二話 邂逅
界境の長い浮遊感が抜けると異世界であった。
時刻は夜。たわわに咲いた小さな藤の花が、大きな房となって、枝をたわませておりました。月明かりと水面に映る街灯に照らされており、まるで夜道を彩る提灯。川の流れに逆らって目をやると、川が二本の川となって伸びており,新緑の森に切り割かれておりました。
女神から与えられた一般常識が教えるには、そこは鴨川デルタと呼ばれる場所でして、その場所を見ながら、心地よくわずかに身体に吹き付ける風に身を任せ、しばし既視感というか寂寥感というか、えも言えないものに包まれ、惚けていた気がします。
私はひとまず、川縁から土手にある階段を上り、大通りに出ました。目的を与えられないまま転送された経験はなくとも、ひとまず落ち着いて現状を確認できる場所が重要なことはわかっていました。人目が少なく、落ち着けて、魔術や剣術その他戦闘能力に関する確認ができるほどの広い場所が必要でした。
西へ向かいました。特に理由があったわけではなく、なんとなく西に向かうべきだと考えたのです。
おそらく、一般常識か私の記憶がそうさせたのでしょう。しかし、そのどちらかだったのかは今になってもわかっておりません。
これまた、植えつけられた常識のせいでしょうか。道を歩くだけで、ふわふわ夢心地のような、なんとも言えない感覚を覚えました。浮遊感に耐えながら、しばし歩くと、奥まで続く壁に遭遇しました。それには瓦葺の屋根が載せられており、その屋根も道の果てまで続いておりました。
跳ね返しも意味を込めての屋根かとも考えましたが、門は不用心にも開いており、門番らしき人すら見当たりませんでした。まこと不可思議でした。
門をくぐると、綺麗に整備された林とそれを分断して引かれた砂利の道に出迎えられました。その先を見通すと、さらに壁が見て取れました。二つ目の壁の前には溝が張り巡らされておりました。ここは屋敷の庭だったのです。
またどうやら往来の激しい庭らしく、車の轍がくっきりと残っておりました。この世界もどうやら車輪を用いて移動する様だと、なんとなしに感心した覚えがあります。もっとも大通りの塗装を見た際に、うっすらと勘付いてはいましたが。
しばらく歩くと、少し広い場所に出て、木製の三人くらい座れそうな椅子が丁寧にも用意されていました。ちょうど昼に木陰に入る様な場所にあり、もし昼だったらうたた寝でもしたかもしれません。
椅子に座ってまず始めたことは、魔術の確認で、これはいつもの決め事でした。魔術が使えなければ人払いもできず、何をするにも人目を避ける生活を余儀なくされるのです。
(冗長であったため割愛。後書きに内容は記載【投稿者】)
ここであえて危険を取り公共接続を図りました。当時の私にとっては不幸なことに、索敵された様子もなく、ほどなく前世界の方式で魔術の行使を確認できました。女神は嘘をついていたわけではなかった様です。
魔術が行使できるとなればこちらのもので、人払いを済ませた後は簡単な現状の確認に入りました。
場所は、ユーラシア大陸という最大の大陸の東に浮かぶ日本という島国、具体的には京都府京都市、気温からして季節は春、通貨は円で、戦争状態にはない、民主主義で、魔術が当たり前に使われている、そしてなぜか話しかける時間により話しかけ方を変えなければならない、と言ったぐらいでした。
内容よりも驚いたのが、一般常識のインプットのされ方でした。国や政治制度といったものや世界全体の歴史といったものが、さながら講義で身につけたかの様に記憶されており、知識ではなく経験、少し踏み込むなら思い出として頭の中に入っていおりました。
行ったはずのない学校で、着たはずのない制服を身をまとい、笑顔で過ごす自分。常識を引き出そうとするたび、物心つく前に撮影された映像を見させられる、そんな体験をさせられました。
今になって思うのですが、これは見覚えのない景色に不思議な既視感を覚えた一つの理由だったのでしょう。
ここまでを見ると、いくつかの疑問点はあるものの、実に冷静沈着で、滑り出しもまさしく順風満帆と言った具合です。さぞや達成感に満ちた生気溢れた顔をしていたかの様ですが、事実そうではありませんでした。理由はいくつかあったのですが、最も大きいのは目的も命令も本当に存在しないということでした。
目的地がなければ、いくら良い風を帆に受けても進むことはできず、難破してしまうことでしょう。ここまで立ち往生せず進んで来れたのは、まさしく、いつ目的と命令を受けても大丈夫な様にするという、身体に染み付いた癖によるものであり、目的のための行動であったのです。
「付け加えてなのですが、今回の事象には、目的も任務もありません。」
確か女神はこの様なことを言いましたが、何かの聞き間違いであろう。聞き間違いではないのならば、命令はあるということの裏返しである。そんな風にある意味自分を騙していた私も、私の懐に忍ばされていた証明書を見て、逃避を諦めざるを得ませんでした。命令どころか、いつも欠かさず記されている、女神との接続パスすら書いてなかったのです。足元が崩れる思いとはあのことでした。
死のうと思いました。
空虚で無残な物語を描くぐらいなら、自らの幕を落とすべきなのだ。魔術行使もできるなら、自らに打ち込めばそれでおさらばだ。
これは一つの正解だと思えましたが、どうも死ねませんでした。身体は精神に隷属するとは嘘だったのでしょうか。
今の私にはわかりますが、空虚な転生により意味を失い、生きる意味も、あえて死ぬ意味もなかったのです。私の前には、生きるか死ぬかは問題ではなかったのです。
考えてみればわかることですが、当時の私には気づきようもないことでした。
進むも退くも終わるも不能。まさしく途方にくれるという有り様でした。
悲鳴が木霊したのはその時です。
押しつぶされ、思わず滲み出た甲高い少女の様な声でした。
聞いた途端に私の身体は悲鳴の元へ動き出していました。
行動には理由が付き物で、それを語ることで初めて過去を語る行為になるのでしょう。しかし、この時の私には理由などなかったのではないかと思うのです。
死に場所を求めたといえば納得してくれるでしょうか。はたまた、いい人になろうとしたのかもしれません。それか、救った人に今晩の宿くらい提供してもらえるだろうと打算的に考えたのかも知れません。それとも、これが二度しかない、彼女との声を介した意思疎通の一度であったと理性を超えた何かにより理解していたのかもしれません。
いくつもの理由は語ることはできます。しかし今回に限っては、その全ては言い訳に他なりません。一つ確かなのは声の主を救いに行ったということだけです。
まあ、それも徒労だったわけですが。
結論から言うと、私の行動は全くの無駄でした。
拍子抜けするほど徒労であり、無意味よりもさらに徒労であり、どう考えても徒労でした。
まず初めに言うべきこととして、そこには二人の人間が生存していました。
一つの存在は、上下黒一色で、肩で切りそろえた黒髪に、いぶし銀に光る剣を持ち、少女と私を同時に視野に収められる位置に構える女性。
もう一つの存在は、上は白、下は紺のスカートであり、同じく黒だが長髪、黒い襟巻きに臙脂色のリボンを肩につけ、突風でよろけ、倒れてしまったかのような姿勢で、虚ろに目だけこちらを向け私を見つめる少女。
親子とも姉妹とも形容しがたい二人でありました。
そんな二人がいたのは、巨大な力でずたずたに引き裂かれた場所でした。
隕石によって生じたようなクレーターとおびただしい数の爪痕が地面に残され、森に響いた爆撃によるものなのか、辺りの木々は焦げ付き、所々煙を出して燻っており、さながら大空襲後のビルの跡地でした。
少女の肩越しに見える地面に咲いた真っ赤な花、それがやけに目につきました。
咲きこぼれんばかりの花であり、少女たちを襲ったものとみられる獣の足や目玉を種子のように周囲に飛び散らせていました。花の上に刻まれた生々しい傷跡は少女の目と鼻の先にまで伸びていました。まるで若さを吸い取り少女から蔓をのばし、瑞々しくパッと咲くという一枚絵のような構図であり、やけに頭にこびりつきました。
二人の表情、外見、そして現場の状況全てが、そこで死闘が行われたことを物語っていました。
そう、死闘は既に終わっていたのです。
言うまでもなく、二人にとって、望まれざる来訪者だったのでした。
自由意志なんて持つもんじゃない。
悪のいない正義の味方とは滑稽で済むのは幸運な方で、大方の場合は脅威と認定されるものです。その認定を覆すには信頼醸成という努力が求められ、必要量は並大抵なものではないでしょう。
恥を塗り重ねる事態に慌てた私は、意味やら外聞やらを投げ捨ててまさしく必死の努力を重ねました。しかし、意思疎通ができないというのは難儀なもので、あらゆる努力を無に、いやむしろ最悪な事態に変貌させたのでした。
時間に合わせた挨拶も、友好的に振舞おうとする姿勢も、敵対心を無くすための武装解除、防御解除も、全て徒労に終わりました。文字の一つでも書いたらよかったのでしょうが、下手な動きを取れるほどの余裕はその場には存在しませんでした。
このまま終われば自分一人だけ道化であり、犬も食わない笑い話で済みました。地形を変わるほどの絨毯爆撃さえなければ。
一瞬にして数千の火球が目の前に飛来し、それが全てが連鎖的に爆発を始めました。一種の芸術ともいえる攻撃で、閃光は赤青黄色と様々な色に変容しながらも調査し、側から見れば、数千の打ち上げ花火が地上で咲いたかの様に見えたと思います。
華やかな様相でも、爆発の中心部にいた私にとっては地獄でしかなく、投げ捨てた剣を拾い上げ、一つづつ切り捨てるしか逃げる方法はありませんでした。もし飛行魔術を封じていたら、耕された地面へと追い込まれ足を取られ、消し炭一つ残らない結末になったと断言できます。生きる意味のないこの当時の私でも、流石にその結末は望まないものでした。
恥ずかしいことに、声が音として届かないということは当時の私の頭からは完全に消え失せていました。そんな私にとっては、敵対行動を取られることは理解しがたい現象で、切り捨てながら常に疑問符を浮かべておりました。
それと同時に不可解に感じたのが、この爆撃自体です。
確かに無詠唱で発動させたことやら(後から考えると、金魚の様に口をパクパクしていたので詠唱はしていた模様)、その爆発規模にも違和感を覚えておりましたが、それ以上に驚いていたのが、突如爆撃に移行したことです。
当たり前のことですが、魔術というものは、目的に対して最短距離をとることが是とされるのが常です。すなわち、相手を撃退するならば、破壊や燃焼といった概念を相手に付与するのが正規であって、爆撃や雷撃といった間接的攻撃は愚策と言えます。事実、今回の私は魔術防御を一切外しておりました。概念付与による攻撃をされていたらひとたまりもなかった筈です。
付与ができなかったのでしょうか。いや、的確に館や少女に衝撃を与えない様にしながら、あの爆撃を実施できる人間が、そんなことはない筈です。
最後の火球を切り捨て、砂煙が晴れた時、女性の姿はすでにありませんでした。
静寂が場を支配しました。
いえ、静寂にしては重すぎました。
木々のざわめきがやけに大きく聞こえ、少女の息づかいさえも聞こえてきそうなほどであり、まさに語るべきものを互いに意識しながら、語るに語れないというひどい沈黙でした。
空気が死ぬ、とはあのことを指すのでしょう。
永遠とも感じた沈黙の中、風をきってこちらに近づく物体が一つ。
場の流れを変えるのはいつだって驚きであり、この時もそうでした。
幼女が降ってきたのです。
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後書き
皆様の中には、魔術の確認こそ、魔術のその世界における立ち位置を確認した後に行うべき行為だと主張される方もいらっしゃることでしょう。当然人目を避けても魔術回路で監視されている場合もあります。
私自身も第423回転生時をはじめとして、数十回魔術確認の際に魔術行使を補足され、魔物として扱われたこともあります。しかし、私としては魔術の確認をすることを絶対にお勧めいたします。また補足になりますが、ここでの魔術は転生目録の『被造物を貫く理を利用し、行為者の思うままの現象を起こす』行為と定義します。
理由は簡単なことで、生存率が上がるからです。
皆様もご存知の通り、魔術行使の方式自体(行為者が目的を定義し、被造物を理に沿って文字や声などを通しアイコンの提示を行い、現象を起こす)は普遍的なものであります。魔術を行使する際は例外なくこのプロセスを踏むのです。
規格化されたプロセスは、後世への知識の伝達や、魔術の普及というものに大きく貢献してきました。事実プロセスがなければ、魔術の行使は千者万別になり、鍛錬や研究ではなく、センスがものをいうだけの技能となっていたのでしょう。
魔術はプロセスを確立したところに意味があり、後はおまけに過ぎないのです。
しかし、異世界転生時における魔術行使の問題は、このプロセスの非柔軟性にあります。特にアイコンの提示が厄介な働きをするのです。
アイコンの提示においては、世界の理と接続するために、自身の魔術回路を開示し、理の一端を接続に適した形に変化させるという処理が行われます。いわば、魔術師にとっての世界システムとの同期処理にアイコンの提示は該当するのです。
プロセスが規格化されているなら同期処理も統一化されていると思われます。しかし、実際はそうではなく、同期処理は世界によって異なります。いうならば、世界ごとに方言のようなものが存在するのです。
方言レベルの違いならどうとでもなりそうですが、そうは問屋が卸しません。大方の世界には魔術管理ギルドという組織が存在するからです。
魔術管理ギルドは、一般の魔術師にとっては魔術のショートカット作成や、アイコンの提示方法を研究し普及するという便利な機関です。しかし異世界転生の場合には、これ以上にない厄介な存在になるのです。
基本的に、転生先の魔術管理ギルドのショートカットは利用できません。言語による違いだけではなく、転生者は一般的にショートカット仕様の許可書とも言えるライセンスを手に入れることができないという事実が影響しています。またそれに伴い、アイコンの提示方法に関する共有も行われません。
これだけでも厄介なのですが、ここまではあくまで魔術管理ギルドを使えないというだけです。
何かの奇跡でアイコン提示の方法を認知できたとしましょう。しかしその世界は、文化も発声方法も、最悪の場合理自体も一致しない場所です。大方の場合、アイコン提示に苦心するよりも剣を振るった方が容易です。
また何かの偶然で文化や発声方法、理の構造の酷使する世界に転生できたとしても、接続は困難を極めるでしょう。十中八九、魔術管理ギルドは、理との接続を独占を志向し、自身の定めた方法以外での接続を拒絶するシステムを構築しています。つまり、アイコンの提示を成功させるには、自身の持っている元の世界の知識を全て捨て、その世界にのみ従属する存在にならなければならないのです。
さらに、魔術管理ギルドの調停者としての機能も厄介です。魔術行使自体の禁止だけならまだしも、最悪の場合、621回目の転生先のように魔術回路の起動だけで、処刑対象になる場合もあります。大方の場合転生者に不利になるように制度化されており、訴えても負け、訴えられても必ず負けるという理不尽な扱いを受けることになります。
ここまで述べてきたように、アイコンの提示方法もわからず、守護者たるべき魔術管理ギルドが転生者に牙を向いている以上、魔術行使の確認を行わず、実戦で魔術行使を試みるのは自殺行為極まりません。
確かに、魔術行使の確認の際に処刑される可能性もありますが、それは逆に好機であります。追っ手を撃退しライセンスを手に入れればそれだけでも安全が確保できるのです。
故に、魔術行使の確認は最優先で行うべきだと言えることでしょう。
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