第6話お茶をしましょう


高城とことみは、CDショップのある〈パル商店街〉を通って、二人で高円寺駅前まで歩いていった。

あたりには、仕事帰りのサラリーマンやOLの姿がめだっていた。夕食の買い物にいそがしい主婦が多く、食品でいっぱいになったスーパーの袋をかかえている。日没を前にして、駅前の風景はあわただしい様子をみせていた。

「人が多いね。こっちならいい店があるかも」と高城は言って、静かな路地に入っていった。ことみは彼にみちびかれるまま、子供のようにトコトコとあとをついていった。

高円寺には個性的なカフェが多い。けっしておしゃれな街とはいいきれないこの街が若い女性に人気があるのは、それが理由のひとつなのだ。

少し歩くと、現代アート風の色彩豊かな外観が目立つ、小さな店がみえてきた。センスのいいおしゃれ通がいう、いわゆる「隠れ家カフェ」である。

〈ドニーズマム〉と書かれた看板が店頭に立てかけてある。黄色く塗られた入口の扉の横には、ガーベラやヒヤシンスが小さな植えこみに花をさかせていた。

高城は扉のまえに立ち、ぶらさがったメニューをみた。「ここにしよう、ことみさん」と言って、彼は扉をあけて彼女を先にとおした。

「あ、すみません」ことみは頭をぺこりと下げて、カフェの入口をくぐった。

店内は、仕事帰りの若い女性客でにぎわっていた。路地裏の隠れ家カフェということで、ほとんどがおしゃれに敏感な二十代の女性や女子大生ばかり。

高城は店の奥の席をみつけると、そちらへ進んでいく。

"うわ、めっちゃイケメン"

"かっこいい、マジやばくない"

まわりの女性客が、高城をみてささやいている。ルックスのよさが半端ではない彼は、こういう女子の反応になれているので、無視して奥へむかった。

そんな女子たちの視線をあびながら、ことみは顔をうつむけて高城についていった。場ちがいな自分がはずかしく思えて、肩身がせまかった。

"え、なにあの子。あのイケメンの連れなの "

"まさか彼女じゃないわよね"

"そんなわけないじゃん。あのかっこみてよ、ちょーダサい"

ことみには、女たちがヒソヒソとささやく声がきこえていた。こんな店にはじめて来たうえに、センスのいいファッションに身をつつんだ女性客たちのさげすむような視線にたえられず、すっかり萎縮してしまった。

高城は窓ぎわのテーブルをえらぶと、「さあ、すわって」と言って椅子を引いてくれた。ことみは彼の紳士的なしぐさに照れつつ、席に腰かけた。

テーブルはアンティーク調の一枚板でできており、目にもあざやかなターコイズブルーに塗られている。わあきれいだな〜と、見たこともない美しい家具に、ことみは目を輝かせた。

「さて、なにを飲もうか」と高城は言って、ことみといっしょにメニューをみた。

そこには、見なれない文字がずらずらとならんでいた。

〈カフェミスト〉

〈コールドブリューコーヒー〉

〈バニラフラペチーノ〉

〈キャラメルスチーマー〉

なにこれ。あたしはアメリカンとカフェオレしか飲んだことない。ふつうのコーヒーはないの。そもそもこれってコーヒー?

見たこともないメニューを目のまえにしたことみは、ここに来たことを早くも後悔しはじめた。カフェに行こうって誘われた時点で、めっちゃいやな予感したのよね。だからリア充は嫌いなのに、なんでついてきたんだろ。

「う〜ん、どれにしようかなあ」と高城は言って、メニューを指でたどっていく。「ことみさんはどれにする?」

どうもこうも、意味がわからないのに決めようがない。分厚いメガネをとおして、ことみは目をひんむいてメニューをながめた。写真からコーヒーの味を想像したが、むだな抵抗だった。わからないものはわからない。

「悩むよね。じゃあ僕がきめてあげる」と言って高城は店員を呼んだ。「すみません!」

女性のスタッフが近づいてきた。

「バニラフラペチーノを二つお願いします」

「承知しました。少々お待ちください」と言って店員はさがっていった。


コーヒーを待っていると、携帯の着信音が鳴った。高城のスマホに電話がはいったようだ。彼が画面をみると、経営しているショップのスタッフからだった。

「ごめん、ちょっと失礼するね」と言って彼は席を立った。店内を横切って、レジ奥のトイレの手前のスペースで電話に出た。

「もしもし。ああ、美波くんか」と高城は言った。「三日後の新商品パーティのデコレーション?ああ、それは君にまかせるよ」少し間をおいて「いや、君のセンスを信用してるから。僕に遠慮しないで好きなようにやって。あ、それから…」

高城が電話をしに席を立って、ひとりでテーブルについていたことみは、わびしげに窓の外をながめていた。

あたし、こんなところでなにしてるんだろ。世の中の女性たちから視線をあつめる超イケメンと、いかにもおしゃれなカフェで。これって、もしかしてデートなのかな…いや、そんなのじゃない。ただ偶然に会って、仕事手伝ってもらって、無理やりあいつにつれてこられて。たんなる不可抗力よ。事故みたいなもの。

でも、なぜか胸の鼓動があおって、身体がふわふわしてる。なんだろうこの感覚は。こんな気持ちはじめてだけど、うまく理解できないし、頭が追いつかない。


「え、あれメダカだよな?」 

カフェ〈ドニーズマム〉の通りむかいで足をとめた杉本晴夫は、黄色い扉の店の窓にうつった人影に目をうばわれていた。

自宅のマンションから近くのスーパーに買い物にいく途中、いつも通る路地を歩いていたときに、なにげなく目にとまったのだ。

晴夫は目を疑った。まさか、メダカがこんな店にいるはずがない。これってカフェだろ。目の錯覚じゃないだろうか。まわりのネオンがガラスに反射するので、横に移動して窓を見なおした。まちがいない。あれはメダカだ。あいつ、こんなところでなにしてるんだ?晴夫は店に近づいてみようと思ったが、なぜかそれがいけない行為のような気がした。

いつも遠慮いらずの仲で気がねしない二人だったが、そのカフェにいることみが、なぜか遠い存在に思えた。

知ってはいけない秘密。それでも知りたかった。なぜあいつがここにいるのか。晴夫は自動販売機の陰にかくれて、じっとたたずんでいた。俺が知らないメダカのことをつきとめたい。うしろめたい気持ちより好奇心がまさった。


「やあ、待たせてごめん」高城が電話をおえて席にもどってきた。「会社のスタッフから連絡があってね。せっかくことみさんとお茶してるのに、じゃましないでくれよ、まったく」

「高城さんて、どんなお仕事をしてるんですか?」ことみはイケメンの実態が見当もつかないので、ちょっとだけ気になってたずねてみた。

「うん、ファッションデザイナーだよ」と彼は答えた。「女性むけの洋服をデザインして、表参道でショップをひらいてるんだ」

デザイナー、表参道、ショップ。あたしには縁のない言葉ばっかり。ていうか、このイケメンどんだけメジャー感押しだせば気がすむのよ。顔がいい。頭がいい。仕事ができる。そして、優しい。完璧だ。できすぎてる。ありえない。ドラマの中か。世の中不公平だ。

あたしは平凡を絵に描いたようなつまらない女。いや、女らしさのかけらもないからそれ以下だ。もう、いや!こいつといると、劣等感という名の理不尽なOSが格差システムを起動させるのよ。あたしには、自分をバージョンアップする機能なんてない。せめて…

「ことみさん、ことみさん?」

イケメンが顔をかしげて、こちらをのぞき込んでいる。「なにか心配ごとでも?」

おっと、いけない。ハイスペックな仕様に目がくらんでしまった。負けるなあたし。

「あ、いえ、なんでもありません」

「そっか。それより、ことみさんて洋服はいつもどこで買ってるの。渋谷とか、原宿とか。好きなブランドはあるのかな。ピンクが好きみたいだけど」高城が無邪気な顔でたずねてきた。

だが、ことみにはその質問が残酷なタブーであることを、彼は知るはずもない。

服は、いつも駅前の安売り店〈ふじや〉で買っている。好きなピンク色なら、デザインなんて考えない。

" お姉ちゃん、なにそのダサい格好。小学生じゃあるまいし、ちょっとは大人のコーデ考えてよね " なんて妹に言われても気にしない。服なんか着られればいいじゃん。「カワイイ」とか「トレンド」とか意味わからない。

それなのに、そんなあたしの日常に、この人はズカズカ入りこんでくる。ほんっと、デリカシーのない男!

ことみは最大のウィークポイントを、高城のせいにしてごまかした。論点のすりかえとは、まさしくこのことだ。世の中からズレた発想が、いかにもゲームオタクの引きこもりらしくて笑える。

「いえいえ。あたしは高円寺が好きなので、地元で。ブランドはあまり興味がないんです」と、わざとらしく言いつくろった。この場をうまくしのいだつもりだったが、ことみのウソはほぼ小学生レベルである。相手が信じるとはとても思えない。

と、そのとき、ちょうどいいタイミングで店員がやってきた。

「お待たせしました。バニラフラペチーノでございます」店員が二人ぶんのコーヒーを、トレイからテーブルに置いた。

助かったあ〜。これで話題が変わる。ことみはとりあえずピンチを脱した、かにみえた。

「そうだ。こんど僕のショップに招待するよ」高城が言った。「ことみさんの服をえらんであげる。君ってとても不思議な魅力があるから、僕がデザインした服を着てほしいんだ。可愛いと思うよ」

「え、そ、それはちょっと…」高城のとつぜんの提案に、ことみはたじろいだ。どう反応していいかまるで見当もつかなくて、あせった。冷や汗が出てきた。「え〜っと、う〜んと。あ、あたしなんかじゃ、あなたに迷惑がかかりますから。遠慮したほうがいいかと…」

「迷惑だなんて、なにを言ってるんだよ。僕のデザインのコンセプトは、女性のかくれた美しさをひき出すことなんだ。自分の腕がどのくらい確かなのか、ことみさんに協力してほしいな」高城はすっかりその気になって、ぐいぐい押してくる。

ことみはそのいきおいに息苦しささえ感じていた。なんと答えていいのかさっぱりわからなくて、言葉が出てこない。

「つぎのアルバイトのお休みはいつ?」と彼はたずねた。

「はあ。土曜日ですけど」

「じゃあ、その日は空けておいて。うちのショップにきてよ。ついでに食事でもしよう」

強引だ。とにかく強引だ。この人はあたしの都合も考えない。いったいなにを考えているんだろう。

とはいうものの、なぜか悪い気はしなかった。男の人に誘われたという事実が、驚きをとおりこして、すごく新鮮だった。だから、ことみはこう答えた。

「う〜ん…はい、わかりました」

「ラインにショップの地図を送っておくよ。ほんとは迎えにいきたいんだけれど、いま新商品の発表がせまってていそがしいから。ごめんね」とあやまる高城のようすが、これまたにくいほど魅力的だ。

「いえ、とんでもないです」とことみは手をふって言った。「おじゃまでなければ、うかがわせていただきます」

「おっ、そうかい。うれしいなあ!」高城は、無邪気に笑いながら言った。「うちのスタッフにも紹介するよ。楽しみにしてるからね。さ、飲もう」

二人はそれから一時間、フラペチーノを飲み、パスタとケーキをたのんで夕方の時間をすごしていた。


「おい、誰だよあのイケメンは?」

自動販売機の陰から、晴夫は自分のみている光景を信じられない思いでみつめていた。

ことみがおしゃれなカフェにいることだけでも不可解だったのに、そこに超ハイスペックな長身の美男子があらわれたので、すっかり度肝をぬかれてしまっていた。

そうだ、これは証拠写真をとっておかなくては。晴夫はスマホをとりだすと、その店の窓にうつるメダカとイケメンを撮影しようとした。

いや、待て。証拠ってなんだ。犯罪でもあるまいし。やめておこう。きっとなにかの事情があるんだろう。駅前で悪いスカウトにでもつかまったのか。詐欺の勧誘か。あいつのことだから、ことわれなくて困っているんじゃないだろうな。でも見た感じ、そういう危ない雰囲気でもないな。大人なんだからそこまで心配することもないか。

晴夫はスマホをしまうと、その場を立ち去って駅前にむかった。




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