21. White Light

 逃亡中であるライ達の範囲にも、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。


「雨が降ってきた。急がなくちゃ」


 徐々に雨脚が強くなっていき、視界も悪ければ冷えて体力も奪われる。早めに勝負を決めておくべきだと悟ったライは立ち止まり、あらたまってエンジと向かい合った。


「……覚えているか? エンジを断頭台から救った日も、こんな雨の夜だったよな」


「突然どうしたの?」


「先に行け。後で必ず追いかける」


 そう言うとライは、抱きかかえていたルリをエンジに託した。


「は? ちょっと待って、なんでぇ⁉」


 狼狽するエンジを落ち着かせるように、ライは優しく話しかける。しかし同時に、事実だけは真摯に伝える必要もあった。


「紅の気配が近づいて来てる。病人を抱えたままでは、いずれ追いつかれるだろう」


「え、でも、姉上のことはミズが足止めしてるんじゃ……?」


「ミズは死んだ」


「いや、いやいやいや、だってあのミズだよ? 死ぬわけないじゃん」


「あのな、もしも逆にミズが生きていたとしたら、それはツバキが死んだってことだ。もう、いい加減に腹を決めるしかない」


 自分の身に何かあったら雨を降らす。これはライとミズの間で話し合った取り決めだ。不自然に雨が降り出したということは、ミズは負けてしまったのだろう。


「必ず、どちらかが死ぬ」


 ライはエンジの目を見て、再確認するように言う。お前の姉を殺すと。エンジは無言であったが、小さく頷いて後ずさりした。


「わかったら進め。ルリを守るってミズと約束しただろ?」


「……ライは死なないよね?」


「ばーか。オレが死ぬわけないじゃん」


「それは死ぬやつ⁉」


 緊迫していた空気が一時だけ緩む。ここまで休憩もせず走り続けていたため、少しは肩の力が抜けただろう。

 しかし、安堵するのも束の間。脅威はすぐ背後まで這いよっていた。


「呑気に歓談か?」


「あ、姉上……」


 現れたのはツバキ、ウメ、スオウの三人だけだった。他にも紅の兵はいたはずだが、ミズによって数を大きく減らされていた。また、黒の新兵器も破壊されている。


「エンジよ、青の女王を引き渡せ。共に紅の国を再興しよう」


 手を差し伸ばすツバキ。だが、エンジは憔悴しきっているルリを見て即答する。


「嫌です! ぼくには仲間を裏切るなんてできない!」


「紅を裏切っておいて、なんだその言い草は? 貴様には失望したぞ」


「目を覚ましてください! 昔の姉上は厳しくても思いやりがありました!」


「その甘さを黒に付け込まれたのだ! もう二度と、あのような過ちは繰り返さない」


 どんなに言葉を交わしても平行線だった。かつての仲睦まじい姉弟関係は見る影もない。


「……もう十分だろ。先に行けエンジ」


「袂を分かつことになり残念です。どうかお許しください」


 森の中へと姿を消すエンジの背中を、ツバキはただ見送ることしかできなかった。彼女は額に血管が浮き出るほどに怒り心頭している。


「紫に毒されたか。この代償は高くつくぞ」


「最高の誉め言葉だね。そういうお前も、随分と弱ってるようだが?」


 ギンに潰された左目、アサギに抉られた左肩。もはやツバキの体は戦闘できるような状態ではなかった。


「この状態であっても青の依代は殺せた。火と金の相克関係にある貴様に、負けるつもりは毛頭ない」


「なら遠慮はいらないな。頼むから命乞いだけはしてくれるなよ」


 何気なく言ったライの軽口が逆鱗に触れ、いきなりツバキは火炎をぶっ放した。


「豪火絢爛!」


 押し寄せる熱風を受け、宙高く飛び上がるライ。


「紫電三日月」


空中を狙ってウメが散弾銃を撃つも、ライは巧みな剣捌きで弾丸を全て往なした。


「狒狒猩紅!」


 着地を狙ったスオウの重い一撃。それをライは避けも受けもせず、ただ通り過ぎるようにして居合斬りを繰り出す。


「紫電一閃」

「……百日紅っ!」


 かろうじて金棒で防いだスオウであったが、その金棒は豆腐のように斬り落とされている。ただし武器と引き換えにして、身を犠牲にする強引な方法ではあるものの、ライの刀を胸筋で受け止めることに成功していた。


 反射的に刀を引き抜こうとするライであったが、相手の予想外すぎる筋肉量に抑えられて身動きが取れない。その好機を逃さぬよう、ツバキが率先して前に出る。


「業火滅却!」


 仕方なくライは刀を手放し、直接攻撃を回避した。一時的に距離を取って体勢を立て直そうとするも、そんな暇は与えまいと対策される。


「狐火!」


 ウメの陰陽術によって展開される火の玉。雨の中でも燃え盛るそれらは敵の退路を断ち、場面を包囲する効果を持っていた。


「姫、今の内に大技のご準備をお願いします!」

「うむ。可能な限り時間を稼げ!」


 閉鎖された空間を爆撃されれば逃れる術はない。短時間で素早い相手を仕留めるには効果的であり、統率の取れた連携にライも敵ながら感心してしまった。


 奪われた刀を取り戻そうにも、包囲網の外に投げ捨てられている。先にツバキを処理したいが、彼女も外に退避していた。なんとか他に活路を見出そうとするも、怒涛の連続技で思考が安定しない。


「緋連雀!」

「怒首我羅!」


 じわじわと相手を追い詰める攻撃も、息の合った二人で繰り出せば舞踊のように美しい。スオウは胸を斬られて紫の毒が回っているはずだが、弱まるどころか元気いっぱいに剛腕を振るっている。


 密度の高い中距離と近距離攻撃に対し、ライは針に糸を通すような繊細さで回避し続けていた。しかし、時間を浪費すればするほど自分が不利になる。相手に隙が無いのなら、自ら作り出せばいい。


「お前らはツバキの様子がおかしいとは思わないのか⁉」


「無礼者! 姫の願いは紅の再興! その信念は始めから一貫して変わらぬ!」


 攻撃の手は休めず、激高したウメが答える。普段は冷静であった態度からの豹変ぶりに戸惑いつつも、ライは会話を続けようと試みる。


「黒い軍勢の戦いから、まるで人が変わったようだろ! 過激になりすぎだ!」


「戦いこそ本望! 争うは宿命! 強き紅が天下を統べ、悲劇に終止符を打つ!」


「ウメ! 相手の騙りに耳を貸すな!」


 意外にもスオウの方が周りを見ており、ウメは頭に血が上っていた。理由は不明だが好機と捉え、ライはあからさまな挑発をする。


「阿呆な主君の言いなりか⁉ 主君が道を違えたのなら、一緒に誤った方向に進むのではなく、正しき道に修正してやるのが真の忠誠だろ!」


「たかが個人が偉そうに管理者ぶりやがって! 国と民を背負った姫の苦悩と決心が、貴様なぞに推し量れて堪るかぁ!」


 主張のいくつかが正論であるからこそ、ウメは無視できない。位置関係を把握できないほど視野が狭まっていたため、自分が誘導されていると気づけないでいた。


「不知火・石楠花!」


 火炎を纏った分銅を、まとめて大量に放つ。そのどれもが不規則な動きをしており、全方位から獲物を仕留めようとしていた。


 だが、ライは棒立ちのまま、右手を前に差し出す。


「紫電改二・以心電心!」


 右手に稲妻が奔る。外に放り捨てられていた刀がライの手中に収まり、その軌道上にいたウメの胸を貫通した。


 燃え盛っていた分銅は鎮火され、力無く地に落ちる。何が起こったのか状況を呑み込めていないウメは、血を吐き出しながら膝をついた。


「やめろおおおおぉぉーーーーっ!」


 スオウの悲痛な叫びを聞き流し、返す刀でライは無防備となったウメの首を斬り落とす。


 跳ね飛ぶウメの首を見たスオウは呼吸が止まり、時が止まったと錯覚するほど呆然とした。だが次第に怒りで全身が小刻みに震え、肌が赤黒く変色していく。


「鬼灯・大戒炎!」


 膨張する筋肉により、スオウの体が一時的に巨大化した。そのまま圧倒的な暴力で殴りかかるも、ライの速さには届かない。


「紫電一閃」


 スオウの体を斬りつけるも、硬すぎる筋肉のせいで骨にまでは達せず。ならば首への一太刀を狙いたいが、巨大化によって位置が高くなっている。


 いずれ毒で死ぬにしても、それでは時間がかかりすぎてしまう。短期決戦を望むライは、意を決して荒れ狂う力の前に飛び込んだ。


「紫電胡蝶蘭」


 相手の力を受け流しながら、蝶のようにふわりと舞い上がる一太刀。避けるでも、受けるでもなく、往なすの極地を体現した絶技だ。


 見事にスオウの首を綺麗さっぱり斬り落とすと、陰陽術による火の結界が解除された。


「覚悟しろ」


 視線の先には、まだ力を貯めている真っ最中のツバキ。ようやくこれですべてが終わる。早くエンジと合流して、ルリの回復に専念しよう。


 その慢心が命取りだった。


 がしゃり。鈍い金属音が聞こえた瞬間、ライは地面へと転倒していた。


 見ると、鎖が右足に絡みついている。ウメが最後に放った分銅の鎖だ。首の無い死体はぴくりとも動いていない。ひとりでに絡まってしまったというのか? 刀で斬ろうにも相克関係では相性が悪い上、幾重にも巻き付いている。


 落ち着け。不利な状況でこそ冷静になれ。不幸中の幸い、分銅はどこにも固定されていないため、鎖ごと引っ張って歩けそうだ。


 足枷をものともせず、無理やり引っ張って迫ろうとするライ。機動力は格段に落ちたが、手負いであるツバキも逃げる気配は無い。仲間が目の前で殺されては引くに引けないだろう。


「楽に死ねると思うなよ」


 逃げるどころか構えるツバキ。おそらく既に力は溜まりつつある。ライが事前に阻止すべく急いでいたところ、今度は左足を誰かに掴まれる感触があった。


 おそるおそる振り返ると、首無し死体と成り果てたスオウがライの左足を掴んでいた。


(死んで尚、なんで動ける⁉)


 謎の怪奇現象を目の当たりにして悲鳴は上げなかったものの、動揺は隠し切れない。すぐさまライはスオウの左手を斬ったが、また右手で足を掴まれ、右手を斬っても腕ごと巻き込むような形で足にしがみつけられ、切り離すことができない。


「放せ! 放せ放せ放せ!」


 一刻も早く向かわねば、ツバキの大技が完成してしまう。しかし、いくら焦って斬りつけようと、スオウの肉体が離れることはなかった。もはや肉塊が足の上に乗っているだけでも、不思議と重みが消えてくれない。


「天に召せ」


 力を溜め終えたツバキが大技を発動しようと振りかぶる。間に合わないと悟ったライは腹を決め、真正面から往なそうと刀を構えた。


 しかし、心臓の鼓動は落ち着かない。足を捕られた程度で取り乱し、呼吸も肩で息をしている状態で、己の未熟さに頭が沸騰しそうだ。


「紅蓮・百火繚乱!」


 ツバキの拳から火花が解き放たれた。火炎を極限にまで圧縮させたものであり、対象者の殲滅に特化した殺傷力を秘めている。


「紫電一閃……っ!」


 迎撃するライの雷は空振り、一筋の火花が光速で胸元に届く。火種は瞬く間に膨れ上がり、雨雲を消し飛ぶような爆発が巻き起こった。

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