第41話サヨナラのむこうで

東関東自動車道(東関道)を走るアストンマーチンの車内で、高城ダニエルと綾波カレンは、言葉もかわさずにじっと前を見つめていた。

京葉道路から宮野木ジャンクションで東関道へ入ってから、二人はずっとこの調子だった。

車はは成田空港へ向かっている。


港区の白金にあるカレンのマンションから、首都高速、京葉道路、東関道、そして新空港道を経由して、成田空港第二ターミナルへ、というルートである。


一週間前、カレンがCEO(最高経営責任者)をつとめる世界第二位のSNS企業アールビー・インクに問題が起きて、彼女が急きょアメリカへ戻ることになって以来、二人の関係は完全にギクシャクしてしまっていた。


綾波カレンという人物の実像は、すべてを自分の思うとおりにできると疑わない、きわめて利己主義な人間だ。他人の都合や思いにはいっさい気を取られることなく、世の中は自分でコントロールできると、本気で考える女性なのだ。


アメリカから帰国して以来、高城にはさんざん愛情を求めたのに、いざ自分に目的ができると、あっさりとそちらを優先してしまう。


高城は、七年前、カリフォルニアで大学を卒業したときの出来事を思い出していた。

カレンはあのときも、将来を約束し合った仲だったにもかかわらず、父親からゆずり受けた大企業の経営者という地位をえらんだ。それも、なんの迷いもなく。

それ以来、高城は女性不振におちいってしまった。そして、七年後に帰国すると、カレンは高城に、おくげもなく恋人としてふるまった。まるで、なにごともなかったかのように。


先日のホームパーティーでも、仲間の前で「自分は婚約者だ」と、あつかましくも言ってのけた。

あれは自分の心をうちあけたのではなく、高城ダニエル健二は自分のものだという、あからさまな独占欲のあらわれなのだ。

長年カレンのふるまいを見て、翻弄されてきた高城には、そのことは明白だった。


大切なのは自分だけなんだろ。

いいかげんにしてくれよ。


それに、あの席には彼女が‥


再度の渡米が決まってから、カレンは白金のマンションを手放す契約をすませた。日本支社の業務委譲を迅速に処理して、身の回りを二日でかたずけると、ロサンゼルス行きJALのファーストクラスを手配した。


そして昨日。秘書の柏木に、あとからアメリカに来るように伝えると、高城に成田まで送ってほしいと言ってきたのだ。

いったいなにを考えてるんだ‥七年前にうけた大きな傷あとが、もういちどぱっくりと割れて、全身に激痛が走るような思いだった。

ふだんから温厚な性格の高城だが、カレンのあまりの仕打ちには、さすがに怒りをおぼえた。目の前から消えてほしい。それが本心だった。


それから二日後の今日。

高城は、表参道のショップの仕事を店長の美波にまかせて、白金のマンションにカレンを迎えにきた。カレンの荷物をトランクにつめ込んで、出発したのが午後一時だった。


重苦しい気分をおさえこんで、高城はアストンマーチンを高速に走らせた。

道中、助手席のカレンは、Macbookのラップトップで仕事に没頭していた。ときおり高城のほうへ顔をむけて微笑んだが、その笑顔の意図することはわからない。


早く成田に着かないか‥


高城は、時間のすぎるのをもどかしく感じている自分に、さらに気が滅入った。

空港までの一時間、彼はほとんど口をきかなかった。ときおりカレンがかけてくるおざなりな言葉に、「ああ」「そうだね」とうなずくだけだ。視線は道路にむけたまま。気をまぎらわすために、CDでEDMの曲をかけた。もちろん、いつもは気分があがるはずの音楽に、なにかを感じるはずもなかった。


午後二時半。

新空港道路から空港内の敷地に入ると、第二ターミナル前に車を止めて、カレンの荷物をおろした。

「さきに搭乗手続きをすませてくれ。駐車場に車をとめてくる」と言って、高城は運転席に乗り込んだ。

助手席の窓越しに、カレンが笑顔を浮かべている。

「ありがと。待ってるわ」カレンはそのままターミナルビルに入っていった。

高城は車を急発進させると、敷地内の道をカーブさせながら、P3駐車場へ入っていく。タイヤをきしらせて空きスペースを見つけると、バックで入れて車を止めた。


ふう。


ため息をついて、シートの背に身をもたせた。やがて車をおりると、スマートキーでドアをロックした。そして、ターミナルへの連絡通路まで歩いていく。

動く歩道にゆっくりと運ばれながら、高城はジャケットのポケットからiPhoneを取り出した。LINEの画面を見た。彼女からのコメントは今日もない。高城はため息をついて、通路の屋根を見あげた。

やるせなかった。こんな時ほど、あの優しい声が聞きたいのに、それはかなわない。あれから一度だけ、思いきって連絡しようと思いかけた。だが、自分があたえた仕打ちのことを考えると、とても電話できる資格なんてない。


いったい、どうしたらいいんだ‥


空港本館ビルに着くと、三階の国際線出発ロビーまでエレベーターで上がった。扉が開くと、出発ロビーは、何列にも連なるチェックインカウンターがフロアの大部分を占めている。

高城はロビーを見渡してカレンを探したが、彼女の姿が見えないので、電話をかけた。が、通話中でつながらない。しかたなく、チェックインカウンターのわきを進んで、フロアあちこにに目をやりながら歩いていく。


いた。ロビー中央のサポートセンターのそばで、彼女は電話で話していた。高城は彼女に近づいて、声をかけようとしたが、そこで足を止めた。

カレンはまわりを気にする様子もなく、英語で電話に大声でまくしたてていた。その顔が怒りに紅潮している。パーツのそろった美貌がゆがんで、まるで鬼の形相を思わせた。

「What are fuckin' talkin' about !! Don't let me say it over 'n over !! Find their wickneses. Get started early !!」

高城は英語をネイティブに話せるので、カレンが何を言っているのかわかったが、あえてその内容を気にしないようにした。

カレンは電話を切ると、髪の毛をかきあげつつ片手を腰に当てて、天井を見上げていた。


すると、ふと気がついて、こちらを向いた。さっきまでの表情とはうって変わって、満面に笑みをうかべて近づいてくる。手のひらをくるくると回して、愛想をふりまくそのさまは、まさしく恋人と待ち合わせていた愛くるしい女性の姿そのもの。

「はーい、健二!」と言うと、カレンは高城の腕を取った。「アメリカ本社と仕事の話。まったく連中ったら、トロくて使い物にならないったらありゃしない。トップの私が海をわたってかけつけるっていうのに、危機感が足りないのよね。身体がいくつあってもたりない‥あっ、ごめんごめん。つい仕事に熱が入っちゃった」

「あ、いや。それで、チェックインはすませたのか?」高城はたずねた。

「うん。準備完了よ」とカレン。

「JALの便は、何時発なの?」

「もう10分もないわ。さっきアナウンスがあったから、そろそろ搭乗しないと」と言って、カレンはスーツケースのハンドルをつかむ。「今日はありがとね。日本最後の人があなたでよかった」

「どういたしまして。それじゃ、身体に気をつけて。会社、うまくいくといいね」高城は、うわべをよそおってカレンをはげました。

「それじゃ、行くわ。むこうについたら電話する。またね」

それだけ言うと、カレンは身をひるがえして出国審査ゲートにむかった。こちらをふり返りもしなかった。


高城はその場に十秒ほどたたずんでいた。やがて自分も彼女に背をむけて、もと来た方向へと引きかえしていく。


と、そのときフラっとめまいがして、思わずチェックインカウンターの端に手をついてしまった。

この一週間ほど、いろいろなことが頭の中に押し詰められていたのが、ここへきて一気に暴発した。高城は頭を激しく揺さぶって血の気をおさえると、右手をふり上げてカウンターにたたきつけた。


もうたくさんだ!!


悲痛に心が張り裂けるが、涙も出ない。歯を食いしばって叫び声を閉じこめた。目をつぶってその場にしばらく立ちすくんでいた。


やがて顔をあげ、すたすたと早足でエレベーターにむかった。到着して中に乗りこむと、一階のボタンを押す。扉の閉まりぎわ、隙間から見えた彼の顔には、なんの感情も浮かんでいなかった。




高城が、成田空港からの帰路についたころ、東京・高円寺の自宅の部屋で、田中ことみはLINEのグループ通話をしていた。

目の前にはDELLコンピュータがあって、画面になにやら複雑なチャートとグラフが表示されている。ファイルの上部に、このようなヘッダーが書かれていた。


" LOI Stratsic match simulator "


日本語に訳すと、「《ロアー》戦略対戦シミュレーター」。


《ロアー》とは、アメリカの『PACK WORLD』社のオンラインゲーム「レジェンド・オブ・インペリアル(LEGEND OF IMPERIAL)」の略である。

《ロアー》は、世界のプレイ数で第一位、遊戯人口一億人以上の大人気マルチプレイヤーオンラインゲームだ。


今年のクリスマス、12月23日から三日間、日本でその《ロアー》の世界大会がおこなわれる。その名も

《ロアー・ワールドウィンターゲーム〜ホーリーナイト・インビテーション》。

世界中から腕に自慢のゲーマーが参加する、eスポーツのメジャーイベントなのだ。


優勝チームの賞金は、なんと三億円。加えて、予選リーグを勝ち抜いた八チームが対戦するトーナメントでは、上位に進むごとに高額の報償金が与えられるため、優勝チームの総獲得賞金は三億五千万円にも達する。まさに、eスポーツのビッグタイトルにふさわしいスケールである。


コンピュータ画面に表示されているのは、その《ロアー》の日本大会のためにことみがプログラミングした、データ解析システムだった。

システムファイルのデータは、全部で120ギガバイトという、スマートフォンの上位機種なみの膨大な情報量である。


画面に表示されているチャートはほんの一部分だけで、ほかに過去の大会のプレイスコアや戦術分析、攻撃技の傾向など。

さらに、《ロアー》自体のゲームソフトウェアプログラム解析、総数数百ものアイテムやランクアップシステム、バトルフィールド(戦場)の各レベルマップの共通点・相違点とメンバー配置予測、などなど、数えあげればきりがない。


これらの高度なシミュレーターを、ことみはわずか十日間でつくりあげた。人生で役に立つ才能を、ほとんど身につけられずにいることみだが、こと数学とコンピュータに関しては、プロの開発技師者を上まわる天才的な能力の持ち主なのだ。


グループ通話に戻る。


ことみが電話をしているのは、四人の男たちだ。全員ゲームオタクで、会ったことはいちどもないが、オンライン対戦でチームを組んだり、ゲーム実況をしながら、チャットでワイワイ会話をする仲である。


メンバーはつぎのとおり。


◎タカ : 福岡県博多市在住。二十三 歳。ゲーム歴十二年。独身。


◎ヤマト : 京都府京都市在住。二十歳。ゲーム歴九年。もちろん独身。


◎ヤシロ : 神奈川県平塚市在住。三十三歳。ゲーム歴二十年。妻帯者。二児の父親。


◎モウリ : 広島県尾道市在住。二十三歳。ゲーム歴七年。独身。ゲーム以外の趣味=戦国武将。


タカとヤマトは以前からのゲーム仲間だが、ヤシロとモウリは、タカとヤマト、ことみの三人が以前に何度かチームでプレイしたことがあって、今回のためにスカウトした。


とまあ、こんな感じのゲーム熱中症な野郎どもと、ことみはすでに二時間以上も話しこんでいた。

グループ通話のまとめ役はことみだ。ひとクセもふたクセもある、理屈っぽくて自己主張の強いゲーマーたちを、ことみは軽く手なずけて、今日の会話を引っぱっていた。


会話のテーマは、もちろん《ロアー》の大会についてだ。


「メダカさん。きのうやっとエントリーシート発表されましたよ」とタカが言った。

「おっ、マジすか。ついに秘密のベールがはがされるう!」とヤマト。

「ちょっと。あたしに言ったんだから、割り込みしないでよ」ことみは、なにかと口数の多いヤマトをしかりつけた。「で、その中に、今までの大会に参加してるのは何チームあるの?」

「7チームっすね。エントリーは16チームなんで、約半分ですよ」とタカ。

「どうせその半分くらいは強豪なんでしょ?」と、既婚者のヤシロが落ち着いた声で言った。

「まあ、そんな感じです。今からファイルみんなに送るんで、待っててください」とタカは言って、PCを操作する。

電話のスピーカーから、キーボードを打つ音が聞こえてくる。一分後、彼が電話に戻ってきた。

「おっけーです。ファイル開いてくださーい」

「おっ。これがわが軍にいくさを挑む、強者どもであるな」と、モウリが戦国武将の口調を真似て言う。

「ちょっとあんたー、その『でござる』しゃべりやめてくんない?」ことみが、ややイラついた調子でモウリをたしなめた。「ただでさえ小難しい話なんだからさー、あんたと戦国時代にタイムトリップしてるひまないの!もう〜」ことみはチームリーダーなので、遠慮なしである。

「あっ、すいませんメダカさん。えへへ。うちの地元って毛利元就の藩だったんで‥」

「やめろお〜っ!その趣味はほかでやれ」と言いつつも、ことみは半分笑っている。こいつほんと突っ込みがいがあるわー、ウケる。

「あっ、出ましたよ。どれどれ?」ヤシロが、ことみとモウリの漫才に割って入る。「韓国のチームもいるんですね…あー、出ましたよことみさん。ドラゴンファング。この連中って、中国共産党の肝いりなんじゃないですか?サイバーセキュリティ大丈夫かなあ?」

「こいつら、あたしのスコア解析だと、いやにほかのチームと類似した動きすることが多いのよね。データ盗んでる可能性は捨てきれないねー」ことみは、自分のシミュレーターで調べた中国人チームの戦術について説明した。「でも心配しないで。うちは、あたしが防衛システム作るから」

「さすがメダカさん。完全無欠のロックンローラー、じゃなくてプロゲーマー!」と、タカがはやし立てた。

「まーねー。優勝目指してるんだから、そのくらい当然よ」ことみは悪びれずに言った。


田中ことみという女は、ことゲームやプログラムのことになると、ふだんとは180度人格が変わる。CDショップのアルバイトでドジ扱いされているのが、まるで嘘のようだ。

ことみの脳の中は、デジタル細胞でできているのかと、本気で疑ってしまうレベルなのだ。だが、そのことに本人はまったく気がつかない。まさにオタクのかがみである。


「おっけー。参加チームわかったから、これから二ヶ月ちょい、シミュレーター使いながら猛特訓ね」ことみは男どもを鼓舞した。「負け犬になりたくなきゃ、気合い入れてくぞ!」


「オーッ!!」

「オーッ!!」


クリスマスにむけて、ことみたちのオタク人生をかけた闘いが、ついに幕を開けた。

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