第35話愛をとりもどせ!

高城ダニエル宅のパーティーから

一週間がすぎた。


実家の二階にある自分の部屋で、ことみはゲームに熱中していた。今日はCDショップのアルバイトが休みの日である。


午後一時にのっそりと起き出して、ジャージの部屋着に着がえてから顔を洗うと、一階の食卓で母親がつくった朝ごはんを食べた。

そのあと一、二時間美容室の手伝いをして、また自分の部屋に戻る。そしてDELLコンピュータの電源を入れて立ち上げると、グーグルの検索サイトを開いた。。


ことみの生活は、ここ一週間、以前とまったく変わらない。「以前」とは、あの夏のできごとが起こる前のことだ。


最近ハマっている『レジェンド・オブ

・インペリアル(LOI=ロアー)』にログインして、さっそくゲーム開始。

〈ロアー〉は、いわゆる《マルチプレイヤーオンラインバトルアリーナ(MOBA)》というジャンルである。その名の通り、ひとつのゲーム世界(サーバー)に同時に複数人数のプレイヤーが参加して、協力して戦う。

これについては、ゲームをやっている人でないと理解できないだろうから、細かい内容は省くとしよう。


「ひゃあ〜っ、タイミングずれてコンボミスった!ヤバい、これじゃバーサーカーに殺されちゃう。みんな助けて〜」

オンライン・ゲームマニア以外にはまったく意味の分からないことを言って、ことみはキーボードを必死で操作した。

《レジェンド・オブ・インペリアル》は、千年王国ガンクリードの主要王家『シュレンジャー家』と、その王国をねらう凶暴な種族の集団『死の絶壁団』との闘いを舞台とした、剣と魔法とドラゴンが主役のファンタジー・アクションゲームである。


〈ロアー〉では、世界中のゲームマニアが、オンラインで同じチームを組んでプレイすることができる。

対戦式のゲームは古くから存在したが、インターネットのオンライン環境が整うことで、コンピュータ(CPU)を相手にするよりも、実際に対人戦(PvP=プレイヤー対プレイヤー)でゲーム世界にのめり込むことが可能になった。

要するに、よりリアルで迫力のある〈ネトゲ〉が楽しめるということなのだ。


ことみのプレイヤースキルは、国内のゲームマニアの中でもトップレベルだ。何しろ数学の能力がやたらに高いので、コンピュータやゲームなどの「マシン系」にはめっぽう強いのだ。

ゲーマーの世界でことみの存在は有名で、チーム戦でタッグを組みたいというプレイヤーは、日本だけでなく海外にも大勢いる。


今日の対戦も、ガンクリード王国側の〈戦士〉〈魔道士〉〈幻獣〉役は、すべて海外のプレイヤーである。ことみは、お気に入りの癒し系アバター〈エルフ〉の『パラダイン』を選んだ。

この対戦は、大手配信サイト《TWITCH(トゥィッチ)》で実況されており、英語の出来ないことみに変わって、スペイン・マドリード在住のゲームオタク青年が担当している。


田中ことみは、実社会でははっきりいってさえない女だ。ところが、ゲームワールドでは有名人なんてものじゃない。ほとんどセレブに近い存在なのだ。ことみのハンドルネーム〈medaka〉は、世界のプレイヤーに知れわたっている。


「あ、もう五時か。みんなには悪いけど、そろそろ抜けないと、マスターにあいさつして‥と」と言って、ことみはキーボードに定形分の英語を打ち込んだ。

夕方から閉店までは、仕事帰りのOLさんが多くて店が混むからねー。レジの仕事とお母さんのサポート、あー面倒くさい。一日中ゲームやってたいのになあ。


タッタタラリラ

ピーヒャラピーヒャラ


ちびまるこちゃんのメロディーが鳴った。電話だ。スマホを取りあげて、画面を見た。晴夫からだった。

またウナギか‥ことみはややウンザリしながら、通話ボタンを押した。

「もしもし」と、気のない言葉。

「よお、メダカ。いま何してんだ?」晴夫の脳天気な声がひびいてきた。

「ロアーやってた。これから店の手伝い。なんか用?」

「あいかわらずゲーム漬けか。ぜんぜん連絡ないから、どうしてるのかって思ってさ」なにげない風をよそおって、晴夫は言った。

「あんた、今週毎日電話してくるじゃん。べつに何もないよ。いつものあたし」

「大丈夫か、おまえ。心配してたんだぞ。ダニエルさんの‥」

晴夫が言い終わらないうちに、ことみがその先を言わせまいとさえぎった。

「用がないなら切るよ。いま話する気分じゃないの。じゃあね」

「おい、何だよ。待てってば‥」

ことみは晴夫の言葉を無視して、電話を切った。


晴夫が何を言いたいのか、もちろんことみは承知の上だ。十年近くつき合ってきた親友なのだから。

一週間前の、高城の家でのパーティー。ことみにとって忘れようがない日だった。あれ以来、部屋に引きこもってゲームに没頭する毎日‥頭の中を空っぽにして、他のことを考えないようにした。


たとえようのない悲しみから逃れるには、それしかなかったのだ‥


「さあて、お手伝いしなきゃ」ことみは頭の中の思いをふり払って、立ち上がった。「あー面倒くさい」



世田谷区・成城。

水戸井家の豪邸にて。


一階の広いリビングルームで、ジェニファーは大好物のパフェを食べていた。執事の園田は、純心女学院の理事長である母親の用事で外出中である。家にはジェニファーひとりだった。

テーブルにはスマホが置かれて、バーチャルアイドル『ユメノココロ』のYouTubeチャンネルを再生している。

だが、ジェニファーの心はほかの思いにとらわれていた。


彼女は、ことみのことで心を痛めていたのだ。若干二十歳、何不自由なく育てられた財閥の令嬢にとって、恋愛の悩みなど、本来なら関心がないはずだった。

そんな浮世ばなれしたお嬢様のジェニファーにとって、自分を妹のように可愛いがって、特別扱いせずに慕ってくれることみは、人生ではじめて心をゆるせる女性であり、姉のような存在だったのだ。

だからこそ、彼女の現在の心中を思うと、自分のことのように胸が痛んだ。


優しすぎることみどののことだ、きっとふさぎこんで、心を閉ざしてしまっておるに違いない。あの夜のできごとを思い出すたび、ダニエルどのに対する怒りがこみ上げてくる。

フィアンセと称する相手がおりながら、ことみどのにあのような仕打ちをしおって。人柄を信じて応援もしておったのに。われはまことに失望したぞよ。


ジェニファーはパフェをほおばりながら、思案にくれていた。恋愛未経験の彼女には、ことみの悲しみを解決する手立てがまったく思いつかない。


うーん、困った‥


ふと思いついて、彼女はスマホを取りあげた。YouTubeの画面を閉じて、LINEの友だちのひとりにメッセージを送った。


ジェニファーである

いま手はあいておるか?


すぐに既読がついて、コメントが返ってきた。


あらクリオネちゃん

大丈夫だよ


電話をしたいのだが

かまわぬか?


オッケー

待ってるからね


ジェニファーは、さっそくLINEの通話のアイコンをクリックした。ワンコールで相手が出た。


「ちなみどのご無沙汰しておる」

「だよねー。パーティー以来かな?」


ジェニファーの電話の相手は、ファッションモデルの橘ちなみだった。

同じ二十六歳ということで、最近、田中ことみと橘ちなみは親しくなっていた。自分ではいっこうに解決策が思いつかないジェニファーは、そのことを思いついて、はじめての電話をかけてみたのだ。


「ほかでもない。話とは、ことみどのとダニエルどのについてである」と、ジェニファーはいきなり切り出した。

「あー、そのことねえ」電話の理由を予想していたのか、ちなみはすぐに言葉を返した。

「あのカレンというフィアンセだが、まことにダニエルどのは心をゆるしておるのか?」納得がいかない、という口調でジェニファーはたずねた。「われには、どうにもうさんくさいものが感じられるのであるが」

「うん。あたしはカレンさんと深いつき合いはないから、くわしいことは言えないけどね。なんでも健二くんがアメリカから帰国するとき、同じ大学だったカレンさんは、健二くんとの約束を破ってアメリカに残ったのよね」

「ふむふむ。で、それから?」ジェニファーは先をうながした。

「それから今まで七年間、連絡は取り合ってたんだろうけど、まったく会えずにいたわけ。カレンさんは知らないけど、健二くんはさびしい思いをしすぎて、彼女への気持ちは冷めてしまったんじゃないかな、とあたしは思うのね」ちなみは、遊び仲間のあいだで知りえた事情を説明した。

「なに?ということは、パーティーでのふるまいは、あのエセ金持ちのひとり芝居というわけか?」ジェニファーはちなみの話を聞いて、前のめりになって問いかけた。

「あはは、エセ金持ちって。クリオネちゃんらしいなあ」ちなみは、思わず吹き出してしまった。「んー、そうだなあ。まったくのひとり相撲というわけではないんだろうけど‥ねえ、クリオネちゃん?」

「ん、どうした?」

「思うんだけどさ。健二くん、メダカちゃんのこと絶対好きだよね?」電話にもかかわらず、ちなみは声をひそめて言う。「前にね、八月の終わりごろなんだけど。クラブでみんなでお酒を飲んでたときに、健二くんがメダカちゃんとはじめて会ったときの話をしてたの」

「クラブとはなんぞや?」ジェニファーはたずねた。

「あ、それは話すと長くなるから」

「すまぬ。それで?」

「その時の健二くんの話し方というか、表情がね、今まで見たことなかった顔だったの」ちなみは、渋谷のクラブ〈キャメロット〉で、高城がことみと出会ったときのことを話していた場面を思い出していた。「健二くんてイケメンだけど、女の子にはあんまり積極的じゃないのね。理想の女性像が高いというか、外見で絶対に判断しないし、性格第一主義なの。軽々しく女の子に声なんかかけたりしないのよ。要するに、セイヤくんみたいにチャラくないってこと」

「あのものは論外だ。殿方のなかでも、もっとも下位の序列であるぞよ。品性に欠けるとはあのことであるな」ジェニファーはふんと鼻を鳴らした。

「あはは!もう〜、クリオネちゃん面白すぎ」ジェニファーの世間ばなれした言い方に、ちなみはまた笑いころげた。「あー、ごめんごめん。でね、そのあとも幕張のフェスとかで、健二くんの態度を見てたんだけど、メダカちゃんとベッタリだったよね。あんな健二くん、あたしが知り合ってからはじめてだもん。メダカちゃんのこと、よっぽど気に入ってるんじゃないかなあ」

「うーん、やはりな」ジェニファーはちなみの話を聞いてから、少し間をおいてしゃべりだした。「今回の件で、ダニエルどのははなはだしく株を下げたが、基本的にはあの者は紳士であるとわれも思う。ことみどのに対する好意もいつわりではあるまい」パフェをひと口味わって、じっくりと言葉を選ぶ。「であるがだな、ならばあのパーティーでのふるまいはどういうことだ?殿方ならば、おなごに恥をかかせるべきではなかろうが。ことみどのは、よほど打ちのめされたであろうな。われは見ておれなかったぞよ」ジェニファーはもうひと口パフェをほおばった。

「クリオネちゃん、何か食べてるの?」ちなみがたずねた。

「あー、イチゴとマンゴーのパフェである。成城の《ル・フルティエ》というスイーツのお店から、いつも執事が持ってくるのだ」

「あっ、そこ知ってる!モデル仲間でも口コミですごい人気だよ。数量限定だから、なかなか食べられないんだよね。クリオネちゃん、それ家で食べてるの?」と素直な疑問。

話がそれていることにも気がつかず、ちなみは興味深々だ。

「店のオーナーとお母様が、世間でいうママ友なのだ。毎日食べておるが、それが何か?」ジェニファーはもぐもぐ口を動かしている。

「どんだけお嬢様なのよー!」ちなみは電話のむこうでたまげていた。

「あ、いけない。話を戻すね。だからさ、メダカちゃんは健二くんにフラれたって、たぶんそう思っちゃったんじゃないかな?でも、健二くんが好きなのはカレンさんじゃなくて、絶対メダカちゃんだよ。パーティーのときは、なりゆきであんな状況になってしまったけど、きっと健二くんは、彼女に申しわけなくて連絡できないんじゃないかなあ」

「なるほど。男女のことわりというのは、はなはだ複雑であるな。哲学的レベルと言えなくもない」ジェニファーは、恋愛事情を学術的にたとえた。

「ん?男女のことわりって、どういう意味?」ちなみは、ジェニファーの理屈っぽい言い方に戸惑った。

「あー、気にせずともよい」ジェニファーはその問いを無視して続けた。「つまり、こういうことか?カレンとやらはフィアンセだと皆に吹き込んでおったが、それはあの者の大いなる感違いであった。その迷惑なる行為に、ダニエルどのは温厚な性格ゆえ、ことみどのに気があると言い返せなかった、とな」

「そのとおり!さすがお嬢様、頭いいわあ〜」と言って、ちなみは感心した。「ねえ、クリオネちゃん。よかったら、あたしたちで、二人がうまくいくようにしてあげようよ。メダカちゃんはすごく優しくて素敵な子だし、健二くんにふさわしいと思うの。あんなに心のきれいな子は、これで最初で最後だよ。あたし、このまま終わるなんて悲しい。健二くんのこと尊敬してるし、それに、メダカちゃんてじつはめっちゃ可愛いからね」

「うん。われもそう思う」ジェニファーは、うなずきながらスプーンを振った。「ことみどのは、近頃ではめずらしい、純粋で清らかなおなごなのだ。われの通う女子大には純心という名がついておるが、ことみどののような生徒はまずおらぬ。みな不純な野心にこりかたまった恥知らずばかりだ」と、日頃からの不満を述べる。「で、どのような戦略でいくのだ?二人に真相を話して、われわれで説得するか?」

「だめだよー、クリオネちゃん。それじゃ見え見えじゃん」ジェニファーの考える正面攻撃に、ちなみはあわてた。「たとえばね、メダカちゃんと健二くんに、それとなく相手の本心を伝えてあげるのよ。それで、できれば健二くんから連絡して、二人で会って誤解をとけるようにもっていくとかね」

「ふむ。なんだか回りくどいが、まあいい。で、われは何をすればよいのだ?」と、ジェニファーはたずねた。

「メダカちゃんに、それとなく彼の気持ちを教えてあげてほしいんだよね。彼女、きっと健二くんとは終わってしまったと思ってるから。あの子気が弱いから、彼とのこと、自分から忘れようとしてるんじゃないかな?」

「なるほどな。われは恋愛にうといので約束はできぬが、ほかならぬことみどののためなら、ひと肌脱ごうではないか」ジェニファーは強い口調で言った。

「あたしは、健二くんとメダカちゃんの両方と仲がいいから、まず健二くんに "メダカちゃん、会えるの待ってるよ" ってけしかけてみる。二人とも遠慮してたら、このまま自然消滅しちゃうよ」そこで、ちなみはふと思いついた。「そうだ!杉本くんにも手伝ってもらおうよ。親友だから、何かできるんじゃない?」

「それはいかんぞよ、ちなみどの!それは論外だ!」ジェニファーはあわてて、ちなみの提案を却下した。「あやつはあきれるほど役立たずなのだ。何も考えておらぬからな。かえって事をこじらせるだけだ、やめておけ」

「えっ、そうなの?んー、クリオネちゃんがそう言うならやめとく」ちなみは、意外そうな声で言った。「それじゃ、二〜三日中に二人を合わせて作戦決行ね。バレないように、あたしたちで計画練らないと」

「承知した。では、そなたから連絡してたもれ。明後日なら授業が午前中で終わるゆえ、その日ならばかまわぬ」

「おっけー。ぜったい成功させようね。じゃ、またLINEするねー」

「うむ。世話になった」


ジェニファーは電話を切ると、またパフェを食べながら、ユメノココロのYouTubeの続きを見た。

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