第4話イケメンまたまた現る
クラブ〈ランスロット〉で夜明かしした週末のあと、月曜日の午後。JR阿佐ヶ谷駅前にあるデザイナーズマンションの自宅で、高城ダニエル健二は今月二日目となる休日をすごしていた。
2LDKの広い室内には、Macbook Airからワイヤレスで飛ばしたEDMの曲が流れている。
高城はキッチンのコーヒーメーカーにマグを置いて、カプチーノをそそいだ。コーヒーを持ってリビングのソファーにすわると、iPhoneを手にとって、翌日におこなわれるアンダーウェアデザイン会議の資料を整理しはじめた。彼は経営者なので、休みの日でも自宅で仕事をこなすことはめずらしくない。
三十分ほどすぎたとき、電話の着信音が鳴った。画面をみると母親からだった。高城はブルートゥースのイヤホンを耳につけて、通話ボタンを押した。
「はい」
「もしもし、健二?」母親の奈津美の、犬が鳴くようなかん高い声がきこえてきた。「最近はどう。元気でやってるの」奈津美はたずねた。「ボストンのお父さんが心配してるのよ。あなたがちっとも連絡くれないからって」
「元気だよ。ビジネスも順調にいってるし、ピンピンしてる」彼は答えた。
「そう。ならいいけど」
「父さんはどうしてる?あいかわらず大学の仕事が忙しいのかい」電話のむこうの奈津美に、高城はきいた。「もういい年だし、あんまり無理しないでって言っといて」
「あら、めずらしいわね。あなたがお父さんのこと気づかうなんて。なにか悪いことでもおきないといいけど」
高城の母、高城奈津美(なつみ)は、現在五十九歳。化粧品業界の超一流企業〈ロイヤルレディ〉の会長の娘で、二十一歳のときに高城の父、幸一郎の妻となった。
奈津美は、お嬢様学校で知られる〈水連(すいれん)女学院〉の出身である。在学中に、米国のオックスフォード大学の教授だった高城幸一郎と、とある研究グループの親睦パーティーで知り合った。その後、彼女の清楚なルックスと知性に感銘をうけた幸一郎からプロポーズされ、奈津美は約束されていた〈ロイヤルレディ〉の役員への道をすてて、主婦の道をえらんだ。まだ学生だった若き彼女の、熱愛のすえのゴールだった。
女学院では、〈ミス水連〉に二度も選ばれた美麗な外見で有名だった。セレブの若者たちからなんども交際の誘いをうけたが、目もくれなかった。彼女は、科学者として研究ひとすじに取りくむ幸一郎の姿にひかれたのである。
結婚後二年で、第一子の「健二」をさずかると、夫とともに渡米。アメリカ北東部のマサチューセッツ州ボストンで暮らすことになった。
健二はアメリカのハイスクールを卒業すると、マサチューセッツ州とはアメリカ大陸の反対側にある、カリフォルニアの大学に入学した。
息子が卒業するまで四年間もはなれて暮らしていた奈津美は、彼の卒業とともに、子供との生活をとりもどすため帰国することを決める。ボストンで生まれ育った長女も含めて、親子三人で日本に帰国することにしたのだ。
夫の幸一郎は、そんな奈津美に深い理解をしめしてくれた。彼自身はボストンにとどまって、家族の日本帰国をみおくった。
高城家は現在、世田谷区内に居をかまえ、奈津美は8LDKの高級住宅に住まっている。総資産は十五億円。〈ロイヤルレディ〉の会長である、父親の分与財産だ。
健二の下には『琴音(ことね)』という名の二十歳の妹がいる。彼女は高校を卒業すると、幼いころから夢みていたバレエのプリマドンナの道をえらんだ。大学へは行かずに、目黒区にあるバレエの名門スクール〈インターナショナル・バレエ・リサーチ=IVR〉に入校した。現在、母親と同居中である。
そして健二は、杉並区の阿佐ヶ谷に、
2LDKのデザイナーズマンションを借りて一人で暮らしている。
健二と奈津美の会話がつづく。
「ところで、あなた恋人はいないの?」と奈津美がたずねた。
「えっ、いきなりなんだよ母さん」と彼はおどろいて言った。
「だって、あなたもういい歳でしょ。結婚相手をみつけて落ちついてもいいころじゃない」と奈津美は言った。三十代をむかえた息子をもつ母親としては、それが心配の種だった。「お父さんはアメリカにいるんだし、あなたが家長になってくれないと…」
「母さん、僕はまだ結婚する気はないよ」と高城はきっぱり答えた。「それに、彼女はいないし、深い仲の女性もいない。今は仕事が生きがいなんだ。家にもどるのはおことわりだよ」
「仕事って、DJとかいう夜のおつとめでしょ。そんなことで将来やっていけるの?もっと堅実な職業には興味ないのかしら。あなたのことが気がかりだわ」奈津美は心配そうに言った。
「いや、だからDJは趣味だよ母さん」と、高城は苦笑いを含んだ声で言う。「僕の本業はファッションデザイナーだって、前にも説明しただろ。最近やっと軌道にのってきたんだ。下着のプロデュースの仕事も入ってきたし、万事順調だよ」
「下着のプロデュースって、あなたそんなお仕事やってるの?」
「母さん、そういう偏見はやめてくれないかな。アンダーウェアの業界は将来有望なんだよ。若い人の間では、下着もりっぱなファッションのひとつだからね」と健二は説明した。
「まあ、あなたがそう言うならしょうがないけど。とにかく人生設計はきちんとやるのよ。お父さんを見習って、悔いのない暮らしにつとめなさい」
「父さんとくらべるのはやめてくれないかな。あの人はカタブツなんだから。僕はもっと自由な人生を歩みたいんだよ。ひとつのことに縛られて生きるのはいやなんだ」心配性の母親に、高城はややうんざりしてきた。奈津美は夫とはなれて暮らしているせいか、長男のことになると、なにかと口うるさいのだ。
「ところで、琴音は元気かい?」彼は話題を変えた。「最近顔をみてないけれど、バレエ学院のほうは順調にいってるのかな。あいつこそ芸術一本やりだから、男と縁がないんじゃないか心配だよ」
「あの子はだいじょうぶ。あなたとちがって一本すじがとおっているから、将来のことは心配はしてないわよ」奈津美は健二のときとはうってかわって、娘のことになると、とたんに機嫌がよくなる。「オルガノワ先生にも気に入られてるし。来年、ロシアのサンクトペテルブルクバレエ団に研究生として招かれるそうよ」
「ええっ、すごいな琴音は。あいつはむかしから優等生だからね。母さんも、将来あいつに面倒みてもらえば安泰だよ。いくら金の心配がなくても、老後は気になるだろ」と言ってクスクスと笑った。
「縁起でもないこと言わないでよ。私はまだ六十にもなっていないのよ。子供に面倒みてもらう歳じゃないわよ、もう」
「あはは、冗談だよ。母さんはじゅうぶん若いしきれいだよ。僕の自慢だもんね」
「あら、うれしいこと言ってくれるわね。若い娘さんにモテモテのあなたにそんなこと言われるなんて、私もまだまだ捨てたもんじゃないかしら。うふふ」奈津美はすっかりご機嫌である。
歳をとって若いころのみずみずしさこそ失ったものの、世の平均的な五十代の女性とくらべれば、とびぬけて若い。高城のルックスの良さは、まちがいなく母親の遺伝だった。
「それじゃあね。おじいさまも孫の顔をみたいだろうから、たまにはうちに帰りなさいよ」
「わかったよ母さん。それじゃまたね」と言って、健二は電話をきった。
「さあて、今日は一日フリーだから、このあとなにをしようかな」電話を終えた高城は、ソファーの上でう〜んと背をそらした。
サウンドクラウドから曲をもう少しダウンロードして、プレイリストに追加しようか。それとも、今年の秋もののジャケットデザインのスケッチでもするか。
いや、今日は休みなんだから仕事に手をつけるのはやめよう。そう決めると、彼はiPhoneのメモアプリを閉じた。
たまには息ぬきに古着屋でもいこうかと思いつき、さっそくスマホで検索をかけてみた。高円寺のユーズドショップ〈ハイランド〉に、ストリートブランドの〈ノイズクラッシュ〉のTシャツが入荷した、という情報が出ている。なるほど、数が少ないから早めにいったほうがいいな。グッチに合うパンツも欲しいし。オッケー、今日はこれで決まり。帰りにタイ料理でも食べていこう。
高城はカプチーノを飲みほして、着がえのためにクローゼットへ歩いていった。
同じころ、となり街の高円寺。田中ことみは、今日もCDショップ〈エクストラレコード〉でアルバイト中だった。
昼勤シフトは、カウンターでの接客がおもな業務だ。ただしコミュ障のことみにとって、レジ仕事は苦手中の苦手。昼勤はプレッシャーの連続で、そのストレスも生半可ではない。
いまも、男性アイドルユニットの新曲アルバムを購入した女子中学生の三人グループが、レジ前でことみの作業を待っている。
「お待たせしました。三枚で3860円になります。CDを袋につめながら、ことみは中学生に値段を告げた。
「ねえねえ、みゆき。Gゾーンの拓也くん、新曲でセンターやるらしいよ!」三人のひとりが言った。
「マジまんじ!拓也、チョーかっけ〜。あたし、インスタのストーリーで毎日アップしてるよ」もうひとりが祈るように両手を組んで、あこがれのまなざしを天にむける。
「あたしは拓也より知念くん!ダンスのキレ、パナいっしょ。TIKTOKでコピーしたからあとで見てよ〜」三人目が会話に加わった。
うるさい。うざったい 。
ことみは、こういう現役臭まる出しな十代の女子が大きらいだ。おなじアイドルでも、バーチャルユーチューバーの『ココロ』ちゃんとは大ちがい。なにがGゾーンよ。リア充の小娘どもが、まったくムカつく。仕事のことを忘れ、ことみは無言で文句をたれた。
「お姉さん早くしてよ」
女子中学生の声に、ことみはわれに返った。
「あ、はい。5000円のおあずかりで、おつりが1120円になります。本日もエクストラレコードをご利用いただき、ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」ことみは十歳以上も年下の相手に深々と頭をさげた。
「どんくさい店員」
中学生たちは捨てゼリフを言いのこして、ドヤドヤと騒ぎながら去っていった。
あ〜いやだいやだ。はやく五時にならないかなあ。いま何時…三時四十五分…って、あがりまでまだ一時間以上あるじゃん!この地獄、たえられないわほんと。
「おいメダカ!」
店長の足立がことみを呼んだ。
「は〜い」
「新作CDの入荷手続きがあるから、おまえ本店にいってきてくれ」店長は書類をわたして言った。
「わかりました。何本くらいなんですか?」ことみはたずねた。
「350本だよ。二時間もあればできるだろ。おまえ仕事のろいから、さっさとすませろよ」
ゲッ!二時間て、五時すぎちゃうじゃん。なんでバイトのあたしに残業させるわけ。冗談じゃないわよ。
「あの〜あたし五時であがりなんですけど」と、ことみは店長に小声でいった。
「なにいってんだ!おまえの定時なんて知るか。言われたとおりにやればいいんだよ、さっさといってこい!」店長は書類を手でバシバシたたいて、ことみに指をつきつけた。
「あ、はい。わかりました」
ブサイク男め。ふざけたこと言いやがって、ゆるさん。バイトだからってバカにして、社員にまかせればいいだろ。ことみは腹を立てたが、口に出して言う勇気はない。しかたなくエプロンをはずし、レジをほかのスタッフにひきついだ。
「今野さん、本店へいくのでカウンターおねがいします」
「はいよ。レジの鍵おいてってね」社員の女性が不機嫌そうに言った。
ことみは書類を手にして、CDショップを出た。
高円寺駅の南口にある〈パル商店街〉を歩き、ことみはJR中央線の改札口をぬけて、北口に出た。
本店の場所は、駅近くの〈中道商店街〉に入ってから、百メートルほどのところである。ことみは途中、自動販売機でウーロン茶を買い、とぼとぼと歩いていた。
「あれ、ことみさん!」
男の声がしたので、ことみはふりむいた。目のまえの古着屋から出てきた男をみて、身体が凍りついた。そこには、数日前に南口店で遭遇した、あのリア充イケメン男が立っていたのだ。
「また会ったね。偶然だな。元気だった?」と、イケメンがさわやかな笑顔をうかべて言った。
「あ、はい…」ことみは言葉につまった。ハンサムリア充がなんでこんなところにいるのよ…
「あ、その書類。仕事の最中かい」と言ってイケメンが指さした。その拍子に、うつむいていたことみの顔に手があたって、眼鏡がはずれて地面に落ちてしまった。
「あっ、ごめん」イケメンはことみの顔をチェックしてケガがないのをたしかめてから、腰をかがめて眼鏡をひろった。「割れなかったかな」そう言いながら、眼鏡の分厚いレンズをしらべている。「ああ、よかった。ヒビもないし、傷つかなかったみたいだ」
彼はパンツのポケットからハンカチをとり出してレンズを拭くと、ことみにわたそうとした。と、そのときだった。
「あれ、君って」と言って、イケメンがことみの顔に自分の顔を近づける。そして彼はこう言った。「すごく可愛い眼をしてるね」
ことみは言葉をうしなって、その場に立ちすくんだ。
高城ダニエルとの、悪夢のような二回目の遭遇。かつて体験したことのない得体の知れぬ感覚に、ことみは思わず身をふるわせていた。
偶然にしては出来すぎている。
これはいったいどういうこと?
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