第48話聖夜への秒読みPART 1

港区麻布十番のひっそりとした住宅街に、その店はあった。黒壁の外観が特徴の料理屋の名前は〈月庵(げつあん)〉という。

政治家や有名作家なども足を運ぶ、いわゆる隠れ家的な懐石料理レストランだ。この店の代表メニュー「徳島産・阿波尾鶏(あわおどり)の塩焼き」は、鳥もも肉を皮目の色が変わるまであぶり焼き上げた、濃厚な旨味にワサビの風味が効いた一品である。

〈月庵〉のインテリアは、外観と同じく黒で統一されている。こじんまりとした店内は、黒檀(こくたん)の一枚板を利用したカウンター席が五つ、二人または四人掛けのテーブル席が四つ、それに奥の個室とに分かれている。


川原木ひかりと是永友康(これながともやす)は、そのうちの二人掛け席のテーブルをはさんで座っていた。卓上には、懐石コース料理の向付(むこうずけ)である刺身のおつくりが大皿に盛られている。

十二月二十日。今年もあと十日あまりという師走の夜、ほの白い照明の下で、二人のカップルは満ち足りた時間を過ごしていた。


「四年前を思い出すね」と言って、友康は店内を見渡した。「何もかもがなつかしいよ」

「ほんと。あの頃はまだ出会ったばかりで、あたしすごく緊張してたもん」ひかりは照れながら、恋人に片目をつぶってみせた。「友康くんて、あたしのまわりにいる仲間と違って、すごく上品だったし。おまけにこんな敷居の高い店に連れてこられて、場違いな感じがして恥ずかしかったなあ」

「あの時は君に気に入られたくて、内緒でがんばったんだよ。僕だってこんな店には来たことなかったけど、けっこう慣れてるように見えただろ?」友康は、面長の端正な顔にいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「あはは。でも、まさかねえ〜あの後に友康くんがアメリカに行っちゃうなんて、思ってもみなかった。それも四年も!」とひかり。

「ごめんごめん。ほんと、つらい思いをさせちゃったよね」四年前に医学留学で渡米することを告げた時に、恋人から聞いた悲しい言葉を友康は思い出した。「でも、今ふり返るとそれもいい思い出かな。ひかりちゃんに再会できたんだから、すべては幸せになるためのレッスンだったっていう気がするよ」

「もう〜せっかく待ったんだから、大切にしてよね!でも許してあげる。これもらったから」と言って、ひかりは薬指にはまった婚約指輪をライトの下にかざした。

「おっ、ずいぶん気に入ってくれたみたいじゃないか」友康は思わず目を細めた「あと一年、二人でがんばろうね。学部の教授からは、赴任先の病院も決まってあとは研究論文を書き上げるだけだ、って言われてるし。その間に、新居探しと結婚式のプランを進めよう」

「結婚かあ〜。あたし、小さい頃から家庭が複雑だったし、こんな幸せなウェディングなんて想像もしてなかった。ナンパしてくれてありがとね!」と言いながら、ひかりはケラケラと笑った。

「おいおい、最初に声をかけたのは君だぞ!僕はそんな遊び人じゃないし…」

「わかってるって。友康くん、相変わらずピュアだよね〜。ま、そこが素敵なんだけど」ひかりは年上の彼氏に、精一杯のセクシーな視線を向けた。


四年前、ひかりと友康は、渋谷のクラブ〈タイタン〉で知り合った。当時「ライラ」という名前でスタッフとして働いていたひかりは、人混みの中に居合わせた背の高い男性に目を引かれて、声をかけた。彼が医学生で、クラブにはたまたま友人に誘われて来たのだと知ったひかりは、自分とはまったく違うタイプのその青年と連絡先を交換したのだ。

派手な外見で男に不自由することのないひかりだったが、この時ばかりは、少女のように純真になって医学生に心を寄せた。そんな彼女の中に、暖かくて家庭的な一面を感じ取った彼も、相手の求愛に真剣にこたえた。

互いに忙しい時間の中で急激に距離を縮めていった二人は、何度目かのデートの後に結ばれた。しかし、そこに友康のアメリカへの留学の話が持ち上がって、ひかりは試練を突きつけられたのだった。

若い恋人どうしは、やがて帰国の後の結婚を誓い合った。ひかりが二十一歳、友康が二十三歳の時の出来事だった。そして四年後、彼が帰国したのはつい三ヶ月前のことになる。


「お待たせいたしました。焼き物でございます」

黒い和服姿の女性が、コース料理の六品目となる『阿波尾鶏の塩焼き』を盛った皿をテーブルに運んできた。鶏肉の皮に網焼きの跡がついて、濃厚な脂とわさびの風味が漂っている。

懐石のコース料理では、このあと〈炊き合わせ〉の煮物、ご飯、水菓子と続く。

「どうぞごゆっくりお召し上がりくださいませ」と言って、女性店員は下がっていった。

「うわ、これは美味そうだな」と言って目をパチクリさせると、友康は鶏肉の芳醇な香りに顔を近づけた。

そんな彼の様子に幸せを感じつつ、ひかりも国産高級肉の見事な仕上がり具合いにうなずいた。

「料理の得意なあたしでも、さすがに負けるわね〜。奥さんになったら、もっと勉強しようっと!」

二人は互いに箸を取って、さっそく名物メニューに口をつけることにした。


クリスマスまであと五日。天気予報では、深夜からみぞれが落ちて、朝には都内で初雪が見込まれているという。




場所は変わって、杉並区高円寺。

JR中央線の駅から近くにある、美容室「フローラ」の二階にて。


部屋の隅で特製のゲーミングチェアに座っている田中ことみは、カチカチとマウスのクリック音を立てながら、画面上のカーソルを行き来させていた。

「シタデルからあたしのチャンピオンがプロムナードに飛び出して、最初に敵のトゥルーパーズを視界に入れるまでが、ゲーム開始から七秒。そのタイミングでアッパーのヤマトをフォワードさせて、相手のチャンピオンを引きつけておいてから、フォレストのタカにガンクさせる、と…」

難解なゲーム専門用語を使ってブツブツつぶやいたかと思うと、ときおり空いた左手でファンタグレープの1.5リットルボトルをつかみ、中身を喉に流し込む。

この一時間、ことみは自分がプログラムした解析ソフトウェアを使って、仮想戦闘データとゲーム画面に目を釘付けにしていた。

「ロウワーのヤシロはじっくり様子見しながら、トゥルーパーズをタワーに張り付けてポイントを稼ぐ。上下の攻撃パターンの対比を大きくしておいてから、あたしがプロムナードのタワー戦に取りかかればいいかしら…」


ことみが分析しているのは、今月の二十三日から東京都江東区の有明コロシアムで開催される、eスポーツの世界大会〈ロアー・ワールド・ウィンターゲームズ〉の初日、予選リーグ第一試合の戦闘シミュレーションだった。

〈ロアー〉とは、米国の〈パックワールド〉社が開発・運営するオンラインバトルゲーム『レジェンド・オブ・インペリアル』の通称である。


史上初となる日本大会は、年間に五回行われる〈ロアー・ワールド・インビテーション・シリーズ〉の今季最終戦の舞台となった。

初の日本開催という事で、今回の〈トウキョウ・ステージ〉は早くからゲーム関係者の大きな関心を集めていた。それに輪をかけたのが、海外で〈フジヤマ・キャットガール〉の別名で呼ばれる、天才女性ゲーマー「MEDAKA」のチームが参戦するという話題だった。

「MEDAKA」とは、ほかでもない田中ことみのハンドルネームである。世界中のプロゲーマーからも一目置かれる彼女には、〈ロアー〉のオンラインサイトでチーム対戦を求めるプレイヤーが後をたたない。

技、スピード、戦略のすべての面で類を見ない彼女のプレイは、運営元の〈パックワールド〉社が公式サイトに掲載する「アメイジングスタイル・オン・インヴォケイトナローズ」にも紹介されるほどなのだ。


難しいワードが続いたので、話をわかりやすく進めよう。


ことみの率いる五人のチーム「アマテラス」は、〈ロアー〉の大会で戦った経験がない。他のメンバーはもちろん、ことみ自身も大舞台を前に緊張を隠せなかった。

そんな彼らの不安をよそに、世界中の〈ロアー〉マニアたちの間では、ツイッターやゲーム実況サイトで興奮の声が飛び交っていた。


" 彼女は一体どのチャンピオンを選ぶんだ?"

" 第一ヒットにワクワクする!その瞬間を見逃すな!"

" 予選で戦うチームは帰る準備をしておくべきだよ"

" 優勝間違いなし!"


お気楽なものである。いくらことみが天才と呼ばれようが、ヒロインとあがめられようが、相手は一騎当千のプロゲーマーばかりなのだ。ましてや初舞台ともなれば、事はそうそう上手く運ぶわけがない。それを一番理解しているのは、ことみ自身だった。


この二ヶ月あまり、ことみは自分の持てるすべての能力を総動員して、チームの強化に取り組んできた。

みずから開発した〈ロアー〉専用の解析ソフトウェアを使い、他の15チームの過去のデータを無数のパターンで再現したバトルシミュレーターを作り上げて、チームを一から鍛え上げた。実力では遠く及ばない男性メンバーたちだったが、ことみの情熱とリーダーシップに引かれて、短期間に見違えるようにレベルアップを遂げた。

やれるだけの事はやった。準備態勢は整った。あとは、本番でチームが成長し続けるしかない。


アルバイト先や実家の美容室など、実社会では気おくれがちなことみだったが、大好きなゲームに関しては一歩も譲れない。それに、最近では私生活で心をもみくちゃにされたことも加わって、ことみの魂に火がついたのだ。


「いよいよ、あと五日かあ。あっという間よね。何着てこうかなあ〜、なんちゃって」ことみは自分一人でふざけながら、出来るだけリラックスしようと頭を切り替えた。「気合い入れてくぞおっ!世の中見返してやる。ショップの店長め、くるみのやつめ、それからえ〜っと、他の全部、待ってろよ!」

見当違いなセリフを吐いて息巻いたことみは、スマホの時計を見てから、またパソコンの作業に取りかかった。


頭がいいのか悪いのか、よく分からない女の奮闘は朝方まで続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る