第38話女経営者の危機
「どういうこと!上海、シンガポール、マレーシアの代表が会議に来ない?ちょっと待ってよ。今回の環太平洋ミーティングは、アールビーの世界戦略のための重要なイベントなのよ。なにかの手違いじゃないの?もういちど確認して。それが事実なら、大変なことになるわよ!」
2024年に完成が予定されている『高輪ゲートウェイ』地区への移転を予定している、山手線田町駅近くの高層ビルの25階。
世界第二位のSNS企業『アールビー・インク』日本支社の会長室で、綾波カレンは、ブルートゥースの電話で怒りに身を震わせていた。
カレンが日本に帰国したのは、米国のアールビー・インクが急成長して得た莫大な資本を、環太平洋ビジネスに投入するためだった。
東南アジアや中国に事業を展開したあとは、さらにヨーロッパへの進出も考えていた。
一週間後に予定していたアジア各支社トップとの会合は、カレンが率いるアールビーを業界一に導くための戦略プロジェクトなのだ。
自社が運営するSNSアプリ《ビューサイト》は、スマートフォンのカメラによるワンショットの360度撮影と動画編集を可能にする、画期的な機能をそなえている。
ビューサイトのアプリには、スマホのOS (オペレーティング・システム)、つまり〈iOS〉や〈Andoroid〉の中枢部に同期させる『アクティブイフェクト』という、アールビー独自の最先端技術が使われている。
このシステムを開発したのは、カレンの父親で前経営者のマーク・ドワイライトだった。
1970年代、彼はロサンゼルスのパサデナ高校を卒業すると、米国東部ボストンの《マサチューセッツ工科大学=M I T》に進学した。
在学中に、将来のパートナーとなるコンピュータの天才児ウィル・ホルダーとともに、PCによるソーシャルテクノロジーを研究した。
ドワイライトたちは、1990年代の頃から、近い未来に個人用のパーソナルデータ端末(PDA)が社会の生活スタイルを変えると予想していた。
彼らは、現在のラップトップパソコンやスマートフォンの原型となる、個人専用の双方向アシスト機能を持ったシステムの研究開発を進めた。
ドワイライトが三十歳になると、二人は自分たちの技術の特許を取って、高度先端技術カンパニー《Radical Brain(ラディカルブレイン)》を立ち上げた。
やがて2000年代のインターネットの急速な発達によって、会社は急成長を遂げることになる。
さらに、ドワイライトとホルダーは近未来を予見して、SNSなどのソーシャルメディアに特化した、まったく新しいコンピュータシステムの開発に成功した。
その技術は、アメリカ国内の大投資家から注目を集めた。巨大な資本を得て、会社は一気にコンピュータ業界のトップレベルへと登りつめた。
それからしばらくすると、フォードは共同経営者の座を退きたいといってきた。コンピュータテクノロジーの、さらなる新天地を切り開きたい、と。
ドワイライトは彼の意思を尊重した。彼の新しい会社の資金として、これまでに稼いだ半分の数千万ドルと、会社のストックオプションを提供した。
友が去ると、会社名を《アールビー・インク》と改訂して、SNS企業として全米トップの座を目指した。
もちろん、上にはフェイスブックという巨人がいるため、野望の実現は夢のまた夢であると分かっていた。それでも、彼は希望を糧にビジネスに邁進したのだった。
それから16年。アールビーはどんどん成長を続けて、従業員五千人の巨大企業となった。
やがて、人生の四十年間をビジネスに捧げてきたドワイライトは、日本人の妻を得たことで、会社の経営から退くことを決意した。六十歳をすぎて、残りの時間を、妻とともにのんびりと暮らしたいと考えたのだ。
彼は、最高経営責任者(CEO)を、娘の綾波カレンに譲ることにした。カレンは、独立心が強く、リーダーシップに優れていたからだ。
一年を費やして、彼は娘にビジネスのノウハウと、システムテクノロジーの基礎をたたき込んだ。細かい技術面は、幹部のエンジニアがサポートしてくれる。カレンには、経営者としての心構えと、企業運営に関する行動指針を学ばせた。
そして、いよいよ引退の時を迎えた。全社員に向けて、新CEOの就任を発表すると、ドワイライトは妻の綾波奈津美とともに、カリブ海のリゾート地・バージン諸島に新築したレジデンスで、新生活を始めたのだ。
話は戻って、高輪のオフィス。
迫りくる暴挙に、カレンは怒りをつのらせていた。彼女は確信した。これはまさしく造反だ。
アジア各国の代表による国際会議へのボイコットは、最高経営責任者である自分への背信行為そのものではないか。何という連中だろう。
父に手厚く優遇されて、支社のトップに就いたものたち。株を持たせて、私のサポートを任された役員たち。
それが父の恩を仇で返そうというのか。許せない。恥を知るがいいわ。
じつは、数ヶ月前から、カレンは社内の不穏な動きに薄々気づいていたのだ。にもかかわらず、アジアやヨーロッパへの進出というビッグプロジェクトを抱えていたので、その心配はわきに追いやられていた。
目の前にあるラップトップPCの画面に、アジアの各支社長と、米国本社の役員のデータが読み込んである。
カレンは一人ひとりの持ち株を調べていった。私の持ち分は46%。もしここに載っている全員が結託したら、私は終わりだ。なんとか策を見出さなくてはならない。
カレンは意を決して、アメリカに戻ることにした。本社の人事工作に先手を打って、連中の鼻を明かさなくては。
ラップトップの画面を見つめながら、あることを思いついて、スマートフォンの短縮番号でアメリカへの国際電話をかけた。一分もかからない会話を終えて、カレンは通話を切った。
作戦の第一手は、こちらから仕掛けてやる。連中をあっと驚かせてやるわ。私をなめたらどうなるか、見てるがいい!
PCの蓋を閉じると、カレンは疲れた顔を両手でこすりながら、キッチンに歩いていった。
冷蔵庫からウォッカのストリチナヤのボトルを取り出して、ショットグラスに注いだ。一気に飲み干して、さらにもう一杯をあおった。
あー、しんどい。
ふと孤独感におそわれた。
健二は、いま何してるかしら
アメリカに戻る前に、彼の優しい声が聞けるといいんだけど‥
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