第29話衝撃の光景

ホームに入ってきた中央線の車両が、キーッと音を立てて停止した。母親のキヨが扉から中に入るのを確認すると、ことみは隣の扉からほかの人たちにまぎれて乗りこんだ。

平日の朝ということで、都心方面に仕事でむかう乗客が多い。ことみは扉の脇に立って、車両の前方に目をむけた。

いるいる。通勤客の頭ごしに、ほかの乗客の中でひときわ目立つキヨの姿を確認できた。

こうやって普通の人たちにまぎれているキヨは、さしずめ『掃きだめに鶴』というところか。あらためてルックスの良さが際立っている。それだけ目立つわけで、尾行も思っていたより簡単そうだなと、ことみは頭の中で思っていた。とはいえ、こちらを見つけるのが楽だということは、向こうからも気付きやすいということになる。ましてや、自分の娘を見分けるなどたやすいことに違いない。


ことみは母親に目を向けながら、できるだけ身を低くした。ふと気がついて、スマホをGパンから取り出すと、キヨの姿を写真に撮った。後々のことを考えて、証拠を残しておこう。今日は探偵になるのだ。なんとしても母親の秘密を解き明かしてやる。


二駅目の東中野で、反対側の扉からサラリーマンがどっとなだれこんできた。ことみは壁に身体を押しつけられながらも、母親を見失わないように前方に目を凝らした。大丈夫。キヨの姿はきちんととらえている。

大久保駅をすぎて車内のアナウンスが流れた。

「まもなく、新宿に到着いたします。進行方向右側の扉が開きますので、前の方に続いて順番にご降車願います。本日もJR東日本をご利用いただきありがとうございます。つぎは新宿、新宿です」

アナウンスが終わると、車内の中央に立っていたキヨが向きを変えた。どうやら、次の新宿で降りるらしい。


電車が新宿駅のホームにすべり込んだ。想像以上に人混みであふれているので、見失ってしまうのではないかとことみは心配になった。

電車が止まって扉がひらいた。ことみは後ろから押されるようにして、ホームに吐き出された。あ、ちょっと待って待って。押さないでよ、もう〜。何なのこの人の多さは。そんなに会社が恋しいわけ?ことみは自分がフリーターなのを棚に上げて、駅の混雑に悪態をついた。

あっ、お母さん見失ったら大変!どこどこ、ええっと‥‥あっ、いた!母親のキヨは、ホームの中ほどへむかう人の流れに逆らって、前に進んでいく。ことみは急いで、その後を追った。


ホームのいちばん端に、エスカレーターがあった。このあたりにくると、人の数も少なくなってきた。キヨはそのままエスカレーターに乗って、上にむかった。5メートルほど後ろについていたことみは、エスカレーターの上にある黄色の案内板を見上げた。

『新南改札』

『ミライナタワー改札』

ふだん新宿なんてめったに来ないので、その改札口がどこへ向かうのか、さっぱりわからない。

それも無理はない。新宿駅は都内でもその複雑さで有名である。何度も使う人でさえ道順に迷うほどなのだ。実家とアルバイト先の往復が日課のことみにわかるわけがない。

とりあえずキヨの後について行くことにして、ことみはエスカレーターに乗り込んだ。二人の間には4〜5人の客がいる。少々近すぎではないかと思うが、キヨはまっすぐ前を向いているのでそのまま流れにまかせた。


エスカレーターを降りると、左に曲がってすぐ右側に新南改札がある。キヨはその改札を出た。ことみはスマホケースに入れてあるSuicaをかざして、キヨのあとを追った。さらに、改札を出て左に曲がる。キヨは通路の左側を歩いていく。また上に黄色の案内板があった。

『タカシマヤタイムズスクエア方面』

タイムズスクエア。それって何?ことみは意味がわからず頭をひねったが、とりあえずタカシマヤなら分かる。『高島屋』と漢字で書けばいいのに、分かりにくいわね、とことみは不平をこぼす。

ことみが案内板を見上げていたその時、キヨが突然足を止めた。ケリーバッグからスマホを取り出して、画面をいじっている。

おっと〜、危ない!ことみは前につんのめった。すぐに壁際に身を寄せた。と、いきなりキヨが後ろをふり向いて、スマホを耳にあてた。うわうわ、ヤバい。ことみはあわてて顔をそむけた。横目でキヨの姿を盗み見ると、電話で誰かと話しながらサングラスをさかんに触っている。その様は、まるでモデルか芸能人。お母さん解放されまくりじゃん。どうしちゃったんだろう?


キヨは電話を終えると、ふたたびクルっとふり返って通路を進み出した。ことみは見つからずにすんだことにホッとして、キヨのあとを追った。

歩き始めてすぐに、右側に『Takashimaya』と書かれたデパートの入り口が見えてきた。キヨはその中へと入っていった。ことみは母親に近づきすぎないようにして、そのあとを追った。


店内フロアは普通のデパートと同じく、化粧品メーカーの店が集まっていた。美人ぞろいのアドバイザーの女性が、客の対応にあたっている。

キヨは売り場を足早に抜けると、フロア中央のエスカレーターに乗りこんだ。その姿を見失わないように、ことみも早足で売り場を突っ切った。

お母さんずいぶん慣れてるみたい。しょっちゅう来てるのかしら。私の知らないあいだに、あんなお洒落して都心へいってたわけ?疑問に思いながらエスカレーターに乗って上を見あげた。キヨの姿はモダンな高島屋でも目立っていた。まるでオフの女優さんみたいじゃない。あれが自分の母親だとは、にわかには信じられない思いだった。


キヨの乗ったエスカレーターは、途中階にある『東急ハンズ』や『ニトリ』『ユニクロ』を通過していく。やがて14階のレストランズパークに達すると、キヨはエスカレーターを降りて立ち止まり、左右を見わたした。おっと‥‥お母さんまたなの?驚かせないでよもう〜。

ことみはエスカレーターの前に立ちはだかるキヨの背中に焦って、思わずつんのめった。これじゃお母さんに追いついちゃうよ、と思ったその時、キヨが動き出した。あっぶな〜い。今にも暴れ出しそうな心臓の鼓動をおさえて、ことみはそのあとを追いかけた。


ときおり柱の影に隠れたりしながら、キヨの様子をうかがった。すると、母親がある和風レストランに入っていくのが見えた。キヨが中へと姿を消すのを見とどけると、ことみはレストランに近づいていった。


『赤坂ふきぬき』


そのレストランは、どうやらうなぎ専門店のようだった。メニューを展示しているショーケースを見ると、この店の名物料理がずらりと並んでいる。

ん‥‥ひまつぶし?変な料理。ランチタイムのセットが2500円‥そんなに高くないわね。それにしてもこれって何の料理なの?茶色のお椀に細切れになったうなぎがあって、その下はご飯かしら。もう一度セットメニューの題名を読むと、ことみは思わず手をたたいて苦笑いを浮かべてしまった。『ひつまぶし』ね!よくテレビや雑誌で紹介してる名古屋名物のうなぎ料理じゃないの。あたしったら何がひまつぶしよ。バカみたい。


そういえばうなぎのやつ何してるかな。あいつの実家も新宿じゃんか。ことみは親友の杉本晴夫のことを連想しながら、今朝のことをふと思い出した。そっかあ、今日はダニエルさんからホームパーティーの誘いの電話かかってきたのに、そっけなく断って出てきちゃったんだっけ。あのときはお母さんを追いかけるのに無我夢中で、ダニエルさんの言葉が耳に入ってこなかった。あー、パーティー行きたかったなあ。なんであんなに冷たくあしらっちゃったのよ。あたしのバカ!


頭の中をめぐった想いから、ことみはふと我にかえった。あっ、いけない。お母さんお母さん。

Gパンの尻ポケットから財布を取り出して。中身を確認した。千円札が5枚。よし。ランチセットが2500円だから、帰りの電車賃も含めて余裕だわね。

ことみは家を出るときに尻ポケットに突っ込んでおいたピンク色のキャップを取り出して、目深にかぶった。こうしないとお母さんにすぐに感づかれちゃうからね。胸の中でつぶやきながら、ことみはのれんをくぐって店内へ足を踏み入れた。


平日の昼間にもかかわらず、『赤坂ふきぬき』の店内には、女性を中心に多くの客で席が埋まっていた。ことみはいったん足をとめて、店内を見回した。‥‥いたいた。母親のキヨが、奥のほうの席に背中を向けて座っている。よし、あれならこっちの姿を見られることもない。


「いらっしゃいませ。お客様お一人様ですか?」


横に、エプロンと黒いTシャツ姿の若い女性店員が立って、笑顔を浮かべている。ことみはペコリと頭を下げて返事をした。

「あ、はい」

「ただいまお席にご案内致しますので、お待ちください」女性店員は言った。

ことみはその言葉に反応してすぐにつけ加えた。

「あっ、できればあそこの席がいいんですけど‥」と言って、キヨの席の後ろの二つ手前の席を指さした。

「承知いたしました。それではどうぞ」と言って女性店員はことみを案内していく。

キヨの席との間には、主婦仲間とおぼしき四人連れの客が座っており、目隠しには都合がよかった。

「ご注文はいかがなさいますか?」と店員が言った。

「あ、ランチセットで‥」ことみはキヨの方をうかがいながら、気もそぞろに返事を返した。

「承知いたしました。ただいま混んでおりますので、お時間少々きただきます。大変申しわけございません」女性店員は頭を下げて離れていった。


料理がくるまでの間、ことみは母親の方をチラチラうかがいながらながら、この先の展開に頭をひねった。お母さん何しにここへ来たんだろう。後ろ姿を見るかぎり、ひとりでランチを待ちながらスマホをいじっているみたい。ただ食事をするのにあんなお洒落して、マダムのランチタイムってわけ?それとも、ふだんお店が忙しいから骨休めに羽を伸ばしてるとか?


そんなあらぬ想いにとらわれている時だった。キヨが突然こちらを向いて身体をひねったではないか!ことみはギョッとして、テーブルにつっぷした。うわっ!何よいきなり!ひょっとして、あたしに気づいたのか?ことみは頭を下げながら、目だけで母親をうかがった。

すると、キヨが満面に笑顔を浮かべて、こちらの方へ手を振っている。ヤバい、やっぱりあたしに気づいたんだわ!あーどうしよう。尾行の言いわけなんて思いつかない。助けて〜。

あれ‥‥変だな?キヨの様子をうかがっていると、どうも思っていたのと様子が違う。その視線はことみを通り越して、どうやら店の入り口に向けられているようなのだ。


ことみはその視線を追って、おそるおそる後ろをふり返った。レジの前に背の高い男性が立って手を振り、こちらへ歩いてきた。歳は五十代前半くらい。ベージュ色の麻の開襟シャツに、紺色のスラックス。身長は180センチをこえている。頭には白いものが混じっていて、さしずめロマンスグレーの紳士という感じだ。高級そうな眼鏡をかけて、さわやかな笑顔をふりまいている。男性はことみの横をすりぬけて、奥に進んだ。そして、驚いたことに、キヨの席に近づいて足をとめた。


えっ‥‥?


ことみはその風景に目を奪われた。

男性はキヨのほうへ頭を下げて、その肩に手をのせた。すると、母親はうれしそうに男性の顔を見あげた。


ど、どういうこと?あのおじさまとお母さんが‥‥てことは、あの人と会うためにお母さんは出てきたの?わけがわからない。実家の美容室であくせく身を粉にして働くふだんの姿とは、あまりにかけ離れている。やけに親密だ。男性を見るキヨの顔はきらきらと輝いて、まるで彼氏とのデートを心待ちにしていたかのようだ。

やがて男性はキヨの前に腰をおろした。ことみの席からは、その会話の内容は聞こえない。だが、明らかに2人の間柄はただならぬものだった。後ろ姿でも、母親が男性に笑いかけているのがわかる。


ことみはその光景を食い入るように見つめていた。お母さんとあの人、いったいどういう関係なんだろう。母親のとてつもない謎に、ことみは戸惑いを通り越して、呆然としていた。

その時だった。男性の表情を観察していたことみは、先ほどから頭をよぎっていたデジャブに、頭を思いっきりガツンと殴られたような衝撃を受けた。あ、あの人は‥


お父さん!!

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