らしくない。
すると、晴夫が言葉をつないだ。
「ことみのことなんです…」と晴夫が言う。
「えっ」高城は、思わず言葉につまった。
「すみません。ぼくが話すのはおこがましいんですけれど、どうしても伝えておかなきゃと思って」と言う晴夫の声には、せっぱつまった気持ちがあらわれていた。
「いいんだ。それより、ことみさんに何かあったのか?まさかケガでもしたんじゃないだろうね」高城は晴夫にせまった。
「いえいえ、そんなんじゃないです。ピンピンしてますよ。それよりダニエルさん、ことみが今なにしてるか知ってますか」
「あ、いや。恥ずかしいことに、知りたくても連絡がつかないんだよ。で、どうしてるんだい?」
「ダニエルさん、有明アリーナって知ってますよね。あいつ、そこでやってるゲームの世界大会に出場してるんですよ」
「ええっ、ことみさんが!」高城は思わず声を張りあげた。
高城にとって、これは驚きなんていうものじゃなかった。彼女は恥ずかしがり屋で、人前に出るのが極端に苦手だ。その彼女がゲームの世界大会だって?
てっきり落ち込んでふさいでると思っていたのに、そんなことになっているとは…高城は悶々としている自分が情けなくなると同時に、堂々と立ちあがっていた彼女にわずかな嫉妬さえ感じていた。
「世界大会かあ。そんなこと考えてもみなかったよ」と、高城は正直な気持ちを口にする。
「まあ、正直いってあいつの取りえはゲームだけなんで…あっ、すみません。得意っていう意味ですから」
「あはは。いいよ、気にしないで」弟のように思っている晴夫との会話で、高城は久しぶりに気持ちがほぐれてきた。「それで、くわしく教えてよ」
「もちろんです。ええっと、こんなこと言うのもなんですけど、ダニエルさんとぎくしゃくしてから、ことみのやつ抜け殻どころか鬼のようにゲームに取りつかれちまって。それで連絡したら、クリスマスの世界大会に出るって言い出したんでびっくりしたんですよ」そこまで言うと、晴夫はいったん息をついた。そして先を続けた。「そんな大それたことできるはずないのに、どうしたんだって思って。で、親友の僕なりに考えてみたんです」
「言いたいことはわかるよ。で、君の考えとは?」
「ええっとですね。僕からみて、あいつにはいろんな才能があると思うんですよ。たとえば、コンピュータの技術とかハンパないですしね。だけど内気な性格のせいで、自分にはできないとか縁のないことだって最初からあきらめちゃう、そんなやつなんですよ。
でもダニエルさんと出会って、ことみは今までの人生に欠けていたものを手に入れたと思います。つまり、自分も幸せになっていいんだって」晴夫は会話を止めて、高城の言葉を待った。
「杉本くん。彼女はね、自分が考えているよりはるかに器の大きな人だと僕は思う」高城はことみの内面について意見をのべた。「はじめて出会ったとき、僕は彼女に対してそういう未来への輝きみたいなものを感じたんだ。だから、この人とはこのまま別れたくない、そう思って連絡先を強引に交換しちゃったんだ。ふだん僕はめったにそういうことはしないんだけどね。そのあとも偶然が重なったり、僕から誘ったりして何度か会ううちに、ことみさんの魅力にどんどん引きこまれていったんだ」
「ダニエルさんと会ってからのことみは、びっくりするほど変わりましたよ」と晴夫は言う。「親友の僕から見ても、可愛いくなっておしゃれもするようになったし。クリオネ、いや、ジェニファーやちなみんと知り合ったこともあるけれど、それまでとくらべて他人に心を開くようになりました。それって、ぜんぶダニエルさんがいたからなんですよね」
「それが本当ならうれしいけど」と高城は言ったが、今の状況を考えると素直によろこべない気持ちもあった。
「まちがいないです。ていうか、僕こそダニエルさんと会って世界が広がりましたから。それはことみのおかげだし、だからあいつにはぜったい幸せになってほしいんです」そこまで言って、晴夫は口調を変えた。「でもあんなことがあってから、以前にもまして殻に閉じこもるようになっちゃって」
晴夫が "あんなこと" と言うのは、高城の家のパーティーで元恋人のカレンが婚約者だと宣言したことだった。
「すべては、カレンの行動を防げなかった僕のせいさ。ことみさんはどんなにショックだったか。それを思うと胸が張り裂けそうだよ」と高城はつらそうに語った。「もっとハッキリと、ことみさんに自分の気持ちを伝えておくべきだった。彼女は異性に対してすごくナイーブだからね。ちょっとしたことでも気が引けてしまうし、もとに戻るのは人の数倍も大変なんだよ」
「あいつ恋愛経験ないんで、自分からどうしたらいいかなんてわからないと思います。だから全部あきらめちゃおうかって」と晴夫は悲しげに言った。「だけどダニエルさんと出会ったことで、なんていうか、前とはちがう選択を決心したと思うんですよね。たぶんあいつは、残されたのはゲームだけだって思ったんじゃないかな。ダニエルさん知らないかもしれないけど、あいつゲームでは世界的な有名人なんですよ」
「えっ、ほんとうなの?」高城は驚きの声をあげた。
「ことみは毎日、海外のプレイヤーと組んでオンラインのバトルゲームをやってるんですけどね。あいつのプレイテクの凄まじさに、世界中のプロゲーマーから対戦を申しこまれているありさまで」
「すごいな。それはまたびっくりだよ。なるほどね、だから大会に出場できたわけだ」
「じつは今日、ジェニファーとちなみんと三人で有明アリーナへ行ってきたんです。ことみのチームは、最速で予選グループ一位突破!すごかったですよ。強いのなんのって。ネット中継もゲームのチャットサイトも、ことみの話題でもちきりですからね。ダニエルさんもよかったら見てください」
「もちろんだよ!やっぱり彼女は秘めた力をもっていたんだな。やったね、ことみさん。僕はすごくうれしいよ」高城は思わず顔を天井にむけて、目からこぼれる涙をおさえた。晴夫に見られていないのが幸いだった。「その点、僕は情けないな。ずっとウジウジしてばっかりで、最近はなにをしてても彼女のことばっかり考えてるしね」
「そんなこと言わないでください、ダニエルさん。二人はまたもとに戻れますよ。いいえ、戻らなきゃだめです」晴夫は思わず声をあげた。「ことみはこの大会に人生をかけてます。自分の壁をやぶることでダニエルさんにふさわしい女になろうと、きっと心の中で覚悟を決めてると僕にはわかるんです。どこまでいけるかわからないけど、ことみの一生に一度のチャレンジをどうか見守ってあげてください。そして、終わったらあいつを…すみません、恋愛ベタなんでこれくらいしか言えないや」
高城は、晴夫の親友への思いに心を揺さぶられた。愛する人が、いま勇気をもって人生に立ち向かおうと戦っている。そうとも知らず俺はいったいなにをしていたんだろうか。
二ヶ月間くよくよ思い悩んでいた自分を恥じるとともに、彼は腹をくくって心を決めることにした。
「わかった杉本くん。それでじゅうぶんだ。僕はまちがっていたよ。ことみさんのことを思うあまり、これまで僕は彼女のほんとうの姿を見誤っていた」高城は年下の青年に力強く伝えた。「ありがとう。僕はもう悩まないよ。たとえ恋は実らなくても、すべてをかけて彼女を助ける。誓うよ。ことみさんがずっと素敵な人生をおくれるなら、僕はどうなってもいい」
「やった!大丈夫ですよダニエルさん。あいつはダニエルさんが大好きですから。ただ、今の自分のままじゃいやなだけなんです」晴夫は明るい声で言う。「ところで、イヴとクリスマスの二日間て予定入ってますか?」
晴夫の質問をきいて、高城は明日からのスケジュールを思い出した。う〜ん、これは困った。
「それがじつは、クリスマスはうちのショップのかき入れ時なんだ。スタッフにまかせられればいいんだが、一年でいちばん重要な時期なんで、経営者の僕が店をあけるわけにはいかなくて」
「うひゃあ〜そうなんですか。なんとかなりませんかダニエルさん?」
「いや、かならず時間をとるよ、ことみさんの一世一代の晴れ舞台だからね。ところでその大会だけど、どんなイベントなの?」
「さっきも言いましたけど、オンラインバトルゲームっていうんですけどね。複数プレイヤーがチームを組んでネット上で戦うんです」ゲームに詳しくない高城に、晴夫は細かくくだいて説明する。「ことみが出場してるのは、世界最大の〈レジェンド・オブ・インペリアル〉通称ロアーっていうオンラインバトルゲームです。総プレイ人口一億人ですからね。その年間シリーズの最終戦が、今回はじめて日本でおこなわれているわけです」
「なんだかすごい規模だね。で、大会のスケジュールはどうなってるの?」と高城はたずねた。
「三日間の開催で、今日の第一日目が予選リーグでした。明日から二日間は決勝トーナメントで、最終日にはファイナルステージのひと試合だけやるみたいです。観客は朝十一時からアリーナに入れますよ。明日の試合が始まるのはお昼ちょうどですけど、ファイナルの日は記念イベントがあるので午後三時から。まあ、こんな感じです。あ、席の予約ならことみに頼めますけど…」
「いや、それは自分でなんとかするよ。だから僕が行くことは知らせないでくれ。彼女の心が乱れたら大変だろ」高城はそう言って晴夫に念を押した。
「わかりましたダニエルさん。もし来れるようなら、そのときは電話してくださいね。試合の前に会場を見て回りましょうよ。それと、ゲームのことや大会のこと教えますから」
「そうだね。僕もこれからネットで調べてみるとしよう。電話をくれてありがとう、杉本くん。なんだか力がわいてきたよ」
「そう言ってもらえるとうれしいです、えへへ。じゃあ、明日ぜひ。来られること祈ってます」
「必ず時間を作って行くよ。それじゃあね、おやすみ」
「おやすみなさいダニエルさん」
高城は通話ボタンをクリックして、晴夫との会話を終えた。
僕を兄のように慕ってくれる年下の彼に、思わずはげまされてしまった。さすがはことみさんの親友だけのことはある。彼女のことを、自分はまったくわかっていなかったんだと痛感させられたな。
高城は出会って以来はじめて、ことみのなかで静かに燃える灯りを見た気がした。それはやがて大きな炎となり、彼女の未来を照らすことになるだろう。その瞬間を必ずこの目で見とどけなくてはならない。
決意をかためると、スマホをテーブルに置いてキッチンにむかった。コーヒーメーカーのスイッチを押して待つあいだ、明日のスケジュール調整を考えた。朝いちばんで店長の美波くんに連絡するとしよう。彼女とは長いつきあいだ。ありのままを話せばいい。それに、あの店の経営もそろそろ彼女にゆずって、新しいブランドに力を入れる頃合いだ。
ソファーに戻ると、高城はラップトップパソコンを開いた。グーグルの検索エンジンでサーチをかける。なんといったっけ?うん、そうだ。〈レジェンド・オブ・インペリアル、〉、と。どれどれ…
それから高城は、晴夫が言っていた世界一のゲームのことを朝まで調べて続けていた。
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