第30話晴夫の大改造

午後5時前。


高城ダニエル健二は、国道20号線すなわち甲州街道に、愛車のアストンマーチンを走らせていた。今夜のホームパーティーに参加してもらうため、田中ことみの友達である杉本晴夫を迎えにいく途中である。


「ええっと、どこかな…あっ、ここだ!」高城はGPSカーナビの画面を見つめながら、前方へ視線をちらちらと向けてつぶやいた。今日の甲州街道はやけに混んでいるので、カーナビばかり見ていると危険である。

「なになに…JR新宿駅南口前をすぎてから、新宿三丁目交差点へ向けて左折。そのまま交差点を通りすぎて、『かに道楽』の手前にあるのか?」とまたもひとりでつぶやいた。


高城はふだんからひとり言が多い。これは職業病みたいなもので、アパレルショップ経営、ファッションデザイナー、DJ、モデル、と仕事が多岐にわたるので、それぞれのスキーム(構想)をマルチにこなさなくてはならない。それをパソコンやスマホ、書類でデータ整理しようとすると、頭がパンクしてしまうので、いちいち口に出して確認するハメになるのだ。


晴夫には、前もってLINEで夕方五時に着くことを伝えてあった。

新宿駅南口前を通り過ぎて、その先を左へ折れて、新宿三丁目交差点の手前で停車した。

「信号が多いなあ」とつぶやく。「新宿はゴミゴミしてて落ちつかないや。杉本君のお店は、きっとこの先にあるんだな」

信号が青に変わった。高城はアクセルをふかして、前の車に続いた。少しスピードを落として、車を車線の左側に寄せる。


「このへんだよな…ん?あの看板はかに道楽じゃないか。と言うことは、おっ、あれだあれだ」高城は徐行しながら言った。「へえ、なかなか大きい楽器店だな。ん?」

店の前で、赤いエプロン姿の青年が手をふっている。

「あれは杉本くんか。なんかえらそうだな。店長みたいじゃないか」とつぶやきながら、高城は車を路側帯へ寄せた。楽器店の前に来ると、パーキングランプを点滅させて、車を停め、左の窓をさげた。「おーい、杉本くーん!」と声をあげて、窓から手をふった。


赤いエプロンの男の子が、かけ足で車に近づいてきた。満面に笑みをうかべて、さかんに頭をぺこぺこさせている。

「ダニエルさーん!お疲れさまです!」杉本晴夫は、何年ぶりかに恋人と再会でもしたかのようにはしゃいでいた。「うちの店よくわかりましたね?このへんごちゃごちゃしてるんで、地元の人間以外はけっこう道に迷うんですよね」

「久しぶりだね。いや、GPSナビあるもんで、わりと簡単だったよ」と言いながら、高城は扉をあけて歩道に降り立った。「ずいぶん貫禄あるね。このあいだフェスに行った時とはぜんぜん雰囲気違うけど。ベテランの職人さんみたいに見えるぞ」

「あっ、この店ぼくの親父が経営者なんですよ。だから、たいていのスタッフよりもぼくのほうが職歴長いんで、自分で言うのもなんですが店長みたいなもんなんですよ。えへへ」と言いながら、晴夫は頭をかいて笑った。「でも親父のやつ、ぼくのことめっちゃこき使いやがるんで参りますよ。いつも時給上げろっていうのに、修行が足りないの一点張り。くそ社長が」

「あはは。たぶんそれは、お父さんが君を将来の経営者に育てようと思ってるんじゃんないかな。ぼくもいちおう会社経営してるから、なんとなく気持ちがわかる気がする」と言って、高城は晴夫の肩をたたいた。「ところで、その格好はまだ仕事中なんじゃないの、大丈夫かい?」

「このエプロンですか?ダサいですよね〜。いや、ダニエルさん来るまで、お得意さんのギターメンテナンスやってようかなって思ったんです」晴夫はさっそくその場で赤いエプロンを脱いだ。高城が少し戸惑った顔をしている。「あ、いえいえ。大丈夫ですよ。もう僕の仕事は終わりなんで。っていうと、親父に『また抜け駆けか!このバカ息子が!』とかぜったい言われますね。うーあいつめ!」

「君とお父さん、なんだかんだいって仲がいいじゃないか。お互いに主張をぶつけ合えるのって、そうじゃないとできないよ」高城は晴夫の心を包むように、暖かい笑みをうかべながら、しきりにうなずく。「うらやましいなあ。僕の父はアメリカにずっと住んでるから、めったに会えないんだよね。それに、クソ親父なんて一度も言ったことないもんなあ。あはは」と言って、晴夫をからかった。

「やめてくださいよー。親父に聞かれたら楽譜で頭ひっぱたかれますって」と言って、晴夫はまた頭をかいた。「あっ、すいません。すぐに戻ってきますから、ちょっとだけ待っててください」晴夫はまた頭をぺこぺこさせて、かけ足で店に入っていった。


「彼はなかなかの人物だな」高城は、車のボディにもたれて腕を組みながら『杉本楽器店』と書かれた看板を見つめた。「くるみさんも言ってたけれど、彼には人の心をつかむ才能あるように見える。あれはゲームオタクを超えた何かがあるぞ。きっといい経営者になるに違いない」


「お待たせしました!」

晴夫は店にいる時のデニムシャツとベージュのコットンパンツから、私服のTシャツとジーンズに着替えていた。

「よし。じゃあ、行こうか!」高城は晴夫に助手席を指さして、車に乗りこんだ。

イグニッションをスタートさせると、落ちついたボディデザインとは対照的な、獣が吠えるような重低音が鳴り響いた。高城はギアをパーキングからニュートラルに入れる。

「ダニエルさん。この間も言いましたけど、この車すごいですよね。迫力あるし、それになんというか‥紳士的な雰囲気ですかね?やっぱり男はこういう車に乗らなきゃだめだなあ〜」と言いながら、晴夫は車内をきょろきょろと眺め回した。


先日のお台場でおこなわれたEDMフェスティバル『アルティマジャパン』のときには、晴夫は後部座席に乗っていた。助手席から見るアストンマーチンのあらゆるデザインは、その時とはまた違う表情を見せており、晴夫は目を奪われていた。ところどころにある車のパーツを、自分の手で触りながら具合を確かめてもいた。

「おっ、さすがは店長。メンテナンスはお手のものか?」と言って、高城はまた晴夫のことをからかった。晴夫が照れるようにしながら、頭にかぶったキャップの上から頭をかいている。


「シートベルトはしたね?じゃあ行こう」高城は、ルームミラーとサイドミラーで後方を確認すると、ギアをドライブにたたき込んでハンドルを一気に回し、大通りの分離帯の切れ目から車をUターンさせた。

「この音ですよ、この音!カッコいいなあ〜」晴夫はすっかり浮かれている。

「そうかい。なら、今度一緒にドライブしよう。君となら楽しい時間をすごせそうだよ」と高城は前を見ながら、となりの晴夫に声をかけた。

「え、ほんとですか?行きます行きます!ぜったい行きます!」と言って、杉本楽器店の未来の社長はガッツポーズをしてみせる。


晴夫の熱の入った声と、高城の明るい笑い声を車内に満たして、アストンマーチンは甲州街道を高円寺方面に疾駆させていく。



四十分後。


高城と晴夫を乗せた車は、JR中央線の高円寺駅前にある駐車場ビルの前で順番を待っていた。

今日の昼にLINE電話で伝えていたのだが、晴夫のパーティー用の服などを買うために、これから二人で中古服(ユーズド)のショップをまわる予定だった。高城は、洋服だけではなく、スニーカーとキャップも揃えてみようと考えていた。派手な女の子たちの前でも見劣りしない、彼にふさわしいコーディネートを作ってやろう‥‥と、頭の中で、デザイナー根性が頭をもたげていた。


「お待たせしましたあ〜お次の方前に出してくださ〜い!」

駐車場のスタッフが声をあげた。高城が車を前に進めて、丸い印に囲まれた所定の位置に止めると、目の前の大きな扉がひらいて、パーキング用のゴンドラが現れた。慎重に車をゴンドラに乗せおえると、高城と晴夫はエレベーターから外へ出た。


高円寺駅南口から少し歩いたところの路地に、お目当ての中古洋服店、すなわちユーズドショップがある。雑居ビルの地下にある店で、地下への階段の入り口の壁に『オフロード』という店名がデザインされていた。店主がオートバイのモトクロスが好きで、こんな名前がつけられている。


「ダニエルさん。ここ、よく来るんですか?」と、晴夫はたずねた。「あっ、そうか。となりの阿佐ヶ谷に住んでるんですもんね」

「そうだよ。まあ常連のひとりではあるかな」と言いながら、高城は先に立って、地下への階段をおりていく。「あ、急だから気をつけて」

「はい。ていうか、ダニエルさんめっちゃ優しいですよね。メダカ、いや、ことみと一緒のときもそんな感じなんですか」晴夫は下を向いて言う。

「え?ああ‥‥」と高城は照れるように返事をした。ことみとの交際は、ジェニファーとことみ自身を含めた4人の間では、すでに公然の事実なのだが。

「あっ、すいません。よけいなこと言っちゃって」と言って、晴夫は頭をかいた。

「いや、いいんだよ」と高城。「でもなあ、ぼくはことみさんのこと好きなんだけど、彼女はどうなんだろう?」と高城は顔をくもらせた。「今日も電話いきなり切られちゃったし‥」高城は階段の下にあるショップの入口に立った。

「えっ、ことみの方が、ですか?」晴夫が顔を上げた。「好きに決まってますってば!あいつ人生で一度も恋愛経験ないんですもん。ダニエルさんみたいにカッコよくて、優しくて、お金持ちの男性に好かれたら、断るはずないですよ。十年近くつき合ってきた親友としては、ここでチャンスを逃したら一生恋愛できないぞって言ってやりたいですよ…あっ、またよけいなこと言っちゃいました。すいません」


二人は店の前の狭いスペースに立ち止まって、会話を続ける。

「えっ、ことみさんて男性とお付き合いした経験ないの?」高城は驚きを隠せなかった。そして、心の中で "あんなに可愛いくてピュアな女性なんて、今どきめずしいくらいなのに。なぜだろう‥‥" とつぶやいた。 "まあでも、男の影が見えないということは、つき合える可能性もより大きいというわけだな。でもなあ‥…"


「ダニエルさん、店に入らないんですか?」

晴夫の声に、高城は我にかえった。

「ああ、ごめんごめん」高城は思わずドギマギしながら、ショップの扉を開けた。

高身長・高学歴・高収入の三拍子揃った高城なら、世の中のほとんどの女性は喜んでつき合うだろう。自分の外見を決して鼻にかけない高城とはいえ、そのあたりは重々承知している。

ところが、ことみとの交際に関しては、かなり積極的にアプローチしてはいるものの、そのいっぽうで臆病な自分がいることを高城は認めなければならなかった。


二人は扉を開けて、店内にところ狭しと並べられた無数の洋服を眺めた。

「杉本くんTシャツ好きみたいだから、まずそれを選ぼうか」高城は気を取りなおして、晴夫に言った。

「好きって言うか、これはただ簡単に着れるからという、ただそれだけの理由ですよ。ファッションセンス全然ないですからね、おれ」と言って、晴夫は照れくさそうに笑った。

「Tシャツって、そもそもそういう理由から生まれたと思うよ。それに、いつも着てるということは、それすなわち好みだというわけだよ」と高城は言い、ハンガーラックにあるたくさんのTシャツをチェックしていく。

「さすがファッションデザイナー。ダニエルさんの言葉は含蓄がありますね」晴夫はしきりに感心しながら、うなずいた。


「これなんかどうだろう?」高城は晴夫の言葉を聞き流して、三枚のTシャツを手に取って見せた。ファッションのことになると、この男はいきなり真剣モードにスイッチが入る。「杉本くんならXLサイズがいいね。マッチョ系ではないから、あんまりピッチリしたのよりも、少しルーズな感じのアッパーとボトムズでまとめたほうが良さそうだ。そのほうが好青年の雰囲気が出て、君らしくていいだろう」

「おれが好青年‥ですか?」と言って、晴夫は首をかしげた。「まあ、ダニエルさんがそう言うなら‥」

「これまとめて買うから、今日以外の日にも、良かったら使ってみて」


高城はTシャツをかかえて、今度はジーンズのコーナーへ向かった。晴夫はあたりをきょろきょろと見回しながら、高城の後についていった。

ハンガーラックには、ビンテージものやパッチワークアレンジ、タトゥーのような絵が描いてある攻撃的なデザインなど、様々なGパンが並んでいる。『オフロード』は、ジーンズの種類が多いことで有名なので、アメリカンカジュアルが好きなモデルやショップ店員が、都内だけでなく県外からもやってくるのだ。

「うーん。どれにするかなあ?」高城は、先ほどのTシャツコーナーよりも時間をかけて、アイテムを吟味している。

数カ所のラックをひと通り回り終えると、最初にチェックした場所へ引き帰した。すると「やっぱりこれだな!」と言って、一本を引き出した。そのジーンズには、斧を手にした骸骨が炎に包まれた絵が、左側の太腿から膝下に描かれており、右の膝部分が破れてダメージ加工されていた。

「さっきのTシャツはどれもブランドものの爽やか系だから、下はあえて不良っぽくいこう」高城は、三枚のTシャツとジーンズのコーデをチェックした。「どうかな?杉本くん。」

「どうもこうも‥おれセンスないんで。ダニエルさんにおまかせします。ただ‥」と言いながら、晴夫はジーンズを指差した。「それ、かなりヤバそうな感じしますけど、おれに会いますかね?この通り、いたって平凡なやつなんで」晴夫は、情けなさそうな表情だ。

「ああ、これは不良というより、ストリート系かな?君は好青年だから、あえて危険なカラーを出したほうが魅力的なんだよ」と、高城は満足げに言った。

「はあ‥そうなんですか」と言って、晴夫は頭をかいた。

「オッケー、これで行こう。サイズと上下の合わせを見たいから、試着してみて」高城は、レジの横にある試着室へ晴夫を連れていった。


数分後、晴夫が着替え終わると、Tシャツとジーンズのコーディネートを三十秒くらいかけて確かめた。

「いいんじゃない。なかなかお洒落に仕上がったね」

「はあ、そうですか?」と晴夫は言う。ふだんから洋服には無頓着なので、お洒落かどうかについては見当がつかなかった。

「あっ、そうだ。キャップを忘れてた」と言って、高城は指を鳴らした。「いま帽子取ってくるから、着替えて待ってて」と言って、背を向けた。

高城は、パーカーのラックの奥の壁にかけてある商品から『VALENCIAGA(バレンシアーガ)』の黒いキャップを選んだ。ついでに、夏以外の季節用に、パーカーを1枚手に取ると、試着室に戻った。

「お待たせ。じゃあ、これで完了」高城は、Tシャツとジーンズ、キャップとパーカーをかかえてレジに向かった。 


晴夫は、高城に洋服代を出してもらったことに、申し訳なさそうに何度も頭を下げている。

「全部で五万六千円になります」と、ピンク色に髪を染めたショップ店員の女の子が言った。

高城がクレジットカードで会計をすませている間、晴夫はたまげていた。


" えっ、マジかよ。ギターより高いじゃんか!おれのマンションの部屋代と変わらないぞ。ダニエルさん平然としてるけど、クソ親父に見習ってもらいたいもんだよな。時給上げろよ! "


「じゃ、行こうか」高城は、洋服を入れた大きな袋を晴夫に渡した。

「すいません。ありがとうございます」晴夫は何度もペコペコと頭を下げた。


その後、二人は駅を出てすぐのビル一階にあるABCマートに寄った。高城は『オフロード』で買った洋服に合うスニーカーをチェックして、結局シンプルなナイキの白い『エアマックス95』に決めることにした。サイズと履き心地を晴夫に確かめた。問題なさそうなので、これもコーデに加えた。


「さあ、終わった。そろそろうちに行くとしようか」という高城は、いつになく満足げだ。

心を寄せていることみの親友とあって、仕事と同じくらい晴夫のファッションには神経を使った。少々大げさではあるが、燃え尽きた感は否めない。

「ダニエルさん。何からなにまで、本当にありがとうございます。まだ会って間もないのに、申しわけないです」ふだんからラフな性格の晴夫も、さすがにこの時ばかりはしゃちほこばってしまった。

「気にしないで。それより、そろそろみんながくる時間だ。急いで帰ろう」

「あ、はい!」と言いながら、晴夫は大きな荷物をかかえて高城の後についていった。そして、頭の中でふと思った。


メダカのやつ、何で電話切ったんだ?

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