蓼食う虫と食われる娘

@kuronekoya

2月初旬

 日が落ちるのは早いし寒いし、部活が終わって忘れ物に気がついた私は薄暗い廊下を教室に向かって急いでいた。


 教室には照明が灯っていて、男子の話し声が聞こえてきた。


「蓼食う虫も好き好きって言うけど、お前の女の趣味は変わってるな」


「そうか?」


「そうだよ、だってあの沼越ぬまこしさんだろ」


 何故私の話をしているの? 文化系男子たち!?

 教室に入れないじゃない。


「まあ、美人かそうじゃないかって訊かれたら、そうじゃないって答えるよね」


「ひでぇな、好きって言っておきながら」


「でも、ブスかそうじゃないかって訊かれたら、やっぱりそうじゃないって答えるよね」


「それは……、そうだな」


「ついでにおっぱい大きいかそうじゃないかって訊かれたら、そうじゃないって答えざるを得ないよね」


「ぺったんこでもないけどな」


 大きなお世話だ。


「でさ、あの、笑わないじゃん? 全然」


「だいたい無表情か不機嫌そうだよな」


「うん、中学の頃にさ、部活でさ、二年の夏の大会終わった後に、三年生と一緒にあの娘以外の二年生みんなと一年生も何人も辞めちゃったんだって」


「なんで!?」


「まったり楽しくスポーツしたいか、勝つために全力で努力するか、みたいな意見の対立で、だって」


「詳しいな」


「俺の妹が、その残った方の一年生だったんだよ」


 あ! そうだったのか。確かに名字が同じだし、言われてみると顔が似ていなくもなくもない?


「で、その妹が言うのさ。『普段は厳しい顔してるけど、いいプレイができた時に褒めてくれる笑顔がすごくいいの』って。初心者もいた一年生に教えながら、自分はいつも居残り練習して頑張ってたんだって」


「なるほどな」


「俺は妹と違ってインドア派で図書館のぬしみたいな感じだったんだけど、よく図書室で見かけたんだよ、彼女」


「沼越さんも読書家だった?」


「いや、バスケの教則本とかトレーニング理論の本とか借りて行ってた」


「すげぇな」


「すげぇだろ。俺はあんな何かに一生懸命になるなんて出来そうにないし、感動を通り越して尊敬しちゃったんだよね」


「なるほど」


「クラスも違うし図書室で見かけるくらいしか接点なかったんだけど、そういうのを知って気になるようになっちゃったわけ。でも、結局三年の夏の大会でも二回戦くらいで負けちゃって、高校入ってからも最初はバスケ部入ってなかったからさ、なんかトラウマになってるのかな、とか心配したり、ね」


「ああ、ウチの中学だった女子がすげぇ熱心に勧誘したんだよ。チームは弱かったけど、沼越さんのディフェンスだけはすごかったらしいな」


「そうだったんだ?」


「それでお前はその沼越さんを、尊敬したり心配したりしながら見てるうちに好きになってしまった、と」


「うん、まあ、そういうことかな。……つまりアレだよ。無愛想で人付き合いが苦手な女の子がさ、自分にだけは笑いかけてくれるの。そういうシチュエーションっていいと思わない? って話」


「それはわかる」


「だろ! だろ! でさぁ……」


 ……もう忘れ物は諦めよう。ちょっとここで教室に入っていく勇気はないし、時間も遅い。


 結局その夜はなかなか寝付けなくて、翌朝の朝練には珍しく一番乗り出来なかった。




   🍫☆★☆🍫☆★☆🍫




 昔読んだ漫画には、この日のイベントは第二次大戦直後、進駐軍のバレンタイン少佐がお腹を空かせた子どもたちにチョコレートを分け与えたことに由来すると描いていた。


 それはさておき、部活にはちょっと遅れると伝えておいて、放課後私は図書室に向かった。

 案の定閲覧室にいた彼の肩をつついて、奥の書棚のかげいざなった。


「こないだ教室で、あんたが友だちと私の話をしているの、聞こえちゃったの」


 彼が息を飲む。


「立ち聞きしちゃって、ごめんなさい」


「い、いや、その……」


「それで、今の私は部活も楽しくて忙しくて『お付き合い』らしいことはきっと出来ないんだけど、それでもよければ相談に乗ったり愚痴を聞いたりしてもらえませんか?」


 早口で一気にそう言って、小さな包みを差し出した私は今、上手に笑えているだろうか?



fin.


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