第25話白金にて

「やあ、カレン、久しぶり」


高城ダニエルは玄関のドアをあけると、出むかえた赤髪、ロングヘアの女性に声をかけた。

「は〜い、健二!五年ぶりね。待ちどおしかったわ」綾波カレンは、顔をパッと輝かせて、高城の身体に自分の腕をからませた。

カレンと高城は、高校時代からのつき合いだった。アメリカの大学時代に、お互いへの感情が芽生えて、恋人同士の関係へと変わっていったのだ。


「はい、これ」と高城は言って、手みやげに持ってきた箱入りのシャンパンを渡した。

「あら、これ《クリュッグ》じゃない。私の好み、忘れてなかったのね。うれしいわ。どうぞ、入って」とカレンは言って、高城を家に入れた。

「おじゃまするね」大理石が敷きつめられた玄関で靴を脱ぎ、高城は廊下を進む。

廊下の先には、100平米のリビングルームが広がっていた。全面ガラス張りの窓から、白金の街並みと東京タワー、スカイツリーまで見わたせる。


高城は、本革のL字型ソファーに腰をおろした。部屋のあちこちに、プラスチックのコンテナがいくつも置いてある。

「ごめんね。まだ荷物がかたずいてなくて。散らかりっぱなし。帰国して早々に仕事が詰まってて、部屋の整理が進まないのよ」とカレンは言いながら、キッチンでクリュッグの栓を抜き、シャンパングラスに二人ぶんを注いだ。


綾波カレンの自宅は、港区白金(しろかね)の高級住宅街に建つ、タワーマンションの上層階にあった。

彼女の実家は、ここからほど近い丘の上にある。

カレンは、カトリック系の有名女子校セント華成学院で、中高一貫の教育を受けた。

その後、友人の高城ダニエルや加賀美誠も進学した、米国のカリフォルニア工科大学へ、彼らの後を追うようにして入学した。


卒業後は、アメリカ人の父親マーク・ドワイライトが設立した《アールビー・インク)》の、CEO(最高経営責任者)をつとめている。

ドワイライトは、娘のカレンがカルテックを卒業すると同時に、アールビー・インクの経営権をゆずって、妻とともに引退生活に入った。


カレンはアールビー・インクのCEOをつとめながら、同社のアジア戦略のために日本に帰国した。

現在、ほかにも有名IT企業の共同経営も手がけようとしている。提携によって、アジアからさらに中東、東ヨーロッパへのビジネス展開を進めようというのが、カレンたち経営陣のねらいであった。


話が硬くなった。


シャンパングラスを手にして、カレンは高城のとなりに座った。

「とりあえず、再会に乾杯!」と言って、カレンは自分のグラスを高城のグラスに軽く重ねた。

「乾杯」と高城も返す。「いい部屋じゃないか。賃貸なのか?」

「そうよ。仕事で家を空けることが多いから、分譲じゃもったいないでしょ」カレンは首を傾げてウィンクをした。

「家賃高そうだなあ」高城は部屋を見わたした。「部屋のつくりは?」

「2LDK。独り身なんだから、これでじゅうぶんよ」とカレンは言う。「あなたはまだ阿佐ヶ谷に住んでるの?」

「ああ。君みたいに高級住宅地じゃないけど、街に活気があって気に入ってるんだ」高城は少し照れくさそうに言った。

「あら、この部屋は会社の経費で落としてるのよ。仕事上で住んでるだけで、別にわざわざ白金を選んだわけじゃないの」カレンは、高城の言葉を否定するように手を振った。「まあ、実家に近いのは確かに便利だけどね」

「ご両親は南国のリゾートで隠居生活だろ。実家のお婆さんは元気かい?」

「元気も元気。顔を出そうものなら、ご飯はしっかり食べてるのかい、いいお婿さんはいるのかいって、口うるさくて大変よ」カレンは苦笑いをした。「まあ、お婆ちゃまが元気にしてるのはなによりだけどね」


「ねえ、健二」と言うと、カレンはあらたまって高城の顔を見つめた。「世間話はいいけど、私に何か言うことないの?」

「えっ」高城は戸惑って、シャンパンを飲む手を止めた。

「だから、私たち七年ぶりじゃない。もう、鈍いんだから」カレンはそう言うと、身体をずらして高城にすりよった。


「愛してるよ、って言ってくれないの?」


「あ、ああ。ごめん」と言う高城は、視線をカレンからそらした。

「ごめんって。なんであやまるの?」カレンは困惑して高城につめよった。「私たちの仲じゃない。もう、水くさいんだから。あなたって、ほんとラブリーなムード作るのヘタよね。女心がわからないんだから」

「ごめん」と高城はふたたびあやまったが、そのとき彼の頭の中に浮かんでいたのは、最近気にかけていた田中ことみの姿だったのだ。


仲むつまじい間柄だったカレンの存在を忘れることはできないが、自分でコントロールできない、新たな気持ちが芽生えていたことは確かだった。

「まあいいわ。奥手のあなただから、勘弁してあげる。こうやって会えたんだから、私はそれでじゅうぶん」と、カレンは納得している。

もっと攻められるのでないかとおじ気づていた高城は、正直ホッとした。


「それより、今日はあなたのために手づくりの料理を作ってみたの」と言って、カレンは席を立った。

話題が変わって、高城はやっとリラックスできた。

「ちょっと待っててね」と言うと、カレンはキッチンに歩いていった。

グリルのスイッチを入れてから、火にかけていた鍋からポットにスープを注いだ。トレイにポットをのせて、テーブルに運んでくる。

「はい。特製のフランス料理。前菜のオニオンスープよ」

《スーパ・ロワニョン》。バターで玉ねぎをじっくり炒めてから、ブイヨンを混ぜて煮込んだスープである。

「うーん、いいね」高城はポットに顔をよせて、オニオンスープの香りを楽しんだ。

チン、とグリルが音を立てた。カレンはキッチンに戻ると、耐熱グラブを手にはめて、焼いた料理を取り出した。

「これ、何だと思う?」と、カレンはキッチンから声をかけた。

「お、もしかして‥‥」と高城が顔を上げた。

「そのとおり。ジャーン!」カレンは、アルミのトレイに二人ぶんの料理をのせた。「あなたの好きなガレットよ。さあ、召し上がってちょうだい」

ガレットは、フランス北西部の郷土料理である。ハム、チーズ、卵などをクレープに包んだ、手軽に食べれるメニューとして親しまれている。


「カレンのフランス料理、久しぶりだなあ」高城はオニオンスープをすすってから、フォークとナイフを手に

取った。ガレットをひと切れ口にはこぶ。「う〜ん、上手い!さすがだね」

「ほんと。うれしい!」カレンはパッと顔を輝かせた。「七年ぶりにあなたに手料理を作ったから、すごく幸せ。久しぶりに会えたんだって、やっと実感できたわ」


二人は料理を食べながら、七年間の空白を埋めるように、よもやま話に花を咲かせていた。それは、間違いなく将来を約束され、硬い絆でむすばれた恋人どうしの光景のはずだった。


しかし、その絆には、彼らが意識しないところで、小さな亀裂が生じはじめていたのだ。それは、やがて二人を引き裂く大事件に発展することになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る