第17話若き青年実業家
九月の第一週目。水曜日。
名車〈アストンマーチン・バンキッシュ・ザガート〉が青山通りを疾走していく。メタリックブルーのボディには、580馬力、最高速度320キロの、猛獣のようなエンジンが搭載されている。1913年創立のアストンマーチン・ラゴンダ社の最上位機種。映画007でジェームズボンドの愛車として有名な、英国車ならではの気品と獰猛(どうもう)さが同居する名車だ。
高城ダニエル建二は、自社のブランド商品の企画プレゼンテーションのため、赤坂見附の〈プルデンシャルタワー〉に向かっていた。
助手席にはアップルのラップトップパソコンMacBook Airと、新商品のブランド『RECO2(レコドゥー)』のジャケット、ガウチョパンツが入ったビニールトートバッグが置いてある。
来年の春モノ向けの戦略商品で、企画が通れば、高城の経営する〈ゾーン〉の主力になるアイテムである。
ちなみに、MacBook にはプレゼンテーション用のソフト『キーノート』がインストールされて、二十ページの資料が収められている。
プレゼンソフトと言えば、Windows むけのパワーポイントが有名だが、Macマニアの高城は、美しいアニメーション機能の『キーノート』を好む。グラフやチャートを使った、堅苦しいプレゼンは性に合わないのだ。
今回のクライアントは、アパレル業界の新進気鋭のメーカー〈JEUNE(ジューヌ〉。フランス人のデザイナーが開発したベーシックファッションを、日本人むけに販売展開している企業である。現在、国内のデザインブランドに競合で企画を募集しており、来期の商品開発を準備している。高城はそのプロジェクトの企画に参加しようとしているのだ。
赤坂警察署を通り過ぎて、外堀通りとの交差点を右折する。しばらく走った左側の通りぞいに、三十八階建ての高層ビルがそびえていた。
高城はビルの横にまわってから、ビジター用のパーキングエリアにアストンマーチンを止めた。
スーツの上着をはおり、PCとトートバッグを手にして車をおりた。キーをロックして、ビルの入口に向かう。
一階のフードコートでミネラルウォーターを買って、エレベーターホールの前に立った。目的の〈ジューヌ〉は二十四階にある。フロアには、二、三階のレストラン街の客や、ビジネスマン、高層階の居住者たちが待っていた。
エレベーターが到着して、ほかの客たちと一緒に高城は乗りこんだ。レストラン街で八人の客がおりた。高城はドアの閉ボタンを押す。
頭の中では、このあとのプレゼンをシミュレートしていた。おそらく、重要なのは生地と着ごこちだろう。デザインには自信があるが、洋服の基礎である素材を生かしたラグジュアリー感をいかに出すか。原価を超える付加価値を提供しなくては、競合他社に勝つことはできない。
二十四階に着いてドアが開いた。廊下を左に進んで、フロアを占める会社の入口に向かう。両開きのガラス扉に〈JEUNE〉と表記してある。扉を開けて、社内へ足を踏みいれた。
パールホワイトの壁に、大きなロゴが飾りつけてある。高城は頭を下げて、フロントデスクの二人の受付嬢に新作のプレゼンテーションのことを告げた。女性が席を立って「こちらへどうぞ」と案内してくれた。
二十四階のフロア全体を占める〈ジューヌ〉の社内では、百人くらいのスタッフが忙しそうに立ち働いていた。あちこちで声がとび交っている。
「テキスタイル、期日にまにあうの?」「あたしのサンプルどこに置いたのよ!」「MD、価格評価書まだ出てませんけど」「営業行ってきま〜す!」
一分一秒を争うアパレル業界の仕事は、じつに目まぐるしい。
フロアの奥に案内された高城は、白いパネルが立てかけてある部屋の前に立った。
『新年度/春物検討会』と書かれている。
「こちらでございます」と言って、受付の女性は下がっていった。高城はふうっとひと息つくと、ドアを開けた。
部屋の中央に楕円形のテーブルがすえられて、奥の壁に大画面ディスプレイがある。八人の審査員が席について、こちらを見つめている。
高城はテーブルの端に立って荷物を置くと、姿勢を正した。
「本日はお時間をいただきありがとうございます」と言って深々と頭を下げる。「株式会社ゾーンの高城ダニエルと申します。よろしくお願い致します」
すると、テーブルの左側に座っている中年男性が声をあげた。「君が高城ダニエル君かね。業界の風雲児だな。噂ではかなりのやり手だとか」
「今日はどんな製品が見れるのかしら。楽しみにしてるわ」と右側の三十代くらいの女性が言った。胸につけたIDカードには『チーフデザイナー』とある。
「まあ、とにかく座ってください」と進行の男性が声をかけた。「今回は、御社からの説明を受けて、そのあとに質問の時間をもうけます。サンプルは持参されましたね?」
「はい、もちろんです」と高城は答えて、ペットボトルの水をひと口飲んだ。
「それでは、さっそくプレゼンテーションに入りましょうか。高城さんお願いします」と進行係の男性は言って、席についた。
高城はMacBook Airを手にとって、テーブルを回りこむと、スクリーンディスプレイの前に立った。手元のプロジェクターの裏側のVGA端子と、MacBook Airの側面にある雷のマーク『サンダーボルト』端子を確認する。MacとプロジェクターをVGAケーブルで接続すると、壁の大型ディスプレイが明るくなった。
今回のプレゼンはワイヤレス・マルチプレゼンテーションなので、テーブルの八人の手元のパソコンにも同じ画面が表示されることになる。
五秒ほどが過ぎると、画面中央に〈ZONE〉のロゴが映し出された。やがて画面がオーバーラップして、『新年度春モノデザインのご提案』というタイトルがあらわれた。
高城は胸のポケットからパワーポインターをとり出すと、つぎの画面のキャッチフレーズとビジュアルアイコンを指し示した。
『快適さとマルチクロスの追求』
" スポーツテイストで春を感じよう "
キャッチフレーズとサブタイトルで、今回の商品のコンセプトをあらわしている。その下には、男女の人型アイコンが運動選手のようなポーズをとっていた。
「今回のコンセプトは、スポーティーカジュアルの革命です」と高城が言うと、次の画面が映し出された。
若い男女がオフィス街の遊歩道を歩いている。楽しそうに語りあう姿は、会社の同僚か、恋人か、夫婦か。春風にさそわれて、気持ちよさそうな表情をうかべている。
画面の下にコピー文が記されていた。
『風を感じて街に出よう』
「当社の主力商品は、二十代から三十代の女性をターゲットにしています」と高城は語った。「これまでは、おもにデザイン性を重視した製品づくりで、ブランド戦略を進めてまいりました。しかし…」と言って、ポインターでコピーを指し示すと、画面が切りかわった。「来年の春モノでは、混紡を主体としたスポーティーカジュアルをコンセプトとします」画面にはスポーツウェア姿の女性が、スマートフォンにつないだイヤホンを耳にはさんで、ウォーキングしながら音楽を聴いている。
「スポーツブランドのハニカムクロス・ジャケットをご存知でしょうか?ポリエステルとナイロン、コットンの生地を使って、通気性がよく、動きやすいデザインが特徴です」
ポインターで、女性の上半身を囲んでしめした。
「このスポーツテイストを、おしゃれな女性むけジャケットに活かせないか?そこで私どもは、先ほど申しあげました混紡を主体に、薄手で着ごこちのいいレディースアウターをデザインしました」
さらに画面が切りかわる。
八名の審査員は、高城のプレゼンに聞き入っている。手元の資料とディスプレイを見かわして、うなずいている者もいる。
「これが、デザインスケッチです」画面に、ライトブルーの細身のジャケットのスケッチが映っている。「基本的には、スカートやパンツなど、どのようなボトムスともフィットするスタンダードなジャケットですが、他製品との大きな違いは生地にあります」と言って、高城はスケッチの輪郭をなぞった。「デザイン重視の暑苦しいコットンやポリエステル生地を使わずに、あくまで通気性の良いレーヨンの『ポリノジック』を使用しました。
実用性、機能性ともに優れた素材でつくられたアウターには、景色を見る、気分を楽しむ、といった、衣服本来の環境と人間のリレーションシップが関わってきます。
とくに、新素材や他分野からの技術導入によって、新たな付加価値をもたせたアイテムを生んだり、スタイルの変化をもたらすことが重要なのです」。
画面が変わった。
晴れわたった青空と、緑に萌える木々。『春の空気とともに』と言うキャッチコピーがそえてある。
「春先の暖かな日差しは、汗をかいたり、上半身に熱が溜まったりします。当製品では、吸放湿性、吸汗速乾性、クーリング(保温)性、さらに耐熱性やストレッチ性をもかねそなえた、着こごちを追求したアウターをデザインコンセプトとしました」と高城は言って、顧客の面々を見わたした。
「素材や機能性は分かるがね。肝心の見た目、デザインやシルエットはどうなのかね」審査員のひとりが声をあげた。「若い女性が着たい、欲しいと思うようなものが果たしてできるのかな?」
「おっしゃる通りです」と高城は答えた。「それでは、こちらをご覧ください」と言いながら、トートバッグからジャケットのサンプルをとり出した。そして、目のまえでそれを広げてみせた。「百聞は一見にしかず。これが完成品です。いかがですか」
審査員からどよめきが起こった。中年女性のマーチャンダイザーとテキスタイル部長が顔を見あわせて、何やら語りあっている。
「これが、さっき言っていた素材で出来たジャケットなの?」とデザイナーの女性がたずねた。
「はい」と高城は答えた。「光沢感のあるアクティブなイメージをうち出してみました」
「ウエストの絞りは?」と男性デザイナーが質問した。
高城はジャケットを裏がえして説明した。「背中にハーフベルトを縫いつけたピンチバックを採用しました。体型を意識する若い女性のニーズに合わせています」
「よし。それでは、ボトムスと合わせてみよう」と言って、チーフディレクターが立ちあがった。「高城くん。パンツは用意してくれたかね」
「はい。今日はガウチョパンツで合わせてみようと思います」と言って、テーブルの上にパンツを広げて、その上にジャケットを重ねた。手元にあったCCDカメラで上から撮影すると、春先コーデのディテールがディスプレイに映し出された。
「絞りシルエットのジャケットと、ゆったりしたパンツの組みあわせで、リラックス感が出ますし、動きやすさと女性らしさが感じられると思います」高城は言って、審査員を見まわした。
「うん。こうして組みあわせてみると、ジャケットの軽さがいっそうきわ立つね」とプロデューサーの男性が言った。
「いかがでしょうか、皆さん」高城は自信にみちた口調で問いかけた。
八人の審査員は数分間かけて話し合うと、高城にむきなおった。
「オーケー。いいじゃないですか!」とプロデューサーが言った。「さすがダニエル君、みごとなプレゼンだった。わが社の新商品の主力候補として、善処させてもらうよ」
「ありがとうございます!」と高城は頭を下げた。
「お疲れさま」と審査員が口々に言う。
高城はMacBookとサンプルをしまうと、一同に礼をして出口にむかった。「本日はお時間をいただきありがとうございました」と言って退室した。
エレベーターの前で立ち止まると、高城はふうっと大きく息をついて、天井を見あげた。
お偉いさん相手のプレゼンは疲れる。経営者と言っても、まだまだ三十歳の若者である。キレ者の高城と言えども、ビジネスの交渉はプレッシャーとの闘いだ。
ロビーからプルデンシャルタワーの外に出ると、高城は駐車場のアストンマーチンに乗りこんだ。荷物を助手席に置いて、シートに背中をあずけた。急に孤独感がおそってきた。
青年実業家の高城は、何をするにもいつもひとり。独身の若者には、苦労を分かちあうパートナーもいない。しばらく車の中でじっともの思いにふけっていた。
スマホを取り出すと、ラインの画面を開いた。そして、電話のアイコンを押した。数回呼び出し音が鳴って、相手とつながった。
「もしもし、ことみさん?」
「あ、はい」と答えがかえってきた。
「ダニエルだけど。いま何してるの」
「コンビニの帰りです」とことみが答えた。
「そうかあ。その後、元気にしてた?」と高城は疲れた声でたずねた。
「はい。ダニエルさんは元気ですか」
「まあね。ぼちぼちかな」
「どうしたんですか?」と電話のむこうで、ことみが心配そうにたずねた。
「あ、いや。君の声が聞きたくなってね」高城は言った。「ちょっと仕事で疲れたもんで、ことみさんの声が聞ければ元気が出るかなと」
「そんな。あたしなんか役に立ちませんよ」とことみはひかえめに言った。「ダニエルさんみたいなえらい人になんて。恥ずかしいです」
「おっ、いいね〜。ことみさんのその感じ。癒されるんだよなあ」と高城ははずんだ声で言った。
「からかわないでください」と言うことみの声は、いかにも恥じらいを感じさせる。
「あ、そういえば伝えたいことがあるんだ。このあいだも話したと思うけど、二週目の日曜日、幕張のEDMフェスティバル。ことみさん大丈夫かなあ」
少しの間があった。
「それなんですけど、じつは…」とことみが言葉をにごした。
いや、まだ先の話なんで、近くなったらまた誘うから、と高城に言葉をさえぎられて、ことみは「あ、はい。分かりました」と返事をした。
「やったあ、最高〜」
「大げさですよ。恥ずかしいです」
「じゃあ、くわしい話はまたあとで連絡するね。ありがとう。おかげて疲れがとれたよ、じゃあね」高城は電話を切った。
きびしい重圧にさらされた一日だったが、今となってはそう悪い日でもなかった。高城はギアをドライブに入れると、アストンマーチンを発車させた。
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