第34話恋のさやあて
港区白金の高層マンション。
豪華なリビングに設置したワークスペースで、綾波カレンは、スマホの呼び出し音に耳をすませていた。
カレンは、彼女自身がCEOをつとめるSNS企業アールビー・インクの海外支社との会議の資料をまとめるため、ラップトップPCの『エイスースZenBook』にデータを打ち込んでいる。
エイスースは、高性能CPUを内蔵したラップトップとして有名な、台湾のノートパソコンだ。
「出ないわねえ‥」カレンは、仕事の手を休めずにつぶやいた。
さきほどから、恋人の高城ダニエルに電話しているのだが、何度かけても留守電になるばかり。
ダニエルの性格を知りつくしているカレンは、彼がむやみに人を無視することはないとわかりつつも、だんだんイライラしてきた。
アメリカから帰国して以来、どことなく彼の様子がおかしいのよね。
優しくてジェントルなのは変わらないけれど、心ここにあらずというか。今までは、あたしのことを何よりも最優先にしてくれていたのに‥
カレンは電話を切ると、高城のことを頭から追いやった。
今年下半期の重要なプロジェクトミーティングは、環太平洋地域の各CEOとのオンライン会議。
厳重なセキュリティ体制が求められるため、インターネットを経由したクラウド会議ではなく、自社内のサーバーによる〈オンプレミス〉型ウェブ会議を導入した。
新進SNSカンパニーのアールビーにとって、データ漏出防止は最大の課題といってもよい。
経営トップの綾波カレンは、前CEOの父親にたたきこまれたエンジニアリング技術を駆使して、自社の完璧な防衛システムを構築した。
カレンの手腕によって、アールビー・インクは、今やフェイスブックに次ぐ第二のSNS企業の地位を築きつつあるのだ。
ようやく仕事がひと段落したので、カレンは椅子から立ち上がって、カフェブレイクを取ることにした。
キッチンでドリップメーカーにコーヒー豆を入れ、スイッチを押した。カウンターの袋からスコーンを二つ取り出すと、蜂蜜をたっぷりと注ぐ。
スコーンは、カレンの子供時代からの大好物だ。流行りのマカロンなどのフワフワしたフランス菓子より、サクッとした歯ごたえがたまらない。
ドリップし終わったカプチーノと、スコーンを皿にのせて、ソファーに腰をおろした。
リモコンでTVの電源を入れて、インターネットの海外ニュースチャンネルに合わせた。
米国CBS、英国BBC、ドイツZDF、フランスF2、ロシアチャンネル1、中国CCTV‥と、カレンは次々にザッピングしていく。
事業家である彼女にとって、経済やマーケティング情報はもちろん、国際情勢や政治、ときには軍事などのニュースソースに精通していなくてはならない。
カレンは各局のヘッドラインをチェックすると、米国CNNインターナショナルの『コネクト・ザ・ワールド』にチャンネルを合わせた。
画面では、局の女性アンカーであるベッキー・アンダーソンが、来年秋のアメリカ大統領選挙について解説していた。共和党・民主党それぞれのキャンペーンの模様を、全米各地のリポーターが中継している。
カレンは、CNNのニュースを見ながら、七年前に、父親のマーク・ドワイライトからアールビー・インクの経営権をゆずり受けたときのことを思い出していた。
当時、若き女性CEO誕生、しかも日本人という経営交代劇は、アメリカの各ニュース局で報道された。そのとき、CNNのアンカーウーマンであるアンダーソンから、カレンはインタビューを受けたのだ。
ベッキーの鋭い洞察力とITビジネスの情報量には、驚くほかなかった。アメリカには、彼女のような教養とパワーをかねそなえた女性がごまんといる。大企業を率いていく身として、あのインタビューは貴重な体験だった、と今でも思っている。
ニュースを見ながら、スコーンをひと口ほおばり、カレンはまた高城のことを考えはじめた。
うーん、どう考えてもあやしい。EDMフェス《アルティマ》のとき、電話で妙によそ行きな口調だったこと。そのあと、部屋に来ないかと誘ったときも、仕事が忙しいとことわられた。まあ、うちに来てくれたときには、いつもと変わらない健二だったけれど。
そんなことをあれこれ思いめぐらせると、カレンはLINEでメッセージを送ることにした。電話で話せないのはプライドが傷つくけれど、まあいいわ。
ハーイ健二!
いまどこにいるの?
何度も電話してるのに
ぜんぜんつながらないのよ
よかったら連絡して
恋人ほったらかしたら
許さないわよ
できるだけソフトなメッセージにしたかったけれど、思わずキツい言い方になってしまった。彼とのやりとりで、こんなことは今までなかったのに。自尊心が傷つくわね、まったく。あたしらしくない。
五分ほどすぎたところで、電話の着信メロディが鳴った。高城ダニエルからだった。カレンはスマホを取り上げて電話に出た。
「もしもし健二?やっと電話くれたわね」と、やや非難めいた口調で言った。
「ごめんごめん。ちょっと立て込んでたんだ。LINEにメッセージ入ってたんで、急いでかけたよ」
高城の声に、カレンはどことなく言いわけじみた匂いを感じた。とはいえ、妙に勘繰るのもみっともない。カレンは、何ごともなかったように会話を続けた。
「いいのよ。ところで、いまどこにいるの?ずいぶんにぎやかみたいだけど」と言って、カプチーノをひと口飲んだ。
「ああ、じつは僕の家でホームパーティーやってるんだよ。うるさくて悪いね」と高城。
「ふーん‥あら、うしろで騒いでるのセイヤじゃない。あいつも来てるの?」カレンは平常心をよそおったが、自分のいないところで高城が楽しんでいると思うと、内心おだやかではなかった。「女の子たちもいるんでしょ」
「セイヤね。あいつは呼ばなくても来るよ、あはは。女性陣はいつものメンバーさ」高城は明るく返事をした。「そういえば、最近仲良くなった子が三人いるんだよ。今までの仲間とはぜんぜん違うタイプだから、すごく新鮮なんだよね。こんど紹介するよ」
「その子たちもパーティーに来てるの?」カレンは好奇心からたずねた。
「ああ、呼んだよ。みんなにも可愛いがられてる」という高城の声がやけにはずんでいる。「いわゆるオタク仲間らしくて、ひとりは二十歳のお嬢様なんだけど、この子がなかなかの‥」
「健二、ずいぶんはしゃいでるわね?クールなあなたにしてはめずらしいじゃない」カレンは、いつもとちがう高城の様子にますます不信をつのらせた。2〜3秒の無言が続いたあと、カレンは言った。
「で、あたしは何で呼ばれないの?」
「えっ?」高城は、とつぜんの問いかけに戸惑っている。「いや、君はそれどころじゃないかと。今は会社の仕事が忙しくて、空いてる時間なんてないんだろ?」
「そうだけど、いちおう声くらいかけてよね。あなたに放置されるのは悲しいわよ」カレンは、高城の関心が自分だけに向けられていないことで、プライドを傷つけられた。こんなことは、かつて一度も経験したことがない。
「ごめん。そんなつもりはなかったんだ。傷つけたならあやまる」
高城は、慰めるのではなく、謝罪した。それがよけいに距離感をつのらせた。
カレンは、高城の態度に少なからず怒りをおぼえた。ふだんから冷静沈着でならす彼女だが、恋人の煮えきらない言葉に、世の中からはじき出されたような孤独感を味わってしまった。それでも‥
「今から行ってもいい?」カレンはプライドを捨ててたずねた。「まさか断わらないわよね」
「おいカレン、何だかこわいよ。怒ってるのか?」高城は、いつもと違う彼女の感情的な言い方に戸惑っている。
「そういうわけじゃないけど。最近あなたの様子がおかしいから、ナーバスになってるのかも」とカレンは正直な想いをぶつけた。
「そうか。僕にはそんなつもりはないけど、ごめんね」
そう言われると、正直な性格な彼だけに、なおさら自分が悪者になったような気がした。
「とにかく、今から行くわ。仕事もひと区切りしたし、あなたに会いたいから」カレンは言った。
「わかった。待ってるよ」と高城。その口調は、アメリカにいた頃の彼にはなかった、よそよそしさを感じさせられた。
「高速飛ばしていくから、三十分で着くわ。じゃあね」カレンは高城の返事を待たずに、電話を切った。
まったく。私らしくないなんてものじゃない。こんなにイライラして、もう。落ちつきなさいってば。
渦巻く感情をおさえて、カレンは、クローゼットに向かった。
仕事がらみのオフィシャルなパーティーでは、いつもテイラースイフトなどのセレブも着る『アリスオリビア』や『アレキサンダーマックイーン』、『グッチ』などの高級ブランドを身につけている。
今夜はホームパーティーということなので、カジュアルなエルメスのスカーフ柄ワンピースを選ぶことにした。
赤いカラーの髪をトップでまとめて、ナチュラルなメイクをほどこす。ブルガリの人気ピアス『ビー・ゼロワン』をつけてコーディネートを終えると、車のキーとバッグを手にして部屋を出た。
二十階からエレベーターで地下へおりると、早足で駐車場を突っ切った。愛車の赤いジャガーサルーンに乗り込み、シートベルトを締めて、勢いよく車を発進させた。
首都高速二号・目黒線の白金高輪料金所から、一ノ橋ジャンクションを抜けて、環状線に乗って中央高速をめざした。
いっぽう、阿佐ヶ谷の高城ダニエルのマンション。
リビングでは、男性五人、女性十人のグループが、彼の手作りの料理と酒を楽しんでいた。
ことみとジェニファー以外の女性は、全員がギャルモデル風か、露出度の高いスポーティカジュアルというファッションコーデだった。
セイヤの友だちで、ことみたちが初めて会った派手な格好の男たちは、金髪と日に焼けた肌がやたらに目立つ、遊び人風の、典型的なパリピである。
田中ことみと杉本晴夫は、見た目の派手なメンバーにやや押され気味だった。それでも、高城の仲間はみなフレンドリーなので、引け目を感じることもなく話の輪にとけこんでいた。
ことみは、ファッションモデルの橘ちなみと、話に花を咲かせている。同い年なのに、まるで少女のように純情で控えめなことみのことを、ちなみはすっかり気に入ってしまった。
ことみと橘ちなみが会うのは、今日で二回目だ。幕張で行われたEDMフェスティバル『アルティマジャパン』のとき以来である。
ことみはソファーの端で、晴夫と、
ちなみをはさむようにして座っていた。ひとりぽつんと寂しそうにたたずんでいたことみを見て、ちなみの方から話しかけた。
「ねえことみさん。それ健二くんのお店の服でしょ?」
「あ、はい」ことみは、返事をするのがやっとだった。
「ことみさんて、顔も小さいし、目もぱっちりしてて、可愛い服が似合うよね」モデルという職業がら、ちなみはことみのヘアスタイルからメイク、服の着こなしなどをチェックしている。「ねえ、こんど一緒に遊びにいかない?渋谷のクラブなら、いつもモデル仲間と飲んでるから」
「えっ‥クラブって、部活ですか?」とことみは、きょとんとした顔をしてたずねた。
「えーっ、違うよー。DJが回して、みんなが踊るやつ。ことみさん、どんだけウブなのー」ちなみは珍しい生き物でも見るように、興味深々でみつめている。
「あっ、DJの音楽なら、バイト先のCDショップで聞いたことあります。でも、モデルさんたちなんて‥」ことみは彼女の言葉に、思わず縮こまってしてしまった。
家でゲームに熱中する毎日を過ごしている彼女は、高城やその仲間と一緒にいることすら非日常の世界なのだ。ましてや、ちなみのように華やかな女性と友だちづきあいなんて、想像もできない。
「ことみさん、自分で思ってるよりぜんぜん可愛いよ。だから、友だちに紹介したいの」と、ちなみは笑顔で言った。「ねえ、LINE交換しよ!」
「え、そ、そんな‥」いきなりの誘いに、戸惑うことみ。
「またあ〜。ほらほら、携帯貸して」と言うと、ことみが差し出したGalxyのスマホのLINEを開いて、ちなみはQRコードで友だちに追加した。「はい、おっけー!あれ‥このメダカってなあに?」
「あっ、それあたしのあだ名なんです。目が大きくてぐりぐりしてるから‥ははは‥」と言って、ことみは苦笑いを浮かべた。「ゲームおたくの呼び名というか。ハンドルネームみたいなものです」さっきまでモジモジしていたことみは、別人のようにすらすらと説明した。「参考までに、晴夫はウナギ、ジェニファーちゃんはクリオネです」
「へー、そうなんだ。あたしもスマホにゲームアプリ入れてるけど、ぜんぜんわからない。頭悪いのかなあ?」Galxyを返しながら、ちなみは口をとがらせた。「ていうか、それよりその敬語やめようよ〜。同い年なんだから、タメ口でいこ!せめてちなみちゃんて呼んで。あたしは、へへ、メダカちゃんて呼んじゃおっと!」
「え?そんな‥わかりました‥じゃなくて、わかった。よろしくね!」遠慮がちに言ったものの、ことみは飛びはねるように喜んでいた。同い年の仲間といえば、今まで晴夫ひとりだけだった。それが女の子の、しかもインスタのフォロワー数17万人の有名人と親しくなれて、天にものぼる思いだった。
いっぽう、ジェニファーは、最年少の二十歳にもかかわらず、いっさいものおじすることもなく、年上の派手なメンバーから注目の的になっていた。
「クリオネちゃんてさ、すげえ別世界のアイドルみたいだよなあ」とケンセイと呼ばれる、二十五歳のパリピ男が言う。
晴夫の紹介で、ジェニファーはすでにあだ名のクリオネと呼ばれている。
「そりゃチョーお嬢様なんだから、ギャルとはわけが違うっしょ」もうひとりの、カッツンというこれもパリピ男が、高価な宝石に魅せられたかのように言った。「マジでお人形さんだよな。見ろよ、肌が透き通ってるもん!」
それを聞いていたジェニファーは、何ごともなかったかのごとく、パリピ野郎たちをやや見下したようにながめている。
「そなたたちは殿方であろうが。おなごの身体をうんぬんするとは、どのような教育をうけておるのだ」ジェニファーは、すでに十杯目となるシャンパンをグイグイあおりながらもの申した。
それを聞いていたgogoダンサー『ギャラクシーエンジェルズ』の四人が、いっせいに笑い転げている。最年長の真衣が、年下のチャラ男の頭をたたいて爆笑した。
「クリオネちゃんはね、あんたらが相手にできる女の子じゃないの!クラブでナンパしてるそのへんのギャルと一緒にするなっつうの」と真衣が言うと、ほかの三人のメンバーが、そうだそうだと大きくうなずいている。
「わかってますよー。でも、こんな美形のJKみたいな子、ぜってー縁がないからさ、少しくらいお近づきになりたいじゃないすか」二人のパリピ男は、この世のものとは思えないジェニファーのルックスに、すっかり心をうばわれている。
「クリオネちゃんはね、紳士以外は相手にしないの!」となりでやり取りを聞いていたライラが、パリピ野郎たちに釘をさした。そして、左の晴夫にむかって「ね、杉本くん?」と声をかけた。
橘ちなみをデレデレになって見ていた晴夫は、ふりかえるとこう言った。
「いや、こいつ偉そうなこと言ってますけど、あんまりおだてると調子にのりますから」とあっさり言い捨てた。「年上をなめるなって、年功序列の厳しさを教えてやってくださいよ」
あっさり言い放つ晴夫に、一同は驚きを通りこして感心してしまった。
「おお、ハルオ!あなた男らしいね!」ライラと同じダンサーユニット『ピーチ』のひとり、コロンビア人のマリアが言って、拍手をした。
「おのれウナギ。そなたふぜいが何をのたまうか!われを見下したもの言いは‥」というジェニファーの言葉は、途中でさえぎられた。
「あのなあ、クリオネ。だからお前は友だちができないんだよ」と晴夫は言った。「おれとメダカだけじゃなくて、こんなに素敵な女の人たちだって優しくしてくれてるじゃんか。素直にうれしいって言えよ。お嬢様とか関係ないだろ!」
とつぜんの晴夫のきびしい指摘に、ジェニファーは思わず黙りこんでしまった。先ほどまでとはうって変わって、無言でうつむき、しょげている。
「まあまあ。若いんだからいいじゃん。ね、クリオネちゃん?」ライラはその場をとりつくろった。
「あれえーっ!」と、いきなり大声で叫んだのは萌だった。すっとんきょうな声に、全員がいっせいに注目した。「もしかして、クリオネちゃん、晴夫くんのこと好きなの!」
「は?おまえ何言ってんの?」キッチンから酒を持って、高城ダニエルと一緒に戻ってきたセイヤが言った。
「だってさ、クリオネちゃん顔真っ赤だよ」と萌が言う。「純情だなあ。ピュアで可愛いったらない!」
「え、そうなの?」と言って、セイヤは高城と一緒に腰をおろした。「よお、ハルっちジェニファーちゃんと付き合ってんのか。こら、やり手だなおまえ。ダハハハ」セイヤは晴夫を冷やかして笑った。
「違いますよー、セイヤさん。あ、でもこいつ、俺にはけっこうなついてるんで、筋はあるかもです。あはは」晴夫も調子を合わせて笑った。
みんなに冷やかされていたジェニファーが、がばっと起き上がった。
「何をたわけたことをほざいておる!こやつのようなうつけものなど、われが相手にするものか!」と言うと、シャンパンをグイッとあおる。「こらウナギ!そなた、戯れもいいかげんにせぬか!」
「あらあ〜、ムキになってるよクリオネちゃん。ますますあやしい〜」萌はさらに追求した。二十歳のジェニファーがあまりにキュートなので、一つ一つのそぶりが可愛いくてしかたなかった。
「おいおい、あまりからかうなよ」高城がジェニファーをかばった。「彼女は壊れやすいガラスみたいな子なんだぞ。そのへんでやめておけってば。ねえ、ことみさん?」
ちなみと話し込んでいたことみは、ハッとして高城の顔を見た。そういえば、パーティーに来てからというもの、彼といちども会話を交わしていなかった。華やかな雰囲気にのまれてしまい、正直いって余裕がなかったのだ。
「あ、はい。クリオネちゃんは大富豪のお嬢様で、高嶺の花と思われがちですけど、心が純粋でとても思いやりのある子なんですよ」と言って、ことみは高城に笑顔を向けた。
「ほらほら、だから言っただろ?世間ズレしたお前たちと一緒にするなよ。あはは」高城は、ことみに合わせて言いながら笑った。
「そんなあ〜!
健二くん言いすぎ〜!」
女性陣が、声を合わせていっせいに高城を非難する。もともと女の子の押しに弱い高城は、思わずひるんでしまった。
「あ、ごめんごめん。そんなつもりじゃないけど、つい‥」
ピンポーン!!
高城が言い終わらないうちに、来客を告げるチャイムが鳴った。
高城はふと思いついて、腕時計を見た。ああ、来たか‥
チラッとことみの顔を横目で見ながら、立ち上がって玄関にむかった。
扉をあけると、華やかな服装の綾波カレンが立っていた。彼女は腰に手を当てて、こちらをうかがうように首をかしげている。
「おじゃましていいかしら?」
カレンは玄関でたたずみ、あえて恋人の許可を待った。
「どうぞ。待ってたよ」と言って、高城はカレンを招き入れる。
「あなたの部屋に来たの、何年ぶりかしらね。とっても新鮮」カレンは、流し目で高城の顔を見つめている。そこには明らかな不満が感じられた。「ようやくご招待、うれしいわ」
カレンは、遠慮なしに廊下をすたすたと歩いていく。高城は、なんとなく気まずい思いだった。この後の展開が心配だったのだ。
「はーい!みんな盛り上がってるわね!」カレンは、注目を集めようと、ポーズをとってアピールしてみせた。
「おいおい。カレン様のお出ましじゃんか!」何年かぶりの再会に、セイヤが驚いている。
「あら〜!カレンちゃん」と言ったのは、ギャラクシーエンジェルズの真衣だ。
「いつ帰ってきたんだ。電話くらいしろよな」セイヤはビールを持ったまま、カレンに近寄った。「健二からなんも聞いてなかったぞ。相変わらず大物オーラ放ってるな」
「あんたは、相変わらず女の尻追いかけてるの?」と言って、カレンはセイヤの脇腹をつついた。
世界的企業のCEOである綾波カレンを知るのは、カリフォルニア工科大学に在籍していた高城ダニエルとセイヤ。それに、ギャラクシーの最年長である真衣、そしてgogoダンサーのライラの四人である。
それ以外のメンバーは、いきなり現れたセレブ感たっぷりの女性に、目を奪われている。
カレンは、そんな一同に向かって、宣言するように言った。
「みなさんハロー!私は綾波カレン。健二くんのフィアンセなの」カレンはそのまま後ろをふり向いて、高城の腰に手を回し、腕を取った。「ねえ健二。私たち、理想のカップルよね」
高城は、カレンのいつになく当て付けがましい態度に失望していた。クールで礼に失しない彼女が、いったいどうしたことだろう。
「健二?」と呼びかけるカレンの声に、彼はわれに帰った。
「あ、ああ‥そうだね」と言う高城の目は、ソファーの端で顔をそむけていることみに向けられている。
「あら、それだけなの?あなたって本当に照れ屋さんなんだから。まあ、いいわ」と言って、カレンは高城の手を取り、二人でソファーに座った。
カレンが加わって、パーティーは華やかさを増した。だが、突然あらわれた見知らぬ女性に、ひとりジェニファーだけは敵意を感じていた。
" なんだこのおなごは?ダニエルどのとの親密さをことさらに強調しおって。不遜であるな。
かような若さであるとは、どこぞの大資本の令嬢であろうが。なにゆえおのれの醜態をさらすのだ?"
不審な目つきでカレンを観察していたジェニファーだが、べつの思いにかららて視線をそらし、離れた場所にいることみを見つめた。案の定、彼女はその場から顔を背けてうつむいている。心ここにあらずという様子だ。
ジェニファーは、しばし思案にくれた。
" これは捨ておけぬな。ことみどのは相当まいっておるぞ。
ダニエルどのは何をしておるのだ?
このご時世に、良くできた紳士な殿方と思っておったが、しょせんは烏合の衆か。けしからぬ!"
ジェニファーは、ことみに起こった事態に心を痛めていた。自分を妹のように慕ってくれる、無垢でいたいけな彼女を、このまま放ってはおけるはずがない。
はやる気持ちで横を見ると、予想通り晴夫は美女との会話に浮かれまくっていた。
おのれウナギのやつめ。親友がかように打ちのめされているというのに、なんたる軽薄さか。不届きものめ!
するとジェニファーは、あえて全員に聞こえるように口を開いた。
「あー、そなたカレンと申したな?」小さな身体をそらして、大企業の女経営者をにらむ。「察するに、ダニエルどのとご学友のようであるが、まことに恋仲なのか?ダニエルどのは、そなたをめとるとは思えぬのだが」
愛らしい美少女の攻撃的な発言に、その場が凍りついた。全員の視線が、カレンとジェニファーに集中する。
カレンは、初めて見る幼い女学生の、自分を否定するような言い方に一瞬ムッとした。だが、すぐに笑顔を浮かべてジェニファーに言う。
「あら、こちらは誰かしら?」と言って首をかしげ、余裕たっぷりな態度を見せる。
「ジェニファーちゃんだよ」セイヤが助け舟を出した。「水戸井ジェニファーちゃん。日本一のお嬢様学校『純真女学院』のご令嬢。チョーお嬢様だぜ!おれらとは住む世界がちがう、漫画の中から出てきたような女の子だぞよな」セイヤは身ぶり手ぶりをまじえて、大げさにほめたたえた。その場の空気を和ませるためだったが、かえってわざとらしさが目立ってしまった。
「そなたは黙っておれ!」ジェニファーは、いつもよりひときわキツい口調でセイヤを制した。「もう一度たずねる。ダニエルどのはこのおなごと連れ添うつもりなのか?」
ジェニファーの鋭い問い詰めに、高城は言葉が出てこなかった。ことみを見ると、彼女は生気をなくした表情でうつむいていた。
「あー、ジェニファーちゃん‥これはその‥」と言いかけると、カレンがその言葉を引きつぐように、きっぱりと言った。
「当たり前でしょ。健二の相手にほかに誰がいるの?まあ、新顔のあなたにはわからないでしょうけどね」と、カレンは少女を見下したように言う。
「われはそなたに聞いておるのではない!」ジェニファーは譲らない。「ダニエルどの、いかがなのだ?」
日本一の財閥女学院の令嬢と、世界的大企業の女経営者。十歳ほども歳の離れた女同士の間に、火花が散る。その場はもはやパーティーどころではなく、セレブの対決に全員がかたずをのんでいた。
その時だった‥
「やめて、クリオネちゃん!」
ことみがうつむいたまま、身体を震わせていた。カールにセットした髪が顔にたれている。そして、言葉をふりしぼった。
「あたし、そろそろ帰ります。実家の手伝いがあるので‥」そう言ってことみは立ち上がると、高城とダニエルに顔を向けた。「ダニエルさん。カレンさん素敵ですね。お似合いです。みなさん、今日はありがとうございました。ほんと、楽しかったです」
ことみは頭を下げて礼を言うと、バッグを手にしてその場から去っていく‥
「お、おいメダカ!いきなりどうしたんだ?」晴夫は、親友の突然の行動に驚いて立ち上がった。何が起こったのか、まるでわからない。そして、ジェニファーに向かって言う。「クリオネ、おまえ失礼だぞ。何考えてんだよ?」
「黙れ。おのれのように鈍感な輩は、口をつつしんでおればよいのだ」ジェニファーはふんと顔をそむけて、シャンパンをあおった。
その横で、ここ数週間の高城とことみの関係を見てきた橘ちなみは、困り果てていた。
健二くんとカレンさんは、誰もが認める将来を約束されたカップル。だけど、最近の健二くんが、私から見てもメダカちゃんに惹かれているのは明らかだよね。
どうしよう?健二くんは優しい人だから、きっと悩んで苦しむはず。
でも、あえて選ぶなら、私は健二くんにメダカちゃんと幸せになってほしいな。だって、彼女はとても純粋で、見たことないくらい優しくて思いやりのある子だから‥
玄関でヒールサンダルの履いていたことみは、早くこの場から逃げ出したかった。自分という存在を消し去りたかった。ストラップが絡んでしまい、何度もやり直した。
「ことみさん!」
後ろを振り向くと、高城が立っていた。バツの悪そうな表情で、いつもの真っ直ぐで爽やかな風貌は影をひそめている。
「お願いだから、僕に説明させてくれないか。いきなり帰るなんて悲しいよ」高城は、ことみを必死になって説得する。しかし、彼女の落胆ぶりに近づくことができない。
彼女の手を取って引き止めたかった。このままでは合わせる顔がない。とはいえ、カレンとの関係をどう説明しようとも、ことみさんには言いわけにしか聞こえないだろう‥
高城が困惑していると、ことみは玄関の扉をあけて、こちらを向いた。
「今日はありがとうございました。ダニエルさんと会えて楽しかったです。それじゃ」ことみは頭を下げて去っていった。
高城はその場に立ちすくんでいた。がっくりとうなだれて、両手で顔をおおった。ああ、どうしよう‥
JR阿佐ヶ谷駅に向かう道すがら、ことみは抜け殻のようになって歩いていた。みじめで情けなくて、涙も出ない。高城からプレゼントされた服、ヒールサンダル、ネックレス。こんなのしょせん不釣り合い。いくら着飾ってもカエルの子はカエルなの。
ひと夏のまぶしかった思い出は、かげろうのように消えていく。あたしは、いったい何を期待していたのだろう。あんな素敵な人が、あたしなんかに似合うわけがない。夢を見た自分が馬鹿だった‥
意気消沈したまま、ことみは駅の改札を抜けてホームにおりた。東京行きの中央線快速に乗ると、シートに座ってため息をつく。電車の揺れに合わせて身体がふらついた。とつぜん涙があふれてきた。孤独感が次々と押しよせて、ことみは人目をはばからずにむせび泣いた。
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