22. Last Surprise
降りしきる雨の中、エンジはルリを抱えて走り続けていた。
「ルリちゃん大丈夫だからね。もうすぐ森を抜けるよ」
木々の合間を縫うように進んで行くと、ようやく視界の先に光明が見えてきた。今いる大陸から紫の里へ行くには、海を越えなければいけない。エンジは逸る気持ちを抑え切れず、最後の気力を振り絞って駆け抜ける。
しかし、開けた光景には、かつて黒い軍勢が所有していた黒船が待つ構えていた。
「な、なんで黒船が……⁉」
予想外の状況に混乱していると、船から壮年の男が出てきた。
「罪人に告ぐ! おとなしく投降しろ!」
「あれは確か……ピスマス?」
彼は青の国の将軍だった。本来であれば女王であるルリの部下であるはずなのに、何やら様子がおかしい。
というか、状況が呑み込めない。罪人? 投降? どういうこと?
「これが最後通達だ! さもなくば撃つ!」
警告と共に鳴る銃声。青の民複数人で、船の上から拳銃を発砲しまくっていた。
「もう撃ってるじゃないか⁉」
踵を返し、再び森の中へ逃げ込むエンジ。だが、あまりにも不意打ちすぎたため、銃弾の一発を背に受けてしまった。
「おのれ! 女王を人質にするとは卑怯な! 構わん、撃て!」
……わけがわからない。好き勝手なことを言うピスマスに対し、エンジは木を背にして避難することしかできない。
目の前の海にさえ出られたなら……そう思っていた。でも実は、逃げ場所なんてはじめから無かったのではないか? ルリの体調が悪いままでは意味が無い。
「焔!」
反撃しようと陰陽術を繰り出すも、雨の中では火が弱まっていた。なんとか力を溜めたいが、背中の痛みで集中力が散漫している。
「……もう良い、エンジ」
万事休すかと思われたところ、ルリが目を覚ました。抱えていたエンジの手を振り払い、自力で立ち上がろうとする。
「随分と迷惑をかけた……申し訳ない」
「まだ安静にしてなきゃ危ないよ!」
「身内の不始末は、此方が片づける」
有無を言わさぬ剣幕で、ルリは黒船の前へと躍り出た。
「ご乱心なされたか女王よ! 蜂の巣にしてやれ!」
いちいち突っ込みどころが満載の台詞だ。ピスマスの命令が部下へ行き渡る間に、ルリは一本の手槍を取り出す。ミズが最後に託した自身の武器だった。
「青嵐・帝釈天」
ルリが術名を呟くと手槍は本来の姿を取り戻し、黄金の長槍へと変貌を遂げた。彼女は槍を突き立てたりはせず、ただ虚空へと振り下ろす。
「激龍葬」
突如、天から大量の水が落下し、黒船ごと青の民を水圧で粉砕した。
「はっはっは! 青の民に水をかけようと、痛くも痒くもありませぬぞ!」
船の瓦礫を押しのけ、海面から顔を出したピスマスは高笑いをしている。が、そんなものは強がりでしかないことをルリは見抜いており、槍を天へ向けて掲げた。
「鳴神!」
雷雲から稲妻が落ち、海上にいた青の民を無慈悲に襲う。感電した彼らは悲鳴すら満足に上げられぬまま、海の藻屑と化す。
「格の差を思い知ったであろう! 此方の前に平伏せ!」
辛いながらも大見得を切るルリであったが、肝心の青の民は全員が気絶しており耳に入っていない。
ただ、一部始終を見ていたエンジだけは希望を見出していた。
すごい。覚醒したルリちゃんの力で青の民を統率できれば、残った船を出して海を安全に渡れるかもしれない。
あとは、ライさえ間に合えば……。
「逃げ切れると思ったか?」
背後から声がして振り向いた瞬間、エンジはツバキに首を掴まれていた。銃に撃たれた弟を心配するでもなく、獲物を狩る目つきをしている姉に対し、エンジは息も絶え絶えに言葉を吐き出す。
「……お前は……誰だ?」
「吾輩の名は紅蓮。紅の守護神だ」
猫の姿をしていたはずの守護神が、どういうわけかツバキの体に憑依しているらしい。
「姉上を……返せ!」
「力を望んだのは貴様ら姉弟だろう。そして吾輩の糧となる信仰は畏怖。崇め奉り共存せよ」
だから紅の守護神は封印されていたのか。時の流れで式典が形骸化していき、伝承が後世へ正しく語り継がれなかった弊害だと、エンジは薄れゆく意識の中で悟った。
「青龍寒九!」
異変に気づいたルリから、槍が高速で投擲される。まるで雷と見まがうほどの威力であったが、既にツバキの術式が完成していた。
「鬼神・天衣無縫」
光に包まれて現れたのは、豪奢な真紅の鎧を身に纏ったツバキであった。彼女は迫り来る槍をものともせず、ただ左手を軽く前に出す。
「紅魔鏡」
目の前に赤みがかった硝子が出現し、投擲槍を反射する。何倍にも威力が増幅した槍であったが、まるで自然と元の位置に戻るかのようにルリの手に収まった。
「ほう、あれを難なく受け止めるか」
「兄上から授かった槍は手足も同然じゃ!」
「よかろう。ならば吾輩も肩慣らしと行こうではないか」
「エンジを返せ!」
ルリは再び槍を振りかぶり、ツバキへと立ち向かう。
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