キリマンジャロ

 珈琲の細かい味が分からない。私の舌はこの茶色くてカフェインが入ってる液体をただ「珈琲」と認識している。

 それ以上もそれ以外もない。味覚音痴ではないと思うけれど、私のおおらかな舌ではキリマンジャロのコーヒーもインスタントコーヒーも全て同じものに感じている。往来、細かいことは苦手なのだ。


 私は彼のバレバレな嘘に騙された振りをする。彼の自嘲的に笑う癖をどう取り合えばいいのか、未だに分からないでいる。

 彼の告白で私たちは交際を始めた。

「あの告白は、僕の精一杯の勇気だった」

 告白を受けた数日後、言い訳のように彼は言った。私はいつも遠慮がちな彼が、年相応に感情を表にだしてはにかんだように笑った姿を瞼の裏に焼き付けた。素直に、可愛らしいと思った。忘れたくないと思った。

 今に思えば、あの瞬間がこの恋のピークだったのだろう。


 彼はいつも誠実だ。

 私は彼に対して誠実かどうかは怪しいところだと正直に思う。彼の一番はきっと私なのに、私の一番は彼ではないことを後ろめたく思う。

 きっと彼は私との関係にどこか大きなズレがあることを感じたのだろう。その証拠に、彼はらしくもなく同棲の話を持ち掛けた。一緒にいたい、経済的にも協力しあえる等とそれらしい理由を掲げて。

 その裏にある本当の理由は何なのか、私は彼に問いかけられずにいた。

 それを言ってしまえばきっと、薄氷のように弱く優しい心をもつ彼を傷つけてしまう。

 私から写る彼は「弱者」だ。誰かの庇護を求めている弱い男に写る。瞼を閉じると浮かぶはにかんだように笑う可愛らしい彼は目の前にいない。

 彼は、諦めたのだ。それが何かは分からないが、雰囲気でそれを感じとった時にあの頃の彼は死んでしまったと思った。彼は私の庇護を求めているのだろうか、そんな想像をしたら肩が重くなった。彼の色眼鏡は私を強い女と写しているのだろうか。

「寒いから出たくないな」

 言葉とは裏腹に私は明日のタスクを考える。明日も忙しいから早く休んだ方がいい。気温は関係なく、明日は変わらず来るのだから。

「……雪が止むまでここにいようよ」

 彼のいじらしい言葉に、彼の心を覆う薄氷を割ってしまいたい衝動を抑えるために珈琲を飲んだ。

 最近の私は少しおかしい。

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