第31話心の中のモヤモヤ
場所は変わって、新宿。
JR南口のタカシマヤ・タイムズスクエア14階にある、うなぎ専門店の『赤坂ふきぬき』。
その一席で、ことみはぼうっと前を見つめていた。衝立(ついたて)に背中をもたせて、微動だにしない。テーブルには、手つかずのランチが放置してある。
午後三時四十五分。ランチタイムはとっくに過ぎている。中途半端な時間とあって、店内にはサラリーマンと、小さな子供を二人連れた主婦の二組しかいない。両方ともランチタイムの後にやってきた客である。
店に入ってから約二時間半。途中、ランチタイムのラストオーダーをうかがいに店員がやってきたが、手をつけていない料理とことみの様子を見て、去っていった。
頭の中では、家を出てからのできごとが何度もくり返されていた。
いつもとちがう母キヨの様子に、思わず尾行して新宿まで来た。そして、この店で見た母の思わぬ姿。死んだお父さんそのままの紳士とのデート‥
その後、けっきょくお母さんに見つかってしまった。友だちと待ち合わせとごまかしたけれど、嘘は見え見え。お母さんは、あっそうなの、じゃあね、といって去っていった。
一緒にいた男性の正体も、わからずじまい。新宿まで、探偵みたいに母親を尾行してきたのに、成果はゼロ。
あたしって情けない。何やってものろまでまぬけ。バイト先の店長の声が聞こえてきそうだわ。ふう〜。
ことみはようやく身体を起こして、席を立って店から出た。
歩きながらスマホを取り出して、LINEをチェックしたとき、ハッとして立ち止まった。
あーっ、しまった!ダニエルさんからパーティーに招待されたのに、電話切っちゃったんだ。大失策!
それもお母さんの尾行が理由なのに、見事に失敗しちゃうし。あー無念。なにやってんだろ。われながら情けない‥
いや、待って。まだ夕方四時だし、パーティーは夜だったはず。今から電話すれば大丈夫かも。でも失礼な電話の切りかたしちゃったし、ダニエルさん怒ってるかな?
けっきょくことみは、勇気を出して、高城に電話をかけることにした。もともと内気でネガティブな性格のことみだが、高城との出会いで、少しずつ変わっていく自分がどこかにいる気がした。
LINEの友だち画面で高城の欄を開くと、ことみは電話のアイコンをクリックした。四回目の呼び出し音でつながった。
「もしもしことみさん?」電話のむこうから高城のさわやかな声が聞こえてきた。
「あ、ダニエルさん。さっきは失礼な態度でごめんなさい。あんな電話の切り方して、反省してます」と、ことみは今にも泣き出しそうな声で言った。新南口改札へ向かう通路に立ち止まって、何度も頭をさげた。「家庭の事情だったので、ついあせってしまって‥」
「え、事情って‥深刻なのかい?」高城の声色が変わった。心配をしているらしい。「まあ、くわしいことは聞かないけど。それにしても、あれは傷ついたなあ」
「ごめんなさい、ごめんなさい。ダニエルさん優しいのに、こんなことして‥」ことみは、自分勝手な行為をしきりに反省している。
「おいおい冗談だってば。ことみさんてほんと、純粋だよね。ふふ。ぼくはまったく気にしてないから、気にしないで」と高城は明るい声で言った。「それより、電話してきたのはそのことだけなのかい?」
「あ、いえ。その‥」
「遠慮しないで言ってよ」
「今夜のホームパーティーですけど、私行ってもいいですか‥?」完全なる尻すぼみ。内気もここまでくると、あきれるほかない。
「えっ、それほんと!」ことみには、高城の飛びはねる姿が、電話のむこうに見えるような気がした。「やった!じつをいうと、ちょっと落ちこんでたんだよ。ぼくって、けっこうあとを引きずるタイプだからさ」
「それ、意外です」とことみはか細い声で言った。
「だろ。それより、パーティーだけど、待ち合わせはどうする?じつはこれから杉本くんと会うんだよ」と高城。
「ウナギとですか?びっくりです」ようやくことみは、元気を取り戻した。「あいつも呼んだんですか」
「ああ。ジェニファーちゃんも来るよ。これから杉本くんの服を買いに、高円寺にいくんだけど。一時間くらいかかるかな。合流するかい?」
電話から重低音のサウンドが聞こえてきたので、ことみはたずねた。
「いま車ですか」
「当たり。よくわかったね。それで、どうする?」
「いえ、申しわけないんですけど、いったん家に帰って着替えないと。シャワーも浴びたいし」高城と話ができたことで、さっきまでのモヤモヤした気分も晴れた。彼と話していると、どんなことでも前向きに思えてしまう。それがうれしかった。
「わかった。じゃあLINEに、阿佐ヶ谷のうちの住所送るからね」と言い終わるとすぐに、ポンと着信音が鳴った。「できれば、ぼくがプレゼントした、うちのショップの服着て欲しいなあ」と、高城の誘うような声。
「もちろんです。ていうより、ほかにおしゃれなのないですから。あはは」ことみは照れ隠しに笑った。「それはそうと、パーティーには誰が来るんですか?」
「今のところ、ちなみんとピーチの三人。ギャラクシーの真衣、萌、真由香かな?」高城は、頭の中で思い出しながら言う。「あっ、表参道のウ"ォヤージュから、シャロンとメイクのスミレちゃんも来るかもしれないかな」
それを聞いたことみは、初めて表参道へ行った日のことを思いうかべた。ずいぶん前のように感じるけれど、あれからまだ二ヶ月もたっていないのかあ‥でも、あれ?
「加賀美さんは来ないんですか」
「セイヤ?来るけど、あいつはどうでもいいから。数のうちに入ってないよ。あはは」と言って、高城は高笑いした。
「そんなこと言っちゃだめですよ。親友さんじゃないですか」あ、いけない。えらそうなこと言っちゃった。「ほかに男性の方は?」
「たぶん女の子たちが連れてくるんじゃないか。まあラフな集まりなんで、そのへんは適当だよ」と、高城は言った。
また綺麗な女の人たちと会える思うと、ことみはワクワクしてきた。はじめての時は肩身がせまかったけれど、みんなが優しく受け入れてくれたので、心が自然とはずんだ。
「ところで、今どこにいるの?」高城がたずねた」
「新宿にいます。これから帰って少しお店の準備しなければいけないので、二、三時間くらいかかります」ほんとはすぐにでも会いたいのだが、現実はそうはいかない。もどかしかった。
「七時くらいからぼちぼち飲みはじめるから、ちょうどいいね。ぼくの家は阿佐ヶ谷駅前からすぐ。電話してくれれば迎えにいくよ」という高城の声が、心なしかはずんでいるように聞こえた。
ことみは、そんな彼の思いやりがうれしかった。ダニエルさんは、どこまで優しいんだろう。逆にこの幸福感がいつか壊れてしまうのではないか、と不安になるくらいだった。
「わかりました。できるだけ家のこと早く片づけて向かいます」とことみは元気を取りもどして伝えた。
「よっしゃ。阿佐ヶ谷駅に着いたら連絡してね。あ、そろそろ杉本くんの店に着くから。あとで」と言って、高城は電話を切った。
さっきまでのモヤモヤした落ち込みようはどこへやら。ことみはスマホを見つめながら、心の中で "やっあ〜!"と叫んでいた。
ところで、ウナギのやつどんな格好してくるんだろう?ダニエルさんが服を選んでくれるのかな。あいつがおしゃれとかイメージわかない。ちょっと楽しみ。
ことみは今夜のホームパーティーのことを頭にうかべながら、JRの新南口改札へむかった。
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