第47話闘いへの序曲

「メダカさん、いよいよです。予選グループの対戦相手が決まりましたね。おれ身震いしてきましたよ」

「メダカさんの予想通りでしたね、さすがです!頼りにしてまっせ、リーダー!」

「あんたたちしっかりしてよね。さんざん特訓してきたんだから、やるべき事に集中すればいいの」

「いやあ、そうは言ってもさすがに緊張しますね」

「いざ進軍!」


女ひとり、男四人の若者たちが、パソコンのディスプレイ上で会話している。中央にはオンラインバトルゲーム〈ロアー=レジェンド・オブ・インペリアル〉の画面が映っており、上部のテキスト欄にゲームの対戦戦略が、箇条書きで細かく表示されていた。

田中ことみが率いるチーム「アマテラス」の五人は、十月からすでに数十回目になる、世界ゲーム大会のためのミーティング中だった。


目前に迫ったクリスマスの〈ロアー・ワールド・ウィンター・ゲームズ〉に、ことみたちのチームは日本代表として参加することになっている。初出場のチーム「アマテラス」は、優勝賞金三億円のこのビッグイベントのタイトル獲得に向けて、二ヶ月半、猛特訓につぐ猛特訓をこなしてきた。その成果がいよいよ試される事になるのだ。


大会に出場するのは世界各国の16チーム。その対戦の模様は大手ゲーム配信サイト『TWICH(ツイッチ)』で生中継される。

〈ロアー〉の開発・運営を行う「パックワールド」社が主催し、スポンサーには数々のeスポーツ大会をサポートする有名企業が名を連ねている。〈ロアー〉の遊戯人口は世界で一億人を超えており、プロプレイヤーも参加するこのイベントは、ゲームファンから絶大な人気を集めているのである。


ことみはコンピュータとゲームの天才だった。ハンドルネームの「MEDAKA」は海外のゲーマーにも知る人は多く、〈ロアー〉のプレイヤーの間で "フジヤマ・キャットガール" の異名を持つ。

初の日本開催となる今回、日本代表の「MEDAKA」のチームは大会前から大きな注目を集めていた。ことみは、そのプレッシャーを跳ねのけて、何としても優勝してみせると、持てる限りのゲームスキルを注ぐつもりだった。


平凡で退屈だった毎日に新しい出会いがあった夏以来、ことみの中で何かが変わった。その輝きは夢のようだったけれども、夏の終わりとともに霧のように消え去った。一度は人生に希望を失って巣にこもりかけたことみだったが、年下のゲーム仲間たちに勇気づけられて、ビッグイベントにかけてみようと奮い立ったのだ。


「基本的な戦略はもう身についたと思うから、あとはその場の状況にいかに早くリアクションができるかどうかね」ことみはメンバーの男たちに言った。「対戦中に予想される展開はシミュレーターでほとんど学習できたけど、この大会のレベルだと想定外の場面に何度も出くわすはず。残り二週間でそのあたりを中心に仕上げていきましょ」

「了解です!」とメンバーたちが答えた。


男性たち四名は、この二ヶ月間、ことみの指導のもとでメキメキと腕を上げてきた。福岡のタカ、京都のヤマト、広島のモウリ、そしてメンバー中ただ一人の既婚者ヤシロは、一人一人では海外の名だたるゲーマーにはとてもかなわないだろう。しかし、結束力においては、今や〈ロアー〉のチームとして世界のトップクラスにまでレベルアップしていた。

その原動力となったのが、ことみがみずから開発した〈ロアー〉専用の「バトルシミュレーター」だった。コンピュータシステムを知り尽くした彼女の秘密兵器によって、チーム「アマテラス」は短期間で〈ロアー〉攻略のためのあらゆるテクニックを身につけることができたのである。


「大会までは、これから毎日トレーニングですねメダカさん」とタカが言った。

「時間割はどうします?」とヤシロ。

「僕、年末なんで倉庫のバイト残業続きなんですけど」とモウリがこぼした。

「あたしだってバイトよ。ヤシロさえかまわなければ、夜の十時以降、朝まで徹夜するくらいは覚悟しておいて」ことみは男性陣にハッパをかけた。

「大丈夫ですよ、メダカさん。かみさんにはすでに了解もらって、夜中は別室ですごすことになってます」と、ヤシロが妻帯者らしい言葉で説明する。

「ヤシロさん、いい奥さんですね〜。お子さんいるのにラブラブじゃないですか」彼女のいないヤマトが、からかい半分ながら、うらやましそうに言った。

今度はタカがヤマトをいじった。

「彼女歴ゼロのきみにはわからんだろうねえ。爾汝(じじょ)の愛とはそう言うものなのよ」

「ん、ジジョ?なにそれ、知識ひけらかさないでよ〜タカさん」とヤマト。

「御意」とモウリがうなずいた。「そもそもタカどのはおなごと交際したことがあるのでござるか?」

「ちょっとあんたたち、話が脱線しすぎ!大会のことに集中してよね!」ことみは若いゲームおたくたちを叱った。

「そんなメダカさんこそ、彼氏は作らないんすか?もう適齢期すぎてるし…」ヤマトの言葉にタカとモウリがうなずいた。

「コラア〜っ!シバくぞ!」


ことみは正直言って、今はとくに異性関係のことには触れて欲しくなかった。恋…そんな憧れはもう捨てた。結局あたしはそんな柄じゃなかったってこと。こんなさえない女を好きになってくれるなんて、期待したのが間違いだったのよ…

そんな物思いを振り払って、ことみは再びミーティングに気持ちを切り替えた。

「それじゃあ、今日はこれで終了。忙しいとは思うけど、気持ち切らさずに気合い入れてね」

「了解です!」

「お〜っ!」

男性陣がかちどきを上げる。

「明日も夜十時から始めるから、少しでも時間があったらシミュレーターで練習しておくこと。じゃあ、解散!」

「お疲れさま〜」

「おやすみなさい」


パソコンのチャットアプリからログアウトすると、ことみはDELLコンピュータの画面をロックした。21インチのモニター上を、スクリーンセイバーの模様が規則的に動いている。

「あ〜あ」と伸びをして、ことみは椅子から立ち上がった。

今日は朝から美容室の手伝いをして、午後はCDショップのアルバイトだった。夕方に帰宅して食事をしてから、ずっとチーム「アマテラス」の強化ミーティングを続けていたので、やや精魂尽き果てたという感じである。

棚からバーチャルアイドル「ユメノココロ」のぬいぐるみを手に取って、倒れるようにベッドに横になった。天井の青白いLEDランプを見つめていると、いきなり睡魔に襲われた…


華やかな並木道を歩いていた。通り沿いには、お洒落な外観のブランドショップやカフェが軒を連ねている。身体を焼くような暑さには、確かな記憶の気配が感じられた。頭上から降ってくる光はやけにまぶしくて、人影が歩道にかげろうを生み出している。これはあたしの影だ。見下ろすと、そこには初めて着た流行最先端の服。気分が浮き立って、心が天に抜けていく。あたりを行き交う若者たちは、色とりどりのファッションで、仲間やカップルと楽しげに言葉をかわしている。そして、隣にはもう一つの影。あたしは視線を横に振った…


ハッと目覚めて、ことみは起き上がった。夢を見ていた。今さら何でこんな…胸が苦しくなって、ふうっとため息をついた。

まだ忘れられないの?

もう終わったのよ。

あの人との間に起きたことは、すべて幻だった。二十六年のさえない人生で、たった一度のファンタジー。冒険の末のゲームアウトというわけ。

「まっ、いいや!」

ことみは頭を振って思念を払うと、バスタオルとパジャマをひったくって風呂場へ歩いていった。

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