23. One Last Kiss
板張りの閑静な道場にて、袴姿の男女二人が竹刀で打ち合っている。わずかに紫がかった色味の黒髪を靡かせ、二人は舞うような足裁きによる剣戟を披露していた。
「そこまで!」
女性が声を張り上げ、男性の動きがピタリと止まる。そして一切の呼吸を乱すことなく、二人は竹刀を床に置いて正座した。その居住まいは美しく、伸ばされた背筋には気品が漂う。
「キラよ、随分と剣の腕を上げましたね」
……母上? って、その前にいるのは誰だ?
そこでようやくライは、今見ている場面が走馬灯ではなく、紫の記憶だということに気がついた。何年、何十年、何百年と、何世代にも渡って受け継がれてきた紫の鞘、もとい血液がライに何かを伝えようとしてくる。
「ご勘弁ください!」
キラと呼ばれた青年はライと同じく、母に叱咤激励されながら旅へと送り出された。
場面は変わり、月が照らす草原にて。さきほどの母と息子……いや、父と娘が真剣で斬り合っていた。
「紫煙一縷!」
「紫音一符!」
塵が空気中の振動によって弾き返され、静寂な夜を引き裂くような金切り音が響き渡る。相性の悪さに辟易しながらも、キラは不利な状況を楽しんでいた。
「紫音十六夜」
元母の父……もとい、ネネは音も無く闇に紛れた。毒を周囲に撒き散らせておけば察知は可能だが、それも音で吹き飛ばされる。
紫歴代で最弱の刀である紫煙に対して、使い手のキラは露ほどの期待もしていない。信じるのは己がために鍛え上げた剣技だけ。
「紫煙彩雲」
散布した塵に足をかける歩行術で、高速移動し続けるネキに対抗する。空中戦にて剣戟が繰り広げられるが、刀同士の衝突音は紫音が吸収していた。
ただただ無音な月夜の下で、黒い影ふたつが狂うように舞っている。その静寂を破ったのはネネの方だった。
「紫音讃頌」
何度目かの鍔迫り合いの末、蓄え続けた力を開放し、見境無しに衝撃波を発生させた。近距離すぎたがゆえにキラは回避し切れず、片耳を削ぎ落される。
しかし、紫音の真価は音響ではなく、振動にある。刀を伝った振動はキラの右手に及び、指から手首、肘までの骨を砕いた。
想像を絶する苦痛に耐えながら、キラは折れた手で無理やりにでも刀を握る。少しでも紫音に触れては駄目だ。往なすでも逸らすでもなく、躱すだけでも防戦一方となるのなら、それより先に斬りかかる。
「紫煙八雲!」
「紫音旋律!」
手数を増やそうと連続斬りを繰り出すが、ネネも同じく連続斬りにて対抗した。その上、紫音には衝撃波がある。刀の単純な性能差により、次第にキラは競り負けていく。
額、眼球、頬肉、腕、太腿、刀の切り傷だらけになった末、とうとうキラは弾き飛ばされ、地に背をつけてしまう。
「弱い紫なんざいらねぇ! ここで朽ち果てろ!」
実の子に失望したネネは怒号を放ち、辺り一帯ごと消し飛ばそうと大技の力を溜める。
「紫音轟轟!」
空気を圧縮し解き放つその技は、耳を劈く爆発音と共にキラを呑み込む算段であったが……どういうわけか不発に終わった。
「紫音一符!」
衝撃波は出る。しかし、その音響は紫色の塵によって阻まれていた。息を吹きかければ霧散してしまいそうな塵の集まりに干渉できない。
……否、音が吸収されていると気づいた時、ネネは真っ先にキラへと直接斬りかかった。
「紫音蜻蛉切り!」
一瞬で距離を詰め、頭上から振り下ろされる音速の太刀。だがそれは、あまりにも遅く、何よりも強すぎた。
キラは座位のまま最小限の力で、神速の居合斬りを振るう。
「紫煙八百蜘!」
幻覚を見せる紫煙の毒が回った時、キラは実の親を一刀にて斬り伏せていた。
……そんな死闘を何世代にも渡って繰り広げていたことを、ライは紫の遺伝子から教えられる。我が先祖のことながら、親殺しの風習が続くとは野蛮極まりない。
紫煙、紫音、紫炎、紫龍、紫陽、紫樹……。歴代の紫が培ってきた剣技を垣間見て、ようやく初代紫にまで遡る。
「紫蘇開闢」
目を覚ますとそこは、雨降る森の中だった。ツバキに胸を貫かれたはずであったが、驚くべきことに息を繋いでいる。
とはいえ、完全回復とは言い難い。ライは重い身体を引きずりながら、エンジが去った方向へと歩を進めた。
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