第13話パリピたちのうわさ話

東京・渋谷の宇田川町にあるクラブ〈ヒドラ〉は、まえに紹介した日本一の女性 DJレイカが勤める〈タイタン〉のライバル店で、おしゃれ度の高いことで有名だ。

渋谷系カジュアルのファッションモデルに人気の店で、カリスマ美容師、トレンド先取りのアパレル店員、高収入・高学歴の気取ったビジネスマンなどが集まって、平日から盛りあがっている。

大きなダンスフロアがひとつだけあって、お立ち台は設けていない。三つのバーカウンターがあり、混雑する週末でも、長い行列にならんでドリンクを注文するなんてことはほとんどない。別フロアには広いラウンジがあって、ダンスフロアとはまた違ったゆったりした雰囲気を楽しめる。

渋谷のクラブの中でもとびきりゴージャスなVIP席は、二時間制で最低十万円の席料をとられる。とにかく高い。

会社経営者や業界人がシャンパンを何本もあけて、スタッフがつれてくる女の子をはべらせ、得意げに飲みまくる。そして、あげくのはてに女の子たちに飲み逃げされる、というのがお決まりのパターンである。

そのVIP席のひとつで、モデル顔負けの美女たちが騒いでいた。全員が派手な顔立ちで、露出度の高い服を着ている。そのひとり、人気 ゴーゴーダンサーユニット〈ピーチ〉のリーダー、ライラこと水本ひかりは、まだ二十歳そこそこだった数年前の自分を思い出していた。

ライラはかつて、この店でテキーラガールをやっていた。バニーガールの衣装で客にテキーラショットを売りまくって、一晩で何万円も売り上げていた。ふつうのテキーラガールとはくらべものにならないトップの成績で、店の社員から気に入られていた。

DJレイカから〈タイタン〉へスカウトされる以前、まだ東京に出てきたばかりのことだ。あの頃はギャル丸出しで目立ってばかりいたなあ、とライラは若かった日々に思いをはせて、少し恥ずかしくなった。

今日の飲み代は、FXトレードで稼いでいるセイヤのおごりだ。彼の本名は加賀美誠である。同席しているのはライラのほかに、高城ダニエル建二、ファッションモデルの橘ちなみ、ゴーゴーダンサーの美女集団〈ギャラクシーエンジェルズ〉のメンバー四人、真衣、萌、真由香、ミリィだ。

女性たちの端っこで、高城とセイヤの男二人がなにやら話しこんでいる。

「そういえば建二。このあいだおまえが言ってたさえない女の子だけど、その後どうなったんだ?」シャンパンをあおりながら、セイヤがたずねた。

「さえない女の子って誰だ」ダニエルが首をかしげた。「ことみさんのことか。おまえ失礼なこというなよ」

「ことみ、さん、かよ」セイヤが言った。「おまえ、その子とどういう関係なんだ。まさか本気じゃないよな」

「ん、本気って?」とダニエルが言った。

「だからさ、おまえいつも女にふり向きもしないじゃん。そのおまえが " さん " づけなんて、どう考えてもふつうのつき合いじゃないだろう」とセイヤが詰めよる。

「ああ、彼女は素敵な人だよ。なんていうか、そう、純粋っていうのかな。今どきめずらしい清らかな人柄だよ」という高城の顔が、笑顔で輝いている。

「こりゃあ事件だ。おく手の高城ダニエルがひと目ぼれか!」セイヤが天をあおいだ。

「悪いか」高城がにらみつけた。

「あ、いやいや。ところで、ルックスはどんな感じなの」とセイヤがたずねた。「写メくらい撮ったんだろ」

「ああ。見るか」と言って、ダニエルは iPhone を取り出した。「これだ」

「どれどれ」セイヤは、高城の携帯を受けとって画面を見た。顔を近づけてチェックする。「あれっ、可愛いじゃんか!」

「だろ」と高城が得意そうに言う。

「俺にも紹介しろよ」

「ダメだ。おまえみたいなチャラい奴には会わせん」と言って、高城はセイヤから携帯をもぎ取った。


となりのテーブルでは、ライラと橘ちなみ、〈ギャラクシーエンジェルズ〉の萌が、けらけら笑いながらふざけ合っていた。

「こないだうちのボスがさ、気のきいたジョークのつもりで、英語で『アイム・イン・ラブ・ウィズ・ベット』って言ったんだけどね、それがおかしくてさ〜。笑ったわ!」と萌が言った。ボスとは、〈ギャラクシーエンジェルズ〉のプロデューサー『DJサンダーケリー』、本名アレックス的場のことである。

「それってどういう意味なの?」とライラがたずねた。

「いや、本当は『私はお布団に恋してる』ってね、その後に『目覚まし時計がゆるしてくれないの』ってつづくアメリカンジョークなのよ」と萌が解説する。「ベッドから離れられないのに目覚まし時計に…っていう、アメリカ人が言うにはキュートな冗談らしいんだけど、ボスは最後を『BET』って言って『ギャンブル(賭け)から離れられないって、あ〜おかしい!」

萌の話に、ライラとちなみはポカンとした顔をしている。「それって笑えるの?」

「え、ちょっと難しかったかあ。あ〜気にしないで」萌は両手をふって話を中断した。

「あんた、あんまりマニアックな話をしないでよ」とギャラクシーの最年長、真衣が萌の頭をたたいた。「それに、面白くない」

「同意します」と真由香がボソリと言った。

「毎度のことだわ」ミリィはフロアを見ながらひと言。

「ひゃあ〜。あたし孤立状態」と萌は言う。「ん、孤軍奮闘かな?どっちでもいいや」

「まあまあ、飲もうよみんな」とライラがその場をとりつくろった。

「賛成!」とちなみも言って、〈ルイ・ロデレール〉のシャンパンをあけた。ギャラクシーの四人とライラのグラスに中身を注ぐ。

そのラベルを見たライラが、とつぜん何かを思い出したように言った。「これ、四年前に彼氏の友康くんとデートで飲んだシャンパンだ。あ〜なつかしい」と言ってにやけている。

「ライラったら、アメリカからお医者さんの彼氏が帰ってきてからずっとこの調子よ」萌があきれて言った。

「あ〜ん、友康くん。結婚したら何て呼ぼうかしら。旦那さま、あなた、ダーリン」とライラは色気たっぷりにつぶやいた。

ダンスフロアを眺めていたミリィがふりむく。「しょうがないでしょ。四年間も待ったんだから、たいしたもんよ。それだけ愛をつらぬけるなんて尊敬しちゃうわ。あたしには無理」とロデレールをかたむけながら言った。

「ところで、話は変わるけど、来月のアルティマジャパンに〈ピーチ〉も出演するんでしょ?」と真衣がライラにたずねた。

「そうですよ真衣さん。はじめてなんで、緊張してます」とライラは答えた。

世界三大EDMフェスティバルのひとつ、〈アルティメット・デジタルチャレンジ〉すなわち〈アルティマ〉は、アメリカのサンディエゴを拠点に、毎年ヨーロッパやアジアで開催されている。三日間で数十万人を集めるモンスターイベントで、その日本版が〈アルティマジャパン〉である。

〈アルティマジャパン〉は、年にいちど世界の有名DJが集結する、クラブピープルのためのフェスティバルなのだ。

〈ギャラクシーエンジェルズ〉はアルティマジャパンの常連で、毎回数万人の観客の前でセクシーなダンスを披露している。

「大丈夫。あたしたちがサポートするから、堂々とやりなさいよ」と真衣が言った。

「ありがとう、真衣さん。美弥とマリアの三人でがんばるね」とライラは〈ピーチ〉のメンバーの名を出した。美弥は、もとギャラクシーのチームMのメンバー。マリアはライラの友達で、〈ピーチ〉に参加したコロンビア人だ。

「にしても、ちなみんはいいよねえ。スーパーVIPで見学しながらパーティでしょ」とライラが言った。「あたしもパーティで盛りあがって騒ぎたいなあ」

「すみませんね、ライラさん」とちなみは言うものの、余裕である。

「あ、建二くんが回すよ!」と萌がDJブースを指さして言った。

「ほんとだ、建二くんカッコいい!」とちなみがあこがれのまなざしで言った。

「ちなみんは建二くんのファンだからね〜」ライラが言った。「あっ、あたし踊ってくるね!」と言って席を立った。


DJブースでは、高城ダニエル建二がMacBookのデータを詰めこんだUSBを使ってスタンバイをしていた。

配信サイトからダウンロードしたトラックを、〈セラト〉というソフトウェアを使ってミキサーにつなぐ。ちなみに〈ヒドラ〉の機材はパイオニアCDJ2000NX2 である。

このあたりはDJの専門用語なので、あ〜そんなものかと思ってくれればいい。

高城は、一曲目、DJ『Great-est』の曲『ウェストコースト』のミックスからスタートした。

彼はプロのプレイヤーではないにもかかわらず、渋谷の各クラブで引っぱりだこだ。自分の楽曲を持つトラックメーカーのDJとして、集客力を買われているのである。

ダンスフロアでは、〈ピーチ〉のプロダンサー、ライラが登場して大盛りあがり。セクシーで目立つゴーゴーダンスに、満杯の客が大声で叫びながらまわりを取り囲んでいた。

VIP席では、セイヤが、ちなみと〈ギャラクシーエンジェルズ〉の四人に、高城の話をしていた。

「よお、知ってるか。建二のやつ、最近熱をあげてる女がいるんだよ」

「え〜っ、あのおく手の健二くんが?」と真衣が言った。「どんな子なのよ。モデル、芸能人?」

「いや、一般人。二十六歳のオタク」とセイヤは言った。

「えっ」ミリィと萌が声をそろえて言った。

「あいつ阿佐ヶ谷に住んでるだろ。なんでも、となりの高円寺で出会ったらしいんだよな」とセイヤが説明した。

「まさかナンパじやないよね」と真衣。

「おい、カタブツの建二だぞ。なわけねえじゃんか」セイヤが言った。

この会話を聞いていたちなみが、黙って高城の方を見つめていた。わざと聞こえないふりをしている。

「あっ。ちなみん、ごめん」と萌がちなみに言った。「セイヤったらなに言ってるのよ。いいかげんなこと言わないでよ〜」

「だって、建二から聞いたんだぜ…」とセイヤが言いかけたところで、萌が無言でちなみのことを指さした。

「やめなさいよ。ほら、ちなみんが…」

「あ、あ〜。これは単なるうわさ話だからな。建二は硬派だから、そんなわけないよな。あはは」セイヤはその場を取りつくろった。

フロアでは、二曲目の『Missy Elliot』の『ワークイット』が流れていた。

今夜もクラブの夜は更けていく。

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