第16話新しい仲間
「こんにちわ。おじゃましま〜す」
カランカランと入り口のベルが鳴った。
ここは高円寺南口、パル商店街にある美容室〈フローラ〉。地元の主婦たちから人気があり、店主のキヨのヘアカットと、手頃な料金のコストパフォーマンスの良さが評判である。
「あら、いらっしゃい杉本くん」ことみの母、田中キヨは、ヘアカットの手を止めて言った。「ことみなら二階に…あら?」いつもひとりの晴夫の後ろに、可愛いらしい女の子が立っていた。「お友だち?めずらしいわね」
「あ、こいつはクリオネ。ちょっとした知り合いで。ほら、あいさつしろよ」と晴夫は言って、連れの背中を押した。
「水戸井ジェニファーだ。世話になるぞ」とクリオネはキヨにむかって言った。
変わった子ね。キヨは頭の中で思った。杉本君のガールフレンドかしら。それにしては、見た目の雰囲気が違いすぎるわね。どこかのお嬢さんという感じだわ。
「こら、その言いかたはないだろ。目上の人になんちゅうやつだ。まったく」晴夫はクリオネの頭をおさえて、お辞儀をさせた。「すみません、お母さん。こいつ、ちょっと変わりもんで」
「いいのよ。ことみに友だちが増えてうれしいわ」とキヨが言う。
「あら、キヨさん。ことみちゃんの新しいお友だちなの?」ヘアカット中の客が鏡を見て言った。「可愛いお嬢さんね〜お人形さんみたい」
「吉村さんたら、よけいなこと言わないの。さ、毛先を整えましょ」と言ってキヨは仕事に戻った。「さ、あがってちょうだい」
「はい。おじゃまします」晴夫は美容室のフロアを横切って、奥の階段のほうへ歩いていった。
一週間前のこと。
杉本晴夫はいつものように、実家の楽器店でアルバイトに励んでいた。ロックバンド〈マシンヘッド〉の『joker』と〈ガバーナ〉の『Yuki』さんのギターのメンテナンス、さらに常連のジャズプレイヤーからサックスの修理の仕事が入っているので、目がまわるほど忙しかった。
午前中にサックスの修理を終えると、昼に休憩をとって、コンビニで買ってきた若鳥の唐揚げ弁当を食べていた。
YouTubeでバーチャルユーチューバーの『ユメノココロ』ちゃんの動画を見ていると、ラインの電話がかかってきた。
「ん、メダカかな?」とつぶやきながら、通話ボタンをクリックした。
「ウナギか?」
聞きなれない女の声だ。晴夫はスマホの画面を見直した。
" クリオネ "
あれっ。このあいだの女子高生じゃないか!晴夫は突然のことに、話を忘れて画面に見入っていたが、気をとり直してスマホを耳にあてた。
「よお、クリオネ。どうした。おまえの方から電話がかかってくるとは思ってなかったぞ」と晴夫は声をあげた。「その後、元気にしてたか」
「元気だ。そなたはいかがであるか?」とジェニファーはお姫様口調で言った。
「お〜。おかげで毎日楽しくすごしてるよ」と晴夫は言った。「それで、なんの用だ」
「いや、とくに用はない」ジェニファーは答えた。
「え?用がないのになんで電話してくるんだよ」晴夫はややイラついた。「俺は、おまえみたいな学生と違って忙しいんだから、ヒマつぶしの相手をしてる時間はないんだよ、もう〜」
少しの間。
「ま、まあそう言うな。じつはな、そなたも知っておるだろうが、九月に『ココロ』ちゃんのライブがあるのだが」
「ああ、もちろん知ってるよ。もうチケット手に入れたもんね」
「自慢をするな」と、ジェニファーは晴夫の言葉をけとばした。「われはプレミアム会員だから、VIP席のチケットである。そなたのような下々の者と一緒にするでない」
「あ〜、そうですか。はいはい」晴夫は言った。「おっ、ところでおまえは誰と行くんだ?性格悪そうだから、友だちいないだろ」
「そなたひと言多いであるな」とジェニファーは反論する。「そうであるな、お母様は所用があって来れないので、執事がつきそってくれる」と言う彼女の言葉は、心なしか弱々しかった。
「このあいだの二人、助さん角さんはどうした。一緒に行かないのか」と晴夫はたずねた。
「助沢と角田だ。あの者たちはわれの従者である。友だちではない」とジェニファーは答えた。
「あ、ちょっと待ってろ。ゴミ捨ててくるから」と言ってスマホを置くと、弁当の空き箱を段ボールに放り込んだ。ペットボトルのお茶を飲む。「お待たせ。ていうか、それじゃおまえひょっとしてライブに行く友だちがいないのか?」
「まあ、そう言えるな」とひと言。
「なんだ、さびしいやつだな。もし良かったら一緒に行くか?俺の親友の女の子と二人で行く予定だから、おまえも来いよ」と晴夫は気軽に誘いをかけた。
「そ、そうか!」ジェニファーの言葉がはずんだ。「あ、いや。そうであるか。そなたがそう言うなら、お供にしてやらなくもないぞ」
「なんだそれ。嫌なら行くな。べつに頼んじゃいないよ」と晴夫は言った。
「あ、いやいや。そうではない」電話のむこうから焦り気味の声が聞こえてきた。「その、できればだな、一緒に連れて行ってはくれまいか?」
「ああ、いいよ」と晴夫は返事をした。「しかし、おまえも面倒くさいやつだな。行きたいなら最初からそう言えよ。そんなんだから友だちが少ないんだぞ」
「よけいなお世話だ」ジェニファーはもとの態度に戻って言った。
「そうだ。今度さ、そのライブに行く親友の家に遊びにいこうぜ。どうせ毎日ヒマなんだろ。『ココロ』ちゃんの話で盛りあがろうぜ」
「ヒマではない。だが、それも一興ではあるな。場所はどこだ?」とクリオネがたずねた。
「高円寺だよ。おまえどこに住んでるんだ?」
「成城だ。高円寺とはどこにあるのだ?」すなおな疑問だけに、上から目線がよりきわ立つ。
「なにっ。おまえハイクラスな場所に住んでるな。って、どこにあるか知らないけどな、あはは。まあ、理事長の娘だから当然か」と晴夫は納得した。「ちょっと待ってろ。ナビで調べてやるからな…あ〜、小田急線で新宿まで出て、JR中央線で二駅だな。三十分そこそこで来れるぞ。近いじゃんか」
「それは、もしかして電車というやつか?」クリオネがたずねた。
「は?あたりまえだ。ほかに何がある」
「いやだ」とジェニファー。「執事に車で送らせるから、住所を教えてたもれ」
「え、おまえひょっとして電車に乗ったことないのか?」晴夫はたまげた。どこまでお嬢様なんだ!「わかったわかった。ラインに送っておくから、よろしくな」
「日時は?」とクリオネはたずねた。「そうだな。今度の土曜日の午後はどうだ?俺、平日はバイトなんだよ。一時がいいな。高円寺南口の駅前で待ち合わせな」
「承知した」と言うクリオネの声が、はずんでいるように聞こえる。
「興味本位で聞くんだけどさ。おまえのうちの車って何なんだ?」と晴夫はたずねた。
「ロールスロイスだが、問題でもあるか?」クリオネがこともなげに言う。
「どひゃあ〜〜!」
というわけで、超お嬢様の水戸井ジェニファーと杉本晴夫は、今日ことみの家にやってきたのである。
晴夫とジェニファーは階段をのぼって二階に上がると、廊下のつきあたりにあるリビングルームの、手前のドアの前に立った。
「あれは子供部屋か?」と言って、ジェニファーが奥のリビングルームを指さした。
「居間だよ。見ればわかるだろうが」と晴夫は言った。
「ずいぶん窮屈だな」とジェニファーは言って、首をかしげた。
晴夫はドアをたたいた。「おーい、メダカ!入っていいか!」
「ウナギ?いいよ」中からことみの声がした。
「失礼するぞ」と言って、晴夫はドアを開けた。「久しぶり。なにしてるんだ」
「それがさ、NPETのキーボードが調子悪いのよ。コーヒーこぼしちゃったからかなあ?」とことみは言いながら、ゲーム用のキーボードをいじっている。
「いや、NPET・K10は防水仕様だから、それはない」と晴夫は否定した。「エイリアンウェア側の入力端子じゃないのか?もう何年も使ってるだろ」
難しい会話だ。素人には理解不可能だろう。
これは、要するにパソコンを使ったゲームの話なのだ。ゲームオタクの二人のやり取りは、大学の数学教室で講師の話を聞くようなものなのだ。
ちなみに〈NEPET K10〉はキーボード、〈エイリアンウェア〉はゲーミングパソコンの商品名である。
「まあ、それはいいとして、友だち連れてきたぞ」と晴夫は言って、廊下で花瓶の花をいじっていたジェニファーを呼んだ。「おい、入れよ!」
ジェニファーは晴夫の声にふりむいた。
「失礼するぞよ」と言って、ジェニファーはことみの部屋に足を踏み入れた。
その姿を見たことみは、あっけにとられて口をあんぐりと開けた。金髪に透き通るような肌。外人のようなルックスで、瞳はオレンジ色に輝いている。
ことみには理解できないが、英国王室のキャサリン妃やテイラースイフトなど海外のセレブに人気の〈ZARA〉のワンピースと、〈ラルフローレン〉のジャケットというコーデだ。
首もとで光る女子大生に人気の〈カナル4C°〉のネックレスが、フェミニンな味わいをかもし出している。ハート型のシルエットとピンク色のジルコニアをあしらった、じつに可愛いらしいアクセサリーである。
なにこの子?ことみは、あまりのキュートな外見に仰天していた。晴夫の方を見て、無言で問いかけた。
「?」
「ああ、俺の知り合いのクリオネだよ」と晴夫が言った。「クリオネ、田中ことみ、通称メダカだ」
「話には聞いておったが、予想よりさえないおなごだな」ジェニファーはことみにむかって、見下した表情を見せた。
彼女の外見に見とれていたことみは、その人を馬鹿にしたような発言に面食らった。この子。ずいぶん高飛車ね。
「おい、俺の親友にむかって何てこと言うんだよ。メダカはお前みたいな性格の悪い女と違って、清純な乙女だぞ!」晴夫はジェニファーの態度に腹を立てて、ムキになった。「訂正しろ、メダカにあやまれ」
「ありのままを言っただけだ」とジェニファーが言う「われにくらべればと言う意味だ。他意はない。気にさわったのなら、すまぬ」
変わった子ね〜。それにしても、ウナギのやつ、どこでこんな可愛いくてゴージャスな女の子と知り合ったんだろう?ことみは侮辱されたことより、それが不思議でたまらなかった。
「あ、いいのよ。気にしないで」とことみは言って、テーブルの上の雑誌をかたずけて、座布団二人ぶんを床に置いた。
「いまコーヒー入れてくるね。ちょっと待ってて」と言って部屋を出ていった。
ジェニファーはめずらしそうに部屋の中をながめていた。本棚の上にならんだフィギュアの数々。デスクを占領しているゲーミングPCとキーボード。プレイステーション4と、赤いオリジナルコントローラー。積み重ねられたゲームソフトのパッケージ。
ジェニファーは首をまわしてそれらをチェックすると、壁に貼られたポスターに目をうばわれた。
「おお、『ココロ』ちゃんではないか!」と言って喜ぶ姿は、ふつうの若い女子に戻っていた。「これはもしや、第一回のライブで限定発売されたプレミアポスターか?われも欲しかったのだ。そなたの友だちとやらは、大したものであるな」と言って晴夫を見た。
「あたりまえだ。メダカは生粋の『ココロ』フォロワーなんだよ」と晴夫は言った。「バーチャルユーチューバーのことならなんでも知ってるぞ」
「うむ。見なおしたぞよ。見かけはパッとしないが、そのいきやよし」と言うジェニファーの顔は、先ほどとうって変わってご機嫌である。
「お待たせ〜」ことみが戻ってきた。「カフェオレだよ。砂糖とミルクは自分でいれてね」
「お、悪いな」晴夫は砂糖をひとさじ加えた。
ジェニファーはカップをのぞき込んで、そこに満たされた液体をじっと見つめている。ふだんから高級調度品で紅茶を飲み慣れているので、かなり戸惑っているのだ。
「毒なんか入ってないから、安心してよ。あはは」とことみは言った。
「では、いただく」とひと言。
「ねえ。彼女、お名前なんていうの?」ことみはたずねた。
ジェニファーはカップをソーサーに置くと、ことみに向きなおった。「水戸井ジェニファーだ」
「へえ、素敵な名前ね。失礼だけど、ハーフなの?」とことみはたずねた。
「さよう。父親がイギリス人である」
「え〜カッコいいなあ」と言って、ことみは憧れの眼差しをむけた。
「おいおい、べつにそんなんじゃないよ」と晴夫が言った。「クリオネでいいんだよ。こいつガキのくせに生意気だから、あんまりおだてると調子にのるぞ」
「無礼な。殿方がのたまう言葉ではないぞよ。口をつつしめ」と晴夫に釘をさした。「ところで、メダカ、いやことみどの。そなたは『ココロ』ちゃんのヘビーユーザーらしいが、まことか?」
「まあ、それほどじゃないけど、大好きだよ。『ココロ』ちゃんのすべてが可愛いの。それに、可愛いだけじゃなくて、時々ポンコツなところがまたお茶目なの、うふふ」と言って、ことみは微笑みをうかべた。
「そうなのだ!われも『ココロ』ちゃんのポンコツなところが気に入っておる。気が合うな」と言って、ジェニファーは今日初めての笑顔を見せた。
「なんだよ、おい。俺には無愛想なのに、メダカとは意気投合かよ」
晴夫はむくれた表情をうかべたが、すぐに気をとり直して言った。
「あっ、そうだ。クリオネがさ、九月の『ココロ』ちゃんのライブ一緒に行きたいって」
「え、ほんと?」ことみは両手をあわせて、心から喜ぶ。「行こうよ行こうよ。ウナギと二人じゃ花が無いからさ、クリオネちゃんと一緒なら楽しそう〜」
「なんだそりゃ。チケットあげたの俺じゃんか」晴夫はジェニファーに先を越されたようで、やや不機嫌になった。
「まあまあ、そう言わずに。新しい友だち三人で楽しくやろうよ」
ことみは可愛い女の子の友だちが出来て、すっかりご機嫌だった。
クリオネちゃん、可愛いらしくて、同じ趣味で、ちょっと変わってるけど、少女の妹が出来たみたいだな。
生まれて初めて、心からつながれる同性の仲間に、ことみの気持ちがはずんだ。
三人はそのあとも、バーチャルユーチューバーのネタで会話に花を咲かせていた。
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