第22話フェスティバルの合間で
メインステージから響いてくる馬鹿でかいサウンドから耳を閉ざして、クリオネこと水戸井ジェニファーは、ある考えにとらわれていた。
聞くべきか
どうしようか?
う〜ん
しかし、私のプライドが許さぬ
いや、それでも知りたい
あ〜、迷う
お母様、どうしましょう?
「おい、何考え込んでるんだよ?」
ジェニファーは、ハッとしてわれに帰った。ウナギこと杉本晴夫がこちらを向いて、自分の顔をのぞき込んでいた。おっ、これはチャンス。向こうから言い出すタイミングを作ってくれたぞ。ジェニファーはここぞとばかりに口を開いた。
「あ〜、ところでウナギ。そなたとメダカどのはどのような関係なのだ?」ジェニファーはたずねた。
「え、お前、何でそんな事きくんだ?」と晴夫は逆にたずね返した。
「あ、いや、その〜」とジェニファーは一瞬言葉につまった。「ああ、もしそういう関係なら、われが仲を取り持ってやろうかと‥‥うん、そういうわけだ。そなた、変な勘ぐりをするでない!」
「お前態度がおかしいぞ」と晴夫は言った。「いきなり仲人みたいなこと言って、どうしたんだよ」
「仲人だと?ぶ、無礼な。そなたわれを誰だとおもっている」と言うジェニファーのうろたえぶりに、晴夫は困惑していた。「だから、そなたとメダカどのはずいぶん親しそうだから、何というか‥‥ああ、恋人同士かと」
「は、恋人?ぷあははは〜!」と晴夫は吹き出した。「お前なに突然ふざけた事言ってるんだよ。あははは、腹痛え〜!ん‥‥待てよ。さては、おまえ俺に気があるのか?おい、こら、おい。どうなんだよ、お嬢様。あははは!」
「気があるだと?勘違いもはなはだしい。それより、質問に答えろ。メダカどのとはどういう関係なのだ?」ジェニファーは再び詰め寄った。
「しつこいなあ、一体どういつもりなんだよ。まあ、つまりだな、何というか、そうだなあ、ん〜」と言って晴夫は腕を組んで思案にくれた。
「それで、どうした?」ジェニファーはグッと前に身を乗り出した。
「そう!親友だな。オタク仲間というのもあるし、よき相談相手でもあるね。あいつとなら何でも気がねなく話せるんだよなあ。それに、おたがい親を亡くしてるから、境遇も似てるしな」と晴夫は説明した。「ところで、いったい何でそんなこと知りたいんだ?」
「あ、いや。知り合って間もないので、たずねただけだ。気にするでない」と言って、ジェニファーは正面に向き直ると、シャンパンのグラスを手に取った。
「何だよ。変な奴だな」と言って、晴夫もシャンパンをひと口流し込んだ。
晴夫は気がつかなかったが、この時ジェニファーは心の中でニヤッと微笑んでいた。
午後7時半。幕張海浜公園で開催されている世界最大のEDMフェスティバル《アルティマジャパン》は、いよいよクライマックスに向かってボルテージが上がってきた。
巨大なメインステージ裏の夜空には、大きな花火が何発も打ち上げられて、会場の盛り上がりはいやがおうにも高まる一方である。
メインステージ前の数万人の観客が、怒涛のようにうなり声を上げて踊りさわぎまくっている。スピーカーから飛び出すEDMサウンドに歓声を上げて、人の波が揺れている。
DAY2(2日目)のヘッドライナー、すなわちメインDJの『JUDGE(ジャッジ)』のステージが終盤に向かってヒートアップする。真夏の夜の祭典はまだまだこれからだ。
「そういえば健二。今日は彼女が帰ってくる日だな」とセイヤが高城ダニエルに言った。セイヤの本名は加賀美誠。青山の有名ヘアサロンの経営者である。
シャンパンを飲みながら隣の田中ことみと話していた高城は、セイヤの言葉に振り向いた。「ん、何か言ったか?」
「おいおい、忘れたのか?」とセイヤがあきれた顔で言う。「今日はカレンがアメリカから帰ってくる日じゃないか」
「あっ、そうだ。うっかりしてたよ」と高城はほろ酔い気分で答えた。
「お前、カレンのこと忘れるなんてどうしたんだよ。彼女だろ。最近カレンの話全然しないし、どうかしてるぞ」
「あ、いや、そんな事ないよ。彼女はしっかり者だから、俺があれこれ言わなくても大丈夫だからさ」高城は決まり悪そうに答えた。
「そうか。まあ、お前の言うことも分からなくはないけどな」セイヤは言った。「しかし、あれからもう5年か。カルテック(カリフォルニア工科大学)を卒業して、カレンはアメリカでビジネス。お前は帰国してファッションデザイナー。日本で再開する日を約束して別々の道を歩んだけど、さびしかっただろうな。あいつお前に夢中だったから‥‥」セイヤは言いながら高城を見ると、彼は話を聞かずに、またことみと話を再開している。「おい、人の言う事を最後まで‥‥」何だ、こいつ。しかし、最近どうも様子がおかしいな。あれだけクールだった健二がね〜。まっ、いいや。「ハ〜イ、ちなみん!盛り上がってるか〜!!」
「セイヤ君、もう最高!!」とモデルの橘ちなみは答えた。
メインステージ上では、『ジャッジ』のラスト曲『Swipe(スワイプ)』が流れている。世界的なビッグアーティスト『Kola G(コーラジー)』とのコラボレーションで、ボーカルメロディとDJサウンドがミックスされた『ジャッジ』のヒット曲だ。
サビの部分になると『ジャッジ』がプレイを止める。それに合わせて観客が大合唱した。数万人が一斉に歌う様は圧巻というほかはない。
やがて曲は終わった。ヘッドライナーの出演の興奮は冷めやらず、観客から声援と拍手が鳴り止まなかった。
高城ダニエルは、メダカこと田中ことみと楽しげに会話を交わしていた。ことみは、初めて飲んだシャンパンに酔って顔を赤らめていた。
「ねえことみさん。このフェスティバル気に入ってくれた?」と高城はたずねた。
「あ、はい。すごく楽しいです」ことみは高城の顔を見つめながら答えた。「今までVチューバー(バーチャルユーチューバー)のアイドルのライブしか行ったことないんですけど、こんな世界もあるんですね。何か圧倒されて‥‥」
「Vチューバー?」高城は戸惑って聞いた。
「あ、いえ、いいんです。気にしないで下さい」ことみは手を振って言葉を取り消すように言った。オタクな話題は高城には通じないので、彼の前ではあまりしたくなかった。
「そうか。ところで、杉本くんとジェニファーちゃんはすごく仲がいいみたいだね。3人とも楽しそうだなあ」と高城はことみに言った。
「えっ?ダニエルさんの方がお友達多くて、すごいですよ。みなさん、何というか‥‥お金持ちで、有名人の知り合いも多いし‥」ことみは言いながら、ややうつむいていた。高城のまわりにいる知り合いは、華やかでオーラが輝いている。そんな人たちを見ていると、自分がひどく情けない存在に思えて、気が引けてしまった。もちろんダニエルさんは優しくて素敵だけど、その輪の中にはとても入っていけない。自分とあまりにかけ離れた世界が遠く感じる。ことみはそう思わずにはいられなかった。
「ああ、僕たちを初めて見る人はみんなそう感じるんだよね」高城はソファーに背中をもたせかけた。その顔がくもる。「でもね、ことみさん。みんな人脈が広いとかいろいろ言うけれど、そんなのは意味ないんだよ。まあ、セイヤとは古い付き合いだけど、それ以外の人たちとは、心を許し合っていると言えるかどうか。遊び友達は多いけれど、おたがい本当の悩みをうち明けあったり、本音で語り合ったりはしないから」と言って、高城は顔を上に向けて思いにふけった。「でも、ことみさんと出会って、僕の中の何かが変わったような気がする。何ていうか、すごくあったかいんだよね。心が許せるんだ。こんな気持ち初めてだよ」
ことみはその言葉を聞いて、胸が高鳴った。高城にそう言われて、身体がふわりと浮いたように感じた。「ダニエルさんにそう言ってもらえると‥‥え〜と、とても、う、嬉しいです」
「ほんと?やった!」高城はことみに向き直って、顔をパッと輝かせた。「僕たちこれで恋人みたいだね!ことみさんとは、初めて会った時から気が合うと思ってたんだ!」
「えっ、あ、あの‥‥」ことみは高城の思いがけない言葉を聞いて、全身が硬直してしまった。
いま何て言われたの?
恋人?
どういう意味かしら。
恋愛経験のないことみは、男性からかけられたことのないセリフに、頭に血がのぼった。身体が熱くなって、心臓の鼓動が一気に早まった。かつて感じたことのない感覚におそわれて、言葉が出てこない。
そんなことみを察して、高城はあわてて首を振り、ことみの手に自分の手を合わせた。「あっ、ごめん。いきなりこんなこと言って失礼だよね。僕ったら、ことみさんの気持ちも考えずに‥‥申し訳ない」
「あ、いえ‥‥はい‥‥」ことみはそう言うのが精一杯だった。
と、その時、高城のパンツのポケットが振動した。電話がかかってきた。スマホを取り出して画面を見ると、高城はことみに向かって言う。「ごめん、ちょっと電話してくる。待っててね」と言って席を立った。
「おい、どこ行くんだよ健二?」セイヤが声をかけてきた。
「ああ、いや、ちょっと電話してくる」と高城は答えて、スーパーVIP席から出ると、仕切り柵を開けて階段を駆けあがった。スタンドの出入り口を通り抜けて、外へと向かった。
午後7時50分。《アルティマジャパン》のDAY2はクライマックスを迎えて、いよいよラストのアーティストが登場した。
デンマーク出身のトップDJ、世界で最も影響力のあるEDMプレイヤーにも選ばれた『Orge(オルグ)』。『ジャッジ』と並んで、ヨーロッパのEDMアーティストとしてビッグフェスティバルの常連である。
メインステージのライトビジョンに名前のロゴが映し出されて、赤や白、緑の幾何学模様が輝く。一曲目の『X・Max』のイントロが流れてくると、観客から大声援が沸き起こった。DJブースに『オルグ』が登場すると、彼は両手をあげて声援に応えた。「Everybody make some noise! 」
(みんなで騒ごうぜ)!
そしてプレイが始まった。「スーパーソウ」と呼ばれるシンセサウンドとベース音が合わさって、『オルグ』独特の世界観が広がっていく。メインステージ前はカオス状態。ラスト1時間に突入して、盛り上がりは最高潮に達した。
「もしもし。やあ、久しぶり」高城は、VIPスタンドの外で電話の相手に話しかけていた。
「は〜い、健二!お待たせ。帰ってきたわよ」相手の女性が言った。「私のこと覚えてる?ねえ、忘れてたら承知しないわよ」
「おい、カレン。からかわないでくれよ。いつ着いたんだ?」と高城が言う。
「2時間前に成田に。いまマンションで荷ほどきしてるとこ。部屋を貸してた人、けっこう綺麗に使ってくれてたみたいで助かるわ。今週にでもうちに来て。お土産もあるし。それにプレゼントも買ってきたわよ」綾波カレンは5年の歳月を感じさせない口調で、高城に語りかけた。
「ああ、わかった」高城は答えた。
「あら、それだけ?」カレンは、高城の返事に不満気に言い返した。「そっけないわね、もう。5年ぶりの再会なんだから、もっと恋人に言う言葉があるでしょ?」
「ん、ああ、ごめん。ここのところ仕事でストレスが溜まってて、疲れてるんだ」高城は言葉を濁した。
「そっか。ところで、会社は順調にいってるの?」カレンがたずねた。
「まあまあだね。新しいブランドのスポンサー企業にプレゼントかけてるところだ。君の方の日本の仕事は?」と高城もたずねる。
「う〜ん。まだ確定じゃないけど、IT関係の共同経営の話があってね。条件が良ければ、前向きに考えてみようかなって思ってるの」カレンは答えた。「ねえ、健二。あさってうちに来ない?この3日間は仕事もオフだし、久しぶりに、2人でワインでも飲もうよ」
高城は、カレンの誘いにすぐには返事をせず、黙っていた。
「健二、聞いてる?」
カレンの問いに、高城は我にかえった。
「ん?ああ、何?」高城はたずねた。
「何って、もう〜。あなた、5年ぶりに帰国した恋人の話きいてないの?」電話の向こうで、カレンが不満そうに言った。「だから、あさって2人で、うちのマンションでワイン飲もうよって言ったの。健二、あなた何か変よ。私に会えるのが嬉しくないの?」
「え、いや、もちろん嬉しいさ。彼女が何年ぶりかに返ってきたんだから、そりゃもう、天にも昇る心地だね。あはは」と高城。
「あら、何かとってつけたような言い方ねえ」カレンは怪しむ口調で言う。「まるで他人事みたいじゃない。あなた、様子がおかしいわよ。まさか‥‥浮気してるの?」
いきなり飛び出したカレンの強い言葉に、高城はたじろいだ。「え、う、浮気?とんでもない、何言ってるんだよ。そんなわけないだろ。君からそんなこと言われるなんて心外だな。もちろん‥‥」
「もう〜。冗談よ、冗談。間に受けちゃって、相変わらず素直なのね」カレンは笑いながら、高城をからかった。「ま、あなたのそういうピュアなところが好きなんだけどね。
「おい、やめてくれよ。ドッキリするじゃないか。変なこと言うなよな」高城は、いくぶんかどぎまぎしながらカレンに言った。
すると、間をおいてカレンがひと言口にした。
「図星なの?」
「え?」
「まさか、新しい恋人でも出来たの?」カレンが真剣な口調でたずねた。
「まさか」高城はカレンの突然の指摘に、心臓をわしずかみにされた思いだった。新しい恋人?カレンは何を言ってるんだろう。この僕に限って、浮気なんかするわけないじゃないか‥‥だが、そんな思いがなぜか自分の中で矛盾を抱えているような気がした。自分の理性はカレンの言葉を否定しているのだが、無意識のどこかで、その感情に空虚な反応を見せている自分がいる‥‥何だろう、この気持ちは?今まで感じたことのない心の揺れに、高城は自分で戸惑っていた。
「そうよね〜。あなたに限ってそんなわけない」カレンはガラリと口調を変えた。「私、何年もあなたに会ってないから、正直言って淋しかったの。認めたくないけど、やっぱり不安だったのよね」
「ごめん」高城はひと言カレンに詫びた。
「いいのよ。やっとあなたに会えるんだから、心配しないで」カレンの声がはずんだ。「それじゃ、あさってうちで会いましょ」
「あ、ちょっと待って。それが‥‥」高城は言いかけて、途中で言葉につまった。
「ん?」とカレン。
「あ、いや。週明けはマーケティングのスケジュールがぎっしり詰まってて、時間が取れないんだ」と高城は言葉を続けたが、その話し方はどこか言いわけじみていた。
「え〜、そんなあ!」カレンの声は悲鳴に近い。「やっと会えると思ってたのに、はっきり言ってへこむなあ。何とか時間作れないの?」
「ごめん。せっかく誘ってくれたのに、気を悪くしないでくれる?埋め合わせは必ずするから」と高城は言った。
「そっかあ。しょうがないわね。まっ、いいや。じゃあ、来週中にどこかで時間空いたら連絡してね」
「わかった」と高城は言った。「あ、カレン。もう戻らないと」
「そうね、今アルティマにいるんでしょ。セイヤによろしくね」
「うん。それじゃ」と言って、高城はスマホの画面の赤いボタンを押した。
電話の向こうで、カレンは手に持ったiPhoneをじっと見つめていた。そして思った。
はじめて彼のほうから電話を切った‥
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