第7話ふたつの場所で

東京・渋谷は、誰もが知るファッションと若者文化の街。そして、渋谷駅を中心にのびる文化村通り、公園通り、センター街、道玄坂などには、数多くの娯楽スポットがひしめいている。

渋谷の街には、夜十二時をすぎても遊びたりない若者たちが、始発の時間まで騒いでいる姿をよく見かける。そんな彼らが朝まですごすのは、居酒屋、カラオケ、そしてクラブだ。

渋谷には大きなクラブがいくつもある。とくに道玄坂周辺は、音にうるさいクラブマニアに人気の、メジャーな「ハコ」が集中するエリアである。

なかでも人気なのが、日本一の集客力をほこる超有名店の〈タイタン〉だ。道玄坂上の円山町にあるこのクラブには、平日でも千人以上の若者があつまってくる。

〈タイタン〉には、三つのダンスフロアとVIP席がある。今夜も平日にかかわらず、店内はクラブ好きの「パリピ」、つまりパーティーピープルの男女でうめつくされていた。

VIP席は、稼ぎのいい経営者や有名人、クラブ関係者が、高い料金を払ってぜいたくなクラブ遊びにふける特別席である。

そのひとつに、髪をブロンドに染めた遊び人風の男性と、陽に焼けた肌がめだつモデルの女性がいた。彼らの前のテーブルには、シャンパンが氷のつまったバケットに冷やしてあった。

男の名は加賀美誠(かがみまこと)。美容師でヘアサロンの経営者だ。仲間うちではセイヤと呼ばれている。

女性のほうは、インスタグラムのフォロワー数二十万人以上、いま売出し中のギャルモデル、橘(たちばな)ちなみ。友だちやファンから "ちなみん"の愛称で親しまれている。

「ねえ、こんどの新しいマンションはどうよ。住みごこちはいい?」セイヤはVIP席のソファーに背をあずけて、テキーラショットをあおりながらたずねた。

「うん。すっごく気にいってる」ちなみが可愛いらしい笑顔で答えた。「あたし、打ちっぱなしの壁の部屋に住みたかったの。キッチンもイタリア製できれいだよ」

「広さはどのくらいなの」

「六十五平方メートルくらいじゃないかな。不動産屋さんがそう言ってた」

「けっこう広いじゃんか。間取りは?」

「1LDK。リビングが広いから、ベッドはクイーンサイズを買ったよ。ほかのインテリアは〈ユナッテッドデイズ〉でそろえたの」

「あいかわらずおしゃれだね〜。モデルさんはセンスがちがうよな」セイヤはちなみをやたらにほめて、テキーラのおかわりを口に運んだ。

「ちょっとセイヤ君、ペースがはやくない?若いうちから酒びたりになると、年とってから脳梗塞になるってテレビで言ってたよ」と、ちなみが心配そうに彼をたしなめた。

「おいおい、俺をオヤジあつかいするなよ。だいたい、この程度じゃ酔っぱらいもしないぜ」セイヤはテキーラのボトルをつかんで、立ちあがって踊る。

「セイヤ君て、典型的なパリピだよね。チャラくて、酒好きで、若い女の子追っかけて」ちなみはセイヤの顔を見あげて、指で彼の足をつついた。

「そのとおり。俺はチャラい。パリピさいこ〜。酒と女がなくては、俺は生きていけない!」

「だめだわこの人。大人のくせに自覚なさすぎる」


セイヤとちなみは、仕事が終わった平日の夜、クラブに遊びにきていた。

〈タイタン〉の看板DJレイカの仲間であるセイヤは、ちなみのモデル友だち四人と、VIP席で酒を飲んでいるところだった。

バケットには、氷の中で冷やしたシャンパンが五本入れてある。モデルのひとりが誕生日なので、小さな花火の飾りつけをした、高級シャンパンの〈ドンペリニョン〉が出されていた。女の子の誕生日らしく、華やかなバースデーケーキも置いてある。

「ちなみん、おはこんばんち〜!」

金髪の美人、ゴーゴーダンサーの『ライラ』がテーブルにやってきた。ダンサーユニット〈ピーチ〉のライブステージをおえたライラは、衣装のビキニから、ブラトップと短パンに着がえていた。

〈ピーチ〉は、ライラがひきいるゴーゴーダンサーチームだ。三年前のデビューから大人気となり、一気にスターダムにのぼりつめた。メンバーは、もと〈ギャラクシーエンジェルズ〉の美弥(みや)、コロンビア人のマリア、そしてライラの三人である。

〈ギャラクシーエンジェルズ〉は日本一のゴーゴーダンサーグループで、クラブ好きの若者たちに絶大な人気がある美女軍団だ。たまにライラたちのバックダンサーもつとめるが、本来は海外や国内のEDMフェスティバルにも出演する、超ビッグネームのダンサー集団である。

「ライラちゃん、おつかれ〜」ちなみは笑顔で手をふった。「美弥ちゃんとマリアちゃんは?」

「スタッフルームでシャワー浴びてるよん」とライラは言って、テーブルのケーキを見た。「だれか誕生日なの?」

「うん。まにゃちゃんだよ。あたしの親友」と言って、ちなみはモデルの女の子を紹介した。

「はじめまして、ライラさん」明るいブロンドの髪の、ちなみと同じく陽に焼けた顔のモデルがあいさつした。

「お初!まにゃちゃんお誕生日おめでと〜」と言ってライラは席にすわった。

「ライラ、今日の出番は一回だけ?」テキーラを飲んでいたセイヤがたずねた。「レイカさんの曲で踊らないのか」

「そうなの。今月は〈タイタン〉とは四日間の契約で、いつもは二ステージなの。でも、今日は追加ステージだから、出演は一回だけ。ほんとはレイカさんの曲で踊りたいんだけどね」ライラは金色の髪を手でかきあげながら、タバコに火をつけた。「あれ、今日は健二くんいないの」

「来てないよ。あいつ最近つきあいが悪いんだよ」セイヤはこたえた。

「健二くんは仕事がいそがしいの!」と、ちなみが強めの口調で言った。

「わかった、わかった。おまえは健二のことになるとすぐムキになるからな」セイヤはちなみの肩をぽんぽんとたたいて、ご機嫌をとった。「でもさ、あいつたしかにここんところ、いつもと様子がちがうんだよな」とセイヤは言った。「女にモテモテの健二なのにな。まあ、硬派なあいつは、もともと俺とちがってチャラくはないけどな」

「セイヤくんが軽すぎるんだよ、あはは!」とライラがからかう。

「健二くんいないとつまんないなあ〜」ちなみはさびしそうに言った。

「まあ、そう言わずに飲もうぜ」

「そうそう。乾杯だよ」ライラがシャンパンを注いだグラスをかかげて言う。「まにゃちゃんお誕生日おめでと〜!」

「かんぱ〜い!」

「かんぱ〜い!」



翌日の午前十時ころ。

ここは杉並区高円寺駅前の〈パル商店街〉。

杉本晴夫は、親友である田中ことみの実家をおとずれていた。晴夫はことみと約束していた、バーチャルユーチューバー『ユメノココロ』のライブチケットを届けにきたのだ。

「こんにちは!」晴夫は美容室〈フローラ〉のドアをあけた。

「あら、杉本くん。いらっしゃい」ことみの母のキヨが、客のシャンプーをしながら顔をむけた。「ことみなら二階にいるわよ。どうぞあがって」

「はい」年配の女性たちにぺこぺこと頭を下げて、晴夫は店内を横ぎっていく。「すみません、どうも」

ヒノキづくりの階段をあがって、二階の廊下に出ると、ことみの部屋のドアをたたいた。

「メダカ。俺だよ、晴夫。入っていいか!」

「あっ、ちょい待ち」部屋の中からことみが答えた。「いま着がえるから待っててね」ガサゴソと音がする。晴夫は、ことみが着がえおわるのを待った。

「オッケー、いいよ」と、ことみ。

晴夫はドアをあけて、親友の部屋にはいった。

「あれ。おまえ、なんかいつもとちがう雰囲気だな」晴夫はことみの服をみて言った。「そうだな…。やけに女の子っぽいというか。っておい、化粧もしてるのか?」

「え、そんなことないよ」ことみは、自分の顔を両手でかくしてごまかした。

「そっか」と言いながら、晴夫はふと思った。あのカフェのイケメン。妙に色気づいたメダカの変化。もしかして…「おまえ、彼氏でもできたのか」

「あんた、いきなりなに言ってんの!」ことみはかん高い声で言った。「そんなもん、いるわけないわよ。あたしのこと、あんたがいちばんよく知ってるでしょうが」

「まあ、そうだよな。おまえみたいなゲームオタに彼氏なんかできるわけないか」

「それも失礼しちゃうわね」晴夫の頭をひっぱたいて、ことみは口をとがらせた。

「痛てえな〜。女らしさのかけらもないんだからな、まったく」晴夫は頭をかきながら、Gパンのポケットをさぐった。「それより、ココロちゃんのライブのチケットもってきたぞ。ほら」

「あっ、ありがとう!うれしい〜」ことみはチケットを受けとった。「八千円でよかったよね」

「いや、これうちのお客さんからもらったんでタダ。だから金はいいよ」と言いながら、晴夫はテーブルの上の雑誌にふと目をやった。

「あ、そうなの。ラッキー。ありがとね」とことみは言って、チケットをうれしそうにファイルケースにしまった。

「なんだこれ」晴夫は雑誌を手にとった。「渋谷、表参道、青山。モテファッション。先取りメイク…」

「あっ、なんでもない!」と言って、ことみは晴夫の手から雑誌をひったくると、背中に隠した。

「おい、なんだよ。そんなにあわてて。あやしいぞ。見せろよ」

「なんでもないったら!」とことみは言って、雑誌を棚の引きだしにしまった。

「おまえ、今日なんだか様子が変だぞ」と言って、晴夫はことみの顔をのぞきこんだ。「めずらしく化粧なんかしてるし、そんな女性のファッション雑誌とか。なんかあったのか」

「だから、なんでもないってば。しつこい男はきらわれるわよ」ということみの目が泳いでいる。

「まあ心配するな。女の事情に深入りはしないから、えへへ」晴夫はニヤけて言った。「でも、なにかあったら俺に言えよ。親友なんだから、隠しごとはなしだぞ」

「うん、わかってるよ」

ことみの返事をきいて、晴夫は不可解な思いをかくせなかった。やっぱりあのことが気になる。あきらかに俺に言えない秘密があるな。まっ、いいか。メダカだって女の子だし。男の俺には言えないこともあるよな。ていうか、それよりココロちゃんのライブ楽しみだなあ〜。

その後、ことみと晴夫は、バーチャルアイドル『ユメノココロ』のライブの話でもりあがっていた。

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