第37話世界への切符
夏の猛暑はすぎ去った。
十月に入ると、秋を飛ばして、いきなり冬のような寒さがやってきた。街には厚着の人々が目立ち、オフィスや商業施設では暖房を入れるところも少なくない。
「シベリア寒気団が、朝鮮半島上空まで南下しています。十月ではめずらしい冬型の西高東低の気圧配置となり、東日本では2017年以来の寒い秋となるでしょう。
外出のさいには、ジャケットやコートなどの上着を重ねる必要がありそうですね。以上、お天気コーナー早川沙織がお伝えしました。つぎはスポーツです!」
地デジの番組「報道インアウト10」が今日のニュースを伝えているが、テレビが見たいわけではない。そちらはつけっぱなしで、顔はラップトップパソコンの画面を見ていた。
田中ことみは、ゲーム配信サイトの《TWITCH(トゥィッチ)》で、京都と福岡のゲーマーとビデオチャット中だった。
今日は、オンラインゲームでの対戦はお休み。昼間は実家の美容室を手伝い、夕方からのCDショップのアルバイトから帰ってきたのが午後九時半ごろだった。
商店街の惣菜店で買ってきた弁当を食べながら、ことみは二人のゲーム仲間とやり取りしていた。
京都の男は、年齢二十歳、ヤマトという。セミロングの髪と眼鏡が特徴で、いかにもオタクっぽい。
福岡の彼は、二十三歳。ハンドルネームはタカ。金髪に染めた天然パーマと、今どきめずらしいアロハシャツが目立つ。
ヤマトはおそらく本名だと、ことみは思っている。タカは福岡だから、プロ野球のホークスファンなので「鷹」ということらしい。
その話はいきなり始まった。
「ビッグニュース!クリスマスイブの日に、有明アリーナで《ロアー》の世界大会をやるんだってさ!」とタカは切り出した。ロアー(LOI)は、オンラインバトルゲーム《レジェンド・オブ・インペリアル》の略。
「出場メンバーは、各チーム五人。俺、ついさっき知ったばかりだけど、エントリー期限は今週いっぱいなんだって。ヤバいっすよ、メダカさん」福岡のタカが言った。かなりあせっている。
「で、優勝賞金いくらなの?うちらでチーム組めば、かなりいいところまでいける可能性が高いんじゃないですか」と、こんどはヤマトが言った。「メダカさんをリーダーにして、エントリーしましょうよ。《ロアー》なら日本代表まちがいなしですね。どう?」
「ちょっと、あんたたち先走らないでよ。あたしが eスポーツの日本代表?あり得ないよ、そんなの」ことみは食べ終わった弁当をビニール袋に入れて、ファンタグレープをひと口飲んだ。
「ちょっと、弁当食ってる場合じゃないっすよメダカさん。いいですか、聞いて下さいね。優勝賞金は、なんと三百万ドル、つまり約三億円!三位でも二千万円ですよ!」タカが興奮しているのが、画面から伝わってくる。「俺たちみたいなさえない貧乏人が成りあがる、一生に一度のチャンスです。どうせ失うものなんてないんだからさ。メダカさんマジで考えてよ!」
「う〜ん。なんか現実味ないなあ」またとない機会に息をあげる二人に、ことみの態度はややしらけ気味。「それって、海外のプロゲーマーがわんさか出場するんでしょ?あたしたちがかなうわけないじゃん」
とつぜんとび出した突拍子もない話に、ことみはまるでついていけなかった。
それに、今はそういうことに乗り気じゃないし。毎日をすごすので精一杯なんだから‥
あのことがあってから、すっかり無気力になってしまった。ゲームやってるのだって、気をまぎらわすだけ。e スポーツの大会?勘弁してよ‥
そんなことみの気持ちも知らず、タカとヤマトはすっかりその気になっている。すると、ことみのPC画面に、書類のフォーマットのようなテキストデータが送られてきた。いちばん上の見出しが英語で書かれている。
LOI WORLD WINTER GAME
HOLLY-NIGHT INVITATION
「なにこれ?『LOIワールドウィンターゲーム』はわかるけど。冬の世界ゲーム大会だからね」ことみは画面の文を指でなぞりながら言った。「そのあと読めない。ホリーナ‥」
「ホーリーナイト・インビテーションですよ」タカが説明する。「ホーリーナイトは "聖なる夜" って意味。開催日がクリスマスだからね。インビテーションは招待だけど、この場合は、まあ選手参加みたいな感じかな」
「タカさん英語のセンスいいっすね?」とヤマト。
「eスポーツのビッグイベントは必ず見てるからな。中継もテロップも英語なんで、電子辞書とにらめっこだよ。おかげでだいぶわかるようになった」タカが自慢げに言った。
「なるほどね。えーと、本文はと‥ずいぶん細かいわね?めんどくさそー」
ことみは早くもうんざりしてきた。
ふだんからものぐさなので、マニュアルや書類のたぐいは苦手なのだ。ただし、自分で作成するプログラムとなると、話はまったく話は違ってくる。
送られてきたフォーマットは、見出し以外は日本語で書かれていた。
大会日程は、三日間。
◎12月23日に、参加16チームの予選リーグを行う。
◎12月24日のクリスマスイブは、各リーグの1位チームと、得点の高い四つの2位、合計8チームでトーナメント戦が行われる。
◎最終日の12月25日、クリスマス当日に、勝ち上がった四つのチームによる準決勝、そしてファイナル。
夜には表彰式のセレモニー以外にも、《パックワールド》社主催の音楽イベントやパーティーが開かれ、次回大会の予告映像も流される。
「スケジュールは以上」タカが続けた。「つぎはエントリーに必要な項目。それからチーム名と国籍。参加する五人のハンドルネームと本名、住所、メールアドレス、電話番号。そして、《ロアー》のアカウントね」
タカは細々とした項目について説明していった。
「ふだんのアバターキャラ(役柄名)と得意技も、記入しておくみたい。トータル経験時間は、参考項目だから適当でいいっすね。
参加動機は、大会の意義とかゲームに対する意気込み、メーカーへのお世辞書いときゃいいんじゃない」
「あんためっちゃ詳しいわね。ていうか、本気でやるつもりなの?」ことみは感心しつつも、スケールの大きさに気が引けた。こいつらマジだわ。
「メダカさん、そんな弱気じゃ困るよー。自分の実力わかってるの?」とタカが言う。「《ロアー》のプレイヤーコミュニティでは、あなた有名人なんだよ。おれたちは、メダカさん無しじゃ参加できないよ。たのむ!」
「そうだそうだ!女王さまバンザイ!」ヤマトもはやしたてる。「まあ、目的は大金持ちになることだけどな。わはは」
かなり都合のいい様子だが、二人の話を聞いているうちに、少しずつではあるけれど、ことみは "やってみようか" と思いはじめていた。
高城とのことで無気力になっていた数週間。人生に挫折を感じるばかりで、以前にもまして自己否定の毎日を送っていた。
でも、このままじゃだめだ‥
彼とすごしたことで、変わった自分がそこにはいた。みずから殻を破って、生きる希望を見出さなくては。
ふさぎこんでいながらも、ことみは心のどこかで、立ち直るきっかけを待ち続けていたのだ。
"これは、もしかしたら
唯一の機会‥?
いいえ、最後のチャンスかも"
ことみは勇気をふりしぼった。そして心を決めた。
ヘタレだった二十六年間に別れをつげてやる。あたしはこのままじゃ終わらない。大好きなゲームで栄光をつかみとって‥って、ちょっと大げさかしら?まあいいや。
「おっけー、わかった。やってみるよ」と言って、画面の二人に向かって大きくうなずいた。「あたしで良ければ、リーダーまかせて。《ロアー》の世界は知り尽くしてるつもりだから、みんなで挑戦しよう。なんて、えらそうだよね。えへへ」
「おお、きたきたあ〜、メダカさま!」
「っしゃあ!これで大金ゲット!」
ベテランゲーマーの男二人は、興奮してぱちぱちと拍手をした。大声をあげてバンザイをする。
「待ってまって。気が早いよー」ことみは、バカ騒ぎをしている男たちをなだめた。「ところで、あんたたち、ゲームはどのくらいやり込んでるの?」
いざチームリーダーを引き受けたものの、このお調子もの二人の実力はいかがなものか?
これまで海外の強者たちともわたりあって、自分でも上位のランキングにあるとは思っている。とはいえ、チーム戦なのだから、全員のスキルが同じレベルでなくては、とてもじゃないが世界大会で勝負できるわけがない。
「そこそこいけるんじゃないっすか」とタカは言う。
「まかせてちょ」とヤマト。
「ちょっと。あんたたちねー、言い出しっぺのくせに何テキトーなこと言ってんのよ」さっきまでとはうって変わって、ことみは二人をしかりつけた。「あたし、いつも外国の超マニアたちと組んでるのよ。やるからにはスキル上げなきゃだめ。まだ二ヶ月あるから、あたしが鍛えてあげる。特訓よ。サボったら承知しないからね!」
「わかりましたあ、隊長。お願いします!」
「大金のためなら、どんな命令にも従います。シクヨロ〜メダカ様!」
こいつら大丈夫?
うーん‥こりゃ難題だな。
まっ、いいや。
でも、少しだけど気持ちが晴れた。
よーし、人生かけるぞ。ゲームおたくの実力見せてやる。
いくわよ、メダカ!!
ことみは自分に気合を入れると、さっそくエントリーフォーマットに入力しはじめた。
二十六歳、独身。彼氏なし。
取り柄はゲームだけ。
オタク女の一世一代の挑戦が、
ついに口火を切った。
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