三話 懇願
目を覚ましました。
目を覚ますということは、いつもあることで、別に変わったことではありません。しかし何かしらが変でした。
その一つが瞳でした。
たっぷりとした癖のない青藍の長髪、月に照らされた毛先の放つ艶めかしい光、白磁のように白い肌、ピンッとわずかにカーブしながら伸びてゆくまつ毛。その全てが、幼女の瞳を一つの芸術へと昇華させておりました。
眼は、天色とでもいうべき夏のカラッと晴れた空の鮮やかな色で、他ならぬ瞳は、光を捉えて逃さない濃紺よりもさらに濃い青。シミという概念一つさえない、透明よりも透明な曇りなき眼でした。
幼女のものは、ただ美しいばかりではありませんでした。
命を宿していました。
烱々として強く凄すさまじく、おまけに一種底の知れない深い魅力を湛ているので、あの時のようにジッとこちらを見つめられると、私は呆気にとられて眉ひとつ動かせなくなったのです。
この時も、瞳の奥に潜む深淵が、私の意識を捉えて離しませんでした。
「どうかされましたか。」
惚けていた私を現実に連れ戻したのは、背後からの声でした。
吸い込まれそうな瞳から目を背け、私の口は言葉を紡ぎ始めました。
幼女には尋ねるべきことはいくつもあったのです。
何故空から降ってきたのか。君は誰なのか。どこから来たのか。どのように来たののか。何故この場所に降りて来たのか。そして、
何故彼女と意思疎通できるようになったのかを。
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幼女(実際は童女なのですが)が目を覚ます前、つまり私が目を覚まさぬ幼女を抱きかかえている時のことでした。少女は依然として虚ろな目をしており、どこか遠くを見つめておりました。
そんな少女が一言。
「死にたい。」
か細く、しかし芯の通った強い声でした。少女のつぶらな眼は私を捉えており、独り言ではなく私に向けて発せられた言葉であることは明らかでした。
魔術師でもないようでしたので、軽く炎を呼び出し少女を焼きました。柔肌の幼女を荒れ果てた土地に下ろさないでできる攻撃は、魔術だけだったのです。
(冗長であったため割愛。後書きに内容は記載【投稿者】)
初期魔術と雖も、人を焼くには十分なはずで、数分もすれば炭も残りません。
しかし、蓋を開けてみると焼くのは地面だけで、少女は全くの無傷。その後も、冷気、振動、溶解と私の思いつく限りの魔術を少女に向けましたが、全てが無意味。殺すには至らなかったのです。
ちらりと目を見やると、少女は私の魔術をどこか遠いことのように眺めておりました。しかし先ほどの異なり、目の虚ろいが薄れ、わずかではありますが潤んだ光が宿っていました。
少女の思いを裏切るわけにはいかない。当時の私は、本格的に少女を殺す術に思い巡らし、陣を書き始めていました(今から考えると、無意味でしたが)。
しかし(二人にとって幸運なことにも)、気が付いたのです。
何かがおかしい、と。
戦乱に巻き込まれ、何も失わずに助かった後に死にたがるのは何故か。
あの戦乱で何かを失ったのか。
そうであるならば、あの女に死の願望を伝えなかったのは何故か。
そもそも、今まで無口を貫いてきた少女が、此の期に及んで話しかけてきたのは何故か。
沈黙に耐えられなかったのか。
いや、そうだとしても死にたいとは言わないはずだ。
…もしかして。もしかすると。
今初めて、話しかけられたのではない。
今になって聞き取れたのだろうか。
そうだとするならば、聞き取れたのは何故か。
何かが作用したのだろうか。
この世界自体によるものだろうか。いや特に恣意的な影響を受けた様子はない。
そうなると、聞き取れるようになる前と今で何かが変わったのか。
その時突如、思考の海から引き上げられました。
小さな命がもぞもぞと、私の腕の中で動き始めたのです。
幼女へ問いかけることになった顛末は、このようであったと記憶しています。
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「私のせい。」
幼女の答えは極めて簡潔でした。
この幼女はただの幼女ではなく、女神の遣わせた存在で、今しがたこちらの世界に到着したということでした。
私が彼女に触れている間であるならば、この世界に存在するあらゆる生命と意思伝達を測ることが可能。また触れることのできないような状況の際は、彼女自身の声や身振り手振りによって当該対象と意思伝達を測ることができるといった具合でした。
私の最大の関心事項であった、今回の転生の目的を尋ねても、首を傾げてキョトンとするばかりで、何も聞き出せそうにはありませんでした。ただの可愛らしい通訳、というのが彼女の第一印象でした。
少女と幼女は通じるところがあるのか、何やら話していたようです。一方の私は再び思考の渦に取り込まれていました。
魔術行使設定と戦闘知識の維持及び一般常識の導入、そして通訳が揃いました。否、揃ってしまったのです。ここまで約束の履行をする女神が、目的に関してだけ共有を忘れるということはないでしょう。つまり、今回の転生は例外中の例外で、目的のない転生である、という認識が著しく現実味を帯びてきたのです。
今から振り返れば、行動拠点を確保するに始まり、翻訳機能や戦闘能力などに始まる幼女のスペック確認やら、取り残された少女を自宅に返すに至るまで、数え切れないほどやれること・やるべきことはあったはずです。
しかし、私は何もしませんでした。いえ、何もできなかったというのが正しいでしょう。寄る辺を失っていた私は、目の前で母港を失った船のように、右往左往どころか茫然自失するしかなかったのです。
死のうと思ってもどうにも死に切れない。
いっそのこと世界ごと無に帰してしまおうか。
流石の女神も世界が滅んだら、手を出さざるを得まい。
「一つお願いがあるのです。」
そんな物騒なことを考えていると知ってかしらずか、渡りに船が出されました。
願いの内容はさておき、進むべき方向の提示他ならず、救済でした。
当時の私は気づきもしませんでした。しかし、このお願いこそ数ある虚無の一つ。いえ、他ならぬ第一号であったのです。
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後書き
魔術のクラスの分け方は、世界によって様々でありますが、クラス分けするということ自体は例外なく行われています。経験則上、一つの要素のみを帯びた魔術を、転生目録における初等(初めのクラスという意味)に含める場合が多いようです。
また、同じ様に多くの世界で見られるのは、魔術を、火や水など魔術行使による結果に着目して体型立てようとする動きです。学問的に考えれば非常にナンセンスな考え方ですが、メリットも多くあります。特に大きいのは以下の二つでしょう。
一つ目は、扱いを容易にできること。属性による相性を策定することにより、魔術行為者の戦術決定がより容易になります。また魔術に関する理解が一切なかったとしても、属性理論においては、魔術は火魔術・水魔術・風魔術といった決まり切った結果を達成する方法でしかないため、儀式化も可能であり、容易に伝授を行えます。
二つ目は、応用を抑えられること。属性で魔術を制御してしまえば、魔術行使結果の規模を大きくする(例えばより大きい火球を作るとか)ことと、属性の掛け合わせ程度の応用しかできなくなります。稀に無詠唱に関する研究まで応用が進む場合もありますが、大した話ではありません。
属性理論は極めて管理者に優しい理論です。伝授の容易さゆえに、魔術管理ギルドの参加資格をゆるくし、ギルドの監視を行き届かせることもできるほか、スキルポイントによる魔術習得制度といったお手軽システムを作成することができます。また応用を抑えられるため、世界自体のレベルデザインが容易で、異世界転生者の飽きや投げ出しを防ぐことも容易になります。
しかし、属性理論に基づく行使は果たして魔術と言えるのでしょうか。
そもそも前述したように、魔術は、『被造物を貫く理を利用し、行為者の思うままの現象を起こす』行為であります。『使用』ではなく『利用』であり、その背景には行為者自身に魔術への理解を求めている様に思えます。
この認識に立つと概念も変わります。二話で述べたとおり魔術には、①行為者が目的を定義し、②被造物を理に沿って文字や声などを通しアイコンの提示を行い、③現象を起こすという三段階があります(②と③を同一視する学説もありますが、少数説です)。理解しようとする時、つまり研究する時、その対象としてまず上がるのは、このプロセス自体であり、結果ではないはずです。
また、魔術には現象の起こし方にも様々な手段が存在します。一つ燃焼を取ったとしても、物質を振動させるのか(間接的行使)、対象物の発火点を操作するのか(直接的行使)、燃焼を引き起こす魔術生物を作成する(生物的行使)のかなど数多の方法があるのです。強いて魔術を区分するのであるならば、このアプローチの仕方ではないのでしょうか。
つまり、学問的に魔術を見るのであるならば、仮に魔術を区分するとすれば、①現象の起こし方②プロセスの二つの軸で種類分けするのが妥当であり真理だと思うのです(この見解を学問的魔術アプローチと名付けておきます)。
ただし、これはあくまで一個人の意見であり、属性魔術理論を否定するものでありません。さらに包み隠さずにいうのであるならば、物質魔術学とでもいうべき、『魔術行使時における、行使者から理、理から世界の間で行われるやりとりを物質の観点から分析する』、という学問を立ち上げたチュートリング博士の意見に基づいた意見にすぎません。
話は逸れましたが、学問的魔術アプローチに基づいて言えば、この当時の私は、対象物質への直接的行使(概念付与もここに入る)と間接的行使の魔術しか行使できません。それ故、この時においても間接的行使の魔術を実践したのです。
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