第5話芽生える気持ち
「あれ、君って…」
イケメンは自分の顔をぐっと近づけると、ことみの顔を観察でもするようにじっとみつめた。
「可愛い眼をしてるね」
ことみは言葉をうしなって、その場に立ちすくんだ。一瞬で身体が熱くなって、顔がほてってきた。
いまなんて…可愛い眼?この人なに言ってるの。ほんとイカれてる。どうせこんなことして、いつも女をくどいているんでしょ。バカみたいなイケメンめ。だまされないわよ。
リア充男にふりまわされてたまるかと、ことみは全力で抵抗する。でも、それは頭のなかだけの話。じっさいには身体が熱くて、心臓が破裂しそうだった。いままで経験したことのない胸苦しさを感じる。
これってもしかして…いやいや、ぜったいありえない。こいつはリア充なんだし、あたしの敵じゃないのよ。あ〜もうなにやってるの。しっかりしなさいよ。
ことみは予想外の展開に答えをだそうと、ひとりでジタバタしていた。だが、高城はそれを気にせずに話をつづけた。
「思うんだけれどね。ことみさんは、眼鏡はやめてコンタクトにしたほうがいいよ」と彼は言った。「せっかくそんなにきれいな眼なんだから、眼鏡でかくすなんてもったいないよ」
イケメンにほめちぎられて、ただでさえ緊張していたことみの身体が、カチンコチンに硬直してしまった。人生で外見を良く言われたことなど一度もないので、どう反応していいかわからない。
「ところでその書類だけど、ずいぶん分厚いね。CDショップの仕事なの?」と高城はたずねた。
なんでそんなこと聞くのよ。あんたに関係ないでしょ。イケメンがなれなれしくしてくるので、ことみはますます混乱してしまった。あ〜もう、なんであたしにつきまとうのよ。
「あの、どうかした?僕がなにか失礼なこと言ったかな」と彼は言った。
「あ、いえ。これから本店で仕入れの作業があるので」と言って、ことみは自分にびっくりした。なぜか言葉がすらすら出てきたからだ。頭のなかでつぶやいているつもりなのに、こうして会話になると、なぜか気にならなかった。
「その分量じゃ、かなり時間かかるんじゃない。大変だな」高城は書類をみてそう言った。「あっ。もしかして、このあいだのパワハラ店長にめんどくさい仕事を押しつけられたんじゃ」
「まあ、そんなところです」
「僕のみたところ、それをかたづけるのに二時間以上はかかるよね。こんな時間なのに残業になっちゃうじゃないか。ことみさんはアルバイトなんでしょ」
イケメンの洞察力の鋭さに、ことみはおどろいた。すべて見ぬいている。
「よし、手伝ってあげる!僕にまかせてくれれば、一時間以内で終わるよ。保証する」
え〜っ、なにわけのわからないこと言ってるの!ことみは心のなかで悲鳴をあげた。よく知りもしないあんたと、なんで一緒に仕事しなくちゃならないのよ。
ところが、口をついて出たのは、そんな思いとは反対の言葉だった。
「あっ、はい。おねがいします。助かります」えっ、あたしなに言ってるの。待ってまって、ちがうちがう。ことみは自分の発言をとり消そうとして、パニックになりかけた。
「オッケー。店はそこの〈エクストラレコード〉でしょ。あれ、こんなところにもう一軒あったんだ」
「ええ、こっちが本店なんです」
「なるほどね。じゃ、行こう」と、高城がことみの背中を押して歩き出す。
「あっ、ちょっと…」
またまた顔がカッと熱くなった。男に身体を触れられるのなんてはじめてだから、無理もない。これはもう、誘拐犯にさらわれた少女のような展開だ。いや、さすがにこの例えはまずいか。
二人でCDショップに入ると、それをめざとく見つけた本店の主任が近づいてきた。
「おお、メダカ。遅いじゃないか」と主任の中年男性が言った。「南口店からさっき電話があって、おまえがくるから仕入れの用意しといてくれって…ん、この人だれ?」と、主任が高城の顔をみて言った。
「あ、あの、この人は…」
「こんにちは。田中さんのバイトの後輩で、高城っていいます」と主任に笑顔で言った。「仕事を手伝うように言われました。よろしくお願いします」
「え?」ことみはイケメンのほうに顔をむけて、あっけにとられた。「ちょ、ちょっと」
「しっ、いいから僕にまかせて」と言って、高城がウインクをしてせる。
「おう、そうか。なら早いところたのむ。入荷数が多いんで手がたりないんだ。がんばって手伝ってくれ」と主任は言って、店の奥を指さした「倉庫に商品があるから、書類とのつき合わせをまちがえないようにな」
「はい、ぜひおまかせください!」高城は自信満々、やる気がみなぎっている。「さあ田中さん、さっそくとりかかりましょう」
「あ、これはあたしの仕事なんで、ご心配なく…」とは言いつつも、イケメンのいきおいにことみは押されてしまった。これってどういう展開なの。この人強引すぎる。
倉庫のなかで、CDがつまった段ボール箱二十個のフタをあけて、二人は作業にとりくんでいた。仕入れ表に記載されたアーティスト名、タイトル、商品番号を照らしあわせながら、CDをコンテナボックスにつめていく。かなりめんどうな仕事だ。
「あの〜ほんとにあたしがやりますんで。あなたは手伝わなくてもけっこうですから」ことみは高城に言った。「こんな下っぱの作業をやってもらうのはもうしわけないし。それに、あなたは店にはなんの関係もないんだから」
「なに言ってるんだい。君も早く帰りたいんだろ。まったく、こんな仕事を押しつけて。男なら自分でやればいいのに」彼はブツブツ言いながら、商品と仕入れ表の参照をものすごい早さでかたづけていく。
その仕事ぶりをみたことみは、作業の手をとめてあっけにとられていた。なにごとにもどん臭い自分とちがって、頭の回転が早く、手ぎわのよい有能ぶりは異次元の技をみる思いだ。
「ほらほら、君も手をとめないでどんどんかたづけないと。一時間以内に終わらせようよ」高城はことみにハッパをかけた。
それから三十分間、高城は集中力を全開にして作業にとりくんだ。
「それにしても、ここは暑いな。エアコンがぜんぜん効いてないのかな」額にしたたる汗を手の甲でぬぐいながら、高城はグチをこぼした。
「ここは倉庫ですから、店内とはちがうんです」とことみは言った。「お客さまが優先なので」と言ったあと、ことみはパンツのポケットからそっとバンダナをとり出した。イケメンはあたしのためにがんばっている。せめて汗でもふいてやらなくちゃ。でもなあ、そんなしおらしいこと無理だよ〜。それに、あたしなんかのお節介はいやがるだろうし。
「ああ、暑い!」と高城はふたたび言った。
彼のげんなりした様子をみたことみは、思いきって勇気を出した。バンダナを彼の顔に近づけ、そろそろと額をふいてあげる。すごい汗だ。
「おっ、ありがとう」高城は作業をつづけながら、笑顔をうかべてことみを見た。「君ってやさしいね。ことみさんは思いやりのある人なんだな」
ことみの顔が、またカッと熱くなった。室温のせいじゃない。彼の笑顔をみると、どうしても心が制御できなくなってしまうのだ。
「どういたしまして。仕事を手伝ってもらっているので当然です」ことみは平然をよそおっているが、正直いって二つのセンテンスを口にするのがせいいっぱいだ。彼の顔いっぱいにふき出た汗を、ていねいにぬぐってあげた。そんな行為に胸がドキドキと高鳴った。
「さあ、あと残り少しだ。さっさとかたづけよう」
えっ。ことみは驚いた。みると、段ボール箱がたった二箱しか残っていないではないか。早い!あたしならまだ半分しか終わってないはず。すごい集中力だ。こんな肉体労働みたいな仕事を押しつけちゃったのに、それさえも嫌がらずにやっている。
ことみは少し彼を見なおした。しゃれた格好をして気どってるへなちょこだと思ってたのに、けっこう男らしいところあるじゃない。ふむふむ。レベル2にランクアップね、と判定をくだした。えらそうだ。目のまえのイケメンにおじけづいているくせに、ツボにはまると上から目線。これがコミュ障ゆえのポンコツさなのか。
とはいえ、汗をぬぐいながら一心に作業をつづけている姿をみていると、なぜか心がはずんだ。
「やっと終わったあ〜!」
CD三百枚以上がコンテナボックスにきっちりと収まった。商品リストにはチェックマークがもれなくついて、空欄に参照用の脚注まで書きこんである。完璧な仕事だ。
「あの、ありがとうございます」ことみは彼にぺこりと頭をさげた。
「いやいや。たまにはこういう身体を動かす仕事も気持ちいいね」高城はTシャツのすそをあおいで、凝った首をポキポキと鳴らした。そして腕時計をみた。「おっ。約束どおり一時間以内で終わったな。やったね、ことみさん!」と言って、右手の手のひらをこちらにむけて上げた。
テンションの高いイケメンをみて、ことみはなぜか元気が出てきた。その明るい性格がうらやましかった。
「ほらっ、ハイタッチ」と高城は言った。
「い、いえ〜い」ことみも右手をあげて、イケメンの手のひらに自分の手をあてた。なんだか気持ちがよかった。
二人は蒸し暑かった倉庫を出ると、主任に報告をすませて本店をあとにした。南口店にもどると、さっそく店長の足立が、ことみをめざとくみつけて近づいてきた。
「おい、ずいぶん早いなメダカ。もうぜんぶ終わったのか」店長は、疑わしそうにことみの顔をのぞきこんだ。「適当に手をぬいたんじゃないだろうな」
「手なんかぬいてませんよ。田中さんはちゃんと仕事やりましたから」
え、なんだ?と思って、店長は目線をあげた。そこには、背の高い男が立ってこちらを見おろしている。誰だ、と思った瞬間、彼は息をのんであえいだ。こ、こいつは…
「また会いましたね」高城は足立にむかってニヤッと笑みをうかべた。「僕が手伝いました。チェックリストを確認してください。手ぬきなんかしてないでしょ」
店長はうろたえつつ、ことみから書類をうけとった。そして、あら探しをしながらリストをながめていく。
「おおっ!」リストは完璧な仕あがりで、入荷後の商品のふりわけや、曲のジャンルごとのまとめ、ポップに必要なアーティスト情報などを別紙にまとめてある。さらに洋楽タイトルを翻訳して、店員の仕分けに役立つキャプションまで書きこんである。
「すごいじゃないか、メダカ。これぜんぶおまえがやったのか?」目をみひらいて店長がたずねた。
「あ、いえ、それは」とことみが言いかけた。
「そうです。すべて彼女がやったんですよ。田中さんは頭がよくて、すごく有能なんです」と高城は言った。
「あ、ああ…よし。今後もこの調子でたのむ。今日はもう帰っていいぞ」店長は納得がいかないのか、首をかしげながら去っていった。
タイムカードを打ったことみは、高城と二人でショップを出た。
夕方五時前。定時より早く帰るのなんて、これがはじめてだった。真夏の西陽が照りつけて、空はまだ明るい。
「今日はありがとうございました」ことみは照れながら、頭をさげて礼を言った。「おかげて助かりました」
「君の役にたててよかった。僕もひまだったから、けっこう楽しかったよ」
「それじゃ、あたしはこのへんで」ことみは背をむけて帰りかけた。
「ちょっと待って!」イケメンが呼びとめた。「もしよかったら、どこかのカフェにでも寄っていかないかい」
「えっ?」
ことみは耳をうたがった。
カフェ、よかったら、寄って、いかない…
もしかして、あたしのこと?まさか、気のせいでしょ。空耳だわ。こんなイケメンがあたしを誘うわけないし。
「いやなのかい?」高城がこちらをのぞきこんでいる。その顔はやけに真剣だった。
「い、いえ。その…ちょっと」ことみは言葉につまった。やっぱり誘ってる。どうしよう。なんて返事すればいいの。あたしのボキャブラリーでは無理。頭がバグっちゃうよ〜。
「なんだ、冷たいなあ」高城は残念そうに言って、すぐにいたずらっぽい表情になる。「あれだけ仕事を手伝ったたのに、ことみさんは帰っちゃうの?礼儀知らずだな。僕におかえしするのが当然だろ。つきあってよ」
「えっ。それは…」さっきまで紳士的な態度だった彼が口調をあらげたので、思わずたじろいでしまった「そ、そんな言いかたしなくても、感謝してますし…」
すると、彼が顔つきをかえて、ニコっと笑った。
「冗談だよ。あはは。よし、決まり。お礼はいいから、僕につきあって」イケメンはそう言って、ことみをつれて歩きだした。
高城のいたずらにふりまわされたことみは、また態度を変えてイケメンに腹をたてた。ふん、なによ。人をからかってさぞかし楽しいでしょうね。くそっ!
そういじけながらも、あらためて目のまえの状況にたちかえる。ていうか、これって人生ではじめてのデート?いや、ちがうでしょ。べつにつき合ってるわけでもないし。あ〜わからない。頭がくらくらする。
ことみは混乱しながら、高城の横にならんでトボトボとついていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます