第15話祭りの夜に

高城ダニエルに誘われて表参道へ行った翌日、日曜日。

高円寺駅前のCDショップ〈エクストラレコード〉のアルバイトを終えた田中ことみは、若者でにぎわう雑貨屋や洋服店を横目で見ながら、通りを歩いていた。いつものごとく、バイト帰りの疲れた身体を引きずるようにして、ことみは〈パル商店街〉の雑踏にまぎれている。ただ、心の中は前日のできごとで満たされていた。ダニエルさんといっぱい思い出つくったなあ、と気分がはずんで、自然と足どりも軽くなる。ことみにとって彼とのひとときは、宝石のように輝いて、まるで夢の中にいるみたいな時間だった。

「でもなあ、地元に帰ると現実に引きもどされちゃうよ。まったくさえないったらない。乙女心がズタズタよ」ことみは思わずグチをこぼした。いつものファッション。いつもの見た目。引きこもりのゲームオタクの身では、たった一日で何もかもが変わるはずもないと彼女は嘆いた。

JR高円寺駅前の南四丁目交差点までトボトボと歩くうちに、屋台がたくさんならんでいるあたりに出た。周辺は歩行者天国に解放されている。人また人。すごい混雑だ。そう、今日は、東京で最大の祭り〈高円寺阿波踊り〉の日なのだ。

毎年八月の最後の週末に行われる〈高円寺阿波踊り〉は、1957年に始まってから六十年以上の歴史がある。東京都内からおよそ100万人が集まり、踊り手だけで一万人という大規模な祭りである。

ふだんは若者が集まるただのガヤガヤとした街だが、この土・日だけは、高円寺駅の南口が阿波踊り一色になる。


人混みをかきわけて進んでいくと、目当ての屋台が見つかった。焼きバナナとオムレツの屋台にはさまれた、金魚すくいの店だ。

頭にハチマキをした四十代くらいの男性が、子供たちを相手に大声をはりあげていた。

「オッちゃん!」ことみが声をかけると、屋台の主が顔を上げた。

「お〜、メダカやないか」男はうれしそうな顔をして言った。「今年も来よったな。どや、遊んでいけ。金はいらんでよ」

「あい変わらず子供に甘いなあ。オッちゃん、そんなんじゃ儲け出ないよ」と言って、ことみは子供たちの間に座りこんだ。

「こらっ。お前もう二十六やろが。なにが子供や、ガハハ」とテキヤの男は笑った。

「うるさいわ。永遠の少女に失礼だぞ」

「というより、永遠の処女やな。はよ男つくらんかいな」

「こらあ〜っ、下ネタは禁止だぞ!」ことみは少し顔を赤らめた。異性についての大人な会話は、冗談じゃなく、ほんとに恥ずかしかったのだ。「あたしだって恋くらいしてるもんね、ふん」小声でモゴモゴとつぶやいてから、あわてて訂正した。やだ、あたしったらなに言ってんの。勝手に妄想しちゃって。でもあの人は…

「おい、どないした。ぼんやりしてからに。恋ボケか。わはは」テキヤの男は豪快に笑って、ことみをからかった。

「よけいなお世話。ほんと、デリカシーないんだから」

ことみがこのテキヤと知り合ったのは、父親がまだ生きていた八歳の頃だった。警官だった父親が、祭りの違法出店の取り締まりをしていた時、ふと立ちよった金魚すくいの屋台で、気軽に話しかけてくれたことがきっかけだった。

金魚すくいの紙ポイを破るたびに、おまけと交換してくれて、金魚がすくえるまでサービスしてくれた。こわもての制服警官の父にも臆することなく接してくれたテキヤの優しさは、まだ小学校低学年だったことみの記憶に残った。

その後、とつぜん父親が殉職すると、毎年ことみは金魚すくいの屋台をさがしては、店主と仲良く時間をすごした。そのテキヤはことみが父親を亡くしたことを知ると、毎年娘のように可愛いがってくれたのだ。幼いことみの悩み相談にのったり、元気のないときは、はげましてくれたりもした。

「それで、どう。儲かってるの?」とことみはたずねた。

「まあトントンやな。最近はスーパーボールすくいに客取られて、昔みたいに人だかりと言うわけにはいかんで」テキヤはボヤいた。すると、彼はことみの顔をじっとみつめた。そして言った。

「おまえ、男ができたんか」

「え?」ことみは、突然の言葉に不意をつかれた。「オッちゃん、な、なに言ってんの」

「いや、妙に色気づいて見えたんやがな…おっ、坊ちゃんありがとね〜五百円やで。へい、らっしゃい!」

ことみは、テキヤのひとことにうろたえた。昨日の高城との一日の出来事が、映像を再生するように頭にうかんだ。

ブランド服に身をつつんで、彼と行ったカフェレストラン。ヘアサロン〈ヴォヤージュ〉の素敵なシャロンさん。ヘアメイクで変身させてくれたスミレさん。すべてが夢のような時間だった。

あのあと、高城のショップ〈ゾーン〉に戻ったことみは、ふだん着にきがえて、高城と店長の美波にお礼を言い、表参道をあとにした。高城が車で送るというのを、遠慮してていねいに断わり、新しい洋服と靴の入った袋をさげて電車で帰った。


「おい、こら。なにを妄想しとるんや」テキ屋の声にわれにかえると、ことみはあわてて手にしたポイを水桶に突っこんで、金魚を追いかけた。何度もチャレンジしたが、そのたびに紙が破れてしまう。

「なんや、やけにドジっとるな。心ここにあらずか。ほら、おかわりや」と言って、テキ屋は新しいポイを手渡した。

「あっ、いいよ。今日はもう行く。じゃあね」と言って、ことみは立ちあがった。

「そっか。まあええわ。明日もやっとるから、また来いや」とテキヤは言った。

「じゃあね、オッちゃん」ことみはそそくさとその場を立ち去って、人混みにまぎれこんだ。

「なんや、おかしなやっちゃな」テキヤはことみの後ろ姿を見ながらつぶやいた。「年ごろの女の子が考えとることは、ようわからん。へい、らっしゃい!お嬢ちゃん、金魚すくいやで〜。一回五百円。らっしゃいらっしゃい!」


コンビニに飛び込んだことみは、ドリンク売り場の前に立って、商品を取るでもなく立ちすくんでいた。

胸のときめきに身体があおられて、顔の火照りがおさまらなかった。テキヤの親父のひと言にあせっていた。

「男ができたんか?」

高城の顔が浮かんだ。

「素敵だよことみさん」

「うわ〜、可愛い!」

二十六年間の時を埋める、夜空に輝く星のような言葉の数々。それは、ことみの心に刻まれた美しい瞬間だった。

あんな時はもう二度とやってこないだろうな…

ことみは、ドリンクの棚からミネラルウォーターのペットボトルを取ってレジに向かった。

と、その時、ジーンズのポケットで携帯が振動した。スマホをとり出して画面をみると、ラインにメッセージが二つ入っていた。ウナギかな?ラインのアイコンをみると…高城からメッセージが入っている。胸を高鳴らせ、ことみは画面をクリックしてコメント欄を開いた。 


昨日はありがとう

すごく楽しかったよ

ことみさんは楽しんでくれたかな

最後はちょっと

トラブルになっちゃったけど

最近にはない素敵な一日になった


ことみはその文章に見入った。誠意のこもった言葉に胸がはずんだ。思いがけないメッセージに心が揺さぶられる。コメントは続いた。


じつは、九月の第二週の日曜日に

イベントがあるんだけど

ことみさんがよければ

一緒に行かないかなと思って

あ、無理にとは言わないけれど

できれば来てほしいな


二度目の誘いだ。カッと身体が熱くなった。十秒ほど画面をみつめて、返事を入力した。


私でよかったら


数秒間待つと、既読がついた。


ほんと!

〈アルティマジャパン〉ていう

EDMフェスティバルなんだけどね

幕張でやるんだ

よかったら友達もつれておいでよ

僕の仲間を紹介するから


EDMフェスティバルって

何ですか?


クラブミュージックのイベントだよ

DJの音楽だね

僕も副業でDJやってるんだ

ことみさんCDショップで働いてるから

見たことあるんじゃない


『ジャッジ』とかですか?


とは言ったものの、それが何を意味するのか、ことみは知らない。CDショップでポップを書いた時に覚えていただけだ。


そうそう!

あ、初めて会った時に

ことみさんがCDかかえてたっけ

趣味じゃないかもしれないけれど

何万人も集まる

年に一度のフェスだから

ぜひ参加してくれるとうれしいな


わかりました


何と言っていいのかわからないので、コメントが極端に短くなってしまう。


またおシャレしてもらいたいから

僕の店に午前中に来てくれないかな

時間はまたあとで連絡するから

ありがとう、無理言ってごめんね


こちらこそ

ありがとうございます

ぜひ行かせてください


高城との初めてのラインの会話が終わった。ことみは胸の高鳴りがおさまらなかった。レジで会計をする時も、頭がぼうっとしていた。

と、その時だった。ことみは大変なことに気がついた。

九月の第二週の日曜日…『ユメノココロ』ちゃんのライブの日じゃん!




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