19-2. センスレス・ワンダー
天幕から素早く飛び出したライは、地面に落ちた刀を拾いつつ疾走した。また小脇にはエンジを抱え、紅の企みを事前に阻止しようと動き出す。
「どうして、もっと早く計画のことを言わなかった⁉」
「何度も言おうとしたよ!」
確かにエンジは何かを言い淀んでいたが、これから事を成そうとするライが聞く耳を持つはずがない。それよりも今、彼女は嗅覚が発達していた。
母から受け継いだ紫の能力。その中には紫煙による塵の扱いも含まれており、どこかで何かが燃えている空気を敏感に察知できる。
また、薬に詳しいライは看病も務めていたため、天幕の位置も記憶している。煙が上がっている場所へ駆けつけると、ミズとライが眠っている天幕が燃えていた。
「待ってろミズルリ! 今助けるぞ!」
「ぼくを抱えたまま突入しないでよ⁉」
明らかなお荷物になっているエンジの言葉を、これから人命救助しようとするライが聞く耳を持つはずがない。そのまま燃え上がる天幕の中へ入ると、そこには誰もいなかった。
「いない! どういうことだ⁉」
「それより火を消さないと!」
幸い、火事の規模は小さかったため、火の術者であるエンジの手により鎮火された。だが、何故このようなぼや騒ぎが起こってしまったのか、警戒を強めるも既に遅い。
「何の用だ?」
背後から首筋に添えられる槍の刃先。声の主はルリの側近であるアサギだ。ライは後ろを振り返らず、冷静に事実だけを述べる。
「時間が無いから単刀直入に言う。紅が裏切った。ミズとルリは紫で保護する」
「……確かな情報筋らしい」
エンジの存在を一瞥したアサギは、ひとまず槍を納めた。その尋常ならざる様子を見て、エンジは血の気が引きつつも状況の把握に努める。
「ルリちゃんとミズは⁉」
「落ち着け。本物は別の場所に移してある。この炎は炙り出しだ」
「紅の裏切りを知ってたの?」
「戦争の死人や重傷者を弔わず、酒盛りをしている奴らの横で寝ていられるような、図太い神経ではいられなかっただけだ」
姫を守る側近に相応しい、警戒心と判断力に感心する。どうか、この不安が取り越し苦労に終わってくれと願った時、災厄はやって来た。
「これは失敬。今から見舞いに行くところだ。ぜひとも青の女王の居場所を教えてくれ」
紅の姫こと、ツバキだ。こちらの話を聞いていたらしく、片手を挙げながら親し気に近寄って来る。
その胡散臭い態度が気に食わないアサギは、今にも襲い掛かりそうな形相で睨む。
「どうやら殺されたいらしい。地獄へ案内してやる」
「何か勘違いをしているようですが、こちらは同盟国として正式に参っています」
前に出て抗議するのは、同じく側近のウメだ。その隣にはスオウも控えている。これから病人の見舞いに行く雰囲気には見えず、お人好しのエンジも擁護できない。
「見え透いた猿芝居を……。裏切り者の紅が世間体を気にするとは驚きだ」
アサギの皮肉も通用しない……。かと思いきや、ツバキはあっさりと、悪びれもせず本心を暴露する。
「まだ緑は利用できるのでな。正当性は示しておきたい。そちらも青の女王の身柄を引き渡せば、被害は最小限に留められるのではないか?」
「ルリ姫様が犠牲となった時点で、それは最大限の過失だ。真なる紅の姫よ、なにゆえ裏切り行為に身を落とした?」
黒い軍勢を倒すために手を組み、期間限定の同盟だったとはいえ、互いに命を預け合った仲間だ。まだ人としての情が残っているのなら、こんな愚かで非道な選択はしないだろう。
だが、そんな合理的な考えはツバキに通用しない。彼女は掌を握りしめ、ゆっくりと本来の目的を簡潔に語る。
「世界を紅く染めるため」
顔面に張り付く笑顔。不自然なまでの口角の吊り上がりに、凄みを感じたアサギは即座に思考を切り替える。
「ライ、姫を連れて逃げろ」
「アサギは?」
「隊長として部下を残すわけにはいかん」
「ちょっと待ってよ! まだ話し合えば姉上も……」
「エンジも行け。さもないと……一緒に殺すぞ」
決死の覚悟を決めたアサギの目を見て、エンジは言葉に詰まる。それが過去の仲間に対する最大限の恩情だと分かっていて、ライは彼を抱えて走り出した。
「追え」
「通すと思うか?」
紅の前に立ちはだかるアサギ。槍先を目先に突き付けられても、ツバキは一向に動じない。
「三対一での殿とは、損な役回りだな」
「陰陽五行を知らんらしい。死にたい奴から、かかってこい!」
アサギが言い終わるな否や、スオウとウメが左右から挟み撃ちにする。
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