第10話思わぬ再会
成田空港。第二ターミナル。
八月の猛暑による熱気で、広大な敷地のアスファルトにかげろうが立ちのぼっている。大型旅客機が滑走路へ移動するたびに起こす風も、よどんだ空気をかき混ぜるだけだ。ここ数日、日本列島は記録的な熱波におそわれていたが、それはこの成田空港も例外ではない。
快晴の空のもと、真夏のまぶしい日差しは、ターミナルビルの巨大なガラス窓にも照りつけていた。それでも、空港の室内はエアコンの冷気で満たされ、外の蒸した空気とは対照的にさわやかな微風が吹いている。
この第二ターミナルビルは、曲線的なデザインが特徴のモダン建築だ。成田空港だけでなく、海外の主要な空港には、有名なデザイナーが手がけたターミナル建築が多いのである。
南ウイングの国際線到着ロビーで、ひとりの初老の男性が、ゲート前で壁によりかかっていた。アメリカからの友人の帰りを待つ彼は、iPhoneで映画を見ながら、そのいっぽうで流れ出てくる客を一人ひとりチェックしていた。
〈ULTIMA〉というロゴが印刷されたTシャツと、ダメージジーンズ、シャネルのスニーカー、ブルガリの腕時計、キャップにサングラスという出で立ちである。遊び人の若者風ファッションの彼は、実年齢より二十歳ほども若くみえ、活力にあふれている。
成田空港のロビーは、海外から帰国したビジネスマン、南国の海を楽しんだサーファー、日本を訪れた外国人の家族などで混みあっていた。
「おっ、あれかな?」
ゲートから出てきた人々を見ていた男は、壁から背中をはなすと、イヤホンをはずして出口のゲートに近づいていった。その先には、すらりとして背の高い青年が、スーツケースを引きながらあたりを見まわしていた。
「よっ、お帰り!」と、男性は声をかけた。
「MAKIさん!」青年は言った。「お久しぶりです」
「四年ぶりだね」MAKIと呼ばれた男は、青年の腕をたたいた。「むこうの生活はどうだった?」
「最初の一年は慣れなくて苦労しました。でも、大学病院のアメリカ人の先輩がよく面倒みてくたので、なんとか支障なくやれました」と青年は言った。
「MAKIさんこそ、映画が大成功して今やセレブの仲間入りじゃないですか」青年はさわやかな笑顔をうかべている。彼のたたずまいから、その人柄の良さがにじみ出ていた。
「動画サイトで観ましたよ。ひかりちゃんが主役の物語だから、感動しちゃいました。彼女、元気にしてますか」
「あい変わらずはじけてるよ。〈ピーチ〉で全国をまわって忙しくしてるみたいだ」
「それは安心しました。長く待たせたので、さびしい思いをしてないかと毎日心配していたんです」と青年は笑顔をうかべた。
「よし。そろそろ行こうか」と言ってMAKIは歩き出した。「食事はすませた?」
「はい。機内食を食べましたから」
「オーケー。車で来たから乗っていけ」とMAKIは言う。
「ありがとうございます」
二人はエスカレーターで地下へおりて、空港専用の P-1駐車場にむかった。
「ジョンズホプキンスの心臓外科だっけ。いい勉強になっただろ」MAKIは駐車場のフロアを進みながら、青年に語りかけた。
「勉強になるなんてもんじゃないですよ」青年は言った。「医療技術はまちがいなく世界最先端ですね。教授にはラスカー賞をとった方が何人もいて、レベルの高さに圧倒されっぱなしでした」
ジョンズホプキンス大学病院は、メリーランド州ボルチモアの伝統ある大学の付属医療機関で、全米屈指の病院として知られている。ラスカー賞は、優れた功績をあげた医者に与えられる、アメリカ医学界の最高賞だ。
アジア系の留学生も多く、日本人では紙幣の絵柄となった『新渡戸稲造(にとべいなぞう)』が学んだことで知られている。首都ワシントンDCに近く、国立衛生研究所との関わりが深い
「とにかく元気で帰ってこられてよかった」と言って、MAKIは青年に笑顔をむける。「つぎは、彼女との約束だな。これから会うのか?」
「あ、いえ。びっくりさせようと思って、まだ連絡してません」
「なんだ、サプライズか。じゃあ、俺と一緒にいこう!」
「えっ。MAKIさん、彼女の居場所わかってるんですか?」
「あいつとはつき合い長いからね。ぜんぶお見通しよ。ダハハ」
「わかりました。ありがとうございます」
駐車場に着くと、MAKIはスマートキーをとり出して、車の場所まで近づいていった。ピコンと音が鳴って、白い高級外車のパーキングランプが点滅した。
〈フェラーリGTC4ルッソT〉。排気量3855ccのV型8気筒DOHCターボエンジンを搭載する、全長5メートル、7速の四輪駆動、4シーターのハイスペックマシンである。
「荷物入れてくれ」とMAKIは言ってトランクを開けた。
青年はスーツケースをおさめて、ショルダーバッグから iPad Air だけをとり出した。右側の助手席へまわりこみ、ドアを開けて車内にすべりこんだ。
「すごい車ですね」と、青年は室内をキョロキョロと見まわしながら言った。「これフェラーリでしょ?」
「そうだよ」とMAKIは言いながら、スタータースイッチを押した。エンジンが重低音のうなりをあげた。「映画ヒットのごほうびだね。苦労したから、これくらいのぜいたくは許されるかと思ってさ」
「映画、すごく面白かったです。EDMフェスティバルのシーンは圧巻でしたね」青年はシートベルトを着用した。
「あそこの場面はほとんどCGなんだよ」とMAKIは言った。「〈アルティマジャパン〉を再現するのに、特撮プロダクションが大車輪で作ってくれてね。おかげで、クオリティの高い映像ができたよ」
MAKIは車をスタートさせて、駐車場から地上へ出た。ゲートを通過すると、東関東自動車道の千葉北インターチェンジを使って東京をめざす。
「久しぶりに見る日本の景色。なんかほっとしますねえ」青年は窓ガラスを通して外を見た。
「で、これからどうするの?」MAKIはたずねた。
「とりあえず一週間はのんびりして、お世話になった教授から紹介された病院で働こうかなと思ってます」と青年は答えた。
二人の紹介をしよう。
MAKIはもと落ちぶれた小説家。渋谷のクラブでゴーゴーダンサーの『ライラ』こと川原木ひかりと出会い、彼女を主役にした映画をつくった。それが大ヒットして、今では脚本家、監督としてその名を知られるまでになった。
趣味はパチンコ。渋谷の高級住宅地、松濤(しょうとう)のデザイナーズマンションに住んでいる。結婚歴はない。
ひかりがリーダーをつとめる、ゴーゴーダンサーのアイドルユニット〈ピーチ〉のアドバイザーも手がけている。
いっぽう、青年の名前は、是永友康(これながともやす)。医師である。二十代後半の彼は川原木ひかりの恋人で、彼女と結婚の約束をして、四年前にアメリカの大学に留学した。ひかりとは、当時まだ彼女が渋谷のクラブで働いていたころに出会った。
二人を乗せたフェラーリは、高速道路を疾走して、そのまま東京へむかっていった。
場所は変わって、渋谷区代々木上原。
住宅街にあるハワイアンレストラン〈ラグーナカフェ〉に、モデルのようなルックスの八人の女性たちが集まっていた。オープンデッキの大型テーブルを囲んで、にぎやかに話をしている。
〈ラグーナカフェ〉は、ハワイアンスタイルのカフェレストランで、モデルや芸能人が集まる店として有名である。最近はおしゃれに敏感な女性たちの間で話題になっており、SNSの口コミで人気が広がっている。
「ビーチのレストラン」をコンセプトに、ハワイ料理やパンケーキ、パイ、ほかにもオーガニック野菜を使ったエスニックサラダが人気だ。
テーブルの上には、店一番の人気メニュー〈国産黒毛和牛のステーキハンバーグ〉や海鮮サラダパスタ、ターキーサンドイッチなどもある。スタイルを売りにしている女性ならではの、ヘルシーなメニューだ。
ドリンクは、カクテルやワイン、さらに抹茶オレやパインジュースなどのソフトドリンクを飲んでいる。
八人のメンバーは、ゴーゴーダンサーグループ〈ギャラクシーエンジェルズ〉のメンバー、真衣(まい)、萌(もえ)、真由香(まゆか)、ミリィの四人。彼女たち四人は、名前の頭文字のMをとって「チームM」と呼ばれている。同じくゴーゴーダンスのアイドルユニット〈ピーチ〉のライラ、美弥、マリア、そしてファッションモデルの橘ちなみである。
今日は、誰が言いだすでもなく、なんとなくみんなでカフェに集まった。
現在〈ギャラクシーエンジェルズ〉は、東京を中心にクラブやEDMイベントで活動している。日本におけるゴーゴーダンスのパイオニアである彼女たちは、どこのクラブに行っても店を満杯にする美女集団なのである。
いっぽう、三年前に結成された〈ピーチ〉は、全国のクラブツアーのあとにリリースされたファーストシングル『フィール・ミー』が、iTunesのダンスミュージック部門でランキング一位を獲得した。
ピンクのビキニ姿で派手なダンスを披露する、可愛らしくてセクシーな彼女たちは、全国のクラブ好きな若者たちのアイドルである。
リーダーのライラは、北海道函館から上京してわずか二年で、〈ピーチ〉のデビューをかざった。シンデレラストーリーを絵に描いたような出世だった。
「ライラちゃん、ここのところ毎日忙しいって?」萌が言った。「ツイッターで疲れる〜とかぼやいてるじゃん」
「あはは。バレた?疲れるっていうより、たまにはゴーゴーダンスをはなれて、ショッピングとかしたいなあって思ったの」とライラが答えた
「あたしは家で浴びるほど酒が飲みた〜い」と言うのはマリア。「日本の生活はお酒がたりないわよ」マリアはコロンビア出身。クラブでライラと知り合った、ひたすら明るくて前むきな女の子である。
「あんたは放っておくとハチャメチャになるからね。世話かけないでよ、もう」とライラがぼやいた。
「あ〜このステーキハンバーグ、たまらなく美味いわあ」と真衣が言いながら、肉片を口にほおりこんだ。
「なんども言わないでくださいよお。真衣さんたら、それもう五十回くらい注文してません?」ミリィがフォークでサラダをつつきながら言った。
「同意」と真由香がぼそりと言う。
「ところでさ。ボスってここのところ姿みせないけど、なにやってんのかな」と萌が言った。「イベントにぜんぜん来ないし。ファンからメッセージいっぱいきてて、処理がたまってるのよね」
「同意」と真由香が言う。
ボスとは、〈ギャラクシーエンジェルズ〉のプロデューサーである『DJ サンダーケリー』ことアレックス的場という男性のことだ。
「あんたさ、その短いコメントなんとかならないの?」とミリィが、指でテーブルをコツコツとたたいて真由香に言った。
「あ〜気にしないで」と萌が言う。「この子、言葉数が極端に少ないのよ。ムダがきらいだからね」
「あっ、わかった」と真衣が言った。「来月〈アルティマ〉じゃん。ボスはその準備してるのよ。きっと新しいミックストラック作ってるんじゃない」〈アルティマ〉はEDMフェスティバル〈アルティマジャパン〉の略。
「なるほど、そっかあ」萌が言った。「あたしたちメインステージで踊るから、そのための曲作りね」
「ありがたいわね。さすがボスだわ」と真衣が言った。
「アルティマも今年で七年目か。あたしたち第一回目から出演させてもらってるけど、今でも緊張するわよ」とミリィが言った。「なにしろ世界のトップクラスのDJが集まるからね」
「右に同じ」と真由香が言った。
「あっ、単語が二つ!」と萌が真由香を指さして笑った。
「無口なだけに、言葉のありがたみがちがうわよね。あたし拝んじゃおっと。真由香さま、真由香さま」と真衣が両手を合わせた。
「あはは、ウケる!」ミリィが大笑いした。
「ところで、ちなみんさ。また〈ネイミスウィム〉の新作水着がリリースされたよね」とライラがたずねた。
「そうなんですよ」とちなみが答えた。「今年の夏に合わせて、去年の秋から準備してたの。おかげさまで売れゆきも好調で、インスタのファンの女の子たちから注文がたくさんきてるよ」
ちなみは、かつて〈ギャラクシーエンジェルズ〉に所属していたが、今は本業のファッションモデルと並行して、水着のプロデューサーとしても活躍している。彼女のインスタグラムのフォロワー数は24万人。その親近感とやわらかいキャラクターが好かれて、ギャルモデルのファンの女の子や、男性ファンから絶大な支持を得ている。奈良県出身の双子の姉で、大阪に住む妹は『橘ななみ』という。
「あたし買ったよ〜」とマリアが手をあげた。「ブラジリアン水着大好き。お尻プリプリ見せられるからね〜」
「あんたの露出度はすごいからね。納得よ」とライラがうなずいた。
「え、あたしも欲しい!」萌と真衣が言った。
「プレゼントしますよ。二人にはお世話になっているから、すぐに送りますね」とちなみが言った。
「え、マジ」と萌が言う。「よっしゃあ、来週からのグアムに着ていくぞ!」と声を張りあげた。
「ありがとね、ちなみん」と真衣が言った。
「ところで、ライラちゃん」と〈ピーチ〉のメンバーの美弥が、抹茶ラテを飲みながら言った。「DJレイカさんの新曲『 Can Make It 』聞いたよ。またiTunesの一位だね」
「あ〜、あの人は神だからね」とライラは言う。「〈アルティマ〉のメインステージにも出るし。今や日本一の女性アーティストよ。すごすぎる」
DJレイカは、かつてライラが働いていた渋谷のクラブ〈タイタン〉の看板スターである。クラブファンの間で知らぬ者はない。〈ピーチ〉のデビューのさいには、レイカがDJをつとめた。
八人の会話はまだまだ続く。
彼女たちが話に花を咲かせていたとき、店の中から男性が近づいてきた。男はオープンテラスに出ると、彼女たちのテーブルの前に立った。
「楽しそうじゃん」男は声をかけた。
萌が最初に気がついて、ふりむいた。
「あっ、MAKIさん!」
それにつられて、全員がMAKIを見た。
「まーきー、よくここがわかったね」とライラが言った。ライラはMAKIのことを『まーきー』と呼ぶ。
「おまえとは長いつき合いだから、お見とおしなわけよ。えへへ」MAKIはニヤついた。
「キモいわ。ストーカーか」とライラが言った。
「ところで、MAKIさん。今日はなんの用ですか。新しい映画の撮影?」と真衣がたずねた。「ギャラリー8の相川さんからそう聞きましたけど」
〈ギャラリー8〉は、MAKIの映画のマネージメントを行うエージェント会社だ。相川は、そこのコーディネーターである。MAKIの映画には、ゴーゴーダンサーのシーンに〈ギャラクシーエンジェルズ〉のメンバーも出演していた。その関係で、彼女たちは〈ギャリー8〉と仕事上のつきあいがあった。
「いや、ちょっとライラに用があってね」とMAKIは言った。
「え、用ってな〜に」ライラがたずねた。
「おい、こっちに来いよ」と、MAKIはうしろをふり返って言った。すると、若い青年が現れた。「紹介するよ。是永友康くん。二十九歳のドクターだ」
「わお、イケメン!」ギャラクシーの女の子たちが青年を見て声をそろえた。「MAKIさん。この人何者なんですか?」
「それはひっかりんに聞けばわかるよ」MAKIは、ライラを本名のひかりのあだ名で呼ぶ。
「え、ライラちゃん?」と真衣と萌が言いながら、ライラの顔を見た。
そこには、無言で凍りついたライラの姿があった。青年をじっと見つめて、あぜんとしている。すると、是永がライラにむかって言った。「ただいま」
しばらく間があった。すると、ライラの眼から大粒の涙がぽろぽろと流れ落ちた。
「友康くん…」とライラは声をしぼりだした。あふれる涙を止めようともしなかった。
「待たせたね」是永は優しく語りかけた。「つらかっただろ。やっと君に会えた。僕もこの日をずっと待ち続けていたよ」と言って、是永はライラの肩を抱きよせた。
「いつ帰ってきたの?」とライラがたずねた。
「ついさっきだよ。成田にMAKIさんがむかえにきてくれた」
「あたし…」その後は言葉にならなかった。涙が止まらない。
「わかってる。四年間待っててくれてありがとう。心から感謝してる」是永は言った。「愛してるよ」
MAKIがその光景を見て、感慨深げにうなずいていた。
〈ギャラクシーエンジェルズ〉と〈ピーチ〉の女の子たちは、口を閉じて静まりかえっていた。やがて真衣が口をひらいた。
「MAKIさん、これどういうこと?」
「そうよそうよ、聞いてないですよ」萌も声をあげた。
「まあまあ、落ちついて」とMAKIは二人をなだめた。「見ればわかるだろ」
「え?」真衣と萌は、二人とも首をかしげている。
「彼はライラのフィアンセなんだよ」
「え〜っ!」「え〜っ!」
その後、ライラをのぞく七人は、抱きあう二人をずっと見続けていた。それは、限りなく美しい光景だった。
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